こちら、桐生探偵事務所。(泰斗編)

 

 市街地を抜けたホンダS2000は、水を得た魚の如く加速を始めた。
 拓也は作戦上、車の通りが少なく人目の付かない場所を狙っている。
 敵も武装している筈だ。あのトカレフのコピーから推測するに、多分暴力団がらみから買い付けたか、もしくは近隣国のルートから一括して中古の払い下げを仕入れたかのどちらかだ。
 いずれにせよ、銃を持つ相手に変わりは無い。目には目を…
 拓也はシャツの下の腰のベルトに差していた、大型のオートマチック拳銃を抜き出した。
 フロントガラスにステンレスの輝きが映る。
 コルト・デルタエリート。
 10mmオート弾を使用する、新しいガヴァメントモデルのバリエーションだ。
 マガジンには8発の10mmオート弾が装填され、更に薬室にも装填済みだ。ハーフコックの状態で止まっていたハンマーを起こし、セフティを掛けて腹のベルトに差す。
 シートの下には、H&K MP5K。こいつは切り札だ。
 MP5Kと併用する為には、拳銃も同じ9mmパラベラム弾を使用するタイプを持ち出すべきであったが、今回も拓也は見た目で選んで、父親の金庫から持ち出してしまった訳だ。
 「どうするつもり、拓也?」
 助手席の倫子の質問に答える。
 「この先の工事中の、道が途切れたとこあるだろ?あそこで勝負を賭ける。派手に振るから、しっかり踏ん張ってなっ!」
 「ラジャーッ!」
 徐々にではあるが速度を上げたS2000に、遅れまいと付いてくる黒いチェイサーは、全ガラスに濃い色のフィルムを張っていて、車内の様子を伺う事は出来なかった。
 セダンとは言え十分過ぎる動力性能を持ち、レーサーベースとしても使われるチェイサー ツアラーV だが、それ故に乗り手を選ぶ車であることは事実だ。
 大きな車体に人数を乗せている為か、その重さがあだとなり拓也のS2000から引き離されてゆく。
 見えた。舗装が途切れ、黄色と黒のガードがその先の道を塞いでいる。
 拓也はタイミングを見計らい、軽く右にハンドルを切る。
 すかさずサイドブレーキを引き、そして解放。
 流れ始めた後輪に合わせて、左にハンドルを流す。
 走行して来た慣性を利用しタイヤの滑りが止まった時、S2000は逆方向へと向きを変えて停まっていた。
 黒いチェイサーは慌てて急ブレーキを踏んでいる。
 遠目からS2000の動きを見ていた筈だが、車体が完全にストップ出来た時には十分に拓也の射程距離に接近していた。
 「伏せてろよっ!倫子。」
 シートから立ち上がった拓也は、狙い定め10mmオート弾を2発放った。フロントサイトとリヤサイトに付けられた夜光ドットは、射手にとって狙いやすい親切設計だ。
 強烈なストッピングパワーを誇る10mmオート弾の連射を受け、チェイサーのフロントガラスが音を立てて崩れた。フロントガラス特有の特殊な素材の為と、内側から張られたフィルムの効果で、割れたガラスが飛び散る事は無かった。
 拓也と倫子はS2000から飛び降りる。この様な事が出来るのも、オープンカーゆえのメリットである。
 チェイサーのドアが開き、男が四人現れた。車の影に隠れる。
 向こうからの銃声。だが弾頭の行方は、まるで見当が付かない程外れていた。
 「へっ!下手くそっ!」
 二台の車の距離は10メートルも離れていない。
 拓也はコルト・デルタエリートを構え、S2000のボディの影から様子を伺う。
 「どうすんの、拓也?このまま撃ち合いする訳?」
 「さて、どうしようかな…」
 拓也はその先を考えていなかった…

 その時、巨大な銀のボディがチェイサー後方でストップした。
 メルセデス・ベンツAMG E55の運転席と助手席が開き、スマートな銃を構えた男が二人降り立つ。
 新たに現れた第三勢力に、チェイサーの男達は面食らっていた。事実上、敵に挟まれた状態になったのである。
 隠れる場所が無い。ベンツから降り立った男達の余裕の表情は、この様な場面に十分に慣れた様子だ。構えた銃は、円筒形のマガジンに50発の9mmパラベラム弾が螺旋状に装填され、銃本体のレシーバーに乗るユニークな機構を持っていた。
 キャリコM950。
 それも、軍用のフルオート仕様だ。
 だが、チェイサーの男達を更に驚愕せしめたのは、キャリコを構えた男達の間を割って現れた老人。
 ふらりと現れたその小柄な老人は、手に何も持ってはいない。
 老人は両手を前方にかざした。
 次の瞬間、四人にとって一生忘れることの出来ない事態が起こった。

 拓也と倫子は、S2000の影から一部始終を見ていた。
 ベンツから現れた男達、そして老人が両手をかざした瞬間。
 チェイサーの影に隠れた男達四人は、巨大なハンマーに殴られた如く吹き飛んだ。うち一人は、屋根の上に飛ばされ伸びている。
 百歩神拳。初めて見た。
 噂に聞いたことはあるが、目の当たりのすると流石の拓也と倫子も驚きを隠し得ない。
 この“気”と言うエネルギーを使う攻撃方法は、最初蝋燭の炎を指先から発する力によって揺らがせる事に始まり、そして井戸の底の水に波紋を起こすようになる。ここまでのパワーを持つようになるまでは、相当の鍛錬を必要とする筈だ。
 「さあ、もう大丈夫だ。出ておいで。」
 老人の優しい声が響いた。

 銃口を降ろしたキャリコのトリガーガードに人差し指を添え、直立する二人の男の前で、温厚な笑顔を見せている老人がいた。
 「ほほほっ。若いのにやりおるの、気に入ったぞ。」
 拓也はデルタエリートの銃口を地面に向け、いつでも構えられる姿勢のままS2000影から出た。
 「じいさん、あんた…」
 「ん、何だね?」
 「越後のちりめん問屋のご隠居かい?」
 「いや、ちょっと違うな。儂は中国政府の者だよ。李箔石という者だ。」
 「俺に何の用だ?」
 「安心しなさい。お前達の命を取ろうという訳ではない。儂らは少々こやつらに用があってな。それとあの文書。」
 「俺、持ってねえぜ。」
 「判っているよ。」
 拓也は警戒を解いた。デルタエリートにセフティを掛け、腰のベルトに仕舞う。
 所詮じたばたした所で、この老人に敵わないのは察していた。更に後ろには二人の本物のプロ。拓也は白旗を挙げたのだ。
 もっとも敵意を感じないのが、大きな理由でもあった。
 「こいつらに一体、何の用があるんだ?」
 「儂らが長年探していた暗号文、ある古文書コレクターの手からこやつらが買い取ったという情報が入った。」
 「“世界快楽同盟”って名乗ってるんだろ?」
 「カルト集団だよ、青年実業家の同好会だ。」
 「それで、わざわざ武装までして… ボンボンどもが、フリーメーソンでも気取るつもりかね。」
 「儂らはその暗号文の奪回と、ついでにこやつらを潰しておかねばならない。何せ日本の警察が袖の下を渡されて、知らぬ顔をしているからの。」
 「その暗号文って?」
 「昔、中国政府から旧日本軍が強奪した莫大な金塊。その隠し場所が記されたものだ。」
 それで武郷が… 望月香織の必死の様子の理由が今判った。
 「なにせ昔の話だよ。書いた者は既にA級戦犯として処刑されている。何より、解読には旧日本軍の暗号解読機が必要なのだ。」
 「へえ!どこかにその金塊が眠ってる訳?」
 「ほう… これは別嬪さんだ。」
 口を挟んだ倫子を見て老人は唸った。
 「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 倫子は突如悲鳴を上げた。尻を押さえて飛び上がる。
 「うむ。安産型。」
 「な、何するのよっ!スケベッ!」
 「何するんだよっ!それは、俺ンだぞ!」
 「いや、済まない。儂らの国では、こうして挨拶をするのだよ。」
 「嘘つけっ!」

 「何、李箔石だと?」
 事務所で拓也は父親の椅子にふんぞり返り、国際電話の受話器を握っていた。
 「ああ、面白いカンフーじいさんだったぜ。」
 「拓也、この件からは手を引け。」
 「何でだ?金塊が目の前だってのに。」
 「お前の手に負える相手では無い。奴は怪物だ。」
 「知ってるのか、親父?」
 「昔、大陸に侵攻した日本軍を最後まで苦しめたレジスタンスのヘッドだ。“満州の白虎”と言われて恐れられた人物だ。最近でも様々な所に顔を出している。俺も昔、もう少しで奴の餌食になるところだった。」
 「へえ、そんな風には見えなかったけどな…」
 「拳法はほんの小手調べに過ぎない。奴の奥義は仙道だ。」
 「仙道って、あの霞を食ってってやつか?」
 「人間を相手にしていると思うな。くれぐれも言っておく。」
 「分かったよ。親父も、そっちで女は程々にな。」
 「うるさい!切るぞ。」

 拓也は受話器を置いた。
 事務所の中央、ソファーの方へ歩き出す。
 「お父さん、何だって?」
 倫子が顔を上げて聞いた。
 「ああ、元気で遊んでるってよ。息子が重大事件に巻き込まれてるってのに。」
 「桐生、あんたが勝手に首突っ込んで来たんじゃないの?」
 倫子の向かいに座った少女が言った。望月香織だった。
 「いいじゃねえかよ。もう、お前一人の手に負える事態じゃないんだぜ。」
 「そうね…」
 「知り合いのおっちゃんに調べて貰ったけど、奴らの武器はやはりどこかの国から払い下げを買い付けたものらしいぜ。やつら十分、銃刀法と関税法違反、破壊活動防止法と内乱予備罪だ。」
 「拓也、あんたも人の事言えるの?」
 倫子の鋭い突っ込み。
 「俺は正義の為に…」
 「どこがっ!だいたいその知り合いっておじさんって、この前行った『ヤ』の付く商売の人でしょ?」
 「いいおっちゃんだぜ。ところで、望月。あの坂口って奴、どうした?」
 「武郷のもとへ預けたわ。後は、こいつを解読するものを見つけないと。」
 テーブルの上に広げられた紙は、長い歴史を物語る色あせた文化財だった。
 唯一奇妙なのは、意味不明なカタカナの羅列が記されている事。
 「こいつも早く武郷に渡したほうがいいんじゃないか?お前が持っているのはヤバいぜ。」
 「私は、暗号解読機とセットで持って帰るの。」
 「実は金塊、お前が狙ってるんだろ?」
 「…」
 「ほら、その顔は大当たり。」
 「桐生… 七・三でどう?」
 「お前が三で、俺が七。」
 「違うわよ!何言ってるの。」
 「武郷のじいさんは持ってないのか?その、暗号解読機。」
 「ないのよ、残念ながら。」
 「へえ、あのコレクターの武郷じいさんがね。どんなもんなんだい、それって?」
 拓也の質問に、香織は身振り手振りで説明を始めた。
 「そうね。私も写真で見ただけで、あとは説明だけ聞かされてたから定かでないけど… タイプライターみたいでキーにはカタカナがふってあるの。上にダイヤルが五つ並んでて、数字が零から九まで付いているらしいわ。あと、ダイヤルの横に切り替えスイッチが付いて、甲・乙・丙ってね。これとダイヤルで暗証番号をセットすると、入力した言葉が暗号になって、そして暗号を入力するとちゃんとした言葉になってプリントアウトされる仕組みって訳。“エニグマ・日本語版”ってところかな?」
 「拓也… それって、どこかで…」
 倫子の顔色が変わる。
 「うん。間違いねえよ…」
 「どうしたの、あんたら?」
 香織は不信な表情をした。
 「俺、それ知ってるぜ。」
 「えっ!」
 香織にしては似合わず、あまりの驚きに目を剥いた。

 一人DT125Rを走らせる香織は、夜風の中を駆け抜けていた。
 先程まで一緒にいた、桐生拓也と下垣内倫子の顔が頭に浮かぶ。
 友人などとは無縁の中で生きてきた香織だった。常に同世代の者とは一線を画し今まで育ってきた。『人とは利用するもの』そう考えていた香織だった。
 心から人と接した事のない香織だった。クラスメートの話は受け流すだけ。あまりに幼稚で他愛のない戯れ言だ。自分に匹敵する人物に出会えなかったのだ。
 この気持ちは、一体何だろう?
 一緒に居るだけで楽しい… 自分と同じレベルにある仲間を見つけた喜び。
 そんな、私は… 彼らも利用する対象に過ぎない筈。
 でも、また会いたい… 会って、まだまだ違う話がしたい。
 あの二人が、別々の意味で好きだという気持ち。
 フルフェイスのヘルメット越しの香織の表情は、今までに見せた事のない幸せな笑みを刻んでいた。
 突然、前方の交差点から黒いワゴンが現れた。
 信号無視?違う…
 フルブレーキング!間に合わない!
 正面からの衝突を避ける為、香織はハンドルを切り車体を故意に寝かせる。
 意図的に転倒し、アスファルトの上を滑るバイクと香織の体。
 バイクは歩道にぶつかり、更に香織はバイクにぶつかり止まった。
 左肩から先が痺れる。目は見える。右手は動く。両足は?左足を大きく擦りむいているが、骨折は無い。
 日頃の鍛錬の賜物だ。
 何故?この車…
 ワゴンから降りた男達の、手に光る拳銃を見た時。
 「畜生…」
 香織はヘルメットの中で呟いた。

 「そうか、分かったよ。俺が持っていけばいいんだろ?」
 朝日が窓から差し込む事務所の中で、拓也は受話器に話しかけていた。
 「いいか… そのコに手ェ出したら、てめえら皆ブチ殺すからな。覚えていろ… 場所は?」
 拓也は静かに受話器を置いた。
 拓也は怒っているのか、状況を楽しんでいるのか?
 凄絶な笑みを窓の外に向けていた。

 手入れの行き届いた広い日本庭園。その先に目指す土蔵が見える。
 拓也の記憶では、あそこに例の物は眠っている筈だ。
 拓也は長い廊下から降り、手に持ったスニーカーを履いた。
 殺気!
 襲ってきた唸りは、身を縮めた拓也の頭上をかすめ太い柱に食い込んだ。
 拓也は反射的に飛び退く。
 庭に着地し、襲ってきた影を視界に捉えた時。
 「何するんだよ!ばーちゃん!」
 「おや?拓也だったかい?」
 柱に食い込んだ薙刀を引き、再び構えた老婆の姿。
 「孫、殺す気か?!」
 構えた薙刀を降ろし、嬉しそうに拓也を見る老婆の名は桐生澄江といった。腰もしっかりと伸び、今だ肌の艶を維持している。過去、相当な美人であったと思われる痕跡を数々残していた。
 「済まないね。ここんとこ、目がよく見えなくて…」
 「よく見えないヤツが、ナギナタ振り回していいのかっ?」
 「年寄りの一人暮らしは、物騒じゃからのっ。」
 「物騒なのは、ばーちゃんのほうだよ。」
 「ケケケ… 腕は錆び付いてはおらんぞ。」
 「そういう問題じゃないっ!」
 「何の用じゃ?拓也。」
 「ちょっと、欲しいものあってさ。」
 「恭介のさしがねでは無いかの?」
 「親父は関係ねえよ。」
 「うむ、なら良い。」
 「親父はここの敷居、跨げねえんだろ?」
 「恭介はこの私が、直々に引導を渡してくれる。あの、親不孝者…」
 拓也は澄江に歩み寄った。
 拓也が子供の頃から好きだった、祖母のいい匂いがした。
 「ばーちゃん、覚えてないかな?このくらいの、タイプライターみたいなヤツ。」
 拓也は肩幅ほど、両手を広げてみせた。
 「ああ… 昔、お前がよくいじって遊んでいたな。」
 「うん。それ、それ。」
 「どれ。探してみるか… まだ、取ってあると思うがの…」

 「拓也。」
 声に振り返った。
 立っていたのは倫子だった。
 拓也は、祖父の形見を包んだ風呂敷を小脇に抱え、桐生家の門を出た所だった。
 「あの女、助けに行くんだ…」
 「当たり前だろ。放っとけるかよ…」
 拓也はポケットを探り、車のキィを取り出した。
 「どうする?倫子… 来るか?」
 「やれやれ… ご一緒しましょうか。」
 白いホンダS2000は、道端で静かに主人を待っていた。
 拓也は後部トランクに、祖父の形見を押し込んだ。
 二人はシートに身を沈める。
 直列四気筒のエンジンの咆吼が高らかに響いた。
 「拓也…」
 「何だ?」
 「いつものアレは?」
 「よっしゃーっ!行くぜっ!」
 S2000はタイヤから白煙を上げ走り始めた。
 倫子は拓也の横顔を見ていた。
 …そんな拓也が、私は好き…

 

 

次回、至宝編へ続く…