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こちら、桐生探偵事務所。(嚆矢編)
「望月さん。あなたの為ですよ…」
放課後の生徒指導室には、静かな時が流れていた。
グラウンドからの運動部員達の発声が窓越しに届く。
「ちょっと前でしたか?校門前での他校の生徒との、あのトラブルは大目に見るとしましょう。しかし、他にも他校の不良生徒との付き合いが噂されていますよ。
困りますね… 少し考えてみて下さい。休みも多いようですしね。成績も学年トップで、あちこちの運動部からもスカウトされているという、あなたがどうして?学校内で問題も無いし、人望も厚い。言ってみれば、我が校の誇りとも言える人なのですよ。あなたは…」
「はい…」
「進路に響きますよ。職員一同、あなたには期待しているのですから…」
「申し訳ありません。気を付けます。」
「今日はもういいですよ。あなたの為、ですからね…」
「はい。失礼します。」
望月香織は一礼し、部屋のドアを閉じた。
私の為? 学校の為でしょう?
傾いた日差しが、窓から射し込む廊下を香織は歩く。
他校の不良どもは、私の情報網。私の忠実な下僕。
廊下の向こうから、数人の生徒がやって来た。
進路? 一体何になると言うの?
同じクラスの生徒だった。
敷かれたレールの上に、どれ程の未来が有るの?
「香織。どうだった?呼び出されたって聞いて、びっくりしちゃったよ。」
生徒達は香織を取り囲んだ。心配顔で話しかけてくる。
お生憎様…
私は、あなた達の物差しに掛かるような人間になるつもりはないわ。
「ううん、何でもないの。ちょっとこの前、学校の前で喧嘩しちゃったでしょ。それで…」
「あの女、アッタマ来るよね〜っ! 何のつもりかしら?」
約束された未来? お決まりの人生?
私が欲しいものは、もっと大きなもの…
「香織、一緒に帰ろうよ。」
「うん。ちょっと待って。鞄、教室に置いて来ちゃった。」
「はい。」
クラスメートの一人が、目の前に香織の鞄を突き出す。
「あ、ありがとう。」
「これも…」
別の一人が三通の封筒を広げて見せた。
「今日は三人分、机に入ってたよ。香織、モテるから…」
いつものラブレターだ。女学校なので、男子生徒からで無い事は確かだ。
フッと笑って、香織は封筒を受け取る。
私は、この手で世界を掴むの…
埋め立てられ海に張り出した人造の土地は、来年大型のショッピングセンターの出店が予定されていた。
地元の商店街の反対をよそに、町の活性化という名目を掲げた大型店舗の進出計画。その礎は既に完成していた。
夜風は涼しく、閑散とした出店予定地は静かに闇に眠ろうとしている。
周囲の土地を買収して作られた直線道路を、一台のバイクが疾走していた。
2サイクル独特の甲高い排気音は、シリンダーの小さめなトレール車だった。
バイク乗りにしては華奢な体とヘルメットからなびく髪で、ライダーは女である事が判る。
ヘルメットのゴーグル越しに前を見据える目は、望月香織の涼やかな目だった。
桐生拓也は、タコメーターの針を視線の隅に捉えつつアクセルを踏み込んだ。
ホンダS2000は、その白いボディを強烈に加速させてゆく。夜の通行する車のまばらなバイパスは、ナルシスティックなスポーツカーの独壇場と言えた。一般車両のラッシュアワーは過ぎ去り、長距離トラックの時間帯まではまだ間がある。
VTECの効き始める4000回転あたりからの加速は、胸を透く様な快感をドライバーに贈る。更に適切なギヤ比の6速ミッションは、美味しい回転域を使い切る事が出来た。
8000回転で時速130キロメーターまで引っ張り、拓也は4速にギアを吸い込ませる。
「ぎゃははははっ!たまんねーよ、コイツ!」
走りはマシンが要求するものだ。マシンとの戦いだ。その様な性格付けのマシンは、ドライバーを無言で挑発する。
『どうした!お前のテクはこの程度か?俺ならまだまだイケるぜ。』と…
一月前、父親の桐生恭介が購入したこのホンダS2000は、タイヤ、サスペンション、ブレーキパッド、ROM、マフラー等をスポーツ用のものに替えられていたのだが、浮かれた拓也は知る由も無い。
「拓也ぁ、飛ばしすぎだよ。」
助手席に座った下垣内倫子は、呆れ顔で風に髪をなびかせていた。
屋根の無い。いわゆるオープントップながら、国産では希少と言えるこのスポーツカーは、充分なボディ剛性を誇っている。
「えっ? 何だって!」
「と・ば・し・す・ぎっ!パクられたらどうすんのよ!」
「カンケーねえよっ!俺最初っから、免許なんて持ってねえんだから!」
「ムチャクチャな理屈ね!いい加減しなさいよ。きゃっ!」
制限速度を守っている先行車に、派手なパッシングを浴びせてシフトダウン。加速の始まった白いボディは、一気に横をすり抜ける。
「行くぜぇぇ〜っ、倫子!ションベンちびるなよっ!」
「バカぁぁぁ〜っ!」
望月香織はダンプの影にマシンを停めた。
イグニションキィをOFFにすると、今までのエンジンの鼓動を伝えていた排気音が止んだ。
黒いヤマハDT125Rは、無言で香織を乗せている。YPVSとセルスターターのお陰で近年は比較的扱いやすくはなったが、まだまだジャジャ馬的性格の残った2サイクルトレール車だ。
ヘルメットを脱いだ香織は、黒いブルゾンの脇に右手を差し入れる。
脇から引き出した右手の中で、ステンレスの光沢が闇に光った。
コルト.22。
威力の小さな22ロングライフル弾だが、香織はこの銃で25ヤードの距離から直径5センチ以内に確実に集弾させる自信があった。構造そのものが他の大口径のハンドガンと違い、命中精度の高い設計の為だ。更に香織は、海外で十分な練習を積んできている。
トリガーの上のマガジンリリースボタンを引き、マガジンを左手に落とす。ウインチェスター製のスーパーX22ロングライフル弾が10発、マガジンの中で並んでいた。22口径のオートは安物の弾ではジャムの原因となることもあるが、品質の良いカートリッジなら確実に作動する。信頼性は値段で買い取るべきだ。
香織はマガジンをグリップ下から押し込み、スライド後部のファイアリングピンを確認した。セフティボタンを押して、再び脇のホルスターに納める。
この世で信用出来るものは自分とマシンだけだ、と香織は考える。
不確かなこの時代に、一体何を信じて生きてゆく?
手に入れた物は音を立てて崩れ去り、築き上げた城は一夜にして崩壊する。
何が起こっても不思議は無い時代だ。
狂気の沙汰としか思えない国家と企業のパワーゲームの下で、自分たちの明日は有るのだろうか?
征服されるものから、征服するものへ…
香織の野望は静かに動き始めた。
銃もマシンも、持ち主を決して裏切らない。今までも、そしてこれからも…
武郷の組織は自分にとって、所詮踏み台に過ぎないのだ。
いつか、いつの日か… 摩天楼を見下ろして笑う日を…
香織は跨っていたDTから降り、闇に姿を消した。
「坂口さん、ですね。」
香織は建設重機の並んだ中で待つ男に、そっと声をかける。
「は、はい… あんた?」
声をかけた男はまだ若い。おどおどとした態度と、厚い眼鏡の奥の目は脅えきっていた。
「武郷の使いの者です。尾けられてはいませんね?」
「ええ、多分…」
「見せてもらいましょうか、例のもの。」
「はい。これなんですが…」
瞬間、眩い光の照射に香織は視界を失った。
強力な光源を持つスポットライトに、男と香織の姿が照らし出された。
罠?
海沿いの防波堤と遠くに見える街の夜景は、静かにムードを醸し出していた。
大型店舗の出店までは、暫くはカップル達の夜のスポットとなるであろう。
満天の星空をリクライニングしただけで眺められるのは、オープントップの利点だ。屋根が無いので当然だが、例に漏れず白いホンダS2000は、宝石を散りばめたような夜景と星空をバックに低く蹲っていた。
拓也は、倫子と重ねた唇をそっと離した。
「もう… ムチャクチャ飛ばすんだから…」
「面白かっただろ?」
「うん。ちょっと… それよっか、お父さんに叱られるわよ。また、勝手に車乗り回して… あんたまだ、中学生なんだからね。」
「大丈夫だよ。親父は今頃パリに居る筈だ、当分帰っちゃこねえよ。」
「もう… やりたい放題ね。」
「別に、親父が居てもかわんねーけどな。」
「威張るなっ。そんな事で…」
肩を抱いた倫子の髪を、そっと優しくかき揚げる。
いいムードだ。今夜ならオッケーか?
再び唇を重ねた。
今度はディープなやつだ。二人にとっては、初めての経験だった。
どちらが先でもなく、舌を絡ませ始めた。柔らかい感触を口の中で愉しみながら、拓也は倫子を自分の方へ抱き寄せる。
倫子は拓也の上に寄りすがりながら、拓也の口から離れなかった。
先程までのスピードの興奮が、倫子に火を付けているのだ。
いける!これならイケるぞっ!
拓也は唇を合わせたまま、白いTシャツ越しに倫子の胸を撫でていった。柔らかい感触と鼓動が手に伝わってくる。
Tシャツの下から手を差し込むと、滑らかな肌の感触が拓也の腕に伝わる。
もう止まらなかった。拓也は既にオーバーヒート寸前だ。
背中のブラのホックに指をかけた。
この瞬間、もたもたしてはいけない。速やかに、さりげなくが鉄則だ。
外れた!さて…
「だめだよ… 人にみられちゃうよ…」
拓也を抱きすくめた倫子の声が耳元でささやく。
「カンケー無いって…」
「だめだって… …………!……?」
「どうした、倫子?」
「音、しなかった?」
「音?どんな?… ノゾキ野郎か?」
「違うの… パーンって。」
「気のせいさ。」
「ほら!また…」
「……」
「……」
「行くぜぇぇ〜っ!倫子ォォッ!」
拓也はイグニションキィを回す。フロントミドシップにレイアウトされたF20Cエンジンは、軽快な排気音を立てて息を吹き返した。
「またぁ… いいトコだったのに…」
リヤタイヤから砂塵を巻き上げて、S2000はダッシュを始めた。
新たなる興奮を乗せて…
香織は坂口と名乗る男の襟首を掴んで、背後のパワーショベルの影に飛び込んだ。
相手からの銃声と共に、足下の土が着弾によって抉られる。
男は鳴き声を上げていた。
やられてばかりいる訳にはいかない。応戦するか…
香織は脇に右手を差し入れた。
工事に使う建設重機の影から閃光が見えた。
紛れもない。銃声だ。
光の先は二つに分かれている。重機の影から撃ち合っているのだ。
片方のグループの方が圧倒的に数が多いことが、接近している拓也の目にも判った。
「もう!これ大変なんだから…」
倫子は助手席で、拓也に外されたブラを直し終えた。
「で、行ってどうすんの?」
「決まってらぁ!寄せてもらうんだよ。」
拓也は、右手をシートの下に突っ込んで何やら探っている。
引き出した右手の先には、無骨にして凶悪な影が握られていた。
「どこにそんなもの!」
「昨日、隠してあるのを見つけたぜ。さっすが、親父!」
「…もういいわ… あんたら親子…」
ヘッケラー&コック MP5K。
通常サブマシンガンまたは短機関銃の事は、ドイツではマシンピストルと云う。つまり“MP”はマシンピストルの略。そして“K”とはクルツ、“短い”という意味だ。
以前拓也が、喧嘩の時ブッ放した祖父の形見の百式機関短銃の“機関短銃”とは、戦前当時の日本でドイツのマシンピストルの名称を訳したものだ。
「乱入する訳?」
倫子は拓也に聞いた。
「そうさな… 取りあえず、悪い奴らを蹴散らす。」
「どっちが悪いって、わかんのよ?」
「人数の多い方が悪いって、相場は決まってんだよ!」
「何なのよ?それ!」
「喋ってると舌噛むぜっ!掴まってろよ!」
拓也は接近するまではロービームだったライトを、ハイビームに切り替えた。
一気に視界が広がる。隠れた人影さえ確認できた。
悪い奴らは… 左!
「倫子!ハンドル持てっ!伏せろっ!」
拓也はMP5Kのセレクタースイッチをフルオートに切り替えた。ヘッケラー&コック社のセレクタースイッチの表示は図解で描かれて解りやすいが、拓也は既に感覚でポジションを覚えていた。
軽快な発射音を立てて撃ち出された9ミリパラベラムの弾頭は、遮蔽物となった重機のキャタピラに煙を上げる。
正体不明の相手が交戦する中、MP5Kを撃ちまくりながら突っ切って、拓也は車がオープントップであった事を感謝した。
突然の急襲に粟を食ったグループは、拓也に反撃は出来なかった。人数の割に銃口からほとばしる閃光は少ない。全員が武装していない上に、全くの素人集団だ。慌てふためいた様は、見るからに滑稽だ。
「伏せてろよ、倫子!」
S2000に急ブレーキをかけ、予備のマガジンを掴んで拓也は車から飛び降りた。
地面を転がり、弾薬の節約の為にスリーバーストへとセレクタースイッチを切り替える。圧倒的な火力差で更に威嚇射撃を加えられたグループは、這々の体で逃げ去ってしまった。
拓也はゆっくりと起き上がる。膝の土を払った。
「おい!出て来いよ。もう大丈夫だ。」
拓也は陰に隠れた相手に声をかけた。
重機の影から現れた人影は妙に小さく感じた。女?
「終わったの?」
後方から倫子の声。
拓也はそれでも油断無く、銃口を影に構えている。
「参ったな… あんたら何者?」
右手にステンレスの光を放つ拳銃を持ったまま、両手を挙げて近寄ってくる姿。
街の夜景からの光で、全員の顔がはっきり見えた時。
三人同時にフリーズした。
「あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
三人同時のハモりが、夜の埋め立て地に響く。
人数の少ない方が、決して良い奴とは限らない。
次回、錯綜編へ続く…
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