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こちら、桐生探偵事務所。(逐鹿編)
高度三千メートル。
スクランブル発進より5分後に、その機影をパイロットは視界に捉えた。
アフターバーナーを停止したF-15の機体は、小さなその点に接近を開始する。
「オーケー、目標を捕捉。警告を続けてくれ、オーヴァー。」
パイロットは操縦桿のバルカン砲発射スイッチに親指を伸ばす。
その目標となる機体が徐々に姿を現し始めた。だが、次の瞬間パイロットの目は驚愕に感情を露わにして見開かれた。
まさか… あれは…
いや、そんな筈は無い。だが、目の前を飛んでいるのは確かに…
この目で確かめてやる。
だが、パイロットの驚愕は更に増すこととなった。
消えた。
眼前から追跡中の機体が消えた。
レーダーに今しがたまであった筈の機影の反応も無い。
「夢でも見たのか…」
パイロットは小さく呟いた。
「そしたらさ、突然よ。もう…」
「やっちゃたの?」
「うん…」
「いいよね〜っ!あたしもカレシ欲しーっ!」
「でさ、倫子はどこまでいったの?」
「何にもないわよ!」
下校中の少女達の話題は、そちらの話で持ちきりだった。
「倫子はさ、あいつでしょ?」
「知ってるの?」
「この前、一緒に居るトコ出会ってさ。」
「どんな?どんな?」
「あたしも知ってるよ。昔っからなんだよね、倫子とは。中学生でメチャメチャ悪いって話だけど、いいセンいってるよ。おんもしれーヤツだよね。」
「バカなのよ!お守りは大変よ。」
「とかなんとか言って…」
「いいよね〜っ!あたしもカレシ欲しーっ!」
少女達はふと、目の前に停まっている車と佇む少年に足を止めた。
深い青色に輝くランチア・デルタHFインテグラーレは、5ドアハッチバックの大衆車に2.0リッター直列4気筒DOHCターボとフルタイム4WDの運動神経が与えられ、更にボディとエンジンに改良が加えられたエボルツィオーネだ。かつてWRCの王者として君臨したラリーカーの血統を継ぐこのマシンは、佇む少年を象徴しているかの如く静かに内に秘めた力を見せつけていた。
少女達に向かって歩いてくる。
海外ブランドのスーツを着こなした少年の端正な顔立ちは、少女達を一瞬にして釘付けにした。
何? 誰に用があるの? まさか、自分に…
少年は一人の少女と対峙した。
突如踏み込んできた少年は、がばっと少女を抱き寄せた。
「おおぉ〜っ!」
残された少女達の歓声。
だが少女は、両手を組み肘を突き上げて少年の腕から逃れる。
離れた瞬間、少女の放った正拳突きが少年の顔に迫る。
ぱん!と音を立てて、少女の拳は少年の掌に包まれていた。
「相変わらずだな、倫子。どうして僕にはつれないんだ?」
「いつ帰ってきたの? 大和。」
「諦めないからね。じゃ…」
少年は車の方へ歩き出した。開いたドアに滑り込み、イタリアの名門であるアバルトのチューンが程されたランチア・デルタを駆って、少年は道の彼方に消えていった。
「ね、ね!倫子!あの人、誰?かっこいい…」
「名前教えてよ、知ってるんでしょ?」
少女は軽い疲れを浮かべた顔で、その名を静かに呟いた。
「大和… 桐生大和。」
「やまと?変わった名前ね。」
「拓也なんて可愛いモンだわ、あいつに較べたら… どうして、あいつが?」
市街地を疾走するその赤いボディは、他の国産車の群を圧倒し鮮烈なダッシュを見せつけて走り去ってゆく。
ダッジ・バイパーGTS。
そのV型10気筒OHV、総排気量7997ccのエンジンから吐き出されるトルクを地面に叩きつける様にして走る怪物は、『マムシ』の名に相応しくちょっとアクセルを踏み込んでやれば、テールを振りながら豪快な加速を開始するスネークダッシュが味わえる。あの伝説のハイパワースポーツ「コブラ」のキャロル・シェルビーが開発に関わっていたのも道理だ。
再び赤信号に行く手を遮られた。
ブレーキペダルに足を乗せながら、ドライバーは小さく舌打ちをした。
前後ベンチレーテッドディスクのブレーキは、荒ぶる底なしのパワーを押さえつける。
…相変わらず狭苦しい国だ…
ドライバーはサングラスを外して、助手席のシートに放った。シートの上には既にジュラルミンケースの先客がいて、サングラスは音を立てて転がる。
サングラスを外した男の目は、感慨深げな光りを湛えて遠くを見つめていた。
男の名は《手嶋 健》と云った。
連れ添った相棒が中で眠るジュラルミンケース、その上に乗っている二枚の写真を手嶋は摘み上げる。
写真には世にも奇妙な光景が写し出されていた。
青い空の中、遠くに山の陰が見える。その被写体さえ無ければ、ありきたりの航空写真であっただろう。
大きな尾翼が見える。だが、飛行機の類ではない。それは、地を這うキャタピラと長い砲身を伸ばした砲塔を持つ飛行物体。
戦車だ。少々のピント外れは抜きにしても、戦車が飛んでいる様子をその写真は明確に写し出していた。
「悪ふざけにも限度があるぞ… プロフェッサー・ブゴウ。」
手嶋は小さく呟く。ポーカーゲームの役を伺う様に、二枚の写真を摘んだ親指をスライドさせると下になっていた写真も現れて来た。
その写真には端正な顔立ちの少年が写っていた。
拓也の左頬に衝撃が走る。
相手の拳をまともに喰らった拓也は、白くなる視界の中、上下左右の感覚も同時に吹き飛び、倒れ込んだ事さえ一瞬気が付かなかった。
背中に再び衝撃。
肺の空気が全て吐き出される。
失いそうになる意識を辛うじて保ち、体を縮めて目と金的だけをガードしていた。
口の中いっぱいに血の味がする。
デカい野郎だ。ケンカ慣れしたデブだ。
間髪入れずにケリが入ってくる。
周りの取り巻きのヤジが聞こえてくる。
「いいぞぉ!やっちまえ!」
「ぶっ殺しちまえよ!」
倒れ込んだ拓也は拳を握りしめた。反撃のチャンスがその中にある。
大人しくなった拓也の襟首が掴み上げられた。
片手で拓也の体を軽々と持ち上げる力は、流石に拓也をここまで追い込んだ手練れ。
勝ち誇った高慢な顔が目の前に迫る。
「桐生、と言ったな。今日からは表を歩けねえ様にしてやるよ。おい!」
取り巻きの一人がカッターナイフをデブに手渡した。
「いい記念を作ってやるからなぁ。大人しくしていろ。」
チキチキとカッターの刃がスライドされる音がする。
今だ!
拓也は手の中に握り込んでいた砂を、目の前のデブの顔面に叩きつけた。
「うぁ!」
カッターナイフを手放し、両目を押さえようとするデブの股間に、拓也の膝蹴りが食い込む。
今度は股間に両手を当てて腰を屈めようとする瞬間、拓也の狙いすました蹴りが顎を襲う。
完全にノックアウト状態にあるデブは、顔色が赤から青に変わって来た。
倒れる寸前に拓也の左手が髪を掴んだ。充分に体重の乗った右拳が顔面に食い込む。鼻と前歯が拓也の拳の下で粉砕された。
再び倒れ込みそうになるデブの耳たぶを掴み、拓也は口を近づけて大声で叫んだ。
「表歩けなくなるのは、てめえの方だ!ブサイクなツラしたデブが!」
そのまま顔面を蹴り飛ばした。スローモーションのように、デブは膝を軸にして後方へ倒れていった。
「桐生… てめえ、卑怯だぞ。」
取り巻きの声がした。
拓也は口に溜まった血と唾を吐き捨てる。
「てめえらに言われたかぁねえんだよ。次は誰だ?」
10人はいる。隣町の高校の奴らだ。
だが、リーダー格の奴がやられてしまった今となっては、誰もが浮き足立っている。烏合の衆と化した集団は、意地とプライドだけでその場に縛り付けられていた。
しかし、相手は一人。この人数なら…
突如、空気が変わった。
ふらりと現れた、少年の端正なマスクのせいだったか?
「やれやれ… 相変わらずだな、拓也。」
声の主に皆が注目する。この場の殺伐とした雰囲気にまるで動じていない風情が、更に少年のアンバランスな魅力を引き立てていた。
「大和… いつ帰ってきた?助太刀はいらねーぜ。」
「当たり前だ。お前がボコボコにされるのを楽しみにしているんだがな…」
「だったらそこで見ていろ。」
取り巻きの少年達の間を割って入った少年。
ルックス相応の高級スーツは、あまりにもこの場の雰囲気に似つかわしくなかった。
「そうさせて貰うとするか。死ぬなよ、拓也。後で用があるからな。」
「おい!何だ、てめえ!」
少年達数人が大和の前に立ちはだかる。
「気にしないでくれ。ただの見物客だ。」
少年達の脅しを込めた気迫を、涼しい秋風ほどにも感じていないのか?飄々たる表情は自分の置かれた状態を愉しんでいるとしか思えない。
「何だあ?見かけねえツラだな。お前、桐生の仲間か?」
「うん、僕も桐生だ。仲間じゃないけど、一応親族かな?」
「ふざけるな!この、ボンボンが!てめえみたいなヤツ見てると、虫酸が走るんだよ!」
「お互い様だろ? あんたら見てると、ヘドが出そうだよ。」
「な、なんだと… てめえ!」
少年の一人が大和の肩に手を掛ける。
目が合った。美貌の少年の目には、何かを吸い取られそうな瞳が光っていた。
「触るなよ、下等動物。」
大和の一声に一瞬、少年達に困惑が走る。そして屈辱への怒りが次々と吹き出して来た。
「なにィ!今、なんてった?」
「聞こえなかったのか? 顔が真っ赤だぜ、エテ公。」
「コラ!生きて帰れねえぞ。」
少年の一人が大和の胸ぐらを掴んだ。
「わりゃ!ヤキいれたろか?おお!」
無表情を装う大和から出た言葉は…
「離せよ。口臭ぇぞ、お前。シャブでもやってんのか?」
「てめえ…」
大和の目の高さの少年の口から唾が飛んだ。
一瞬の沈黙。
大和はゆっくりと右腕で頬を拭った。
が、次の瞬間、その場に居合わせた全員が一歩退く程の事態が起こった。
今しがたまで大和の胸ぐらを掴んでいた長身の少年の体が、3メーター程の弧を描き吹き飛ばされていた。
地面に叩きつけられた少年は既に意識は無い。
幽鬼の様に立ちすくむ大和がそこにいた。
がっくりとうなだれた肩が小刻みに震えている。
うなだれた顔がゆっくりと上がって来た。
あの少年達を割って現れた時の、優雅な風情は微塵も残っていなかった。
その形の整った唇を突いて出た言葉。
「お… おんどりゃーっ!」
「まずい。大和がキレた…」
何年ぶりかに再会した従兄弟の本領を、目の当たりにした拓也だった。
次回、掣肘編へ続く
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