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こちら、桐生探偵事務所。(白刃編)
「ガッデム!」
江里佳に見据えられた男は、鳩尾に喰らった肘鉄の痛みをこらえ、反射的に左脇に右手を差し込む。
男が脇のホルスターから抜き出した物は、イタリアの大型自動拳銃タンホグリオTA-18だった。チェコスロバキアのCz・M75をベースに、イタリアのタンホグリオ・ギゼッペ社が制作した、Cz・M75同様に9ミリパラベラム弾が15発入るダブルカアラムマガジンを採用するダブルアクション・オートマチック拳銃だ。
瞬時に二発、隠った発射音が響く。サイレンサーを通した発射音は低く小さいが、あまりにも速い連射だった為、あたかも二発が一発分に聞こえた。
江里佳のモーゼルHScから発射された.32ACPの弾頭は、正確に男のタンホグリオを撃ち抜き書斎の床の隅へとはじき飛ばした。着弾の衝撃で男の右肩は背中側へと回り込み、脱臼したまま戻らなくなっていた。
へなへなと腰を下ろした男は、恐怖に引きつった顔で江里佳を見据える。
辛うじて口を開くことが出来た。
「お、お前は一体…?」
「冥土の土産に教えてあげる。“シルフ”のガラガラ蛇と言えば、判るかしら?」
「サ… サイドワインダー…」
「あら、知ってたの?光栄ね。」
狙った獲物は逃さない。この世界で『“シルフ”のサイドワインダー』と言えば、誰もが一度は耳にし恐怖する存在だ。
「さて、今度はこちらからの質問の番ね。」
蛇に睨まれた蛙とはこういうことか… 男は生まれて始めての本当の恐怖を味わう事になる。
洋館の前に一台の白いランドクルーザー。
その隣に青いロータス・エスプリが停まった。
「先客がいるぜ、ちょっと厄介かな?」
ロータス・エスプリのドアを開き、しばらくの間手入れもされていない芝生に降り立った拓也が言った。
「誰だろ?宝蘭たちかな?」
倫子は呟く。
「いや、話せば分かるような相手じゃなさそうだぜ。」
開け放たれた玄関のドア。ドアノブの下の鍵穴部分が破壊されているのを、拓也の鋭い目は見逃さなかった。
「さてと… 何がお出ましになるかな?」
拓也は唇を歪めて笑った。唇の端から白い犬歯が覗く。
二階の寝室に蘇徳桂はいた。
軟禁生活が二週間以上続いていたせいか、青白い顔に深い疲れを刻んでいた。が、無事である事は確かだ。
蘇徳桂の隣で、椅子に座っていた男が慌てて立ち上がる。
瞬時に江里佳のモーゼルから発射された.32口径の弾頭に両膝を撃ち抜かれた。
がっくりと倒れ込む顎に江里佳の蹴りが襲う。意識が完全にブラックアウトした男は後方へと倒れ込んでいった。
銃を持つ相手に襲われた時には、もし寝ているのなら寝たままで、座っているのなら座ったままで、とにかく低い体勢のままで応戦するのがベストである。男は基本を忘れていた、いや突然部屋に飛び込んできた一人の美女の姿に、この屋敷で何が起こったのか咄嗟に判断が出来なかったのだろう。
一階にいた男に吐かせたところ、この屋敷で蘇徳桂の軟禁に携わっていた男は三人。この男達は武郷組織の者では無かった。超兵器の略奪を目論む某国の雇われエージェントだったのだ。
所詮は烏合の衆。“シルフ”のサイドワンダーの敵では無い。
「“蘇徳桂”博士ですね?」
「あ… あなたは?」
「ご安心下さい。貴方の身柄の開放に来た者です。」
やつれ果てた初老の科学者に、江里佳は優しい笑顔を送った。
一階の書斎。開け放たれたのドア。
拓也と倫子の二人にぴりぴりとした緊張が走る。とてつもなく長い時間に感じる瞬間。
拓也は腰に右手を廻した。腰から抜き出した右手には、一挺の自動拳銃が握られていた。ステンレス製のスライド部分が鈍く光る。
SIG/ザウェルP229SLだ。
SIG/ザウェル社とは、スイスのSIG社とドイツのザウェル社が合併した企業だ。
ダブルアクション・トリガーにデコキング・レバーを備え、トライアル名P6としてドイツ警察に採用されたP225、イギリス軍次期制式ピストルとなったP228、またスイス軍用制式ピストルとして、そして日本の自衛隊に正式採用されたP220からの一連のシリーズの中では特に珍しく、至近距離で9ミリパラベラム弾より強いストッピング・パワーを求めるFBIの要求を叶える為に開発された、.40S&W弾を使用するものだ。中でもこのSLはステンレス・スライドに軽合金フレームを組み合わせた製品である。
拓也はザウェルP229を両手でホールドし、肘を伸ばして銃口を床に向けた体勢から、ゆっくりと正面に構える。部屋を覗き込んだ。
構えた銃だけが頼り。
拳銃を構える時に気を付ける事は、まず銃を握る利き手を開き、上から見て親指と他の指でV字を作り、その中心に挟み込むように握る。こうしないとトリガーが真っ直ぐに引けず、銃口が斜め上にブレるからだ。
そしてサイティング。銃口の上に突き出たフロントサイトに目の焦点を合わせ、リアサイトや標的は目のピントが外れていても構わない。この際に利き目と呼ばれるマスターアイが、自分はどちらなのかを把握しておくと良いだろう。調べるのは簡単だ。両手の人差し指を立て、片方は眉間の前20センチあたり、もう片方はぐっと前に伸ばし、そして何か前方で目標になる物に対し二本の指先で一本のラインを作る。この時顔は正面から両目で見る。次に片方ずつ目を閉じてみて、両目で見たラインと同じラインが見えた目がマスターアイである。特にライフルを構える際に、このマスターアイによって右に構えるか左に構えるかで命中精度に大きく影響される。
もし仮に諸君が銃を手にする事があり「当たらない」とお嘆きならば、この辺りを試してみると良いかも知れない。
正しい撃ち方を知らない者が扱う為に、銃器はより危険な道具となるのだ。ましてや粗悪な密造銃や改造銃は、実銃より危険である事をここに言及しておく。
男の足が見える。動く気配は無い。
「うわ…」
ドアを開いた拓也が目にしたものは、書斎を突如襲った惨劇の後だった。
そこには負傷した男が二人横たわっていた。
「おい!どうした?誰にやられた?!」
拓也は駆け寄り、一人の男の顔を覗き込む。
「…サイド… ワインダー…」
男の血まみれの口から出た言葉。
「さいどわいんだー…? 何だっけ、どこかで…」
「ひっどーい… 殺してないだけって感じ…」
倫子は表情を歪めて呟く。
「サイドワインダー! まさか…」
拓也の記憶の中にある、一人の人物の名前が浮かんだ。
「サイドワインダー・エリカ! そうだな?!」
「そう…」
「エリカ?… エリカって、拓也!」
「間違いねえな、この鮮やかな手並み。親父が言ってた… アイツは『正義の為なら手段を選ばない』ってな。」
「帰っていたのね。でも、どうして?」
「たぶん、あのくそジジイがらみだな。行くぜ、倫子。」
「あっ!拓也、待って。この人達はどうするの?」
「どーせロクな事考えてなかったんだろ?あのサイドワインダーに、ちょっかい出したバチだぜ。少しアタマ冷やさせてやれよ。」
寝室の外で廊下の軋む音。
足音!二人か?!
反射的に江里佳は蘇徳桂を座らせている椅子の背後に回り込んで身を隠す。
「おい!私を盾にするつもりか?保護に来たのじゃないのか?!」
蘇徳桂は慌てた声で叫ぶ。
「あら… ごめんなさい。いつもの癖で…」
「そこにいるんだろ? かーちゃん。」
部屋の外から聞き覚えのある声が響いた。
江里佳にとって、片時も忘れたことのない懐かしい声。
「拓也?」
「入るぜ。」
拓也はドアノブに手をかけて回す。
「あ、待って…」
言いかけた江里佳は慌てていた。
…私、何を焦ってるの?…
開いたドアから現れた姿は、紛れもなく最愛の息子だった。
以前会った時より大きくなっていた。頼もしくなっていた。
過去、江里佳が愛した一人の男に益々似て来ている。
照れくさかった。昔の恋人にばったり出くわした、そんな時のようだった。
「拓也… どうしてあんたが、ここへ?」
「そりゃ、こっちのセリフだぜ。」
「大きくなったね。拓也…」
「かーちゃん…」
数年ぶりの劇的な親子の対面は、気絶した男の体が転がるアンティークな洋館の寝室で、なぜか拳銃の銃口を向け合って実現した。
セフティをかけたザウェルを腰に差す拓也を見て、はたと気付いた江里佳はモーゼルを脇のホルスターに仕舞う。
「拓也…」
感慨深く息子を見つめる江里佳。
無意識に両手が広がる。
「かーちゃん… かーちゃぁーん!」
「拓也…」
江里佳は大きく両手を広げ、最愛の息子を迎えた。
拓也はその懐かしい母の胸に飛び込もうと走りだした。
だが、江里佳の広げた右手が拳に変わる。大きく背中からスイングして一気に拓也の頭めがけて振り下ろされた。
ごちっ!
拓也の目の前に火花が飛ぶ。
「いってーっ!何するんだよ、かーちゃん!」
「拓也!何よ、その格好!シャツをズボンから出して!あっ!また靴の踵を折って履いてる!みっともないじゃないっ!ちゃんとしなさい!」
「………」
母親は、父親以上に厳しかった。
「で、そこに“ガイア”ってヤツが置かれてる訳か?」
「そうだ。奴らはその居場所を聞き出す為に、この私を監禁していたのだ。私は開発者であって、その後は知らないと知らぬ存ぜぬで通したがね。」
洋館の一室、拓也は蘇博士から世界の命運を賭けた重大な情報を聞き出してした。
「ちょっと… 拓也…」
背後からの江里佳の声を無視し、拓也は質問を続ける。
「地震兵器か… そんなものが…」
「プロフェッサー・ブゴウの罠だったのだ。亡命という餌に目が眩んだ私の不覚だ。」
「拓也!」
「何をするつもりだ、あのジジイ?」
「判らない… 私は装置の開発に立ち会わされただけだ。」
「こら!拓也!」
遂にしびれを切らした江里佳が叫ぶ。
「聞き出してどうするのよ、拓也!大体あんたが、どうして出しゃばって来るのっ?!」
「世界の平和の為に。」
「嘘をつきなさい!あんたが武郷がらみの事件でちょっかい出してる噂は、他の国にいても耳に入って来るのよ。いいかげんにしなさいっ!」
「鼻が高いだろ、かーちゃん?」
「バカ…」
「おばさん… ごめんなさい… 私が付いていながら…」
倫子は済まなそうに小さく呟いた。
「あっ!倫子、お前だってな!」
「人のせいにするんじゃないっ!倫子ちゃんはいいの!」
「何だよぅ…」
「いい、分かった?もうこれ以上はダメよ。あとは“シルフ”に任せておきなさい。」
「ケチぃ… 手柄、独り占めかよ。」
「へっ!そんなトコかな?さあ、子供は帰った、帰った!」
「拓也、おばさんの言う通りよ。帰ろ。」
「ちぇ、つまんねーの。」
「あなた達は… 一体?」
蘇は素朴な疑問を口にした。国際秘密組織“シルフ”。金次第でどんな荒事をも請け負う組織と聞かされたことはあるが、目の前で展開されている情景はどうみても親子喧嘩だ。
彼の身柄を二週間にわたり拘束していた男達を、突如現れ一瞬で倒してしまった美人が振り向いた。今までとは打って変わって事務的な言葉が飛び出す。
「蘇博士。只今より貴方の身柄を“シルフ”が保護します。御同行願います。」
蘇徳桂を乗せた江里佳の運転するランドクルーザーを見送って、拓也はロータス・エスプリのイグニションキーを回す。
背中のV8DOHCツインターボエンジンが息を吹き返した。
助手席のシートの身を沈めた倫子は、運転席の拓也の顔を覗き見る。
「さて、拓也。素直に帰る… わきゃないかぁ…」
「あったりめーだろ。行くぜぃ!」
夜のとばりが降りた市街地。一台の黒いジャガーXJRが、その大きな車体には窮屈な感がある日本の道をゆったりと走っていた。
ジャガーの4ドアセダンであるXJシリーズの中でも、4.0リッターV8DOHCプラス二基のスーパーチャージャーを搭載したハイパワーモデルだ。そのパワフルなエンジンとは裏腹に贅沢な上質感を見せる車内のバックシートに身を沈めて、老人が自動車電話の受話器を握っていた。白い顎髭が胸まで伸びた老人だった。
受話器の向こうから連絡が入る。
「只今、蘇徳桂を乗せた車、それともう一台の車が出たところです。」
老人は静かに口を開いた。
「蘇徳桂を乗せた車は“シルフ”の日本支部に向かう筈だ。もう一台のほうをマークしろ。合流は明朝、よいか。」
「はい。」
シートの肘掛けに備え付けられた電話機に、老人は受話器を乗せた。
「さて、いよいよかな… 宝蘭?」
老人の隣でシートに身を沈めて眠っている少女の姿があった。
神の精緻な悪戯。そんな言葉がぴたりと当てはまるような少女だった。
「ふふ… 眠ってしまったか。」
その美しくもあどけない寝顔を、老人は目を細めて愛しげに眺めていた。
拓也の運転するロータス・エスプリは、高速のインターを降りたばかりの山間の道を疾走していた。
既に時計は午後10時を回っている。
「ねむてーな…」
「どこかで停まって休もうよ。拓也、ずっと運転しっぱなしだもん。」
助手席から心配そうに倫子は言った。
「そうだな。まだ先は長いし…」
「でも野宿はヤだよ。」
「あ、いいトコめっけ♪」
ロータス・エスプリのフロントガラスに写る、山の中にそびえ立つ中世風の城壁。
中世の城にしては、やたらと毒々しく発光するネオンに彩られたものだった。入り口には『空』の文字が点灯している、立派なラブホテルだった。
「やだ!拓也… マジ?」
「他にどうするんだよ?こんなとこで寝たらクマに襲われるぞ。」
「…拓也… いいよ…」
何か自分の中で、重大な事を決心した倫子の返事だった。
ドアを開けた二人に、目を見張るような巨大なベッドが視界いっぱいに迫ってきた。派手な色彩の壁に、冷蔵庫とカラオケセットが並んでいる。
部屋に入った途端、拓也は走り出し助走をつけてベッドにダイビングした。
「あははははっ!ふかふかだぜっ!気持ちいいっ!」
突然ベッドに付いた電話が鳴る。ホテルのフロントからだった。
「出てくれよ、倫子。」
「はいはい、分かったわよ。」
受話器を取り上げた倫子の耳に、事務的な女性の声が飛び込んで来る。
「お泊まりでしょうか?」
「…はい…」
「前金でお願いします。」
「分かりました…」
受話器を置いた倫子は分かったとは言ったものの、実はどうしたらいいか分からない。
次の瞬間部屋に響いた空気の流れる音に、倫子はびくりと身をすくめた。
何かが排出される音。
ベッドの隣の壁に付いた、半透明なプラスチックのドアからだった。開いてみると、上下に走ったパイプの隣に透明なカプセルが転がっていた。
友人から聞いたことがあるエアシューターとか言う物。確かこれにお金を入れるらしい…
倫子は財布から一万円札を出し、丸めてカプセルに納め蓋を回して閉める。
カプセルをパイプに突っ込んでプラスチックの小さなドアを閉じ、赤いボタンを押した。再び空気の流れる音と共に、カプセルはパイプの先の彼方に勢いよく飛んで行った。
「おつり… 返って来るのかな?」
心配そうに壁の小さなドアを見つめながら、倫子はベッドに腰を降ろす。
そっと後ろに手を回した。
ベッドにうつ伏せに寝転がった拓也の手を握る。
「あのね… 拓也…」
「……」
恥ずかしくて振り向く事が出来なかった。
「いいよ… もう…」
「……」
握る手に力が入る。
「いつかはこうなるんだから…」
「……」
今夜こそ二人は…
「拓也…」
「……」
「拓也?… 拓也!」
「……」
「拓也ったらぁ!」
「……」
倫子の頬が、怒りにぴくぴくと引きつる。
拓也は突っ伏したベッドの上で、すやすやと安らかな寝息を立てていた。
「ばかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
持ち上げた枕を思い切り振りかぶり、爆睡中の拓也の頭に叩きつけた倫子だった。
次回、牙城編へ続く
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