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こちら、桐生探偵事務所。外伝
ドリーム・アルファ壊滅作戦
Chapter 1
時折走り抜けるヘッドライトをやり過ごした後、夜の高速は沈黙を取り戻す。
一台のヘッドライトの通過の後、再び沈黙を破る音が現れた。
今まで走り抜けていた音とは違う、野太い重厚な排気音。
闇を切り裂くそのヘッドライトの光源は、異様に低く構えたマシンのフォルムを物語っていた。
暗いアスファルトの中に赤くワイドなボディを滑り込ませるように疾走するその優美なマシンは、高速道路の制限速度程度では本来の力を発揮している筈が無かった。
フェラーリ550マラネロ。
車重1.7トンというフェラーリの重量級に位置する12気筒のマシンの中で、この550マラネロは特に異彩を放つ存在だ。
その秘密は、65度のバンク角を持つV型12気筒DOHC48ヴァルブ、5474cc、最高出力485psを誇るパワーユニットがフロントに配備されている事だ。
フェラーリと言えばミドシップ・レイアウトが当然の如くと、世の常識に刷り込まれた中で、フロントエンジン・リアドライブのレイアウトをあえて敢行された稀少な重量級モデルなのだ。
そのパワーは強烈だ。ASRをオフにしたフルパワーは冷えた路面では後輪を軽く空回りさせ、1速2速では前に進まない程だ。それはトラクション・コントロール・システムと呼ばれ、チューニング度の高いエンジンでありながら高・中低速全域に渡って扱いを容易にしている。
神経質なミッドシップとは違い、アンダーステアを出した際に余分にアクセルを踏み込む事で発生するテールスライドで、車体の向きを変えていける豪快な走りを堪能できる。
走る宝石と言えるこのマシンの唸り声が、優しく激しくアスファルトに反響していた。
「素敵な車ね。これはあなたのもの?」
ナビシートに身を沈めた女が聞く。
女と呼ぶにはまだ幼い顔立ち。だが、このフェラーリを停めさせて助手席を覗いたならば、誰もが驚きに口をあんぐりと開けたままになるに違いない。
広川さやか。今をときめく芸能界のトップアイドルだ。CD売り上げランキングも毎週ベストテンに食い込む売れっ子スターだった。
「親父のさ。僕はいつもは大陸の彼方の街に居るから… たまに日本に帰った時に借りるんだけど、見る度にコレクションが替わっている。」
ハンドルを握る男が笑って答えた。
男と呼ぶには未だ若すぎる。その端正な顔立ちと、長い睫毛の下に光る知性と憂いを秘めた瞳は、一目見た女達の心を捕らえて放さないことだろう。
桐生大和。今、パリで学会の期待を集めている科学者の卵は、研究会出席の名目で日本に帰っていた。
本日、某所で開催されたパーティは、財界や芸能界の有名人が多く主席していた。大和はそこでさやかを見そめた。肩にかかる長い髪。それは大和が追い続けている一人の少女の面影と一致した。
紳士淑女に仮面の下に見え隠れする腹黒さに苛立っていた大和は、声をかけたさやかをこっそりと連れ出したのだ。
パーティ会場から中庭を抜ける際、三人組の男から声をかけられた。
リーダー格の少年は、映画俳優界のビッグネームの息子だった。
「おや?さやかちゃん、どこ行くの?素敵な王子様に連れられてさ。」
取り巻きの二人の下品な笑い声。
大和の腕にしがみ付くさやかの指に力がこもる。
「あのさー、バッくれるんだったらさぁ、僕らと来ない?もっと楽しいパーティに招待するよ。」
大和とさやかを取り囲む連中の言っているパーティとは、所詮尋常なものではない。マリファナあたりが主役のパーティだろう。
「君も一緒にどうだい?君だったら合格さ。」
大和に右手を差し出す少年。握手を求めていた。
だが、次の瞬間少年の顔色が変わる。差し出した手首を掴まれ、一瞬で捻り挙げられたのだ。
「いてててて…」
「失せろ、チンピラ。怪我したくなかったらな。」
少年のアバタ面に顔を寄せて囁く大和を、驚愕の表情で見つめる少年の顔色が青くなってゆく。
「な、何しやがる!」
取り巻きの一人が吠えた。腕力に自信があると見える体格の持ち主だ。
腕を捻り挙げた少年を突き飛ばした大和が、ゆっくりと振り返る。
笑った口元から白い歯が煌めく。血に飢えた獣の微笑みだった。
足下から血の気が引いてゆく恐怖に駆られ、慌てて逃げ出す少年達を何事も無かった様に見送り、大和はさやかに振り向いた。
「行こうか。」
背後からヘッドライトが迫る。二台のクルマのものだった。
時速120キロでクルージングしていた大和のフェラーリの後方、100メートルあたりで減速。それから徐々に車間を詰めてくる。
一台がフェラーリの横に並んだ。黒いS14シルビアだ。
数秒間、大和のフェラーリと並走し、いきなり加速を見せつけるように追い抜いてゆく。後方の黄色いサバンナRX-7がパッシング。急に車線を変えると大和を追い抜き、シルビアの後に付いてスピードを上げた。
明らかな挑発だ。低音の効いた二台分のエグゾースト・ノートは、チューニングにも腕にも相当の自信があると見える。
このあたりにオービスは無い。それは大和も知っている。
大和の笑った口元から白い歯が煌めいた。
「つかまってろよ。」
「どうするの?」
「素敵な場所に連れていってあげる。」
「どこ?」
「夢のその向こうさ。」
大和はアルミ製の丸形シフトノブに右手をかける。
二速に落とした瞬間、タコメーターの針が跳ね上がり、背中から蹴飛ばされたような加速が始まる。
ボアφ88、ストローク75mm、V型12気筒のモンスターは、戒めを解かれた獣の如く歓喜の咆吼を高速道路に轟かせた。
十数秒足らずで獲物を捕らえた。既に射程距離だ。
長い口づけの後、そっとさやかの髪を撫でる。
埠頭に停まったフェラーリ550マラネロの赤いボディに、海から渡ってくる船の発する無数の灯りが踊っていた。
さやかの閉じた瞼が開いた時、その顔を覗いた時。大和の頭には後悔の念が渦巻いて来ていた。
…違う… 何故?…
「大和、また会える?」
「…」
さやかの問いに、大和は答えなかった。
無言でさやかの頬に手を這わす。
「会えないの?」
「分からない…」
後ろ姿が似ていた。ただ、それだけだった。
「あの… 明日朝の仕事、キャンセル… だから…」
うつむいて、出来る限りの勇気を振り絞って口に出した要望にさやかは自分で戸惑っていた。言った言葉に後悔していた。
疲れていた。スケジュールに追われ、ファンに追われ、自分が自分でない毎日。そんな自分を一瞬だけ夢の世界に連れ去った少年。
今、その夢が終わろうとしている。言葉は無しに実感だけが、ひしひしと伝わって来る。
「送ろう。」
大和は小さく言い放った。
振り切る様に言い放った。女は何人抱いても同じ。違うのだ…
代わりをいくら求めても、それは所詮代用に過ぎない。
倫子ではない…
似ているだけ。髪が、目が、口元が… いや、似ていると自分に言い聞かせているだけだ。
今夜、仮にさやかを抱いたとしても、明日の朝、コーヒーをベッドに運んでくれる少女はやはり、さやかなのだ。
倫子ではない…
イグニションキーを廻そうとした時、大和の耳に低音の効いた排気音が届いて来た。
先程高速でブチ抜いたシルビアとサバンナだった。二台でフェラーリを囲むように停まる。
シルビアから降りてきた男は、パーティ会場の中庭で大和が腕をねじ上げた少年だった。
小さく舌打ちをした大和はフェラーリのドアを開け、低く設計されたコクピットから這い出した。
埠頭を渡る夜風が、大和の髪をなびかせて行く。
「見つけたぜ。目立つクルマだからなぁ、仲間に連絡すればソッコーだったぜ。さぁて、恥かかせてくれたよなぁ…」
「墓穴を掘ったのは君だろう?」
涼しげに言い放つ大和の声に、アバタ面は夜目にも分かる程に怒りで顔を赤らめる。
「なんだぁ!くそ!」
シルビアの助手席から降りた男と、サバンナから降りた二人。それぞれ手に鉄パイプや木刀を持っていた。
「やめて!大和。」
フェラーリから降りてきたさやかが大和に駆け寄った途端、二人を包む様にフラッシュの光りが瞬く。
取り巻きの一人が、フラッシュ付きの使い捨てカメラを持っていた。
「とんだスキャンダルだね、さやかちゃん。どう?俺らと一緒に来たらこれは無かったことにするし、その王子様も無事に返してやるよ。」
ぎらぎらとした欲望を湛えた目。当然、約束を守る輩ではないし、何をされるか見当も付く。
「そんな…」
泣き出しそうなさやかの声が流れる。
「ダニどもが…」
「え?何か言ったか?」
大和の小さな呻きは、男達の耳には十分に届かなかった。
「すまない。僕と彼女には何も無かったんだ。だから、そいつを返してくれないか?」
相変わらずの優雅で涼しい顔の大和は、誰もが好感の持てる笑顔で手を差し出した。
「何言ってやがる!さやかちゃんをいただく前に、てめえはタダじゃおかねえ。」
正面のアバタ面が大和に毒づいた。
大和は肩をすくめて小さく溜息をつく。
「観念したか?でも許さねぇよ。俺の親父の力で、てめえらをボロボロにしてやるよ。」
「一人も歩いては帰さねえぜ… クズども。」
ゆっくりと顔を上げた大和の表情を見た時、男達の背中に本能的な危険を知らせる戦慄が走った。
大きく振りかぶった木刀を目標に振り下ろす。
だが木刀を振り下ろす前に、その目標が突如として目の前に迫って来た事への驚き。そこから生まれた躊躇が彼の不幸だった。
目の前に迫った顔は、その端正なマスクに残忍な笑いが張り付いていた。
どくっ!
顔面に叩き込まれた掌底は、彼の鼻を潰し前歯を数本宙に飛ばした。
後方に倒れる男の手から木刀が落ちてくる。大和はそれを空中で器用にキャッチした。ずしりと来る重さは安物ではない、樫で作られた立派なものだった。
「あぶねえなぁ… シロウトが振り回しちゃ。」
片手で振り下ろして見た。ぶん!と空気の斬れる音。
「いやぁぁぁぁっ!」
絶叫をあげて背後から一人が迫って来る。横殴りに鉄パイプの攻撃。
身を屈めて避けた大和の頭上を鉄パイプが空気を裂いて通過する。
屈んだ姿勢から相手の右足に木刀を叩き込んだ。
ばきん、と薪を割った様な手応え。
「あぁぁぁぁぁぁぁ…」
男は鉄パイプを放り出し、折れた臑を抱えて転げ回る。
相手の戦闘能力を奪うだけの為なら、足への攻撃が最も有効だ。仮に折れたとしても命に関わる事態は避けられる。
だがこの木刀なら、本気で力を込めれば手足を切り裂く事さえ可能だ。そこまでしなかった大和は、まだ本気を出していない。
「くそ!」
残った男が大和に走り寄る。男の手から今までの武器とは異質の空気を裂く音。
大和は反射的に飛び退いてその攻撃を避けた。
アスファルトを大きく穿ったその凶器は、じゃらじゃらと音を立て再び男に引き寄せられる。バイクのチェーンだ。
だが、この破壊力絶大な凶器の欠点は連続攻撃が難しい事だ。重さを叩き込む武器の欠点は、一発目を外してしまうと後が無い。
大和は相手にとって意外な行動に出た。それは、自らが突っ込んで行く事。
男がチェーンを振りかぶる前に、大和の木刀が男の右手を叩き折った。
痛みでひるむ隙を与えず、大和の回し蹴りが男の後頭部を捉える。
スローモーションの如く崩れてゆく男に大和は見向きもせず、信じられない光景に口をあんぐりと開けたままのリーダー格の少年に凄絶な笑みを送った。
「あああ… 許してくれよぉ、頼む。」
腰を落としたアバタ面の哀願。
男の前に使い捨てカメラがかたんと音を立て落ちてきた。
次の瞬間、木刀の切っ先がカメラを粉々に粉砕する。
「今度からは相手を見てケンカを売れ。このままじゃ不公平だからお前も腕をへし折ってやるよ。」
静かに言い放つ大和の言葉に、一抹の哀れみも聞き取ることが出来ない。
「や、やめてくれよ…」
「悪りいなぁ… 俺、甘くはねえんだ。」
「何でもする!助けてくれ…」
「お前らのクルマ、タイヤの空気を全部抜け。それから、全員の免許を出せ。暫く預かっておく。」
「た、助けてくれるのか?」
「今度このコにちょっかいを出したら…」
「わかった!約束する。」
「早くしろ!俺は気が短いんだ。」
「ひっ!」
静かにフェラーリを走らせる大和も、ナビシートに座ったさやかも無言だった。
街の灯りがウインドウ越しに流れ、大和の端正な美貌を浮き彫りにしては通り過ぎて行く。
「大和…」
そっとためらうように、さやかが口を開いた。
「悪かったな。とんだところを見せてしまった…」
沈黙を破ったさやかに、大和が答える。
「ううん… ありがとう。あいつ、前からとってもしつこかったの。ごめんなさい。巻き込んでしまって…」
「巻き込んでしまったのは僕の方だ。」
「もう、大和とは会えないのかな?…」
「…」
大和は返す言葉が無かった。言える筈のない言葉が頭をよぎる。
…君は… 倫子じゃない…
「無理だよね… 分かってたけど…」
「さあ、帰ろう。」
「うん…」
停めたフェラーリに寄りかかり、さやかの寂しそうな笑顔に同じ笑みを送った。
チンピラ共にぶち壊された上に、辛い別れ。
大和を苛むこの感情は? 敗北感?
一体何に負けた?
分からない。
倫子の面影…
闇は大和を冷たく押し包む。
「じゃあ… 大和。」
悲しげに手を振り、現実の生活へと戻って行くさやかの後ろ姿を眺めていた。
「さやか!」
「え?!」
振り向いたさやかの目に、あのパーティ会場で最初に見た時の大和の顔が映っていた。
「また会おう、さやか。」
「大和… 約束だよ。」
「うん、必ず。」
大和は身を翻し、フェラーリのコクピットに滑り込んだ。
蘇る野太いエグゾーストノート。これは時代の流れの中で如何に車種が交替しても、永遠にフェラーリのファンを魅了して止まない音だ。
過ぎ去ってゆくテールランプが闇に消えても、さやかはその目に残った残像を見守り続けていた。
To be
continued …
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