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こちら、桐生探偵事務所。(至宝編)
広大な空き地に残された廃ビルは、バブル経済の夢の残骸だっだのかも知れない。
今、そのビルの前に、白いホンダS2000のボディが静かに停まった。
「さてと、ここから奴らのテリトリーだ。気ィ引き締めて行くぜ。」
拓也はエンジンを切った。ドアを開け地面に踏み出す。長い間放ったらかしにされている道路に、舗装を割って雑草達が逞しく突き出ていた。
「うふふ… おあつらえ向きの場所ね。映画みたい。」
倫子は、はやる興奮を抑えきれないでいる。無駄口はその証拠だ。
これは映画ではない。れっきとした目の前の現実。
拓也はトランクに仕舞った風呂敷包みを取り出した。
「さ、行こうぜ。倫子。」
「うん。」
二人の影は、ビルの壊れて開け放たれたドアに消えた。
香織は目を開いた。眠っていたようだ。
「おっと、姫のお目覚めだぜ。」
「寝起きの顔も可愛いね。」
下品な笑いが聞こえる。眠る前と同じ風景。違うのは見張りの奴が交替している事。
手錠が手首に食い込む。左右の手を繋いだ鎖の部分から、更に長い鎖が部屋の壁に打ち込まれた楔に繋がれていた。
それ以外は自由だった。部屋の中を移動できるだけの余裕は十分にあり、ドアは壊れて開け放たれたままになっているが、常に見張りが二人。
一度トイレに入って手錠の鍵を開けようとしたが、ヘヤピンが無くなっている事に気が付いた。常に髪の中に隠しているのだが、ここに連れてこられる時に奪われていた。
屈辱だった。生まれて初めての絶望感と敗北感を味わった。
残されたものは、シャツの左袖のボタン。
青酸カリを凝固させて作られたものだ。
自決。
残された道はこれしか無いのか? いずれ奴らの慰めものになるくらいなら、最後の道を選ぶしかない。
「なあ。どうして、やっちゃいけないんだ?」
「知らねえよ。そう言われているからな。」
「俺、もうたまんねえよ。」
「バカ。よせよ。」
「いいじゃねえか。ほら、このシチュエーション。萌え萌えだぜ。」
キッと香織は男達を睨んだ。下衆にも程がある。
「おっと、怒った顔。可愛いじゃん。なあ、ちょっとだけ。判りゃしねえって…」
「そうかな?」
香織の怒りは頂点に達していた。
自決?やめた、そんなもの!この手錠の鎖で首を絞めてやる。
こんな男ども、一人でも多くこの世から抹殺してやる。
香織の怒りを象徴する様に、下の階から銃声が響いた。
武郷の部隊?いや、早すぎる。
まさか… あいつ?
拓也と倫子は広いロビーの向こうからの自動小銃の掃射を避け、テーブルの下に逃げ込んだ。
「ほーら、おいでなすった。最初っから取り引きなんてするつもり無いんだぜ、こいつら。」
拓也は腰からコルト・デルタエリートを抜いた。
再び掃射音。幾つもの衝撃波がかすめて行く。
拓也は発射音の辺りに見当を付けて、デルタエリートの引き金を絞った。
大人しくなった。相手が撃ち返して来た事で、ビビっているのだ。
無抵抗な相手には目一杯強く、抵抗する相手には為す術が無い。
そんな輩だ。
「倫子、コイツを頼むぜ。」
拓也は風呂敷包みを床に置く。
「どうするの?」
「後ろから回り込んで、泣かしてやる。」
拓也は隠れたテーブルから転がり出た。次の遮蔽物である階段の影に向けて走った。
壁の影からそっと様子を伺う。
男が二人、座り込んでいる。抱えている物は別名カラシニコフと呼ばれる、旧式のAK47自動小銃だ。
先程まで拓也の隠れていた辺りの様子を伺っている。
拓也は男達の足下に向けて数発、デルタエリートの10mmオート弾を見舞った。
一人は悲鳴を上げて頭を抱え込んだ。が、もう一人がAK47の銃口を拓也に向ける。
ヤベッ!
慌てて隠れた拓也の横を、フルオートの30口径弾が襲う。
「おっかねーっ!」
拓也は今更になって、MP5Kを車に置いて来た事を後悔した。
だが、次の瞬間。壁の向こうで、激しく叩きつける様な音を耳にした。
それから反応は無い。拓也は息を殺して待った。
畜生!様子が知りたい… 小さな鏡でも持ってくれば良かった。
「大丈夫じゃよ。出ておいで。」
壁の向こうから、聞き覚えのある声が響いた。
覗いた拓也の目に飛び込んだ風景。先程までAK47を撃っていた男達が倒れている。その倒れた片方の男の上に、何事も無かった風に腰を降ろしている老人。
「じいさん?」
「まだまだ詰めが甘いよ。」
あの、李箔石と名乗る老人だった。
「どっから現れたんだい?」
拓也の質問に老人は、黙って天井を指さした。
「?」
真似をして天井を指さす拓也に、老人は笑って言った。
「さて、行くぞ。お前さんの友達を助けるんだろう?この年寄りにも少し手伝わせてもらえるかの…」
老人はすっと立ち上がった。
「待ってよ!俺、あっちに機械と相棒、置いて来たままなんだ。」
「大丈夫、後で来るよ。」
老人の深い皺に刻まれた笑顔は、限りなく優しかった。
「もういいのかしら?拓也ぁーっ!」
倫子は辺りを見回した。
だが、拓也からの応答は無い。
嫌な雰囲気。
ロビーの勝手口から現れた影は拓也では無かった。
手に鉄パイプやバットを持った男達。10人はいるだろうか?
一人の少女を前に、攻撃の欲望で目を輝かせている。
倫子は立ち上がった。やらないとやられる。
人数が人数だけにこいつは骨が折れそう。
取り囲んだ男達を一瞥、一番弱そうな奴に目星を付ける。
コイツだ!
倫子が目を付けたのは、右手二時方向のチビ。
正面の男に向かって行くと見せかけて、横に飛ぶ。
足刀蹴りが無防備なチビの顔面に入った。
倒れたチビを飛び越え、倫子は走った。
動き回って一人ずつ片づける戦法を取った。敵の一斉攻撃を受けたらひとたまりも無いからだ。
屈んだ倫子の頭上を、鉄パイプが唸りを上げてかすめる。
こいつは臑を狙うか。
その時、鉄パイプを再び振りかざした男が後方に吹き飛んだ。横を割って入ってきた影に、顎から掌底打ちを食らったのだ。
さらに隣の男が横に吹き飛ぶ。旋風脚と呼ばれる飛び回し蹴りが、男の顔面を強打した。
突然の急襲をかけた影は、長い髪をなびかせ大きく飛び、倫子の隣に着地する。
倫子と背中を合わせ、中国拳法特有の構えを見せる長い髪の美少女は愉しそうに言う。
「こいつらトットと片づけるネ!タクヤのトコに行くよっ!」
下手な日本語は相変わらず。
「了解…」
倫子はにやりと笑った。
突然部屋に入ってきた男達。五人いた。
「どうしたのですか、総統?」
先程まで、欲情で目をぎらぎらさせていた男が聞いた。この変わり様…
「来た。あのガキだ。まさかと思ったが…」
総統と呼ばれた男が答えた。三十路過ぎた位の小太りで色白な男だ。
「この女と親しい様なので、カマを掛けてみたのだが… 本当に持って来るとはな。」
香織は、暗号解読機の事を一言も喋っていない。瓢箪から駒と言う奴だが、何せ相手が悪すぎた。
「所詮はガキでしょう?」
部下らしき一人が聞いた。
「いや、様子がおかしい。尾行に付かせた奴らも、未だ戻って来ないまま… 下で迎えさせた奴らからも報告は無い… 何なんだ?あのガキは…」
香織はここに拉致されて来て、初めて口を開いた。
「あんたら、知らないの?」
男達が一斉に香織の方に振り向いた。
「あいつは、世界一の札付きのワル… 桐生拓也よ。」
「じいさん、どっちだろう?」
階段を上って廊下に出た。右も左も人の気配のしない、廃墟のビルの長い廊下だった。
「うーんとな… こっちだよ。」
老人は右手の人差し指を上げて何やら考えていたが、思いついた様に左側の廊下を指さした。
走りながら拓也は老人に聞いた。
「分かるのか、じいさんは?」
「この先に人がいるよ。」
「凄いんだな。」
「大した事ではないよ。それより、お前さんの方が余程凄い。」
「何が?」
「何故そこまでして? 一体、何に牙を剥くのだね?」
「判んねーよ。考えた事もねえや。」
「フフフ… 頼もしいのぉ。儂も、昔はそんな目をしていたのかな…」
開け放たれたドア。
拓也は見た。望月香織の手に掛けられた手錠と、擦り切れたジーンズから見える肌と乾いた血。
振り返った男達。
「てめえらぁぁっ!」
拓也の怒りに火を付けるには、充分な光景だった。
「待った。待ってくれ… 俺達は…」
既に男達は昏倒させられ、床に這いつくばっていた。残った総統と呼ばれた男だけが床に尻を付き、命乞いをしている。
「うるせえ!まとめて死ねっ!ちんかす野郎っ!」
「構わんぞ、殺れ。後は儂がもみ消してくれる。」
箔石はデルタエリートを構えた拓也に、面白そうに言う。
「俺達はただ、世界征服は出来るところから始めようという…」
「理由になってねえよ。もっとましな事、出来ねえのか? 動くな!きんたま撃ち抜いてやる!」
「もう、いいじゃろうて… よっ!」
老人は男のこめかみを指先で突いた。男は白目を剥いて失神する。
「拓也とやら、娘さんも無事なようだしの… この辺でどうかな?」
「ふう。分かってるよ。」
拓也はデルタエリートにセフティを掛け、腰に仕舞う。
「あんた、わざわざ私を助けに… ばかじゃないの?」
香織は下を向いて呟いた。まともに目を合わす事が出来ない。
「バカに助けられるお前はなんだ?」
「ふふ… 大バカね。」
照れくさかった。あの拓也が自分を助けに来た事が、途方もなく嬉しかった。
箔石は香織の前に跪く。手錠に縛られた手首を手に取った。
「これは可哀相に… ひどいことを…」
次の瞬間、拓也は目を見張った。
箔石が手錠の鍵の部分を掴んだ途端、鍵が解放されて弾け飛んだのだ。
手錠の後がアザになって残っている。箔石はその手首をそっと掴んだ。
掴んだ手を離した後、アザはきれいに無くなっていた。
恐るべき李箔石の力を垣間見た気がした。父親が電話の先で言った言葉。
怪物。
その闇の歴史に名を残す程の怪物が、一人の少女を助けている。
「立てるかの?お嬢さん。」
香織は立ち上がった。箔石の顔を珍しそうに見つめている。
「あなたは?」
香織の質問に拓也が答えた。
「ああ、紹介するよ。越後のちりめん問屋のご隠居さんだ。」
「光右衛門と申します。」
「あっ、初めまして。望月香織と言います。」
「ほう… これは別嬪さんだ。」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
香織は突如悲鳴を上げた。尻を押さえて飛び上がる。
「な、何するのよっ!」
「いや、儂らの国ではこうして挨拶を…」
拓也は頭を抱えて呻いた。
「じいさん、もういいって…」
「拓也!」
声に振り返った。
「倫…」
「タクヤぁぁ〜っ!」
振り向くと見える筈の倫子の姿は、幼さを残した白く美しい顔に阻まれた。
「また会えたネ!タクヤ!」
拓也を抱きすくめた少女は、嬉しそうにはしゃいでいる。
「離れなさいよっ!コラッ!」
倫子の怒号が聞こえる。
「お前、あの時の… くっつくなよ!」
「宝蘭。またか… もう、よしなさい。」
「お父様…」
老人の一声で、少女は拓也から離れた。
「お父様… お父様ぁ?」
拓也と倫子は目を剥いた。
「いや、宝蘭が迷惑をかけたかの? 済まないな。お前さんは余程気に入られた様だ。」
「お父様って…?」
拓也の質問に老人は答えた。
「儂の54人目の子供だよ。母親は皆違うがの。」
「じいさん、あんた一体いくつなんだい?」
「さて? 百歳までは数えておったがな…」
「絶倫ジジイか!あんた?」
「いや、褒めて貰えて嬉しいよ。」
「呆れてるんだよっ!」
「お父様…」
宝蘭は、倫子と香織を見比べながら言った。
「お父様こそ、アレ、してないか?」
「ん、何をだね?」
「お前たち、お尻触られなかったか?」
倫子と香織は、両手で尻を押さえて呻いている。
「ほら、ヤッぱり…」
「さて、何の事だが… さあ、その機械を出してみなさい。それと、あの文書。」
「これは渡さないわ!」
香織は男から奪い取った封筒を抱え込む。
「よしなさい。よいか、元々は儂たちの物なのだよ。それに、お前達は暗証番号を知らないだろう?」
「そう言えば…」
拓也は言った。肝心な事を忘れていた。
「儂達はこの文書が打たれた日付を元に、当時使用された暗証番号を割り出しているぞ。これは1943年7月12日に記されたもの。番号は三日に一度変えられていたのだが… どうだ、知りたいか?」
「山分けと行こうぜ。じいさん。」
「では、五分五分の分け前でどうかな?この機械はお前さんの物だからな。」
「その五分を桐生、あんたと分けるの?」
香織は残念そうに言う。
「そうさ。俺が七で、お前が三。」
「まだ言ってる!違うわよ!」
「さてと、じいさん。教えてくれ。」
五人の前に、古い機械が姿を現した。
所々の塗装は剥げ落ち、歴史を刻むにはあまりに奇妙な、そして重大かつ貴重な機械だった。
「よいか。右から、三の丙、八の甲、四の丙、五の乙、九の甲だ。」
「よし。」
まだ拓也が小さかった頃、カナを覚えるのにと祖父が拓也に与えていたのだ。拓也にとっては実に手慣れた操作だった。
「望月。」
「分かったわよ。いい、読み上げるからね。カ・マ・セ・ナ・ホ…」
拓也はキーを打つ。
「…!……あれ?」
「どうしたの、拓也?」
倫子が聞く。
「いや…」
「どうしたの、桐生?」
香織が聞く。
「…動かねえ… 忘れてた。そういやこいつ、動かなくなってたんだ…」
「動かないって… 桐生、あんた…」
「いや、遊んでるうちに動かなくなって… それで、じーちゃんが蔵に仕舞ったんだっけ。」
「桐生!あんた…壊してたのっ?」
「動かなくなったんだよ。何せ古いから…」
「それを、壊したって言うのよっ!何て事を…」
「さすがのじーちゃんも、直せないって言ってたな。複雑だから、面倒くさいって…」
「こんな大事な物、何で子供の玩具なんかに… どういう神経してるの?あんたのお爺さん。」
「他にも色んな物持ってたぜ。ロケット推進のヒコーキもあったぞ。」
「もういいわ!聞きたくない!」
突然、部屋いっぱいに箔石の高い笑い声が響いた。
「いや、可笑しい… 全ては夢… ふふふふふ…」
爆音と砂塵の中で、荒れ果てた広大な空き地に着陸したのはUH-60A、ブラックホークと名付けられた輸送ヘリだ。
黒ずくめの戦闘服、手にM16A2を抱えた小隊がヘリから降りてきた。
香織は右手を挙げる。
「桐生… あんたが助けに来なかったら、あいつら今頃生きてなかったわよ。感謝していいのかな。」
「奴らに感謝されたいね。」
「今度会う時は容赦しないわよ。」
「へっ!望むところだ。武郷のじいさんにも宜しくな。」
香織は拓也の後方に視線を移した。
倫子と目が合う。
一瞬の間だった。その一瞬の間、二人は目だけで様々な話をした。
生い立ち、過去、孤独、悲しみ、価値観、未来の夢、そして想う人の事…
初めて心を開いた疎通だった。
「じゃあね。拓也…」
「あぁ、またな。」
香織は着地したUH-60Aに向かう。初めて拓也と呼んだ… 呼ぶことが出来た。本当に心から…
武郷の突撃部隊が迎える中、香織はヘリの中に姿を消した。
派手な風を巻き起こし、離陸したUH-60Aの機体が陽光にきらめく。
その時、機体に付けられた外部スピーカーから、マイクのスイッチの入る音がした。
「下垣内っ!首を洗って待っていろっ!」
スピーカー越しのフルボリュームの香織の声が、閑散とした空き地にこだました。
倫子は右手を高く挙げ、中指を立てた。そして、右手を開くと大きく手を振った。腕が千切れんばかりに、強く大きく振っていた。
ホンダS2000は拓也と倫子を乗せて、規則正しいアイドリングの音を奏でている。
「儂がこれを貰っていいのか?」
「いいよ。どうせ壊れてるし… 手ぶらじゃ、帰り辛いだろ?」
「そうか。では、遠慮なく貰っておくぞ。」
「じいさん、あんた最高だよ。また遊ぼうな。」
「うむ、そうさせて貰うかの。お前の様な活きのいい小僧は久しぶりだ、いい土産話が出来たわい。」
拓也は、老人の横に佇む少女に目線を向けた。
「じゃあな、宝蘭。また会おうぜ。今度はきっと、とびっきりの美人になってるよな?」
「…」
宝蘭は言葉が出なかった。何と言っていいか分からない。
拓也の隣に座る倫子と目が合う。
倫子が笑った。笑って言った。
「またね。今度は、タイマン勝負で行きましょ。」
「うん!楽しみにしてる!」
倫子の言葉に気力が湧いた。心のわだかまりが、全て氷解したような清々しさを感じた。
拓也と倫子を乗せたS2000はその白いボディを輝かせ、佇む箔石と宝蘭を後に走り去る。
宝蘭は二人の後ろ姿を、見えなくなるまで見送っていた。
似合い過ぎていた。あまりに似合いな二人だった。
もし、自分があの隣に…
違う… やはり、あの二人でないと…
宝蘭の瞼の端に、小さく光るものが膨らんできた。
「泣いているのか?宝蘭… 辛いか?」
箔石の声に、我に帰ることができた。
「いえ… 嬉しいの。なぜだか、とても…」
箔石は、強がりなどではなく本心を言った宝蘭の心情を察したのか、優しく笑って言った。
「さて、儂らも帰るとするか。これを直してやらねばな。」
「えっ!直るのか?お父様。」
「当然だ、直してみせるよ。それに先程の文書、記憶済みだぞ。」
「やった!金塊、私たちがゲットだね!」
「うん。ええっと… カマセナホヒモナトルオ… どうだったかな?」
「大丈夫か?お父様…」
「いや、年のせいかな…」
「頼りないなぁ。でも私、覚えているよ。」
「そうか。では、行こうか。」
「うん!お父様。でも、その前に…」
「あちこち見て廻りたいんだろう、分かっているよ。京都見物でもするかな?」
「イヤだよ!宝蘭はディズニーランドに行くんだ!」
「よし、よし。分かったよ。」
「だから、お父様は好き!」
海面が突如光った。
光はそのまま水面から吹き上がり、白と青の光の束となって踊り狂い、やがて時計と逆の方向へと回転を始めうねりと化し巨大な球体を生成した。
海面に出現したプラズマ現象は、その中に更に巨大な船の影を顕わし始めた。
光の束はやがて超弩級の船体を形成するまで、僅かの時間で事足りた。
あの『フィアデルフィア実験』は決して、謎の悪夢で終わってはいなかったのだ。
乗務員に及ぼす悪影響、船体と人体の融合等の問題は既に解決されている。
正に此処に現実として、実用の段階まで進められた形がある。
奇跡の瞬間移動を果たした船は、誰もが目を見張る超巨大戦艦だった。
推定排水量約8万トン以上。あの、『大和』、『武蔵』にフォルムこそ似ているが、さらにスケールアップされた超弩級戦艦だ。
前部二基、後部一基の砲塔から伸びる二連装の主砲は、当時作られた4万5千メートルの射程を誇る51センチ砲では無く、砲身に絡むように取り付けられたエネルギー伝達パイプや電極コンバーター等の装置。奇異なるこの砲身の正体は、荷電粒子砲であった。
昭和16年、第二次世界大戦を睨んだ当時の日本海軍は、新計画として『大和』を越える巨大戦艦を更に二隻、建造計画の中に盛り込んでいた。その極秘に造られ正式名称も与えられなかった悲劇の船は、ここに、ある科学者の手によって、就役の悲願が叶えられていた。
今、空から現れた輸送ヘリUH-60Aは、後部砲塔の後方にあるヘリポートにゆっくりとその機体を降ろした。
艦内に設けられた部屋は、到底戦艦の船室としては考えられぬ程、豪華で居住性の良いものだった。
少女は、椅子に座っている老人と向かい合っていた。
「よくぞ奪取してくれた、香織。」
「いえ、残念ながら… 肝心の暗号解読機は桐生拓也が…」
「うむ、あの小僧か。よい、儂はこれさえ手元に戻れば。」
「…?」
「お前に謝らなければならない。儂はこの内容を知っているのだ。何せこれは、この儂がしたためたものだからな。」
「では、金塊の在処は…」
「金塊の在処が記された文は、もう無いかもしれんな… 真相を知る者は、既に刑場の露と消えておる… 同じ日付に記されたこれは、儂がある人物に宛てた手紙だ。恥ずかしながら… 恋文だよ。」
「…! ラブレターだったの…」
「ふふ… 儂も若かったよ。懐かしい…」
「そんな頃があったのですね…」
「いや。危険な目に遭ってまでも、よくぞ取り返してくれた。礼を言うぞ、香織。」
「フフ… いいのですよ。大事になさって下さい、おじいさま。」
「それは、人前では言うなよ。」
「分かっています。では、失礼します。」
「ゆっくり休むとよい。」
香織は武郷玄蔵の部屋を後にした。
香織は今、武郷の心情がなんとなくではあるが理解出来る様な気がした。欲しいもの、大事なもの、命を賭けても守るべきもの。人それぞれではあるが、香織にとって世界を掌握するに等しい、別な、そして絶対的価値の夢。それは決してすり替えられたものではなく、人の成長の証なのかも知れない。
香織はその夢を一人、そっと口にした。
…拓也…
一人部屋に残った武郷玄蔵は、色あせた紙に刻まれたカタカナの羅列に見入っていた。
感慨深い老人の顔は、若かった頃の素直な輝きを取り戻していたのだろうか?
「澄江どの… 達者でおられるかなぁ…」
拓也の通う中学校のプールは、夜の闇の中で眠っている筈だった。
プールのすぐ隣の道端に、ホンダS2000の白いボディが蹲っている。
水の跳ねる音がする。
金網を乗り越えた侵入者がいた。
「どしたの?拓也。ボケッとしてさ…」
プールの縁から顔を上げた倫子の髪から、水がしたたり落ちている。
プールサイドに座り込んだ拓也は、パンツ一枚で宙を仰いでいた。水着など二人とも持って来ている訳がなく、下着姿でプールに飛び込んだのだ。
見上げた満天の星空は、手を伸ばせば届きそうだった。
「うん… 俺達さ、何してるのかな?一体…」
「どうして?」
「楽しいかい、倫子は?」
「何が?」
「俺と一緒にいて…」
「飽きないわね。」
「何だか… いくらイキがったって、ブチ壊せないものがあるのかなぁ?」
「何よ急に…」
ざっ、と水の音がした。
プールの縁に手を掛けて上がって来た倫子の着ている白いTシャツが、水の重みで体にまとわり付いていた。
水の滴る髪をかきあげ、すらりとした足を曲げ、拓也の前にしゃがみ込む。
「大人の作ったからくりなのかな? 何だか俺達、その上で踊らされてるんじゃないかって…」
「誰でもそうじゃない?」
「そうかな?」
「大人だって、昔があったんだよ。同じ不安を持ってたんじゃない?」
「かもな…」
「らしくないよ、拓也。」
「やーめた!考えるの、面倒くせーや!」
「ガラに無いことするからよ。」
「だな… キスしていいかい?倫子。」
「ダメ!泳ごうよ。」
「よっしゃーっ!」
「きゃっ!」
拓也が急に飛び込んだ弾みで、飛んできた水しぶきに倫子は悲鳴を上げる。
波紋を広げた水面が、月明かりにきらきらと光っていた。
「あははっ!拓也、ぱんつ脱げてるって!」
「へんっ!おめーこそ、おっぱいスケスケだぜっ!」
END
次回、逐鹿編へ続く
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