こちら、桐生探偵事務所。(掣肘編)

 
 大和の放った前蹴りは、正確に少年の顎を捉えた。
 顎に喰らった衝撃で上を向かされた瞬間、伸びきった大和の右足が降りてくる。踵が少年の顔面に食い込んだ。
 大和は倒れる少年に目もくれず、身を翻して構えをとった。
 「次ぃぃっ!」
 気合いとも挑発ともとれる大和の叫びに、残った少年達は後ずさるしかなかった。
 既に立っていられる者は、四人しか残されていない。
 だが一人は…
 拓也は、相手の突いて来たナイフを持つ腕を右手で弾き落とした。頑丈なカミラス製の海兵隊ナイフ… を模した、そこらの模型店で売られている粗悪なナイフが地面に落ちる。
 はたき落とした手をそのまま手刀に替えて、歩法によって自分の体重を乗せ相手の鼻の下に叩き込む。
 有効な急所の一つだ。
 両足を地に着け、構えてワンテンポ置く。タイミングを見計らい、気を失いかける相手の腹部を蹴り飛ばした。
 吹き飛んだ相手は完全にノックアウト。
 「大和ぉ、もういいだろ?」
 拓也は大和に振り返り、呆れ声で言った。
 「まだまだぁ!一人も歩いては帰さんぜぇ!てめえら全員、病院送りだぁ〜っ!」
 大和の悪い癖だ。
 「やれやれ… フランス留学とか行ったから、少しはマットーになってると思ってたんだがな。益々ひでぇや。」
 残された少年達は、既に何が何だか分からなくなっていた。
 こんな筈じゃなかった… 逃げたい、この場から… でも、逃げおおせる事が果たしてできるのか? バケモノだ、この二人の桐生…
 既に泣き声を漏らしているヤツもいる。
 「次だよ。誰だ? そこのデカいピアス。お前…」
 大和に指された少年の顔色が変わった。
 「大丈夫だよ。予防接種の順番だと思えばいい。来い!」
 「大和、もういいって。ケリは付いたんだぜ。」
 「うるせえ!だったら最後はお前だ。」
 「バカ。」
 見境の無い暴れ方も昔のままだ。
 サイレンが聞こえて来る。誰かが通報したパトカーのものだ。
 「ヤバ…」
 拓也は小さく呟いた。

 
 手嶋健は静かに車を停めた。
 もう日が暮れるのは早い。
 後部座席からジュラルミンのケースを引っぱり出した。
 濃い色のフィルムを張ったウインドウ越しに辺りを伺う。通行人は無し。
 手嶋はイグニションキーを回してエンジンを切る。アイドリングを停止したステージアは静かに道端に蹲っていた。
 私物のバイパーは目立ちすぎる為、手嶋が日本支部から借りたものだ。目立たない銀色のワゴンだが、ステージアとはあのスカイラインをプラットフォームに作られた、スポーティな血統を受け継ぐマシンだ。
 GT-Rと同じ、2.6リッター直列6気筒DOHCツインターボのRB26DETTを乗せたこの260RSは、更に足周りもアテーサー4WDが組み込まれ、リアスタビ、ブレンボ製ブレーキ、メカニカルLSD等と、ワゴンとは思えない程のチューニングが施されている。
 まさに、ワゴンの皮を被ったGT-Rだ。
 欠点と言えば、リアのラゲッジスペースとワゴンとしての重量で、更に日本支部が手を加えた防弾装甲や盗聴追跡システム、弾薬収納庫等の機材による重さであろうか。
 だが、それをモノともしない動力性能を引き出す為のチューニングも施されている。そもそも280psとはメーカーのカタログ上の数値であって、GT-RのRB26DETTエンジンなどはレーシングベースとして開発されている。吸排気系やインジェクションのコンピュータを換えるだけで、格段に数値が上がる事は公然の事実だ。
 手嶋は道端に停めたステージアから降り、寂れた建物の階段に向かった。
 錆び付いた郵便ポスト、階段に散らかる風俗店のビラ。個人の小さな商社が幾つか入っている様だが、活気のなさと人の気配さえしない建物は手嶋にとって都合の良い監視ポイントだった。
 ケースを下げて階段を屋上まで登る。ドアを開いた時、涼しくなった秋風が手嶋の頬を撫でていった。

 
 桐生探偵事務所は、静かに宵の時を迎えていた。
 「これですよ。叔父さん。」
 テーブルの上に差し出された写真。
 それは奇妙な航空写真だった。奇妙なものはその被写体だ。
 「よく手に入れたな。大和。」
 桐生大和の向かいのソファーに座った中年、その静かな風貌は世界の裏組織から一目置かれた程の男だと誰が知ろうか?
 桐生恭介は写真を摘み上げた。
 「確かにな… 飛ぶべきものでは無い。発想としては、旧日本陸軍の挺進戦車部隊に近いか?」
 「挺進戦車?」
 「特3号滑空戦車。結局ポシャった計画だったが… あれは三トン程の軽い戦車に翼を付けて、他の飛行機で曳航滑空させるグライダーと同じものだった。だが、これは違うな。ホーカー・シドレーの様に垂直離着陸が可能なVTOL方式か… しかし、スラスト偏向型とはまた別のタイプだな。だが、本題はその後だろう?」
 「沖本博士の消息が…」
 「パリで電磁バリヤーの研究を進めていた、お前の恩師か?」
 「あれは、研究の過程で偶然生まれたものだった。」
 「光線を屈折させる効果を応用した光学迷彩。どこの国も、飛びつかないほうがおかしいぜ。そいつが、さほど大掛かりな仕掛けがいらないとなればな。」
 「それを武郷が…」
 「大々的にデモンストレーションをしてくれた訳だ。中東あたりにでも売りに出す算段かな?」
 「僕が帰ってきたのは、その為だ。」
 叔父と甥の会話がふと止まった。
 静かな沈黙が流れる… 筈が…
 「いてててて… 優しくしろよ、倫子。」
 「見なさいよ!大きなコブ作って。ガーゼ替えなきゃ。」
 「見えねえよ!自分のデコなんか… だいたい頭に血が昇ってる時に、何があったか覚えてるもんかよ!」
 「つまんないケンカするからよっ!」
 「知らねーよ!帰ってたら急に囲まれたんだから… 痛いって!」
 「オッケー。死んでない証拠よ。」
 「いって〜っ!叩くなって!」
 「赤チン野郎。サマになってんじゃん。」
 「うるせえ!」
 「ああ!うるさいのはお前だ、拓也!」
 耐えきれなくなった大和が怒鳴る。
 「何だと!だいたい、てめえのせいでポリコーにしょっ引かれたんだぞ!」
 「喧嘩をしていたのはお前だろう?」
 「騒ぎを大きくしたのは誰だよ?マジあいつら、全治三週間だってよ。」
 「僕の知ったことか。」
 「拓也… 大和… 警官に頭を下げる身にもなってくれ。」
 恭介の静かな、そして威厳に満ちた声が響いた。

 
 手嶋は錆の浮いた金網越しに目標の窓を捉えた。
 コンクリートの床に置いたケースを開く。そこには、手に馴染んだ相棒がストックと銃身部に分けられて横たわっていた。
 銃身部の機関部の上に取り付けられた高性能光学スコープは既に調整済みだ。
 手嶋は慣れた手つきで組み立ててゆく。
 正式名称、M24。
 民間向け狩猟用のレミントン700をベースとした、ボルトアクション・スナイパーライフルだ。
 軍用のアサルトライフルとは違い、連射性能より確実な作動と命中精度を追求する狙撃銃だ。ヘビーバレルと呼ばれる太い銃身は競技用にも採用されるもので、命中精度のアップに大きく貢献している。
 ヘビーバレルが何故精度が良いか?それは耐久性、重量バランスなど様々に言われているが、意外と知られていない理由に、デリケートなライフル銃身ゆえの震動波の強制的なコントロールがある。
 弾丸発射時に銃身には震動が起き、これが銃身に沿って波形を産む。これは銃によって波形の出方が違うのだが、銃口に近づくときにこの波が小さくなればなるほど命中精度が上がると言われている。
 旧日本軍の38式歩兵銃が「よく当たる」と絶賛されていたのは、故意か偶然か設計上この波が銃口辺りで小さくなっていたのだ。
 ヘビーバレルは銃身の肉厚を上げる事で、物理的に波形を小さくすることが出来る訳だ。
 手嶋は革製の弾丸ポウチから、.308ウインのカートリッジを取り出した。
 7.62mmNATO弾のベースとなった弾丸だが、近年では各国の正式銃の小口径化が進んでいる中、小口径の高速弾頭は弾道が不安定であり、狙撃銃はやはり信頼性の置ける30口径(7.62mm)がメインとなっている。
 手嶋が手にしているこれは軍用の被甲弾ではなく、弾頭前部にアルミのキャップが被され、弾頭も極限まで削り落とされていた。目標に当たった瞬間炸裂するダムダム弾の一種だが、これは銃の種類を識別するライフリングの跡も残さない程バラバラになり、証拠をも隠してしまう。
 手嶋が自らロードしたものだ。非合法活動ゆえの弾丸と言えた。
 マガジンに6発のカートリッジを納めると、ボルトを引き最上段の.308ウイン弾をチャンバーに押し込んだ。セフティをかけ、座った姿勢の膝の上に乗せた。
 双眼鏡を取り出す。
 これ程の用意は必要ないとも思ったが、相手はあの「桐生恭介」だ。何が起こっても不思議は無い。念には念を入れる。それがこの世界で、今まで、そしてこれからもこうして生きていられる手嶋の鉄則だった。
 厄介だ。あの少年が桐生と繋がっていたとは…

 
 「じゃ、そろそろ帰るね。おじさん、おやすみなさい。」
 食事の洗い物を終え、緑茶を啜っていた倫子は立ち上がった。
 「ああ、おやすみ。今日はとんだ騒ぎに付き合わせてしまったな。」
 恭介は済まなそうに答えた。
 「ううん、慣れてるから。…ねえ、拓也ぁ。帰るんだけどぉ…」
 「ああ、気を付けてな。」
 「だから、外暗いしぃ… 変な人が出たらヤだしぃ…」
 「大丈夫だよ。すぐそこだろ。それに…」
 「それに、何よ?」
 「いや、何でも無い。」
 「何よ!何、言いかけたの?」
 「いやな、変な人が可哀相かなって…」
 「もう!いいわよ!拓也なんてだいっ嫌い!」
 「倫子。僕が送ってくよ。」
 大和が今まで窮屈そうに曲げていた長い足を伸ばして立ち上がった。
 「へ〜んだ!じゃぁな〜っ、拓也。」
 思い切り舌を出して毒づき、事務所のドアをくぐる倫子と、その後を追う大和の背中がドア越しに消えた。
 「バカ…」
 クスと笑った恭介が言った。
 「な、何だよ、親父。」
 「何でもない。」
 恭介は拓也を相手にせず、大和の持ってきた写真に再び見入っていた。

 「倫子。僕はお前を迎えに来た。」
 「どうして?恩師の消息を探していたんじゃないの?」
 「それもある。だが、お前に会うのが本当の理由だ。」
 桐生恭介が借り切っているビルの階段を下り、外の路地に出た時だった。
 「僕と一緒にパリに行こう。」
 「駄目…」
 「拓也か?どうしてあいつが…」
 「…」
 「僕にはお前しかいない。力尽くと言う手もあるがな…」
 不意に倫子は大和の両手に両肩を押さえられた。
 「やめて。」
 「外交官の親父にも承諾を得た。待っていたんだ。」
 「ぶつわよ。」
 「後はお前の気持ちだけだ。」
 倫子は右手を振り上げる。腕ごと大和の左手に捕まった。
 背中には壁。後が無い。
 「人が見てる。」
 「見せてやるよ。」
 「ダメ…」
 重ねられた唇は高級コロンの香りがした。

 手嶋は背後に気配を察知した。が、遅かった。
 「動かないで。何処の人かしら?CIA?」
 背中に明らかな銃口の圧力。
 「図星ね。私の監視ポイントに入って来たのが運の尽きよ。」
 女か?一人?
 「銃のボルトを抜きなさい。」
 言われる通りに手嶋はM24のロックを外して機関部からボルトを抜き去る。
 エジェクターからはじき飛ばされた.308ウインのカートリッジが、コンクリートの上を転がる。
 「桐生の事務所を監視するところを見ると、例の件ね。でもね、譲れないのよ。悪いけど。」
 手嶋は瞬発力を体内で一気に溜めた。
 爆発的な動作で体をひねると同時に左手を振る。
 手応えはあった。堅い小さなものがコンクリートを滑る音。
 瞬時に立ち上がった手嶋は、右足を跳ね上げた。ムエタイで鍛え抜かれたこの蹴りに、手嶋は一撃必殺の自信があった。
 手嶋の右足は夜気を虚しく切り裂いた。
 手嶋は見た!かすめて通る蹴りを避け、更に優雅なバック転を見せて手嶋の射程距離から逃れる影。
 長い髪が流れる。薄暗いビルの屋上に舞う可憐な黒い花。
 手嶋は反射的に脇のベレッタに手をかける。
 その黒づくめの小柄な影は、着地と同時にブーツからゾリンゲンの両刃のスローイングナイフを抜き出し、刃を掴んで投擲体勢に入っていた。
 紛れもなく女だった。夜目の利く手嶋は更に意外な事実を見る。
 まだ子供じゃないか?ハイスクールへ通うくらいの…
 睨み合いはほんの数秒だったか?だが、とてつもなく長い時間に感じられた。
 手嶋は攻撃衝動が湧かなかった。むしろ、眼前のその敵に愛おしさすら感じた。
 「君は?武郷の者か?」
 「言えないわ。」
 「止めよう。ここでやり合っても、お互いにメリットは無い。」
 「…ふふ… 賛成。」
 右手を脇から抜いた手嶋は、ホールドアップする様に両手を挙げた。
 少女はブーツにナイフを仕舞う。
 「君、名は?」
 「自分から先に名乗るものでしょ?」
 「失礼。俺は手嶋。」
 「香織。そう覚えていて下さい。」
 手嶋から目をそらさずに後退する少女は、落ちていた自分の銃を拾い階段へのドアへ消えた。
 下の路地には、先程まで手嶋が監視を続けていた少年と少女の姿は無かった。あの少女が消えたドアと見比べながら、手嶋は一つ溜息をついた。
 …俺もとうとうヤキが回ったかな…

 

次回、跋扈編へ続く