こちら、桐生探偵事務所。(発動編)

 
 寂れた街角に夕日が垂れ込めていた。
 向かいのビルの長い影の頂点、その二階の窓は夕日に晒され赤く輝いている。
 並んだ窓の一つに、小さな看板が掲げられていた。
 通りすがる人は、さして気にも留めないだろう。だが、必要とする人は探り当ててでも訪れる。
 看板には、角いゴシックでこう書いてあった。
 『桐生探偵事務所』と。

 「失礼する、桐生氏は?」
 事務所に入ってきた男二人。物々しい雰囲気は一般市民ではない事は確かだ。
 「いないよ。」
 安手の年季の入ったソファーにふんぞり返った少年は、首だけを向けて答えた。
 近隣の中学校の制服を着ている。やや小柄な印象を受ける少年だ。
 「そうか。では、待たせてもらってよろしいか?」
 50歳を過ぎたと見える男は、ルックス相応の低い声で聞いた。
 「いいけど… いつ帰るか判らないよ。」
 「連絡は着かないのか?」
 「親父は、女遊びの時はケータイ切ってるからな…」
 「参ったな。急な用だが… 先程は留守電だったんで、出向いてみたんだが…」
 「俺でよければ聞いとくぜ。倫子、茶だ!」
 「何よ!偉そうにっ!」
 事務所の奥から少女とおぼしき声がした。
 「いや、またにしよう… ありがとう。」
 「待ってよ!おじさん達、警察の人だろ?」
 立ち去りかけた男達が立ち止まった。隣で黙っていた、40歳位の男が振り向いた。信じられないと言わんばかりの表情だった。
 自分たちの素性は、この少年に見抜かれている。
 「拓也、いいから!お父さんの仕事、首突っ込んだら駄目よ。」
 倫子と呼ばれた少女が奥から出てきた。高校の制服を着ている。
 「拓也、あんた、用事があったんじゃないの?」
 「ああ、すっぽかすさ。あんなの、面白くねえやい。」
 「何、それ?」
 「西高の番長グループの呼び出しだよ。」
 「またぁ?だいたい番長グループって、今どき…」
 「しゃーねえだろ。」
 「この前、東中とやりあった時だって、大変だったんだから!」
 「それ言うなよ。相手は10人もいたんだぜ。」
 「だからって、機関銃ブッ放していい訳?」
 「じーちゃんの形見だったからな… 親父にこっぴどく怒られたぜ。マッポには没収されるし、ついてねえ…」
 「そういう問題じゃないでしょ!」

 男達は、二人の子供の会話を聞いていた。
 この少年が“桐生拓也”。県警本部でも有名人だ。
 父親の“桐生恭介”同様、良い意味でも悪い意味でも、警察の中では全国的にその名を馳せている。
 「大丈夫だよ、聞いとくだけだから。親父には今晩伝えとくよ。」
 事は急ぐ。
 「では、聞いてくれ。報酬の方は後に本人と交渉しよう。」
 初老の男は拓也の向かいに座った。
 「ちょっと… いいんですか?」
 若い方の男が咎めた。
 「かまわん、もう明日の話だ。我々も後で準備に就かねばならない。」
 「…」
 若い方の男は沈黙した。
 初老の男は、ポケットから数枚のパンフレットをテーブルに広げる。
 パンフレットの表紙には、贅の極みを物語る煌びやかな王冠が印刷されていた。
 「明日から、三宝デパートでイベントがあるのを知っているか?」
 初老の男は喋り始めた。

 「ふーん。ロマノフ王朝ね…」
 拓也は男達が去った事務所で相変わらずソファーにふんぞり返り、肘掛けに寄りすがったポジションでパンフレットの一つを開いていた。
 「すっごいダイヤね。高そう!」
 拓也の左肩に柔らかい感触が当たった。拓也の頭に倫子は頬を寄せ、覗き込んでいる。
 「本物かしら?」
 「偽物に決まってんだろ。大事なお宝、あっちこっちに貸し出す訳無いだろ。」
 「あんた、夢ないのね。」
 「倫子。」
 「なあに?」
 「おっぱい大きくなったな。」
 「へへ… 触ってみる?」
 「バカこけ。」
 「でもさ、今どき怪盗なんているの?」
 倫子はソファーの肘掛けに腰を下ろし、座っている拓也の肩に肘をかけて寄りすがった。しなやかな圧力が拓也の体にのしかかる。
 上空から拓也の持ったパンフレットをつまみ上げた。
 「しかも予告状まで出すなんて、時代錯誤も甚だしくない?」
 「…」
 「どんなヤツか、顔拝んでみたい気もするけど…」
 「…」
 「どしたの?拓也。何、考え込んでるの?」
 拓也はうつむいたまま微動だにしない。無言。
 「…」
 「まった悪い事考えてるんでしょ?お父さんには内緒で自分が行くつもりね。」
 「…」
 「コラ!答えなさいよ!今度やったら承知しないから…」
 「違うよ!」
 「何が違うのよ?」
 倫子は拓也の頬を押さえて、自分の方に向けようとする。
 「触んなよ!」
 「どしたの?」
 「ちんこが立ったんだよ…」
 「バカッ!」

 「なあ、親父…」
 「何だ?」
 キッチンのテーブルには2時間前倫子が作って、今、レンジで暖めたばかりの夕飯が並んでいた。買い取ったビルの事務所の上の三階が、拓也達の居住空間だ。
 イスに座った男は、上品なスーツを着こなした中年だった。
 拓也が親父と呼ぶ、この男こそ“桐生恭介”。
 表向きは探偵を名乗っているが、彼の経歴を知る者は畏敬さえ感じるだろう。
 かつて、CIA、KGB、中国保安部を打ち負かし、奪い取った核弾頭を日本政府に売りつけた男。
 今、世界に名だたるワンマンアーミーが、オムライスの皿を包んだラップを開いている。
 「チャカ貸してくんないかな?」
 「駄目だ。」
 「いいじゃんかよ。明日だけ…」
 「拳銃持って宝物展を見物か?」
 「!… 何で知ってんだよ? あっ!盗聴してたなっ!」
 「当たり前だ。依頼は全て聴いた。」
 「ヒキョーだぞ!」
 「どっちがだ?お前に言われたくはない。」
 「ちぇっ!」
 恭介はケチャップの乗った卵焼きを、包まれたライスと一緒にスプーンですくい頬張る。
 「うん、なかなかだ。倫子はいい娘になったな。お前より一つ上だったから、高一か… 俺は父親の下垣内とは古い友人のよしみもあるが、本当に家の為に良くしてくれる。かあさんが生きていたら、迷惑をかけずに済んだんだが…」
 「かーちゃんは死んでねえよ!てめえにアイソつかして、出て行ったんだろーがっ!」
 「そうだったかな?さて拓也、何の話だったかな?」
 「もういいよ!」
 ふてくされて、キッチンから出て行く拓也を恭介は呼び止めた。
 「拓也、明日の件には首を突っ込むな。」
 「何でだよ?」
 「予告状の主は“武郷”と名乗っていたな?」
 「ああ、そうだよ。知ってるのか?」
 「武郷玄蔵、昔の親父の宿敵だ。」
 「じーちゃんの…」
 「そうだ… 俺達が絡むとなると、どんな手段で来るか判らない。」
 「武郷…」
 拓也にとって、初めて聞く名だった。
 「いいか、絶対にお前は出しゃばるな。」
 「ケチッ!」
 捨てぜりふを吐いて、キッチンを出た拓也の唇に笑いが張り付き始めた。
 父親に見せたふてくされた態度は、拓也の演技だったのだ。

 「拓也!テレビ見たっ?」
 寝起きの拓也の耳に、倫子の甲高い声が通過する。
 「いや…」
 辛うじて学校の制服を着てはいたが、寝癖だらけの頭はまだ朝のスイッチが入っていない事を物語る。
 「大変なのよ!変な機械が暴れてるのよ!」
 「まさか… 三宝デパートの方か?」
 「海から上がってきて向かってるって話。」
 「そう言えば予告状、時間指定が無かったな…」
 「テレビ、テレビ…」
 倫子はテレビのリモコンを探す。
 拓也は自分の部屋に走った。戦闘への期待と高揚が、寝起きの拓也にスイッチを入れた。
 目当ての物は、机の引き出しにある。それは、複製した金庫の鍵。
 今度は父親の書斎に走る。
 壁に埋め込まれた巨大な金庫の鍵穴に、手にした鍵を差し込む。既に暗記済みの番号を回した。
 金庫の中には、日本では滅多にお目にかかれないであろう器物が並んでいた。
 拓也は迷わず、一挺のリボルバーを手にする。
 コルト・パイソン。
 6インチ銃身を腰のベルトに差し、更に357マグナムと明記された箱を探り当てた。357マグナム弾が50発入ったレミントン製の緑色の箱を、制服のブレザーのポケットに押し込む。ずしりとした重みが、腰と肩に伝わってきた。
 「来い!倫子。」
 「どうしたのよ、慌てて…」
 「決まってんだろ。」
 拓也は玄関に架けてある車のキィを一つ掴む。
 倫子は付けたばかりのテレビを切って、拓也の後を追った。
 玄関の鍵をかけるのもそこそこに、二人は階段を駆け下りる。
 「行くの?ガッコは?」
 「それどころじゃねえよ!」
 ガレージには父親の車が並んでいた。BMW740iが無い所を見ると、恭介はそれに乗って出ているのだ。
 後は、恭介が仕事の時に使っているレガシィ・ツーリングワゴンGT-Bと、ジャガーXK8クーペが残っている。
 拓也は赤いジャガーに乗り込んだ。イグニションを回すとV8エンジンが咆吼を始める。
 「いくぜ、倫子。つかまってなよ!」
 「ちょっと、拓也!あんた免許は?」
 助手席に乗り込んだ倫子は、実に真っ当な質問をする。
 「ある訳ねーだろ!」
 赤いジャガーは強烈なダッシュでガレージを後にした。

 

次回、激闘編へ続く…