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こちら、桐生探偵事務所。外伝
打ち上げ花火
〜夏祭りで浴衣姿の香織ちゃんとデェト♪〜
僕はコンクリート製の堤防にもたれ掛かり、少し煙った夜空を見上げる。
川面が一瞬光ったかと思うと、しゅんと小さな光が夜空に登っていった。
その光が天空で炸裂し、ぱぁっと幾つもの色とりどりの光が夜空に拡がってゆく。
その後からどどんと、お腹を揺るがすような大音響が襲って来た。
僕の背後でどっと歓声が沸き上がる。
夜空に一瞬咲いた幻想の華から、僕は現実に引き戻された。
下の河川敷ほどではないが、僕の背後の臨時のホコ天になっている道路は人混みで息が詰まりそうだった。
見渡せば、カップル、カップル、カップル… 子供を肩車しているお父さんだって、隣に可愛い奥さんが寄り添っている。
僕は一つ、大きな溜息をついた。
今日、僕と同じ吹奏楽部に所属している大野さんを誘って、見事に断られた。
部の仲間から、男子女子合同のグループで花火に行こうと誘われてたけど、到底そんな気分になれなくて、僕は辞退した。
ヘコむよなぁ…
って、一人でヘコんでても仕方ないので、ふらふらと出掛けてみたんだけど、これが逆効果で余計にヘコみ度が増すばかりだった。
やっぱ、家に帰ってマンガでも読もうと思ってた時だった。
川から渡って来る風が僕の頬を撫でる。僅かな花火の火薬の匂いの中に、ふっといい香りが僕の鼻孔をくすぐる。
シャンプーの香りかなと、僕はその香りの元に振り向いた。
いつの間にか僕の隣に、淡い藍色の浴衣を着た女の子がいた。
彼女は片手にうちわを持ち、僕と同じように堤防にもたれ掛かるようにして立っている。
背丈は僕の目のあたりで、女の子にしてはなかなかの長身だ。
僕と同い年くらいの、高校生だろうか。
清楚でありながら凛とした雰囲気を持った、目の覚めるような美少女だった。
こんな美人が現実にいるんだ。
でも、どうせ近くに彼氏がいるんだろ。
そんな事を僕は心の中で呟いて、口から飛び出しそうになった心臓をぐっと飲み込んだ。
「ほら、次が上がるよ。」
彼女がそう言った。
風になびく風鈴が奏でるような、涼やかな声。
確かにそう言った。誰に向けて言ったのか、その対象らしき人物が周囲に見あたらない。
再び夜空を色とりどりの光が拡がってゆく。
僕に花火を堪能している心の余裕は無かった。ちょっとしたパニックに陥っていた僕は、辺りをきょろきょろと見回していた時に、どんと花火の炸裂音が響い
た。
「綺麗だったね。」
僕の隣の彼女は、今度ははっきりと僕の顔を覗き込んで言った。
「うん。」
なんて答えていいか分からず、僕はとりあえず返事だけ返す。
「夜店、見に行きましょ。」
彼女はぐいと僕の手を取り、河川敷に降りる坂の方へと向かう。
「ちょ、ちょっと… 君は?」
彼女の柔らかい手の平の感触に、一瞬ぼぅっとなるのを堪えて僕は聞いた。
「笹沢信吾くんね? 私は香織、望月香織。」
彼女は振り向き、にっこりと笑って答えた。
今度は、心臓が口から飛び出すどころでは済まなかった。一瞬で脳がヒートアップしてしまい、耳と鼻から湯気が出そうだ。
何とか平静を保ちつつ、僕は彼女に聞いた。
「どうして僕の名前を?君は一体…」
「細かい事は気にしないで。あっ、綿菓子食べたいな。」
あのぉ… 気にしないでって言われても…
これが逆ナンパな訳ない。何かあるぞと思いつつ、意に反して僕の胸はぎゅっと締め付けられるような心地よい痛みに満たされていた。
彼女は平べったい大きな水槽の前にしゃがみ込み、泳ぐ金魚を目で追っている。
彼女の白い腕が動き、モナカに針金を通したポイと言う道具で水面をすくう度に、赤や黒の金魚が片手のお碗の中に捕獲されて増え続けてゆく。
もう彼女のお碗の中には、20匹以上の金魚が輪を描くようにぐるぐると泳いでいた。
僕は彼女の背後に突っ立って、夜店の明かりの中で改めてまじまじと彼女を眺めている。
アップに結った明るく染めた長い髪に、浴衣の襟から覗く白いうなじにおくれ毛が数本さらりと流れていた。
この正体不明の謎の美少女の背中を抱きしめたいという欲望を必死で堪え、僕は彼女の隣にしゃがみ込む。
「君、すげー上手いね。何か練習でもしてたの?」
僕の問いに、彼女は水面下を泳ぐ金魚から目を離さずに答えた。
「私の友達に白木さんていうコがいてね。そのコに教えてもらったの。なんでも、甲賀流掬魚術とかいう秘伝の忍法だって言ってた。実際に役に立ったかどう
かは定かでないけど、そのコは53匹という自己記録を更に塗り替えるって燃えてるの。」
彼女の存在が、ますます謎めいて来たぞ。
彼女のお碗の中の金魚が30匹を超えた時点で、テキ屋のおじさんが、商売にならねえ、すまねえがお代は返すからもう止めてくれよ、とか言って泣きを入れ
て来たので、捕獲した金魚は全部返して、僕らは金魚すくいの屋台を後にした。
彼女は僕が買ってあげた綿菓子に幸せそうだった。
きっと彼女、甘いモノ、大好きなんだろうな。
いや、ちがうちがう。今は彼女の趣向より、彼女の正体が問題だ。
一体何者なんだろう?そう考えながらも、彼女の可憐な顔と浴衣から覗く細い首筋を見てると、そんな事はもうどうでもいいやという気持ちになってくる。
そんな時、目の前の人混みの中を、背の高い男が横切ったのが見えた。
こんなお祭りの中で、暑っくるしいダークスーツを着た姿は目立ちすぎ。
その時、僕の隣の彼女の全身に緊張が走り、今までの彼女からは想像も出来ないような鋭い目をして、そのスーツ姿を睨んでいた。
突然、目の前で地べたに座り込んでいた連中が立ち上がり、僕らの前を塞ぐように立ちはだかった。
うわわっ!ヤンキーだ。チーマーなんかじゃないぞ。夏になると決まって現れる、今では稀少生物だけど、ゴキブリのように生命力のしぶとい頭の悪そうなヤ
ンキーだ。
5人はいるだろうか。全員酔っぱらっているようで、余計にタチが悪そうだった。
「おおっ!かわいいっ!」
「ホントだ。すげー!おねーさぁん、ボクらと遊ばなぁい?」
まずいことになったな。彼女が美人過ぎて、ヤンキーにからまれちゃったよ。
ところが、彼女はヤンキー連中を全く無視している。というか、さっきのダークスーツの男の背中を目で追うのに忙しいようだ。
「まずいわ。信吾くん、行くよ。」
彼女は僕の腕を握り、ぐいと引っ張る。
彼女が『まずい』と言ったのは、たぶん目の前のヤンキーの事ではない。
「おっとっと。どこ行くんだい?」
僕らの前に、ヤンキーの一人が立ち塞がった。
その時、彼女の目がつり上がり、怒りのオーラが全身から噴き上がる。
「邪魔よっ!そこをどきなさいっ!」
彼女の一喝で、夏の夜の空気が一瞬で凍り付く。
彼女の迫力に押されて、ヤンキー達がすごすごと道を空けた。
「ここにいてはまずい。離れましょう。」
彼女はそう言って僕を腕を引っ張り、早足で歩く。
「ちょ、ちょっと。どういう事なの?君は何なの?」
僕は彼女に引っ張られながら、慌てて聞く。
彼女は早足をゆるめ、僕の隣に並んで小さく囁き始めた。
「信吾くん、あなたの誘拐を企てている組織がいるの。」
「えっ!?」
一瞬、何が何だか分からなかった。
「あなたのお父さん、笹沢教授の研究を知ってる?」
「聞かされた事は無いんだ。なんでも最高機密とかで…」
僕の父は大学の研究室に入り浸りで、月に二・三度帰ってくる程度だ。僕が小さい頃から、あまり話をした事もない。
「フリーエネルギー。」
「フリーエネルギー?あの太陽電池とか、風力発電とかの?」
僕は決して父の仕事に興味が無かった訳ではないけど、敢えて反発というかその事に触れるのを避けていた。将来音楽家の道を進みたいと言う僕に、父は大賛
成してくれていた。
「そうね。分かりやすく言えば、サール効果発電機の理論をより進展させた動力機関の開発なの。ところが、それが完成すると都合が悪くなる世界の原油価格
を操っている財団がいてね。彼らの狙いは、その研究を妨害・阻止する事。」
ちっとも分かりやすくない。と言うか、僕は今日失恋したばかりの普通の高校生だ。こんな展開、マンガでもあり得ない。
「彼らは傭兵を使って、今夜あなたの誘拐を計画してる。誘拐したあなたと引き替えに、笹沢教授の研究データを抹消させるつもりよ。」
マジですか?
何だか今日は、きっと僕の17年の人生の中で最悪の日なんだろうな。
「私の仕事は、彼らからあなたを警護する事。」
「じゃあ、君は… 警察か何かの?」
スパイ組織とか傭兵とか特殊部隊とか、今までそんなものは映画の中の空想の産物だと思ってた。
現実に存在したとしても、そんなおっかないモノに僕の人生との接点は無いと思っていた。
それがよりによって、突然浴衣を着た美少女エージェントが僕の前に現れて、カップルっぽく振る舞いながら僕のボディガードをしてるなんて、絶対にあり得
ない。
「訳ありで、私の組織の名前は言えないの。でも安心して、信吾くん。あなたの身の安全は保証するから… あ、たこ焼き食べようよ。」
やっぱり、彼女が目の前にいるのは紛れもない現実だ。
僕らが焼きたてアツアツのたこ焼きを一緒に食べていると、何だか向こうのほうが騒がしくなった。
見ると、目の前をさっき僕らにからんで来たヤンキーの集団が、転がるように慌てて走って逃げていた。
「やべー!桐生だぁ!」
「逃げろぉ!」
一人はだらんと下がった腕を押さえ、もう一人は両手で青アザの出来た顔を覆っている。
鼻血を流している者もいた。
ヤンキーは確かに『桐生』と言っていた。
桐生って、確かこのあたりで有名な不良中学生だったな。
ヤンキーの兄ちゃんたち、知らずにあいつにケンカ売ったんだ。ご愁傷さま。
僕の隣の彼女が突然、たこ焼きの刺さった爪楊枝を口に運ぼうとして、途中で手が硬直していた。
「どうしたの?君、桐生と知り合い?」
僕は彼女の顔を覗き込む。
「し、知らない知らない。真っ赤な他人よ。」
彼女は引きつった顔をぶんぶんと横に振る。
きっと彼女は嘘をついているんじゃなくて、事実を否定しようとしているんだ。
この香織ってコ、クールそうに見えて意外と分かりやすいなと思った。
その時、目の前の人混みから、先程の男とは違うけど、同様にがっしりした体格をダークスーツに包んだ男が現れた。
サングラスで目を隠しているけど、明らかに肌の色は欧米系の外国人だ。
そいつはズボンのポケットに両手を突っ込み、僕らの目の前に悠々と歩み寄って、口元に皮肉な笑みを浮かべる。
いつの間にか僕らの左右にも、同じ格好をした男が二人立っていた。
僕らの右側の男は、さっきヤンキーにからまれた時に見た男だった。
いやだな。ステレオタイプのエージェントだ。かえって目立つ事この上ないよ。
僕の隣の彼女は小さく舌打ちをして、最後に残ったたこ焼きを口に放り込む。
空にぱっと開いた花火の光の中で、一瞬彼女の口元に浮かんだ笑みが見えた。
あの… 今は笑うところじゃないんだけどなぁ。
薄暗い神社の境内の中は、随所が臨時の駐車場になっていた。
河川敷のざわめきも遠くに聞こえ、人影もない。
僕らが三人の男に連れて来られた先に、一台のビーエム何とかと言うドイツ製の高級外車が停まっていた。
男の一人が後部座席のドアを開き、後ろ手に僕の手首を握っていたもう一人の男が、僕を後部座席に押し込もうとする。
目の前に拡がった落ち着いたベージュ色の革張りシートは、とても座り心地が良さそうだった。
いやいや、そうじゃない。大ピンチなんだよ僕は。
彼女に目をやると、彼女は僕のように腕を握られていたりはしなかったけど、しっかりと残りの男が付き添っていた。
彼らは、もし僕らが暴れて逃げたとしても即座に取り押さえる自信があるんだろう。ましてや僕らは子供。舐められたものだけど、到底彼らに敵うわけない。
ところが、僕が後部座席に押し込まれる瞬間だった。
彼女が動いた。
彼女の右手が、蛇の鎌首のように左脇に走る。
脇から抜き出した銀色に光る鉄製のものが、彼女の隣にいた男の顔面に吸い込まれる。
サングラスの黒いレンズが飛び散り、顔面を強打された男がたたっと数歩後ずさるより早く、彼女は僕をシートに押し込もうとしている男達の背後に立ってい
た。
「Frieze!彼を放しなさい!」
そう叫んだ彼女はモデルガンだろうか、手に持った拳銃のような物を彼らに向けている。
男達は静かに両手を挙げ、僕を解放した。
僕は彼女に促されるまま、彼女と一緒に後退して彼らの車の後部に廻った。
彼女はモデルガンの後部にあるハンマーを親指で起こす。銃身の上に橋桁のようなものが付いている、よく西部劇で見かけるような、回転する弾倉が付いたタ
イプの拳銃だった。
ぎじりと音がして、弾倉が回転した。綺麗な銀色のモデルガンの側面に、暴れている馬のマークの刻印がはっきりと見えた。
彼女、浴衣の下にモデルガンを吊っていたんだ。なんて趣味だろう。
男は一生掛けて『カッコイイ』を追い求め、女は同様に『かわいい』を集め続けると聞いた事があるけど、稀に男でも『かわいい』に惹かれたり、女が『カッ
コイイ』に手を出したりするらしい。きっと彼女はその稀にハマったタイプなのか。
いや、今までの流れからすると、これは…
僕らは完全に車の後部に回り込んだ。男達は両手を挙げ、その場に立ちつくして僕らを睨んでいる。確かに彼らが本物の拳銃を持っていて、もしも撃って来た
としても、今のポジションなら即座に車の影に隠れる事が出来る。
その時、彼女の空いた左手が小さく動き、車のトランクとバンパーの間あたりに何か小さなものを取り付けたのが見えた。
僕はそれを見て見ぬふりをして、彼女と一緒にゆっくりと後退する。
彼らから十分に距離が離れ、他の駐車している車の背後に僕らが完全に隠れた時だった。
空を彩る大輪の花火。花火大会もいよいよクライマックスの特大花火だ。
周囲を揺るがす花火の大音響にかぶせて、彼女の手に握られたモデルガンが火を噴いた。
ぱぁんという、花火とは異質の炸裂音が響き、男達の足下に火花が閃いて境内の土がえぐり飛ばされる。
やはり、モデルガンなんかじゃなかった。
男達は慌てて車に乗り込み、急発進をさせた。
回転するタイヤが、がりがりと未舗装の土を巻き上げる。
消え去ってゆく赤いテールランプを目で追い、彼女はふぅと息を吐いた。
彼女は本物だった拳銃を操作して、横に出した弾倉から空になった弾を抜き出すと、右脇から取り出した新しい弾に詰め替えている。
当然僕は、本物の拳銃を見たのは初めてだった。
いや、浴衣を着た美少女が本物の拳銃を持っているというシーンは、誰だってそうそうお目にかかれるものではない。
彼女は左脇に拳銃を納め、手首に提げていた巾着から小さな動画プレイヤーのような物を取り出す。
それは片面が全て液晶ディスプレイになっていて、電源のスイッチを入れるとマップが映し出され、小さな点滅がマップ上を移動していた。
「よし。これで完璧。」
彼女はそう呟くと、神社の境内を横切りこんもりと茂った雑木林に向かう。
茂みの側に、モスグリーンのシートが掛かってる大きなものがあった。彼女はそのシートの端を掴むと、勢いよくばさりと引っ張る。
剥がされたシートの中から、赤い大型バイクが姿を現した。
薄暗い中で、そのバイクのボディが常夜灯の光を反射してきらりと光った。
赤いタンクには、鳥のマークの下に『MOTO GUZZI』というステッカーが貼られている。
彼女は巾着から取り出したキーを、バイクのハンドルの下に差し込む。
あたかも主人を待っていたかのように、バイクのメーター類に赤や青やオレンジの明かりが点った。
「ごめんね、信吾くん。私はあなたを騙してた。あなたを警護するのではなく、あいつらの尻尾を掴むのが、本当の私の任務。」
そう言った彼女は、浴衣姿のままバイクに跨る。ホルダーから外したフルフェイスのヘルメットを被った。
きゅるんというモーター音の後から、どっどっどっというエンジンの鼓動が境内に響く。
彼女は下駄を履いた足で、バイクのスタンドを蹴り上げる。
濃いフィルムを張ったフルフェイスのシールドを、彼女は指先でついと持ち上げる。
「でも、今日は楽しかったよ。花火なんて久しぶりだったなぁ。じゃあね。」
そう言って、彼女は僕にウインクを送った。
彼女がアクセルを空けると、ばあんとバイクは唸りを上げ、境内の地面にタイヤの跡を残して走り去った。
大型バイクに跨った浴衣姿の細い背中と、闇に消える赤いテールランプを、僕はいつまでも目で追った。
花火見物客の車が並ぶ境内の中、僕は一人残されていた。
気がつくと、彼女に逢うまで失恋であれほどヘコみまくっていた自分が嘘のようで、今はとても晴れ晴れとした気分だった。
彼女のメアド、聞いとくべきだったかな。
ま、いいか。
明日からは、きっと強く生きて行けそうな気がした。
END
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