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こちら、桐生探偵事務所。(暴慢編)
「立花、大吾くんね?」
校門の前で大吾を呼び止めた女は、レザーの上下ですらりとしたボディを包んだスタイリッシュ美人だった。
明るい色の髪をショートカットにし、それに似合う精悍にして挑戦的な目。
背後に蹲る赤いホンダ・NSXが、一層その女の魅力を引き立てていた。
何より餓えた狼の群とも言える男子校の校門前に、堂々と姿を現すその度胸も大したものだった。
「そうだけど… あんたは?」
「私は風見沙織。相談があるの、ちょっと付き合って。」
もう嫌気が差すような、女っ気のない学校生活だ。毎日のように喧嘩に明け暮れても、発散出来ぬ部分もある。
大吾とて他校の女生徒を幾度か抱いた事があるが、特定のこれと言った相手は作らなかった。愛だの恋だのというものは所詮幻想に過ぎず、正直な話うざったいだけだ。
そんな大吾ですら目を見張るような美人が目の前に現れた。
それも事務的に何かを要求している。
「何だい?」
大吾は無愛想に聞いた。
「ここではちょっと… 乗って。」
沙織はくるりと身を翻し、NSXの方へ歩み寄ろうとした。
次の瞬間、沙織の形のいい眉がぴくんと引きつる。
赤いNSXの廻りは、男子校の生徒達で黒山の人だかりが出来ていた。
男子生徒たちを惹きつける興味と憧れが、目の前に堂々と鎮座しているのだ。無理もない。
「こらぁっ!汚ねぇ手で触んじゃねぇっ!」
沙織の一喝で、男子生徒の人だかりの輪が拡がる。
「あんたは一体?…」
ホルダーに通した指でキィをクルクルと回しながら、NSXに歩み寄る沙織に生徒達が道を開ける。
その背中に問いかけた大吾に、沙織はちらりと振り返り悪戯っぽい笑みを送る。
「桐生拓也。知ってるでしょ?」
「名前だけならね。」
ドライバーの背中に配置された総排気量3.2リッター、V型6気筒のエンジンが唸りを上げて赤いNSXは町中を突き進む。
地を這うような助手席に身を沈めた大吾は、沙織のその見事なハンドルさばきと軽快なシフトチェンジに感心していた。仲間内でも四つ輪(四輪車)を操るヤツは多いが、この運転技術に比べれば彼らは所詮子供の悪戯レベルだ。
前方をノタノタと走る白い小型セダン、ニッサン・サニーがいた。制限時速40キロの道路を、30キロ程度の超安全速度で流している。これはある意味、迷惑運転とも言えるだろう。
沙織は後方からテール・ツー・ノーズでピタリと迫り、派手にクラクションを鳴らす。しかし、この手のドライバーは周囲の情報など一切把握してはおらず、ウインカーも出さずに突然曲がったりする危険な行為を平気でやらかすタイプが多い。
「ちっ!ウゼぇんだよ、クソジジイ。」
道路の隙間を見てシフトダウン。凄まじい加速で一気に追い抜く。
「てめーは棺桶にでも乗ってなっ!」
この沙織という女、かなり気が短いようである。
目前の信号が赤。沙織はシフトダウンによるエンジンブレーキと、フットブレーキを併用してNSXを停止線でぴたりと停めた。
落ち着きを取り戻したのだろう、沙織は静かに口を開いた。
「潰して欲しいの、桐生拓也を。」
「潰す?」
「そう、二度とデカイツラが出来ないようにね。」
「なぜだ?」
「大切なものを奪ってやるのよ。」
「何だい、そりゃ?」
「何でもないわ。理由はともかく、報酬は弾むから。そうね… このクルマを進呈するわ。」
沙織は両手でハンドルをぽんと叩く。
大吾はペダルに伸びた沙織のすらりとした足に視線を移し、のんびりとした口調で言った。
「あんたが欲しいって言ったら?」
「ナマ言ってんじゃないよ。あたしを抱こうなんざ十年早いわ。」
信号が青になった。沙織が踏み込むアクセルに呼応し、リアのトレッド255、40R17インチのワイドタイヤが悲鳴を上げ、1.3トンの赤いボディを押し出す。
「冗談だよ。」
「いい度胸ね、総番張ってるだけの事はあるわ。気に入ったよ。」
「あんたもな。」
寒気を運ぶ北風が、アスファルトの上を通り過ぎた。
「うわ… さっむーい!」
抱きすくめられた背中から倫子の体温が伝わって来る。
「くっつくなって… 人が見てるだろ。」
迷惑そうに、それでいて満更でもない口調で拓也は言い放った。
「あはは。拓也、照れてらぁ。」
「うっせぇよ!」
こんな会話を幾度交わした事だろう。それはずっと昔から、お互いの胸に秘めた何か大切なものを確認し合う為の、暗黙の内に決められた合い言葉のようなものだったのかも知れない。
「へへ〜♪ みぃちゃった〜ぁ… 相変わらずお熱いことで。」
二人の背後で明るい声がした。寒気を吹き飛ばすような天真爛漫な声だ。
「あ!ひーこ!久しぶりぃ!」
振り返った倫子は、そこに立っている親友の名を嬉しそうに呼ぶ。
サイド・ポニーに括った黒髪に、黒いセーラー服。そして、にぱっと笑う明るい笑顔は、見る者誰もが元気を分け与えられているようだ。
「オッス!ひーこ!」
「オス!拓也!」
白木姫子は拓也の挙げた右手に、同じく右手で力強くタッチした。
ぱん!と軽快な音がする。
次の瞬間、拓也は右手を抱えて蹲っていた。
「どしたのー?拓也。」
倫子と姫子は拓也を覗き込む。
「いてえ… ちったあ手加減しろよ、ひーこ。」
苦痛に歪めた顔で拓也が答える。
「あはは!ごめん、ごめん!」
「ひーこはさ、また春の全国大会に出るの?」
「あったりまえじゃん!今度は負けないからね、倫子。」
二人の少女は顔を見合わせて笑った。
「面白いわね。また二人で総ナメにしてやりましょ。」
「あたしはどうも空手のルールには馴染めなくて… でも今度は大丈夫だよ。倫子、あんたがいるかぎり。」
「楽しみね。」
この二人の少女は、今年の高校女子空手道全国大会個人の部で、一・二位を争った仲だ。白木姫子は母校の臨時の部員として参加していて、優勝戦で倫子と拳を交えた。それ以来二人は意気投合し、ライバルとして、そして親友としてのつき合いが続いている。
姫子は巧みに気配を絶ちながら受けを攻撃に転じ、そして流れるような技を繰り出す倫子の使う琉球空手に魅せられ、そして倫子は姫子が得意とする、どの流派にも属さない不思議な実戦古武術に興味を持っていた。
学ぶ事とは盗む事。そしてそのノウハウを自分の中に取り入れ、研究し、自分流にアレンジしてゆく事が真の奥義であり、武道の真価であるのかも知れない。
「おまえらなぁ… 青春はもういいから。俺、腹減ったぞ。」
痛みが和らぎつつある右手を振りながら、拓也は二人の盛り上がりを制した。
思い出したように倫子が姫子に聞く。
「あ、そーだ。ひーこ、時間ある?ラーメン食べに行こう、ラーメン。」
「さんせ〜い!今日はオッケーだよ。ラーメン、ラーメン♪」
姫子は突然だーっと走り出す。20メートルは走っただろうか、急に立ち止まり、そして再びだーっと拓也と倫子の方へ向かって帰って来る。
「どこ行くの、ラーメン屋?」
「いいから慌てるなよ…」
呆れた拓也の言葉を尻目に、姫子は嬉しそうにはしゃいでいる。
思考より体が先に反応しているようだ。
公園の門の側に大木が一本立っている。
小学三年生ぐらいの少年が一人、その木の上を仰いでいた。
「ボク、どうしたの?」
倫子は少年に声をかける。
「凧がひっかかちゃった…」
少年は恨めしそうに木の枝から視線を離さない。
見ると派手な原色のゲイラ・カイトが、風にはためきながらも木の枝の束縛から逃れる事が出来ずにいる。
「ちょっとまってなよ、ボク。おねーさんが取ってあげるから。」
姫子は言うが早いか、するすると器用に木の幹を登り始めた。
「おい、ひーこ。キケンが危ないぞ。」
「大丈夫、大丈夫。」
拓也の注意を物ともせず、姫子は既にカイトのかかった枝に迫っていた。
「よいしょ、もう少し。」
他の枝を持った片手で体を支え、カイトに手を伸ばそうとあがく姫子。
「おお、凄い!がんばれ、ひーこ!」
「おねーちゃん、がんばって!」
拓也と少年の声援に笑顔で応え、姫子は足場を確認しながらカイトへの接近を試みる。
「いいぞ、ひーこ!もう少しだ!」
「おねーちゃん、ぱんつ見えてるよ!」
「余計な事言うなっ!黙ってろ!」
「うえ〜ん!おにーちゃんがぶったぁ〜!」
カイトに手が届いた。枝でカイトを傷つけないように、慎重に持ち上げた姫子は屈託のない笑顔で言う。
「よし、取れたぞぉ。そんなに見たいなら見せてやるよ、ほらぁ!」
姫子は木の上でばさりとスカートをまくり上げる。
彼女の趣味だろう。セーラー服のスカートの中身は、アーバン・パターンと呼ばれる灰色系の都市迷彩色の下着だ。
「おお、やったぁ!… いててててて…」
「拓也、あんたはもういいから… こっちでおとなしく見てなさい。」
倫子に耳を引っぱられて退場する拓也と入れ替わりに、木の幹をするすると降りてひらりと地面に飛び降りた姫子が、少年にそっとカイトを渡す。
「ありがとう、おねーちゃん。」
「今度から凧揚げは広いところでやるんだよ。おねーさんとの約束だぞ♪」
「うん!」
人差し指を立ててウインクで決めた姫子に、少年は明るい笑顔で返事をして走り去って行った。
拓也の腕を逆手に捻り挙げた倫子が、親しみと尊敬の念を込めて姫子に言う。
「ひーこは相変わらずだね。」
姫子が身よりのない孤児である事は聞かされていた。ある政府機関に住み込みで働いて生活しているという話だ。そのような生い立ちも暗い翳りも一切顔には出さない、いつ見ても明るく活発な少女だった。
倫子はそんな姫子が好きだった。
「正義の味方も大変なんだよ。」
「痛いよ、放せよ、倫子… もうしません!許してくださいっ!」
哀願している拓也の視界の隅に、人の影が写った。
十人はいるだろう。尋常ではない雰囲気を発散している、男子高校生のグループだった。それぞれの手に鉄パイプや木刀を持っている。
「桐生拓也だな?」
そう聞かれた方に返事はせず、拓也は倫子と姫子に目で合図を送る。
「倫子、ひーこ。ラーメン食べる前に、軽く運動してみるか?」
倫子に腕をねじ上げられたまま、前屈みの姿勢で拓也は不敵に笑う。
軽快なセルモーターの音が、剥き出しのコンクリートの壁に響く。
地に蹲るような黒いロー&ロングフォルムのバイク。そのVバンク70゜にローマウントされたエンジンが鼓動を始め、オイルの血が通う。
通称“DS4”と呼ばれる、ヤマハ・ドラッグスター・フォアーだ。
白くほっそりとした手が、アクセルグリップを掴み軽くあおる。
総排気量399ccの空冷Vツインエンジンは、主人の要望に答えるかのごとく歓喜の咆吼を挙げる。
息を吹き返したマシンの良好なコンディションに、少女は笑顔で答えた。
望月香織。彼女はこの鉄の馬と無言の会話をしていた。タンクに配置された電気式スピードメーターを、香織は愛おしい目で見つめる。
香織は後方のタンデムシートに、左右に振り分けられたツーリングバックを被せて固定した。やたらと重い荷物が入っている。
DS4の低いゆったりとしたシートに跨ると、黒い防弾ジャケットの裾をまくり腰に右手を廻した。
ベルトに取り付けられたフロントブレイクのヒップホルスターから、手に馴染んだステンレス・マット仕上げの2.5インチ銃身のコルト・パイソンを抜き出す。
パックマイヤーの硬質ゴムグリップが掌に吸い付くようだ。
香織はシリンダー・ラッチを引き、六発の.357マグナム弾が装填されたシリンダーを銃左側にスイングアウトする。新品のカートリッジのリムが円を描いて並んでいた。盛り上がったプライヤーは、全弾未使用である事を香織に教えている。
弾頭は先端を平たく削り落とした上に穴を穿ち、着弾した時点で大きくキノコ状に潰れて目標物を破壊するホーロー・ポイント弾だ。
この.357マグナムと言うカートリッジは、正確には.38スペシャル弾の薬莢を延長し火薬量を増やしたもので、.357と言う単位はライフルと同じ規格の数値である。ヨーロッパではミリで表示される口径は、アメリカでは1/100インチで表示され、例えばライフルの.30口径と7.62ミリ口径は同じという事になる。同様に銃身内部の直径を基準にしているのだが、ライフルとハンドガンとでは基準となる内容が違い、ハンドガンは銃身内部に刻まれたライフリングの凹んだ溝から溝の距離を言い、ライフルは凸から凸の距離を言う。
同じ口径であるから、.357マグナム弾を撃てるリボルバーで.38スペシャル弾を発射する事は可能だが、その逆は不可能だ。銃本体の耐久性は言うに及ばないが、何より.38スペシャル弾のみを使用するリボルバーのシリンダーに、長い.357マグナム弾を装填するとカートリッジがシリンダーからはみ出してしまい、銃のフレームにシリンダーが収まらなくなるからだ。
香織の腰のベルトには、他に六発の.357マグナム弾を納めた革製の弾丸ケースが三つと、更にビアンキ製のスピードローダーが二つ装着されていた。
愛銃の点検を終えた香織は、ヒップホルスターにパイソンを仕舞う。
シールドにフィルムを張った黒いフルフェイスを被り、グローブを両手にはめてそっと呟いた。
「ヴァルチュアー… 帰っていたのね。」
DS4の車体を立て直し、サイドスタンドを踵で蹴って納める。クラッチを握りペダルを踏み込んでギアを一速に入れる。
再びアクセルをあおると、待ってましたとばかりにVツインエンジンが吠える。あたかも主人の命令を待っていた野獣の如くに。
香織の操るDS4は爆音を立て、薄暗いガレージから見るには眩しすぎる冬の白い陽光の中に消えた。
次回、相克編へ続く
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