こちら、桐生探偵事務所。(激闘編)

 
 「出てこい… 桐生。」
 狭い室内は太いパイプが壁伝いに走り回り、古風な計器類が所狭しと並んでいた。
 羅針盤と見える計器の横に立つ老人は、この世代の者にしては珍しくすらりとした長身だった。
 何より内包した迫力が見る者を圧倒する。齢80はとうに越えているだろうか?年相応の貫禄と、それにも増して若者以上の生気を発散させていた。
 「桐生和孝… 貴様とは決着が付かないままだ。貴様の倅の力、見せてもらうぞ。」
 声という形をもった執念。
 呪詛とも言える老人の言葉が、鉄で出来た床に低く流れた。
 総金属製の部屋は大きく振動した。
 超弩級のボディは方向転換を始めたのだ。

 ジャガーXK8の電子制御5速ATは、エンジンからの鮮烈なパワーを後輪に伝え、市街地を走り抜けてゆく。
 拓也は見た目で選んだ訳だが、今日の様な事態にはレガシィを選ぶべきだった。拓也は理解出来なかったのだが、目立たない銀のレガシィこそ父親が大金をつぎ込んで作らせた武装マシンだったからである。
 狭い路地でアクセルを開けすぎないよう、微妙に制御しながらハンドルを操作する拓也の慣れた技術は、何度も父親の車を乗り回している事を証明していた。
 「敵さん、強攻策に出たな。」
 「最初っからの作戦じゃないの?」
 「一体、何が来たんだ?」
 「でーっかい戦車。今まで、見たこともないわ。」
 「面白れえ…」
 流れる街の景色を視界に捉えながら、拓也はハンドルを強く握りしめる。
 もうじき学校では、始業のチャイムが鳴る事だろう。
 退屈な一日の始まり…
 鼻たればかりのクラスの奴ら。
 ひとつ覚えの体裁をつくろうだけの学校のやり口。
 同じ規格の人間を大量生産するシステムから、学び取れる事など何もない。
 てめえらに付き合ってる暇など、俺にはないのだ。
 見ろ!俺の前には、でっかい世界が開けている。
 わくわくするような未知の空間が、口を開けて待っている。
 ショボイ人生など、生きるに値しない。如何に危険が伴おうと…
 「人生を掴み取れ。」祖父の口癖だった。
 拓也は左に目線を向ける。
 ガラス越しの流れる景色をバックに、振り向いた倫子と目が合った。
 倫子は微笑む。
 見ろ!俺の横には倫子がいる。
 いつも俺と走って来た。
 昔から、そしてこれからもずっと一緒だ。
 倫子と共に人生を掴み取るのだ。
 「倫子…」
 「何?」
 「いや… もうすぐだな。」
 「近いわ。もう見える頃よ… 拓也…」
 「何だ?」
 「前見て運転してね。」
 「わーってるよっ、そんなこたあっ!」

 大通りは既に警察の交通規制が始まっている筈だ。拓也は本能的に裏通りを抜けて目的地に近づいている。
 見えてきた。巨大な影。
 三宝デパートに突っ込む形で止まっている。巨大な機械の化け物は巧みに建造物を回避して走行していた。が、大通りのアスファルトは異形のキャタピラの痕を残し、めくれ返っていた。
 「間に合わなかったか。」
 交通規制と野次馬の群を避けて、ジャガーを走らせる拓也は歯がみした。
 「着いたばかりよ、まだ動いてる。」
 倫子は巨大なボディの微妙な動きを見切った。
 「なんなのあれ?」
 「戊3000改・甲型。旧日本軍の潜水艦だ。」
 拓也は昔、祖父の書斎で見た資料に該当する形式を思い出した。
 「潜水艦?何で陸、動けるのよ?」
 「極秘裏に開発が進められた潜行上陸用潜水艦計画。確か設計で終わっている筈だったが…」
 「かーっこいい!飛べるのかしら?」
 「な訳ねーだろ。」
 「ね、ね、もっと近寄って見ようよ!」
 「嫌でも拝める。行くぜ!」
 この瞬間の倫子の変わり様は毎回の事だ。好奇心に理性が負けてしまう、急激なテンションの上昇だ。だからいつも拓也に付いてくる。だが、それだけでは無い。拓也が倫子を連れてくるのはもう一つの理由があった。
 赤いジャガーはタイヤの悲鳴と共に停止した。
 ドアを開いて降り立つ拓也の潜水艦を見上げる眼は、既に獲物を仕留めた猛禽類の意気揚々とした眼だった。
 「倫子、裏から回り込むぞ。」
 「はーい!」
 走りだした少年と少女を、誰が止めることが出来るだろうか?

 警察の包囲をかいくぐり、デパートの裏手から二人は進入した。
 まだ開店前だった為か、幸い客のパニックは避ける事が出来たようだ。
 警察はまだ突入してはいない。どう対処していいのか判らないのが実状だろう。自衛隊も動いている筈だが、まさか市街地で対地ミサイルをぶち込む訳にはいかない。
 建物を揺るがす、大きな振動。
 拓也は一瞬、衝撃に足を取られた。
 漆喰の欠片が落ちてくる。
 「三階だったな、展示会場は。」
 拓也はその場に座り込み、腰に差したコルトパイソンを抜いた。
 マガジンラッチを引き、シリンダーをスイングアウトする。ポケットから357マグナム弾の入った箱を引っぱり出し、蓋を開けて床に置いた。
 白いプラスチックに容器に、きれいにリム部が並んでいる。手慣れた風に弾を抜き、次々と弾倉に押し込んでゆく。
 「まった、そんな物… お父さんに叱られるわよ。」
 倫子は正面にしゃがみ込み、拓也の手元を覗き込んでいた。
 「俺達、叱られてなんぼだろ?」
 「そっか…」
 「ぱんつ、見えてるぜ。」
 「減るモンじゃないわよ。」
 最後にシリンダーに指をかけて勢いよく回した。手首のスナップだけで、シリンダーをもとに戻す。
 チン、と乾いた音。確かな重量。この瞬間、何でも出来るような自信が漲ってくる。
 「奴さんたち、おっぱじめたぜ。」
 「さて、と…」
 すっと倫子は立ち上がった。制服のミニスカから伸びる長い足が、拓也の目の前にそそり立つ。
 ごきっ。
 音が響いた。倫子が胸の前で組んだ指から。

 停止したエスカレータを登って三階に到着した二人が見たものは、映画ではお馴染みの、しかし、現実では実際に自分がやらない限り、見ることは出来ないであろう光景だった。
 壁に穿たれた大きな穴。そして、防犯ガラスを叩き割る黒づくめの男達。
 その光景に圧倒された二人は、一瞬対処する反応が遅れた。
 男達は一斉に振り向く。振り向いたとはいえ、前も後ろも判らない黒いマスクだったのだが。
 相手は五人。防犯ガラスを割るのに使用した、ハンマーを持って襲いかかってくる。
 拓也は身を屈めて、最初の一人のハンマーの攻撃をかわす。そのまま床に手をつき、右を軸足に左足を大きく廻す。目標を失った男は拓也の足払いにすくわれ、床に頭を打ちつけ昏倒する。
 立ち上がった拓也を、右から男が襲う。ハンマーの攻撃を体をひねって避け、歩法と重心移動で懐に飛び込む。体の加速の乗った裏拳を男の顔面、黒いマスクに見舞った。男が仰向けになるのに目をくれず、短い蹴りが男の金的に炸裂。
 自己流と言える拓也の技は、長年の戦歴から仕上げたケンカ殺法だった。
 拓也は、これと言った格闘技を学んではいない。中国拳法とマーシャルアーツを少しかじって応用しているだけだ。桐生流と言えば正しいか?
 倫子は?
 拓也が振り向いた時、マスクの男は倫子の掌底打ちを顎にくらって倒れる瞬間だった。
 後ろから来た男がハンマーの振りかぶる時、倫子の回し蹴りが黒いマスクを歪めた。
 何の構えも予備動作も無く、精密機械の如く技が繰り出される。巧みに気配を殺して攻撃を受け流し、そして必殺の反撃。倫子の父親である下垣内将馬の仕込んだ琉球空手は、門外不出の実戦武道。
 拓也の父、恭介の古くからの友人である下垣内将馬は、表にこそ出ないが日本屈指の格闘家であり、防衛庁での体術指導の権威であった。
 過去、内閣情報室や陸幕二課とも深く関わっており、護身ではなく殺法としての格闘技、戦略としての武術の草分け的存在だった。
 その男の愛弟子が、いま華麗なる技を披露している。
 仮に拓也本人、倫子とまともにやり合ったとして、勝てる自信は正直言って皆無。
 拓也は倫子の技を見るのが好きだった。隙のない動き、流れる様な動作、そして…
 蹴りの瞬間、また見えた。今日の倫子はミントブルー。

 倒れた男達を尻目に、壁に穿たれた穴に近寄る。大きさは直径2メートル程度。あの潜水艦と繋がっているのか、暗い空洞が続いていた。
 「派手な事やってくれたな。」
 「ここから入れるのね、行こ、行こ!」
 拓也の横ではしゃぐ倫子には、戦闘の疲労も高ぶりもまるで見えない。
 効率のよい呼吸法のお陰だ。息一つ乱れていない。
 だが、二人の未知の冒険への入り口は閉ざされた。
 ぬっと、穴から這い出てきた巨大な影。
 「うわ…」
 拓也が声を上げた程だ。
 体積は成人男子の二倍から三倍。同じ黒づくめではあるが、発散する威圧感が違う。
 黒いフィットスーツは、筋肉の圧力ではち切れんばかりだ。
 レスラー崩れ。拓也はそう直感した。
 「拓也ぁ、聞いてないよ…」
 倫子の泣きが入る。
 「ケッ、しゃらくせぇ!」
 拓也は腰からパイソンを抜いた。抜くと同時に、グリップの上のハンマーを親指で起こす。大男の足下に狙いを定める。
 ちょっと脅かしてやればいい。こちとらハジキ持ってんだ!ガキだからってなめるなよ!
 かちん。
 ハンマーの鉄を叩く、乾いた空しい音。
 かちん!かちん!
 ?
 続けざまにダブルアクションでトリガーを引き抜く拓也は、一瞬何が起こったか判らなかった。いつもなら轟音と同時に、痛快な反動が手首から肩に抜ける筈だ。
 拓也は今、手にしているコルトパイソンの仕掛けを理解した。
 「ち…」
 拓也の奥歯が、きりきりと音を立てる。
 「ちくしょーっ!ハメやがったなっ、クソ親父ィィィッ!」
 ファイアリングピンだ。
 ハンマーとシリンダーの後部をつなぐ細い鉄。通常はこのピンの後ろをハンマーが叩き、前進したピンは薬莢後部の雷管を叩いて火薬を起爆させ弾丸を発射する。その要となる部品が外されていたのだ。
 眼前の巨漢は笑った。果たして本当に笑ったかどうかは定かでないが、黒いマスクの口元が歪んだのだから笑ったのだろう。
 「倫子ッ!撤収だぁぁっ!… あれっ?」
 横にいた筈の倫子がいない。
 振り向いた拓也が見たものは、スカートの裾を翻して走る倫子の後ろ姿。
 拓也は慌てて倫子の後を追い走り出した。
 「待てよっ!俺、置いて逃げるのかよっ!」
 「あんたが、もたもたしてるからでしょっ!」
 レスラー崩れの巨漢は走り出した。大きな体躯に似合わないスピードだった。


 

次回、壮烈編へ続く…