こちら、桐生探偵事務所。(仁愛編)

 
 「ふふ… またしても邪魔が入ったか…」
 拓也と交戦していた黒づくめの男が笑った。構えを解き静かに直立する。
 「何のつもりだ?」
 拓也は吐き出すように聞いた。男達の行動の真意が掴めない。
 「あと数分で“ガイア”は動き出す。そして地震を発生させた直後、この建物と共に爆破される。」
 「なにぃ?…」
 「さあ、どうする? 早く安全な場所へ避難したほうがいいぞ。」
 男の嘲るような提案。まさに究極の選択だ。
 「…よし! 撤収だっ、倫子!」
 「こら!どこ行くのよ?!」
 「決まってんだろ!脱出だっ!」
 「あのねぇ… ほら、あんたも行くわよ。」
 「お前ラっ!」
 「生きていたらまた会おう、桐生拓也。」
 男達はきびすを返し、廊下の奥へと走り去った。
 だが逃げる筈の拓也は急に振り返り、ずいと前に一歩を踏み出した。
 「拓也?…」
 「へっ!誰がっ… あのジジイに従うくらいなら、くたばったほうがまだマシだぜ。」

 銃声が止んだ。壁の漆喰が塵として舞う中、緊張の重たい沈黙だった。
 「銃を貸して下さらんか。」
 李箔石の突然の要求に江里佳は戸惑った。
 一時的に手を組んでいるとはいえ、100パーセント相手を信用するのは命取りだ。ましてや銃を渡すなど愚の骨頂だ。
 「いや、中の弾を一つ。それだけでいい。」
 江里佳の躊躇を見抜いたように老人は言った。
 江里佳はVz61スコーピオンからマガジンを抜く。上部のマガジンリップから覗ている女の小指の先程でしかない大きさの.32ACP弾を押し出し、李箔石に手渡した。
 「どうするの?」
 「ちょっと手品をお見せしよう。種も仕掛けもありませんぞ。」
 江里佳の質問に李箔石はおどけた風で答える。
 李箔石は右手で拳を作り、人差し指方向から江里佳の渡した.32ACP弾を挟む。
 弾の尻に親指を差し込んで、対面の廊下の壁に狙いをつける。
 「ふむ、こんなところか…」
 李箔石の親指に弾かれた.32ACP弾は、勢いよく壁に当たりバウンドして別の方向へ飛んで行った。
 どたっ。
 廊下の向こうで人の倒れる音がする。
 「さて、もう安心じゃよ。」
 「…うそ… でしょ…」
 覗いた廊下の先には、三脚を立てた機関銃の後方で男が一人倒れていた。
 壁をバウンドし飛来して来た薬莢付きの.32ACP弾に、男はこめかみを直撃されて気を失っている。
 指弾だ。達人はどんぐりの実で虎を倒すというにわかには信じがたい話も、実際に目の当たりにしてみると満更嘘ではないという気になってくる。
 しかし、壁に当たる角度を計算した上で、更に威力を失わずに正確に急所に当てるという荒技。しかも李箔石は、相手の位置を実際に肉眼で見てはいないのだ。
 江里佳は三脚に載った機銃を見て、ほっと溜息をついた。
 PK(プレメット・カラシニコバ)。設計者はあのAKシリーズで有名な、ミカイル・ティモフュビッチ・カラシニコフ。旧ソ連時代の7.62ミリ54R小銃弾をベルト給弾で連射するHMGだ。
 こんな至近距離から、毎分650発の連射を喰らったのでは一溜まりもない。
 「ほう、流石に抜かりがないのう。」
 PKを使用不能にする為に分解を始めた江里佳を見て、あらためて感心したように李箔石は呟いた。

 
 拓也達が進む先に男が一人倒れていた。
 「あれ?かーちゃんの仕業かな?」
 そう言って拓也は横に転がったAKM自動小銃を拾い上げ、男の腰に巻かれた弾帯を奪う。
 「タクヤ!ここだ!」
 先で宝蘭の呼び声。
 駆けつけた拓也と倫子の見たものは、複雑な機械が壁一面に並んだ部屋だった。
 倫子は機械を見渡し宝蘭に聞く。
 「これなの?“ガイア”って…」
 「たぶン…」
 「たぶんって… 宝蘭、大丈夫なのっ!?」
 「だいじょうブだ!だってほら、ちゃんとカウントされてるヨ!」
 宝蘭の指さす先には、旧式のデジタルカウンターが最後のカウントダウンの数字を刻んでいた。
 あと1分と20秒。
 「どうやらホントらしいぜ。バラしてみるか…」
 拓也はデジタルカウンターの下の、黒いカバーを止める手動ネジに手をかけた。
 金属製の黒いカバーを外すと、デジタルカウンターに接続された無数のコードが現れた。
 「このタイプなら知ってるヨ。タクヤ、私の言う順番で切って。」
 拓也は先程奪い取った銃剣を腰から抜き、鞘の先端近くに付いた突起と銃剣の刃に空いた穴を合わせる。銃剣の上に付いた刃と鞘に付いた刃がハサミの形となり、即製ワイヤーカッターとして使えるのだ。
 装置の作動まで残り時間、あと1分。
 「オッケー、宝蘭。言ってくれ。」
 「拓也、慎重にね。」
 張りつめた緊張が、三人の少年少女に重くのしかかった。
 日本の命運が今、拓也の手元に賭けられているのだ。
 「最初は、赤。」
 「赤。っと…」
 運命の時間は刻々と迫る。
 「次、緑。」
 「緑、だな。」
 残り時間、あと50秒。
 「黄色。」
 「黄色、これだ。」
 「…拓也… それ、オレンジ。黄色はこっち…」
 「あ、そうか… 間違えた…… んぁぁぁぁぁっ!間違えたぁぁぁぁぁっ!」
 「バカッ!何で間違うのよっ!」
 「知るかよ!間違えたんだから、しょーがねーだろ!」
 「こんな時に居直るじゃないわよっ!この、あんぽんたんっ!」
 「あんぽんたんはねーだろ!おたんこなすっ!」
 「タクヤ… もうだめだヨ… この施設もろとも私たち…」
 落ち着きはらった宝蘭の声。全てを悟った如く、包み込む様な静かな声。
 「楽しかったヨ、タクヤ。お前と会えて… ワタシ、最後に聞いて欲しいタノミがあるの。」
 「何だ?」
 「宝蘭を抱いて… せめて、タクヤの腕の中で死にたい…」
 「バカ言ってんじゃないわよっ!私が許さないわよっ!」
 倫子の絶叫が室内に響き渡る。
 「どっちがイイか、勝負してみるカ?」
 「おおっ!望むところよっ!」
 宝蘭はシャツのボタンを外し始めた。倫子も負けじと、制服のネクタイを首から引き抜く。
 「止めろっ、お前ら!こんな状況じゃ、ちんこも立たねーよっ!」
 拓也の雄叫びが響く中、ドアの開く音。三人に接近する二人の足音は、李泊石と神塚江里佳のものだった。
 「おや? …もう少し待ったら、楽しい光景が見物出来たかも知れなんだな。」
 「何やってるの、あんた達?」
 「お父様!?」
 「じいさん? かーちゃん!」
 「おじいさん? おばさん…」
 「何を騒いでおるのじゃ?お前さんがた。」
 「お父様!起動装置が…」
 宝蘭の今にも泣き出しそうな声。
 「起動装置?ああ、これの事か。」
 李泊石の手に抱えられた、小さな金属製の箱。
 「心配するな。とっくに解除済みだ。」
 「…」
 呆然とする三人。
 「…だったら、これは…」
 拓也は壁に据え付けられたユニットを見渡した。
 「それは防犯システムじゃないかの。今となっては役に立たたんが…」
 「…宝蘭… てめえ…」
 「あはは!… 良かったネ!」

 
 山々の頂が一望できる展望台、と銘打った観光施設の駐車場は未だ時折肌寒い風が吹き、誰一人行楽で訪れる者などはいなかった。
 だが、そこに二台の車が停まっている。
 巨大な猛獣を思わせるような圧迫感と内に秘めたパワーを発散させる白いランドクルーザーと、それとは対照的に低く構えた精悍なスタイルと内部の戦闘能力を見せつけるような青いロータス・エスプリ。
 広大な山々のパノラマをバックに、三人の人影があった。
 「さて、帰るとするか…」
 神塚江里佳の言葉は安堵の溜息を伴っていた。
 「親父には会わないのか?」
 拓也は横にいる母の顔を見上げて言った。
 「止めとくわ。それとも、拓也は会わせたい?」
 意地の悪い笑みを見せて、江里佳は拓也の顔を覗き込む。
 「いや、冗談だよ。世界大戦がこの日本で勃発するぜ。」
 「失礼ね!子供にゃ分かんないよだ。」
 「分かりたくないね。」
 高原を一陣の風が渡った。
 風になぶられ顔にかかった髪を、江里佳は指先で払いのける。
 「ねえ、拓也…」
 「ん?」
 「今さらあれこれ言うつもりは無いけど…」
 「説教かい?」
 「ううん…」
 江里佳は首を横に振った。拓也の肩にそっと手をかけた。
 「またしばらく別れるようになるけど… 拓也…」
 「何だよ?」
 「お願い… イイ男になって。この私が惚れ惚れするような、世界一のイイ男になって見せてね。」
 江里佳は拓也の頬に小さくキスをした。
 倫子の方へ向き直る。
 「おばさん…」
 「倫子ちゃん、コイツをよろしくね。」
 「はい…」
 再び吹いた風の中に倫子の髪が流れる。
 江里佳はランドクルーザーの運転席のドアを開いた。サイドステップに足を掛け颯爽と乗り込む背中に、拓也の声が浴びせられる。
 「かーちゃん!ズボンのケツ破れてるぜ!」
 ランドクルーザーのセルスターターが唸りを上げる。運転席のパワーウインドウが開き、サングラスをかけた江里佳がこちらを振り向いた。
 「ばーか。その手に乗るかっ!」
 ぺろんと舌を出した女は、おどけた十代の少女の様であった。
 “サイドワインダー”の異名で恐れられ、『正義の為なら手段を選ばない』というこの女の正体は、実は一児の母だったのだ。

 
 「武郷様、“ガイア”の拠点はシルフと中国保安部の手によって、完全に制圧されたとの事。M3号とM7号からの報告です。」
 初老の執事は淡々とした口調で述べる。
 「そうか…」
 「またしても、あの少年ですか?」
 「うむ… 安心した。」
 「安心?… どういうことですか?」
 「儂の思惑通りだ。あれを、あの小僧の手で止めて欲しかった。」
 「では、何故あのような計画を?」
 「試したかったのだよ…」
 「試す?」
 「仮に止められなくとも、“ガイア”は動きはしなかったのだ。あれはただの張りぼてに過ぎない。肝心の装置そのものは既に回収済みだ。」
 「どうして?」
 老人はふと、壁に並んだモニターに目をやる。
 そこには、現在空中から撮影されている都市の映像が映し出されていた。  
 「この国は豊かになり過ぎた…」
 武郷玄蔵は静かに呟く。
 「見ろ… あの虚ろな目を… 自分さえ良ければいい。自分の身さえ安全ならばそれでいい。自分の懐を肥やす為なら、他人はどうなっても構わない。儂は、そんな奴らに目を覚まして貰いたかったのだ…」

 
 「あ、あたし…」
 「なんだ、帰っていたのか?」
 「あのさ… 事務所のヤツがドジ踏んでね、飛行機の予約取れなかったの。それで時間が空いたんだけどね…」
 「うん。」
 「どうかなーって…」
 「今晩9時。例のターミナル・ホテルのロビーで。」
 「うん…」

 
 スーパーのガラスで出来た自動ドアが開く。
 買い物袋を抱えた少年と少女が、開かれたドアをくぐって出てきた。
 「おい、倫子。この材料は?」
 「今日はスキヤキだよ。」
 「やりぃ!でもこんなに買い物するんだったら、車で来れば良かったな。」
 「こら!無免はダメだって。たまにはのんびり歩いて帰ろうよ。」
 「たまにはいいか…」
 夕方の買い物客の車がひしめく駐車場を、買い物袋を抱えた少年と少女の姿が横切る。
 ふと、駐車場の隅に設けられた自転車置き場にたむろする、中学生らしき四人程の人だかりが拓也の視界に入った。
 「あれ…」
 「どうしたの、拓也?」
 「あいつ… うちのクラスの奴だ。」
 「からまれてるんじゃない?」
 「倫子、ちょっと持っていてくれ。」
 「はい、はい。すぐに終わらせてよ。」
 「分かってるって。」
 案の定、拓也のクラスの男子だった。少し脅せばいくらでも金を出す奴だった。他校の中学生からも目を付けられていて、今日もまた巻き上げられていたのだ。
 蹴られた腹を押さえ、アザが出来た顔をうつむかせて泣いていた。
 「おい。」
 ふらりと現れた拓也の姿を見て、多人数で『制裁』を加えていた少年達の顔色が変わる。
 「やべ… 桐生だ…」
 「何してるんだ? お前ら。」
 「へへ… 何でもねえよ。じゃな…」
 少年達は愛想笑いを浮かべ拓也のクラスの少年を残し、そそくさと去ってゆく。
 「桐生君… ありがとう…」
 少年は拓也を見上げる。
 「とっとと帰れよ。」
 少年のこちらの気配を伺う様な目が嫌で、拓也は目を逸らしてしまった。
 人の機嫌を伺う目。己に希望も自信も無い、そんな生きているだけの死人の目だった。
 背中を向けて歩き出す拓也に少年は追いすがって来た。
 「待ってよ、桐生君。これ…」
 不意に少年に握られた拓也の手の中に、一万円札が押し込まれる。
 「何だよ…」
 「うん、ちょっと…」
 ぱん!
 拓也のビンタを頬に受けて少年はよろめく。拓也は倒れそうになった少年の襟首を掴んで、自分の顔に思い切り引き寄せた。
 一万円札がひらひらと地面に向けて落ちてゆく。
 驚きと怯えで蒼白になった少年の顔に拓也の顔が迫った。

 「ムカつくんだよ!てめーはっ!」

 

 
END

    全世界のマリア達に捧ぐ…

 

次回、潜伏編へ続く