こちら、桐生探偵事務所。(壮図編)

 
 拓也達が案内された場所は、繁華街の裏通りにある小さな公園だった。
 人影は無い。
 「本当にここなのか?嘘つくと承知しねえぞ。」
 「本当だ!嘘じゃない。」
 男の必死の形相は、本当に嘘で無いことを物語っている。
 「どんな奴だったんだ?」
 「顔は判らなかった、黒いソフト帽を被ってサングラスときてる。」
 「それで、黒のトレンチコートなんて言わないでね。」
 倫子は呆れた様に言う。
 「その通りだ。」
 「あちゃ…」
 倫子が頭を抱えたその時だった。
 「桐生拓也、だな?」
 公園の端にひっそりと佇む公衆トイレの影から、男が二人現れた。どちらも黒いトレンチコートに黒いソフト帽、そして黒いサングラス。背丈も体格も同じで全く見分けが付かない。 
 「ひぃぃぃぃっ!」
 拓也達をここまで案内して来た男は突然走り出す。緊張に耐えられなくなったのだろう、這々の体で逃げ出してしまった。
 男達は逃げ出したチンピラには目もくれなかった。雑魚に用は無いのだ。
 右側の男が一歩、拓也に歩み寄る。後方の男がコートの脇から右手を抜く。右手には黒光りするドイツの名銃、ワルサーP38が握られていた。
 空気中にビリッとした緊張が走る。
 「何の用だ?…」
 拓也は身構えて声を絞り出した。
 「我々の宣戦布告だ。先ずは手始めに貴様を黙らせろとの命令を受けている。」
 「武郷のジジイが、かい?」
 「続いて貴様の父親…」
 「何、たくらんでやがる?」
 「ふふ… 取り引きしよう。今回、貴様が大人しくしているのならば、命までは取らん。」
 「やだね。」
 「そうか。仕方がない…」
 拓也は飛びかかるチャンスを伺う。だが、後ろで睨みを利かす9ミリ口径をどうする?
 突如、後方の男が構えるワルサーが中に舞った。銃をはじき飛ばされた男は右手首を抱えて蹲る。
 突然の事態に、拓也と交渉を続けていた男は動揺する。慌てて脇に手を差し込み、同じワルサーP38を抜き出した。
 拓也の前に降って湧いたように現れた長い黒髪。三つ編みのリボンと、その小柄な主が操る金属製の鞭が優雅に宙を舞う。
 前にいた男の右手に握られていたワルサーも、襲ってきた鞭に叩かれ地面に転がる。
 九節鞭。その名の通り、九つの節が繋がった鉄製の鞭だ。中国の特殊武器の一つである。携行性、秘匿性に優れ破壊力も十分な武器であるが、これが自在に操れるようになるには、相当の熟練を必要とする難易度の高い武器だ。
 九節鞭の攻撃を避け、屈んだ男のソフト帽が飛ぶ。トレンチコートの男達も相当の訓練を受けているのだろう、反射的に相手の武器の届かない安全圏へと飛び退く。
 空気を切り裂く音と、しなやかに舞う鞭と体。
 空中での回転から着地したその影は、ピシッと音を立てて九節鞭を地面に叩きつけてフィニッシュを決めた。
 構えは微動だにしない。
 苦悶を浮かべた男の口から、怒りと驚愕の混じった質問が流れ出た。
 「貴様… 何者だ?」
 「李宝蘭。」
 九節鞭を構えた美少女はにやりと笑った。

 「李?… 李箔石の手の者か?」
 「イカにも… この世に悪の栄えたタニシはない。トットと消えな…」
 「あんた!間違ってるわよ。」
 すかさず倫子が突っ込む。
 「うさいネ!お前もイッショに畳んでやるっ!」
 「ほう、面白い。出来るもんならやってみなさいよっ!」
 倫子と睨み合う少女。白い肌に加え、黒く吸い込まれそうな瞳を持つ美しい少女は、かつての満州でレジスタンスのヘッドとして旧日本軍を苦しめた中国国家保安部の伝説の怪物《李箔石》の娘だった。
 「おい…」
 睨み合う二人に声をかけた拓也は後悔した。
 「何いッ?!」
 二人とも凄い形相だ。だが突如現れ、九節鞭を振り回していた少女の顔がぱあっと光り輝く。
 「タクヤ!会いたかった… タクヤ!」
 「ああっ!くっつくなよ!」
 「こら!離れなさいよ!それはあたしのなんだからねっ!」
 拓也を抱きすくめた少女は、余裕の笑いを浮かべ倫子を睨む。
 「フーン… ヤッパりお前とは決着を付けないとナー。」
 「来なさい。」
 少女は拓也から離れ倫子と対峙する。
 少女の呪縛から逃れた拓也は、ふと周囲を見回した。
 「あれ?逃げられてら…」
 夕方の公園には、拓也達三人だけが残されていた。
 「おい、逃げられたぞ。」
 「それどころじゃないのっ!」
 「ソーだ!タクヤ、宝蘭が勝ったら… 今夜、宝蘭をタクヤにあげる。」
 「させないわよっ!」
 静寂。ピリピリと張りつめた静寂が公園に広がった。
 その時、緊張した公園の静寂を破る声。
 「来たな、小僧…」
 地獄の底から湧いてくる様な老人のしわがれた声だった。
 「どこだっ?!」
 拓也は声の発生源を探る。大した音源は使われていない事は音質で察しがつく。
 男達が現れた公衆トイレに向けて拓也は走った。謎の声はその影からだ。
 トイレの裏の植木の影。そっと覗き込む拓也達三人。
 そこには、カセットテープを使用する旧式のテープレコーダーがあった。
 テープレコーダーから流れる声は、紛れもなく聞き覚えのある声。
 「ふふふ… 久しぶりだな。」
 「くそジジイ、生きてやがったか…」
 拓也はテープレコーダーを睨みつけ、吐き出すように言い放った。
 「お前も息災なようで何より… また会えて嬉しいぞ。」
 「俺もだよ、じいさん。」
 「ふっ、相変わらず頼もしいのぉ… だがその元気は何時まで続くかな?」
 「何だと?」
 「お前だけではない。隣の小娘も、お前の父も… いや、世界中の無能な人間どもの度肝を抜いてくれるわ。」
 「どういう事だ?」
 「ははは… 楽しみにしておれ。」
 倫子は拓也の肩を引っ張った。
 「ちょっと、拓也!何をいいタイミングでテープ相手に話してるのよ?」
 「おっ!そうか…」
 「ほんの挨拶だ。小僧、ちっぽけな自分を思い知るがいい…」
 突如、テープレコーダーから煙が吹き出した。
 「まずい!倫子、逃げろ!」
 植木の群から飛び出した三人はすかさず身を伏せる。足を対象物に向け、顔を地面に擦り付ける様にし、口を半開きにして両手で耳に添える。
 爆発物に対しての基本的な回避行動だ。口を開いておく事、耳を完全に覆わない事は爆風で鼓膜がやられるのを防ぐ為だ。そして、3メートル以上離れて伏せた者には、仮に手榴弾であったとしても破片は体に当たらない。
 ばこん!
 トイレの影から小さな破裂音と煙。
 暫くの沈黙。
 拓也はゆっくりと起き上がった。
 「まだだ!倫子、宝蘭。俺がいいと言うまでじっとしていろ。」
 拓也はトイレの影を覗く。そこにはカバーが飛び、無惨に壊れたテープレコーダーが横たわっていた。
 「倫子、もういい… へー♪」
 「もういい?拓也。」
 「まだだよ、危ないぜ。」
 伏せた倫子の見事な脚線美と、更に短い制服のスカートから微かに覗く…
 じっくりと堪能する為に、拓也は倫子の隣にしゃがみ込んだ。
 「…気をつけて、拓也。」
 「ああ、分かってるって。」
 「爆弾は専門の人に任せようよ。」
 「次が来るかも知れない…」
 「逃げようよ、今のうちに…」
 「いや、お前はそのままでいろ。」
 「ちょっと… 何、見てるのよ?」
 「爆弾をな… おっと!」
 伏せた体勢から倫子は蹴りを放った。
 襲ってくる倫子の足首を拓也は片手で掴む。
 「ふう… 危なかったぜ。」
 「何がよ?!」
 「爆弾。」
 「足、放してよ。」
 「危ない!動くなっ!」
 「覗くなっ!」

 「じいさん、味な真似をしてくれたな。」
 三人の前に横たわる、無惨に壊れたテープレコーダー。その喋っていた内容は、あの世界征服を企むマッドサイエンティスト『武郷玄蔵』からの挑戦状だった。
 「ばっからしーっ!昔のスパイ映画みたいな真似して楽しいのかしら?」
 「楽しいからやってんだろ? さっきのトレンチコート・ブラザーズだって、あのジジイの趣味だぜ。」
 「関係ないわよ!もう知らないからね!」
 「面白くなって来たな。」
 拓也の顔には獲物を目の前にした猛獣の如くの、歓喜の笑みが広がっていた。
 「どうやら、お前達を張っていたカイがあったネ。」
 宝蘭はぽつりと言った。
 「俺達を張っていた?」
 「ソ。カナラず接触して来ると言われていた。」
 「どうしてお前達が?一体、何が起こっているんだ?」
 「聞きたイ?」
 「替わりに… なんてゴメンよ!帰ろ、拓也。」
 倫子は拓也の肘を引っ張る。
 「ああ、腹減ったな。」
 「あっ!待っテ!言うからサぁ… タクヤ!」

 
 白いランドクルーザーは、鬱蒼と繁る雑木林の中に建った洋館の前に停まった。
 しばらく手入れもされず、積もった落ち葉が腐葉土になりかけている洋館の庭に、ランドクルーザーから降り立った女は江里佳だった。
 トレッキングシューズのビブラム底が土を噛む。行動しやすいスタイルだったが、黒いスリムのジーンズは引き締まったヒップのラインを見事に強調し、同じく黒いブルゾンにかかる栗色の髪は成熟した女の色香を漂わせるに十分だった。
 夕闇迫る洋館は人の生活を匂わせる雰囲気は無く、来る者を拒むように立ちはだかっていた。
 中国人科学者、蘇徳桂の屋敷だ。“ガイア”こと『マイクロウエーブ地殻震動装置』の理論の産みの親である。
 この事件への関与性を確かめる為に、江里佳は彼に接触を計った。が、屋敷の雰囲気は、そう簡単に行かせては貰えないみたいである。
 カンだ。江里佳が今までに培った経験によるものだ。
 呼び鈴を鳴らすのを止め、鍵のかかった玄関のドアノブを回そうとして江里佳の決心は固まった。
 脇のホルスターからモーゼルHScを抜く。モーゼルは支給された時と違い、銃身が若干スライド前部から突き出していて、更に銃身先にはネジ状の溝が彫り込まれていた。“シルフ”日本支部の地下射撃室で調整を済ませただけでなく、江里佳の要請でアキュライズとカスタマイズも施されていたのだ。
 ホルスターのマガジンポーチの横に取り付けられた銃本体より長いサイレンサーを取り出し、手早く銃身先にねじ込んで行く。

 サイレンサー、いわゆる消音器と呼ばれる類のものを自動拳銃で使用する場合、このモーゼルHScなどの中型のものが最適である。
 この.32ACP弾等の小さな弾丸を使用する自動拳銃はストレート・ブローバックと言って直接反動が遊底を押し戻す。
 ところが、9ミリパラベラム弾等の強力な弾薬を使用する大型自動拳銃は、ショートリコイル・ブローバックと言って銃身が後退し、ロックが解けた後で遊底が後退を始める。そうでもしないと、強力な弾丸が発射される反動で遊底が壊れてしまうからだ。
 銃身が後退する必要のある大型自動拳銃にサイレンサーを付けた場合、サイレンサーの重みがこの動作を阻害し回転不良の原因となる場合があるのだ。
 また、銃口初速がマッハ1を越える銃もあまり適さない。仮に音を消しても、今度は弾丸が飛ぶ風切り音が強調されてしまう。サイレンサーが最初から装備されている拳銃やサブマシンガンは銃身に穴を開け、発射時のガスを抜き、音を消すと同時に銃口初速を押さえている製品もある程だ。ちなみに、かの拳銃王国アメリカでもサイレンサーは禁止である。
 また、この手の中型オートは威力こそ弱いかも知れないが、銃身が固定されている為に命中精度が高いというメリットも持っている。
 最強の銃器とは何か?
 それは威力や装弾数と言ったスペックでは無く、持ち主の信頼に答える相棒こそ最強と言えるのではないだろうか。

 江里佳は古びた木製のドアに付いた、ドアノブの下の鍵穴に向けてトリガーを絞る。くぐもった鈍い発射音と同時に真鍮製の鍵部分が破壊された。
 玄関にそっと忍び込む。江里佳は屋敷全体の気配を探る。
 …人は、いる…

 
 ロータス・エスプリV8-SEは、そのブルーメタリックのボディを夕闇の街の明かりに輝かせて疾走していた。
 ジウジアーロによる初代モデルを継承しつつ、現在はロータスオリジナルのデザインとして2代目となっているが、かつての2.2リッター直4気筒のエンジンから、現在は最高出力354ps、最大トルク40.8kgmのパワーを発生する3.5リッターV8DOHCツインターボにエンジンを変更。そのパワーユニットはドライバーの背中、つまりミッドシップに配置され、更にトランスミッションは5速MT、前後ともベンチレーテッドディスクのブレーキが採用されている。
 ロータス社の中では最上位クラスの大型のタイプではあるが、ロータスならではの車体バランスと出力に対しての1.4トンという重量は、スポーツカーとは何か?を追求し続けるロータス社の意気込みの現れではないだろうか。
 「中国人科学者、蘇徳桂。そいつが鍵を握ってるのかな?」
 ロータス・エスプリのハンドルを握る拓也は呟いた。
 「あの娘が言うんだから、どうかと思うけど…」
 倫子は腕を後頭部に組み、助手席にふんぞり返っている。
 「マイクロウエーブ地殻震動装置、か…」
 宝蘭に教えられた、不気味な響きを持つ超兵器の名前を拓也は口にした。
 「面白くなってきた… でしょ?」
 「ああ、売られたケンカだぜ。」
 「あのおじいさん、今度は何をするつもりかしら?」
 「俺の知ったこっちゃねーよ。なんか知らねーけど、とにかくブチ壊してやる。」
 「知らないって… もう!まるで子供の喧嘩じゃない。」
 「あのじいさんが、わざわざ招待してくれてるんだ。行くぜ!」
 「はい、はい。」
 青いロータス・エスプリは、拓也のアクセル操作に呼応して加速を始めた。

 
 一階の長い廊下は、古い床が軋んで音を立てそうになる。
 江里佳はモーゼルを構え足音を忍ばせて進んでいた。
 科学者・蘇徳桂は、この大きな洋館で一人暮らしだ。家族はいない。本人に会えないとしても、不在なら何か手掛かりを探し出せるかも知れない。
 右手のドアに、江里佳の視線が吸い寄せられる。
 そっとドアを開いた。どうも書斎らしい。ここから調べる必要がある。
 突然、ドアの影から右手首を掴まれた。後ろから羽交い締めにされ口を押さえられる。
 江里佳を捕まえた両手とは違う手が、江里佳の握ったモーゼルを奪い取った。待ち伏せされていたのだ。
 「何だ、女じゃないか。」
 「何者だ?」
 書斎には二人の男がいた。
 江里佳はモーゼルを突きつけられ、羽交い締めから開放された。
 「ごめんなさい… 昔、ここで勤めていたメイドです。ご主人様に会わせて下さい。」
 「嘘をつくな。メイドが拳銃を持って何の挨拶だ?」
 「殺してやりたかったの。私はさんざん遊ばれて棄てられた…」
 「蘇は真面目な奴だよ。だから何者だ?」
 「おい、いい女じゃねえか。どうだい?体に聞いてみるってのは?」
 江里佳を後ろから捕まえた男が舌なめずりをする。
 「いいね。俺のマグナムでヒイヒイ泣かせてやる。女、じっとしてろよ。」
 正面の男は隣のテーブルに江里佳のモーゼルを置いた。
 動きやすい服装を選んだ江里佳だったが、むしろ体のラインを露わにしたスタイルが男達を完全に悩殺していたのだ。
 後ろの男が再び羽交い締めにして来る。江里佳の耳元で荒い息づかいが流れて来た。
 瞬間、江里佳は体を捻り、左肘を後ろの男の鳩尾に突き込む。右手で左拳を押さえながらの体重の乗った一撃だった。
 後ろの男が倒れ込む気配に目もくれず、正面の男の顔面に右足で蹴りを見舞う。間髪入れず、男の横腹に左足の回し蹴りが食い込む。
 テーブルのモーゼルを拾い上げると、瞬時に蹴りを見舞った男に襲いかかる。モーゼルのグリップの底が男の眉間に吸い込まれた。
 書斎を揺るがせて男は倒れ込んだ。
 体に受けた衝撃より、江里佳の急襲によるショックの為か男は呼吸困難を起こしている様子だ。ぱくぱくとさせている男の口に江里佳のトレッキングシューズが突き込まれた。江里佳はつま先に全体重をかけ左右にグラインドさせる。
 バリバリと歯の折れる音が書斎に響いた。

 「あんたらの薄汚ねえコックに用はないね…」
 今、“シルフ”きってのキリングマシーンのプライマーが火を噴いたのだ。
 

 

次回、白刃編へ続く