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こちら、桐生探偵事務所。(猛襲編)
「ね、ね、昨日のニュース、見た?」
「見た、見た。」
「怖いわねーっ!」
「それよっか、あさって。何着て行くの?」
「あたし、とっておきあんの。」
「ずっるーい!」
はしゃぐOLの群とすれ違う。
「馬鹿どもが…」
高林哲男は小さく罵声を吐いた。
桐生恭介を尾行する夕方の道だった。恭介の運転するレガシィを追跡し、道端に停まったのを確認して二台の間隔を置き、哲男はクラウンを停めた。
桐生恭介と、助手席から高校生らしき少女が降りるのを確認し、歩いての尾行に切り替える。
知恵と教養の足らないブタどもには虫酸が走る。
貴様らが馬鹿騒ぎをしているその瞬間、痩せた南の大地で、一体何人の子供が餓死しているか…
広大な砂漠で、住む場所を追われ、その日の糧すら無く苦しむ人々。
爆撃で家を焼かれ、住み慣れた土地は地雷原となった町。
平和ボケした日本人ども。
経済大国の飽食を貪る為だけに生まれた奴ら。
享楽への追求は留まることを知らない。
戦後復興から半世紀、尽力した者の希望とは裏腹に、この国は巨大なブタ小屋と化した。
一人ずつ身ぐるみ剥がして、難民キャンプに放り込んでやりたい気分だった。
「ブタが…」
呟きながら哲男は、桐生恭介の背を追った。
「望月、さん?」
「はい。」
突然、呼び止められた。
見知らぬ少女だった。
どうして私を?
!
望月香織は瞬時にして、女子高生の仮面をかなぐり捨てた。
理由は一つ。
明蘭高校の一年の望月香織でなく、武郷の工作員である望月香織に用があるのだ。
遂に手が廻った。しかも、同じ年格好の少女。
何者?
下垣内倫子は目が合った瞬間、少女が数メートル飛び退くのを見た。
戦闘モードへとスイッチを切り替える。
少女は鞄をそっと地面に置いた。こちらに向けた目をそらさずに。
少女も戦闘態勢を整えている。
拓也の父に、調べて貰ったリストの顔写真と同じ。明蘭高校一年、望月香織。
少女の態度は、この事件への関係を明確に伝えている。
明らかにクロ。
だが、何を使う? 構えを見せない。
手の内を明かさないのだ。ハッタリのケンカとは訳が違う… プロだ。
「うふふ… 面白い…」
倫子は深呼吸をした。
周囲の空気と、自分の気を同調させる。
奥義を尽くさねば… この女…
「今夜7時、手に入るのだな。」
重厚な椅子に腰掛けた老人は、感慨深そうに言った。
「はい、場所と時間の指定はしました。後は、桐生が現れるかどうか…」
初老の執事が背後から答える。
「来て欲しいものだな。正直儂は、あの小僧の命など取るつもりは最初から無い。だが、桐生恭介が例の物を持って来ないとなっては、儂としても収まりが付かない。」
「余程、あの少年がお気に召したようですね。」
「ああ、悪役は辛いな。」
「洗脳してみてはいかがでしょう?」
「うむ、儂もそれを考えたが… だが、あの無垢さがいいと思わないか?」
「おっしゃる通りです。」
「とにかく、あれが飛ぶ日も近い。新しく生まれ変わってな。」
武郷玄蔵の目線の先に、巨大な機体を映し出したモニターがあった。
翼のエンジン部が取り外されていたが、明らかにプロペラ動力の第二次大戦中の爆撃機だ。
何より、その巨大さが目を引く。当時としては、B-36に匹敵するクラスだろう。
《富嶽》
旧日本軍の開発が間に合わず、資源不足の為に計画は中断された筈の空飛ぶ戦艦。
当時、開発を進めていた中島飛行機。現在の富士重工として名前こそ変えてはいるが、『富嶽』の名は『富士』として健在だ。スバル車の水平対向エンジンには、当時の飛行機メーカーとしての誇りとポリシーが伺える。
今、その幻の爆撃機が一人のマッドサイエンティストの手により、甦ろうとしていた。最新のステルス・システムと、未知のパワーユニットが搭載され…
対峙した時間は、とてつもなく長く感じる。
だが倫子は、技のシュミレーションなどしてはいなかった。
戦いは相手が教えてくれる。体に染み込んだ型が全て。
流れのままに…
無。
それが、父から教わった奥義。
香織は飛び込む機会を狙っていた。
自分の技は相手の懐に飛び込んでこそ、真価を発揮する。
目の前の女は動こうとしない。
なぜ?
夕方の通行人が横を通り過ぎる。
香織は異変を察知した。
敵は見えている。そこにいる。
だが、気配が無い。攻撃衝動も脅えも、隙を伺う気すら無い。
敵の無が、香織の中で恐怖に変わった瞬間。
迫って来た香織の正拳を、倫子は掌で弾く。
その掌を、そのまま香織の顔面に滑り込まそうとした時。
目標の顔が消える。香織の横顔が目の前に迫る。
襟首を掴まれた。
倫子の目の中で景色が回る。
香織の背に乗った瞬間、足を大きく廻して一回転。叩きつけられる筈の地面に着地した。
すかさず、着地点から飛び退く。
柔術。
それも、突きや蹴り関節技といったものを交えた、古くから伝承された実戦柔術。
見切った!
既に人だかりが出来ていた。
平和な夕暮れの路上に起こった、少女同士の格闘劇。
珍しくないほうがおかしい。
高林哲男は呆気にとられていた。
何だ?この娘達…
可愛い顔と華奢な体から繰り出される技の応酬。
俺の生きる世界と接点は同じ。
平和ボケの最たる世代の筈の子供達が…
見ろ。あの必死の目。
この国もまだ捨てたものじゃない。
「俺の娘に50ドル。賭けないか?モサド。」
「シット!」
哲男は、脇のホルスターに入ったグロッグ17のグリップを掴んだ。
瞬時に、右の肘を掌で押さえられた。
「ここでは使うな。そいつには、とりわけ神経質な国なんでな。」
迂闊だった。少女達の戦いに目を奪われた一瞬の事だ。
右に並んだ桐生恭介は、体を密着させている。人混みの中では何も出来ない。
「お互い、命を取り合おうって事じゃ無いだろ。ゆっくり見物しようぜ。」
恭介は小さく英語で話しかけている。
「お前さんの欲しいのは、これだろ?」
小さなプラスチックの容器が、目の前にかざされた。
それだ!やはり持ってやがった!
「でもな、済まないが今はお預けだ。俺の息子と引き替えなんでな。」
この場で、キョウスケ・キリウを射殺する。俺は、こいつを持って本部に帰る。
栄光の瞬間が、目の前に広がった。
出来ない…
何故だ?
隣に立つ男は、世界に有名なバケモノだ。
俺の目標だ。
威圧感? 俺の恐れ?
隙が無い。いや、敵意が無い。
隣に立つ男は、何故か懐かしい匂いがした。
「まだ若いな?でも、いい目をしている。名刺交換とはいかないが、仲良くしようや。」
何、呑気な事を言ってやがる。貴様となれ合いになるぐらいなら…
だが…
「俺は…」
日本語で言った。
哲男は次の言葉が見つからなかった。
倫子は脇腹を押さえていた。
痛みが走る。肘の突きを食らった場所だ。
先程投げ飛ばされた衝撃で腰も痛む。受け身を取らなければ、おそらく立ち上がる事は出来なかった筈だ。
香織は唇を舐めた。血の味がする。
髪がばさりと顔半分を覆った。
琉球空手か? 戦ったのは初めて…
気が付かないうちに、体は無数の攻撃を受けている。
臑が、腿が、肩が、腕が、首が、次々と悲鳴を上げている。
なんて女… 攻撃をかわすのがやっとだ。
倫子は突然、構えを解いた。
香織に歩み寄る。無防備に…
『何、今度は何?』
キッと睨む目を香織は睨み返す。
「何よ…」
ぱんっ!
平手を打つ音が響いた。
左の頬を襲った強打に、香織は一瞬何が起こった理解出来なかった。
「何するのよ!」
ぱんっ!
倫子の左の頬を同じ衝撃が襲った。
ぱんっ!
香織の右の頬が飛んだ。
ぱんっ!
倫子の右の頬も飛んだ。
ビンタの応酬の後、睨み合う二人。
突然、香織は胸ぐらを掴まれた。鼻先に倫子の顔が迫る。
それは私の技… あんた…
だが、投げに入る気配は無い。
「拓也を… どこへやったの?」
香織は必死の形相を見た。
「拓也… 拓也を返しなさいよ!」
「ふん… あの男、私が頂いたわ。」
「殺すわよ…」
「他愛もないわ。チョロいもんね…」
「返して… お願い… お願いだから、私に拓也を返して…」
涙?
香織は顔を横に向けた。
正視に耐えられなかったのだ。
「ウソよ… 基町の大鵬ビル… 5階…」
倫子は掴んだ手を離した。
人混みをかき分けて走り出す。
「…ばかじゃないの?」
香織は制服の埃を払った。
鞄を拾い上げる。
倫子の後ろ姿を目で追っていた。
左腕の袖をまくり上げると、内出血によるアザが広がっていた。
「負けたかな?あたし…」
倫子は立ち止まって、携帯電話を取り出した。
早く父に伝えないと… 取引の時間は迫っている。
横から現れた手に、倫子の携帯電話は降ろされた。
「おじさん?」
「今、それは使うな。盗聴されている。どこだ?」
「大鵬ビルの5階。」
恭介は、自分の携帯電話からメールを送信している。
一定の法則に基づいたアルファベットの羅列だ。下垣内将馬と決めているパターンのみ解読が可能な暗号だった。
「よし。こっちはオッケーだ。倫子、俺達も行くぜ。」
「はい。」
次回、驀進編へ続く…
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