こちら、桐生探偵事務所。(壮烈編)

 
 巨漢の足は速かった。強烈なトルクと長いコンパスの威力だ。
 心臓に過酷な負担をかける普段のトレーニングの成果だろうか、瞬発力と持久力にも自信が有るのだ。
 拓也達を少し走らせておいて、それから追跡にかかるやり方は、鼠をいたぶる猫の如く陰険な男の性格を物語っていた。
 底なしのスタミナは、二人との距離を徐々に詰め始めた。
 「うわわわっ!来た、来たっ!」
 「黙って走りなさいよっ!」
 その時、拓也と倫子の目標、エスカレーターの降り口に立つ一人の影を見た。
 「親父?」

 「馬鹿が…」
 エスカレーターの降り口に立った男は、使い込まれたライフルのボルトを起こし後ろに引いた。そのまま銃身方向に押し込む。ボルト前部が拳銃弾とは比べ物にならぬ程の、巨大なカートリッジをくわえ込んで前進する。
 建物全体に響く程の轟音。
 拓也と倫子の間を衝撃波が通り抜ける。
 拓也達に迫っていた巨漢は、一歩先の足下の床に着弾した衝撃に反応して飛び退く。そのまま床に転がるが、受け身を取るところは流石である。
 床をえぐった弾頭は、跳弾して会場の奥の壁にめり込んだ。

 桐生恭介は、長年愛用しているウインチェスターM70を肩から外し、更にボルトを引いた。勢いよく弾き出される30-06スプリングフィールド弾の空薬莢が、床に落ちて真鍮の澄んだ音を立てた。
 拓也と倫子は恭介の横まで走り、きびすを返して向き直る。 
 巨漢はぬっと起き上がった。
 恭介は走った。巨漢も走り出す。
 恭介が巨漢の目前に迫った時、巨漢は強烈な右フックを見舞った。
 巨漢の視線から、一瞬恭介の顔が消えた。
 みぞおちに激痛。巨漢の肺の空気が全て抜けた。
 ウインチェスターのストック、肩当ての部分が下から巨漢のみぞおちに食い込んでいた。巨漢の突進も加わり、クロスカウンターの威力が一撃に集中していたのである。
 倒れ込む巨漢の後頭部に、再びストックでの強打。
 巨漢は完全に意識を失った。
 駆け寄った拓也は、倒れた巨漢の頭を蹴った。
 「このっ!きんたま、縮み上がったじゃねえか。」
 「おじさん…」
 倫子の済まなそうな声。
 「また借り作っちまったな、親父。チャカの件は帳消しにしてもいいぜ。」
 「こら、拓也…」
 恭介は拓也に向き直る。
 「後は任せた、親父!倫子、行くぜ。」
 「う、うん…」
 拓也と倫子は壁の穴に向かって走り出した。
 恭介は一つ、ため息をついた。呆れ顔だったが、口元は笑ってる。
 「灸の据えようが足らないか…」
 恭介の手に、先程まで拓也の腰に差してあった筈のコルトパイソンが握られていた。
 男として生まれた以上は、世界中の男が敵となるだろう。
 それはたとえ、親兄弟であろうとも…
 奴にとって俺は、乗り越えるべき敵なのか?
 俺にとって奴は、守るべき敵なのか?
 手の着けようが無い程、逞しく成長した息子の後ろ姿を見守っていた。

 振動が金属製の狭い回廊を揺るがした。
 潜水艦は動き始めている。
 拓也は記憶にある潜水艦の構造を思い出していた。
 進入したのは、船首ではない事は確かだ。
 通常、船首部分はソナードームであり、後はバラストタンクや魚雷発射管等で埋まっている筈だ。
 とは言え、拓也の知識は近代の原潜のものであり、この潜水艦はまるで違う設計のものかも知れなかった。
 だったらここは、一体何処だ?
 「後ろが隙だらけだぞ。」
 後方から声がした。
 「親父、来たのか?」
 「当たり前だ。お前達だけで敵う相手か?」
 「へっ!十分だよ。」
 「拓也。」
 「あっ!」
 恭介に手渡されたコルトパイソンを見て、慌てて腰をまさぐる拓也。
 「いつの間に?」
 「まだSATが到着していない。お前達は大事な戦力だ。心配するな、撃針は直しておいた。」
 「戦力はてめえのほうだよ。」
 「抜かせ、童貞坊主。」
 「ああっ!言ったな… それでも親かっ?」
 「親に対しての口か?」
 「親らしい事、した事あるかっ!?」
 拓也は昔、倫子の父に遊園地に連れて行って貰った事を思い出していた。
 下垣内のおっちゃんは、なぜか俺には優しい。見た目メチャメチャ怖いけど… 俺はあの日、はしゃぎ過ぎてヤー公の足を踏んだ事があった。倫子のとーちゃんが謝ったとたん、ヤー公どもが慌てて逃げて行ったっけ。
 でもな、俺はな… あの日、てめえとソフトクリームを食いたかったんだよ!
 俺の気持ちが分かるか? くそ親父!
 仕事、仕事だと?何やってるか知らねえが、だったら俺も好きにするぜ。
 「はい、はい。喧嘩はそれまで!置いて行くわよ。」
 倫子の一喝で、親子は黙った。

 「ねえ、拓也。これなあに?」
 「さあな、さっぱりわからねえ。」
 倫子は興味津々の様子だ。博物館見物気分、拓也もそうだったが…
 何より潜水艦なら各部署に担当のクルーが居るはずだが、進入してからというもの鼠一匹見あたらない。
 「なあ、親父。」
 「何だ?」
 「こいつ、原子力で動いてるんだろ?それとも、ディーゼルか?まさか蒸気機関じゃねえだろな?」
 「おそらく、永久機関。」
 「えっ?今、何てった?」
 「ニコラ・テスラの原理を応用したものだ。武郷と親父は同じ研究チームだったからな。」
 「じーちゃんと仲悪くて、決裂した訳だ。」
 「そんなところだ。武郷はその後、独自の研究チームを従えて地下に潜る。武郷帝国を作る為にな。」
 「それで、こんなもの…」
 「19世紀末、金塊を積んで瀬戸内海に沈没したロシア船の話を知っているか?」
 「ああ、噂なら聞いたことがある。」
 「金塊を引き上げるのに使ったのはこいつだ。」
 「へえ。じゃ今は、残骸だけの船をトレジャーハンター達が必死で探しているのか。」
 「武郷玄蔵、会ってみたくなった。」
 「ああ、俺もな。」

 袋小路の小さな部屋で、その先の道は閉ざされていた。
 突然、後ろから金属の塊のうねる音。
 振り向くとシャッターが閉ざされている。頑丈な鋼鉄製で、銃弾程度では穿つ事は出来ないか?
 「ちっ!罠だったか。」
 「お約束でしょ?こんなの。」
 「一度、言ってみたかったんだよ。」
 「桐生、待っていたぞ。」
 部屋の中央に据え付けられた、古風なラジオを思わすスピーカーから声が流れた。
 「武郷玄蔵、だな?」
 恭介は声の主に聞く。
 「いかにも…」
 「一体貴様、何をしに来たんだ?強奪目的では無かったのか?」
 「そう。お前に会う為、儂の力を世間に見せつける為…」
 「バカじゃねえのか?迷惑なんだよ!」
 弾かれた様に拓也が叫ぶ。
 「ほう、威勢のいい小僧。名は?」
 「桐生拓也。」
 「桐生?桐生の孫か?」
 「そうだ。」
 「そうか… 丁度いい。まとめて始末するにはな…」
 「くたばるのは、てめえだ!」
 「鼻息の荒いのは、昔の桐生和孝とそっくりだ。お前の祖父とは、まだ決着がついていない。三年前、老衰で死んだと聞かされて… 残念だ。」
 「じーちゃんは、老衰なんかじゃねえよ。メカケの家で腹上死したんだ。なっ、親父?」
 「身内の恥を…」
 恭介は冷静を装った声で言った。
 「どうでもいい、そんなことは… 長かった… 半世紀以上もの間、儂は準備を重ねてきた。だが、何かがわだかまっていたのだ、儂の中に。計画が順調に進めば進む程、そいつは大きくなって、儂を苛む。」
 「じーちゃんの事か?」
 「そうだ。」
 「判った!女を取られたな?」
 「…」
 「図星かい?」
 「ええいっ!うるさい! まあいい、儂の悪夢も今日まで。お前達を始末した後、輝かしい歴史の幕が開けるのだ。新しい世界の始まりだ。もう邪魔はいない。邪悪な者どもを一掃して、新たなる世界を築くのだ!栄光と永久の繁栄が約束された、選ばれし者の王国。そして人類は… ガッ…」
 室内に響いたコルトパイソンの轟音は、スピーカーから流れる老人の声を途切れさせた。
 古風なスピーカーは357マグナムの連射を受け、原型を留めぬ程大破していた。
 「拓也!あんた、なんて事…」
 倫子の呆れた声。
 「ノーガキたれてんじゃねえ。うるせえんだよ、くそジジイ!」
 「こら!」
 壁の上部の拡声器から声が響いた。
 「わっ!びっくりした!」
 「小僧!失礼な奴だ。人が話している最中に… まあいい、いずれ潜水を開始すれば、その部屋は海水に満たされる。もう、お前達とは会う事もないだろう… ゆっくり死ね。」
 老人の執念は、今、形となって実現していた。
 「土左衛門なんて流行らねえよっ!倫子… 俺の最後の頼み、聞いてくれ。」
 「いやよ!」
 「死んだら、何も出来ないんだぞっ!」
 「こんな所じゃ、やだ!」
 「俺の目の前で不純異性交遊は許さん。伏せろ、拓也。」
 自信に満ちた恭介の声。
 次の瞬間、大音響と共に鋼鉄製のシャッターは、無惨に歪んで壁から口を開けた。
 次々と爆発音が回廊の方から響く。
 恭介はここに到着する途中までの間、シャッターのレールの部分にプラスチック爆弾と無線信管を次々と仕掛けていたのだ。手元の起爆スイッチを押せば、一斉に爆発する仕組みになっていた。
 拓也と倫子の肩を抱いて伏せていた恭介は、ゆっくりと身を起こした。
 「行くぞ。帰ったら説教だ。」
 「ああ。じいさん、達者でな!」

 船内モニターは、低速で移動する潜水艦から脱出する三人の影を映し出していた。
 「B3ブロックの補修をしろ。」
 老人は指示を出す。
 笑っていた。
 「面白い… 面白いぞ、桐生恭介。そして、桐生拓也。桐生和孝以上に、儂を楽しませてくれる…」
 巨大な上陸用潜水艦は、海を目指して後退を続けた。

 

 防波堤の上。
 赤いジャガーはグラマスなボディから、太陽の光を反射させて蹲っていた。
 ジャガーのボンネットに腰掛けて、拓也と倫子は海を眺めている。
 「あのおじいさん、何だか嬉しそうだったね。」
 倫子はぽつりと言う。
 「何でだよ?」
 拓也は問い直した。
 「ホントは寂しい人なんじゃないかな、って…」
 「へっ!あんな変態ジジイ、知ったことかよ。」
 「また、来るかしら?」
 「来るさ。また俺が遊んでやるよ。」
 拓也は体を反らし、後方に寄りかかった。
 指先が倫子の手に触れた。
 倫子の右手が拓也の左手を、上からそっと包み込む。
 「拓也…」
 「ん?」
 「今晩、何がいい?」
 「んーとな… カツカレー。」
 拓也と倫子の目の前、破壊された防波堤と踏み潰されたテトラポットの群。
 満ち始めた波が、砂浜に残ったキャタピラの跡を洗い流していた。

 

END

    我が父と、最愛なる息子に贈る…

 

次回、復活編へ続く