こちら、桐生探偵事務所。(錯綜編)

 

 「まったく… ド派手にやってくれて…」
 望月香織は肩をすくめて言った。
 驚いたのは拓也も同じだ。
 「まさか、お前だったとはな…」
 「お節介なのよ。もう!」
 夜の海は遠くの街の明かりを反射させて、暗い水面に幾重の輝きを広げていた。
 昼間の暑さが嘘のような涼やかな風が、防波堤に吹き上げている。
 あの現場から離れた海沿いの道で、S2000の白いボディの隣に黒いDT125Rが並んで停まっていた。
 「で、それが組織を抜けようとした、あの坂口って奴の土産って訳かい?」
 「そんなところね。」
 香織は胸ポケットに納めた封筒を、上からそっと押さえた。
 あの騒動を一般市民が警察に通報した場合を考え、坂口を先に逃がし三人は場所を移動した後だった。
 「それ、一体何だ?」
 拓也の質問に香織は顔色を変える。
 「喋んないわよ!これ以上。」
 「何やってたのか知らないけど、尋常じゃないよな。」
 「あんた達こそ、何してたのよ? あんな所で… ペッティング?」
 「う… うるさいわね!あんたにゃ関係ないでしょ!」
 倫子が怒鳴った。昼間であったら、真っ赤な顔が見えた筈だ。
 「ふーん… 図星。仲いいわね…」
 以前戦った、あの倫子の必死の形相を知っている香織だ。皮肉と羨望が入り交じった視線を送る。
 「いいさ。別に俺そんな物、興味ないよ。それより、さっきの奴ら…」
 「“世界快楽同盟”と名乗る奴らよ。」
 「何だそれ?」
 「国際犯罪組織と言ってるわ。自称らしいけど…」
 「望月、俺にも一枚噛ませろ。」
 「拓也、どうするつもり?」
 倫子は愚問と知りつつ拓也の顔を覗き込む。
 「面白れぇ… いっちょ、からかってやる。」
 「これは、渡さないわよ。」
 「分かってるって。」
 拓也の右手に一挺の拳銃が握られていた。先程の現場で拾った物だ。あの、香織を襲撃した組織の奴らの落とし物。
 「桐生、あんたには一応助けてもらったようね。お礼は言っておくわ。」
 香織は拓也に笑って見せた。演技では無い本当の笑顔。
 「あっ!だったら、この前の続きを… ぐぅっ!」
 拓也の延髄に、倫子の回し蹴りが炸裂したのだ。

 町の喧噪はどこでも同じ。
 活気に満ちた商店。忙しそうなビジネスマンに、着飾った少女達。歩道の隅の露天商。車の渋滞の列。
 一人歩く少女は、町の雰囲気が好きだった。
 少女はコットンシャツにジーンズという出で立ちの、現代で言えば地味なスタイルだったかも知れない。が、老若男女を問わず、行き交う人々を次々と振り向かせた。
 漆黒の腰の辺りまで伸びた、長い髪だけでは無い。
 白い肌に加え、黒く吸い込まれそうな瞳を持つ少女は、創造主の精緻な悪戯と言える程の美しさがあった。
 年の頃は十四・五歳ぐらいだろうか?まだ幼さが残る顔は、一層少女の魅力を引き立てていた。
 「ねえ。どこ行くの?一人?」
 二人連れの少年が声をかけて来た。
 立ち止まった少女は、少年達の顔を見つめている。
 「面白いトコ、知ってるからサ。」
 「…」
 少女は無言のままで、少年達を見ていた。
 「… 君、聞いてる?」
 無言で感情さえ見せない少女の、黒く美しい瞳。
 少年達は潜在意識の中で、本能的に冒してはならぬ領域を悟った。
 「おい、行こうぜ。」
 「…うん。」
 立ち去る少年達の後ろ姿を、少女は見送っていた。
 「日本… 噂通りの、面白い国。」
 少女の小さく整った真紅の唇から突いて出た言葉は、流れる様な北京語だった。

 質屋や金融業者の並ぶ寂れた裏通りの町は、モノクロームの色彩を発していた。
 その中で一層目を引く金色の看板。到底、真っ当な商売の事務所で無い事を物語る。
 今、その事務所のドアを開いて入って行く、桐生拓也の姿があった。
 「あの〜… 誰かいる?」
 入ってすぐのカウンター越しの拓也の声に、奥から二人の若い男が現れた。
 「何だ、坊主!何か用か?」
 手前の派手なダボシャツの男が言った。
 誰彼なく凄むのは、この男の習慣だろうか?商売柄、と言えばそれまでだ。
 「澤田のおっちゃん、居るかな?」
 自分達の尊敬する若頭の名前を呼ぶ、この少年は?
 男達に一瞬緊張が走る。鉄砲玉?いや、それにしては妙に親しげだ。
 「いねえよ。ガキは帰れ、帰れ!」
 「じゃ、待たせてもらっていいかな? あんたらじゃ、話になんねえよ。」
 「何だと!このガキ! 生きて帰れねえぞ!」
 拓也に掴みかかったダボシャツ男の肩を、後ろのスエットを着た男が慌てて掴んだ。
 「おい!ヤベーよ。こいつ確か、桐生ンとこのガキだぜ。」
 「何?」
 その時、事務所の扉が開いた。
 入ってきた男は、地味だが上品なスーツを着こなしたサラリーマン風だが、四十過ぎたその顔は数々の修羅場をくぐり抜けた風格が漂っている。
 「何だぁ、騒がしいぞ。」
 「あっ!アニキ、丁度良かった。このガキが…」
 「おっ!拓也じゃねえか? どしたい?」
 男は嬉しそうに拓也を見た。
 「あっ、おっちゃん。ちょっと聞きたいことあって…」
 「何ボケッと突っ立てんだぁ!客に茶ぐらい出せ! へへ…悪りいな、気の利かない奴らでね。」
 「それよりさ、見て貰いたいものがあるんだ。」
 「おう!俺に何でも言えよ。ま、こっちに来いよ。」
 案内された奥のソファーに腰掛け、拓也は腰に回した手をテーブルの上に出す。
 ごとり。と、重量感のある音が響いた。
 「ほう…」
 澤田という男は低く呟く。
 テーブルの上に寝そべった物は、あの晩の拾い物だった。
 トカレフ自動拳銃。いや、正式にはノリンコ・タイプ54と言う中国製のコピーだ。外観上は粗雑な仕上がりだったが、珍しく9ミリ・マカロフ弾仕様のバリエーションであった。
 澤田はその拳銃のグリップの下を、親指と人差し指でつまみ上げた。
 「そいつの出どころ、知らないかな?」
 拓也は澤田に低い声で尋ねる。
 「うん。俺の知ってる範囲で、ウチじゃさばいてねえよ。どうしたんだ、これ?」
 「二日前、変な奴らが持ってたんだ。かなりガタ来てるよ。何処で手に入れたのかなと思ってさ。」
 「まった、お前か… あの騒動だろ。サツが駆けつけた時は、薬莢しか転がってなかったんだよな?」
 「さあ?俺、知らねーよ。」
 「分かった、分かった。ヤボは聞かねえよ。基本的に俺らは、トウシロ相手にゃ売らねえんだがな… まあいい、調べてみるよ。」
 「サンキュー、おっちゃん。」
 「お前の頼みだ、いいって事さ。それより拓也。どうだい、考えてくれたか?」
 「だから、嫌だって…」
 「お前が俺の右腕になってくれたらなあ…」
 「じゃ、またな。おっちゃん!そいつ、預けとくから。」
 「おい、拓也。茶ぐらい飲んでけよ。」
 「ゴメン!俺、忙しいんだ。」
 澤田は拓也の背中が、ドアの外に消えるまで見つめていた。
 一つ溜息をつく。
 …あいつは、俺ごときじゃ縛れねえよな…

 路上に停めていたS2000が見えてきた。
 拓也が先程、助手席に倫子を残して離れた時の風景と少し違っていた。
 五人程のチーマーが取り囲んでいた。
 「あっ!拓也。ちょうどよかったよ、この人達が…」
 助手席に座っていた倫子が振り返り、呆れ顔で叫んだ。
 やれやれ… 今日は、喧嘩したくないんだが…
 「何だよ〜っ!こんなかわいいコ乗せてるから、どんなヤツかと思ったら!」
 「おまえ、中坊だろ?いいのか〜っ?」
 「俺が替わってやるよ。」
 「あははははっ!」
 馬鹿な罵声を口々に叫ぶ奴らをかき分けて、車に近づいた。
 「どけよ。」
 「拓也。私が一人で、のしてやろうと思ったんだけど…」
 「しゃーねえな。」
 「おい、てめえら!何、訳の分からない事言ってやがる。……ぎゃぁっ!」
 拓也の襟首を掴んだ少年が、激痛のあまり悲鳴を上げた。
 襟首を掴んできた手を包み込むように押さえた拓也は、相手の曲げた親指を更に強く押さえねじ上げたのだ。
 拓也から二・三歩退き、顔を真っ赤にして右手を振る少年。
 折れない程度に手加減したつもりだが、これは効く。
 「てめえっ!」
 少年達は拓也を取り囲んだ。やはり、こうなる訳だ。
 「拓也、私も。」
 倫子は助手席のドアを開いて降り立つ。
 かちん。
 少年のうち二人の振り下ろした手から、銀色の棒が伸びた。
 収縮式の三段警棒だ。
 その携帯用の凶器を見た時、拓也の口元は凄絶な笑いに歪んだ。

 じりっ。
 拓也は間合いを詰める。さて、何奴から行くか?
 拓也の右に並ぶ倫子。
 向かって右の二人は、倫子に任せるとして…
 その時だった。
 拓也の目の前に出現した、漆黒の長い髪。
 その長い髪は超絶と言える程のスピードで、正面の少年に迫った。
 鞭の様にしなやかに伸びた右手の甲が、少年の顔面を弾く。瞬間体を落とし、少年の鳩尾に左手の拳が埋まる。更に後方から足払いを掛けながら、五指を摘む様にした鉤手が喉を捉える。
 少年は堪らず後方へひっくり返った。その時間、僅か二秒足らず。
 瞬間的な連続攻撃に倒れた少年は、身動き一つ出来ない。
 中国拳法。拓也と倫子は瞬時に見切った。
 この伸びやかにして、流れる様な動きは北派のもの。
 中国拳法は大きく二つの派に分類される。大きく伸び伸びとした動きの北派と、小さく地を踏み固める様に動く南派に分かれる。これは、鍛錬をする場所の違いで流派の違いを作り出した。広大な大陸の中央部で発生したこの武道は、南に伝わると同時に船上生活の中でも伝承され、生活と場所に応じた様々なバリエーションを生んだ。
 健康法として知られる太極拳も、そもそもは強力な実戦武道であったが、伝承者の怠慢な稽古の結果、健康体操へと落ちぶれてしまったと言われている。呼吸法を交えた体の理に適った動きは、体機能の改善という副産物もつ為である。だが、実戦の為の本来の古い太極拳も現存する。
 「おおぜいで、ヒキョウだね!」
 その突然現れ、襲撃した影が一喝した。

 「ネ!怪我、なかったか?…」
 振り返る少女の腰まで届いた髪が翻った。
 「何だ?お前…」
 「わぁ!♪」
 拓也と目が合った瞬間。幼さを残した白く美しい顔が、ぱあっと光り輝いた。
 「好看男的!」
 その少女は、突然拓也にしがみついて来た。
 「だから、何だよ!お前…」
 「見つけた〜っ!イイ男! 放さないよ。」
 抱き付かれ、頬をすり寄せられる拓也。
 「ちょっと!あんた誰っ?拓也っ!」
 倫子が怒鳴る。
 「知らねーよ!何だよコイツ…」
 少女は拓也の頬から離れ、倫子に視線を向ける。
 「ふーん… お前、コレか?」
 少女は小指を立てて見せた。
 「そうよっ!文句ある?」
 倫子は更に声を荒げている。爆発寸前だ。
 「今日から、諦めるネ。私のだよ。」
 「いい根性してるじゃない!やるのっ?」
 「望むところね。」

 少年達は呆気にとられていた。
 自分達の存在はまるっきり無視され、しかも相手は変なトラブルに進展している。
 「おい…」
 一人が声をかけた。
 「何いッ?!」
 少女が二人、同時に振り返った。
 少女達の形相は、彼らの残った勇気を微塵に砕いてしまった。
 これ以上、関わり合うのはよそう…
 倒れた仲間を起こし肩を抱き、少年達はその場を去っていった。

 「お前…」
 拓也は、突然現れた謎の美少女に優しく声をかけた。
 「なにカっ?」
 「日本語、下手だぞ。」
 「うさいね!これでも北京で日本語検定試験、満点だったよ!」
 「もう、いいから… お前、帰れよ。助けてもらった礼は言うからさ。」
 拓也は呆れて仲裁に入った。
 「うん、お前がそう言うなら… なんていうのか、お前?」
 「拓也… 桐生拓也。」
 「タクヤか!わたし、宝蘭。李宝蘭。また合うね。」
 「合わなくても、いいっ!」
 倫子の怒号が響いた。
 「じゃね。再見!」
 長い髪を翻して駆けて行く少女の軽やかな足取りを、拓也と倫子は目で追っていた。
 「何だったの… あれ…」
 「知らねーよ、俺に聞かれても…」

 町の中を白いボディを輝かせ、ホンダS2000は疾走していた。
 「どうしたのさ?拓也。ゆっくり走ってたと思ったら、急に飛ばしてみたり…」
 倫子は普段の拓也らしくない運転に、感じていた疑問を口にした。
 「間違いねえよ。尾けられてるぜ…」
 「えっ?」
 「振り向くな!さて、巻いてやるか?それとも…」
 ルームミラーに見える黒いチェイサーは、正確に一定の距離を置いて後を付いて来ていた。
 「敵さん、とっ捕まえるチャンスだぜ。」
 拓也は作戦を練り始めた。
 だが、更に後方からのもう一台の追跡には、拓也は気が付いていなかった。

 銀色のメルセデス・ベンツAMG E55は、パワフルなV8エンジンのトルクを持て余すかの如く、狭い日本の市街地を駆けていた。
 「あの白い車を運転している者、宝蘭様からの連絡では桐生拓也と言うそうです。」
 「そうか…」
 後部座席に身を沈めた老人は、助手席に座った男の話に答えた。
 小柄だが、胸まで伸びた白い顎髭が印象的な老人だった。話しぶりから伺える大物の風格が、広い車内を圧倒していた。
 「まてよ… 桐生?」
 「何か?」
 「いや。昔、カオルンで儂の部下の精鋭部隊とやり合った男がいたが… 確か、桐生という日本人だったと聞いている…」
 「それで?」
 「部下は全員、帰ってこなかった…」
 「まさか…」
 「いや… 昔の話だ。それに、あれはまだ若いようだ。歳が違う。」
 「はい。しかし、二日前の晩に造成地を監視していた者の報告によると、間違いなくあの少年とあの車。」
 「うむ、見失うなよ。前の黒い車もな。」
 「はい。」

 

 

次回、泰斗編へ続く…