こちら、桐生探偵事務所。異聞

〜女豹忍法帖〜
Villain Heaven


 五の巻

 往来の道端に立つ梅の木には、白やほんのりとしたピンク色の 花がちらほらと咲き誇っていた。
 侍姿の着流しで歩く沙織は、そんな梅の花を見上げ眩しそうな笑顔を見せる。
 梅の木の側を通り過ぎた沙織は、ふと足を止めた。
 先程見せた笑顔が春一番の風の中に消し飛び、今はこの少女本来のきりりとした精悍な表情を見せている。
 前方、沙織がその澄んだ瞳で睨む先。
 高い背丈に秀麗な顔。遊び人風情の優男が、往来を行き来する人混みの中で振り返ったポーズで立ち尽くし、後方の沙織を静かに眺めていた。
 「やろー。現れたなぁ。」
 沙織が小さく呟く。この状況を待っていたかの如く、少々嬉しそうだ。
 沙織が以前やり合って、いまだ決着が付いていない男、甲賀の陣風だ。
 男はその涼やかな瞳で沙織に流し目を送り、左目をつぶってウインクをして見せた。
 決着が付けられると踏んで嬉しそうな顔をしていた沙織の表情が、一瞬で不動明王の様な怒り顔に変わる。
 「サノボビッチ!」
 食いしばった歯の隙間から言い放ち、だんと右足を地面に踏みつけ、風のように歩く陣風の後を追う。

 「やはり来て頂けましたね。光栄です。」
 陣風は沙織を振り返り、その笑みを含んだ口元で言った。
 河川敷に渡る風の中に、ふと春の匂いがする。
 河原で対峙した沙織と陣風の間を、冬の厳しい冷たさの和らいだ風が通り抜けた。
 「そんなに嬉しがるなよな、別にあんたにゃ興味はねえぜ。あたしはあんたを斬る。」
 沙織は腰の忍者刀に手をかけ、鋭い視線で陣風を睨む。
 「やはり貴女は美しい。貴女に斬られるなら本望… そう言いたいところですが、そう思ったように行かないのが世の常。梅花も晴嵐も天山も、尽く討ち果た してしまわれた貴女方には見事と言っておきましょう。ですが、わたしはそう簡単にはゆきませんよ。」
 陣風はその秀麗なマスクに笑みを湛え、沙織に向かって言った。
 「それはこっちの台詞だぜ。じっくり切り刻んで、三枚に下ろしてやるから覚悟しな。」
 沙織は腰の刀をいつでも抜刀出来る体勢で、上体を低く構え、じりっと右足を前方に滑らせる。
 「ところでどうです?このままお互いがやり合ってしまったなら、もう二度と逢う事は叶わないでしょう。その前に、そこの茶屋で…」
 「だから!しつけーんだよ、てめーは!」
 陣風の誘いを正面から拒否した沙織は、刀を抜くと見せかけて、左手で懐の十字手裏剣を打つ。
 「残念です。」
 陣風は懐に入れた両手を、目にも止まらぬ早さで正面に突き出す。
 その両手の先から白い旋風が二つ、沙織が打った回転する十字手裏剣に切り裂かれ、それぞれが二つの合計四つの旋風となって沙織を襲う。
 間一髪で旋回する四枚の半紙の刃をかわした沙織は、河原を転がって立ち上がり抜刀した。
 目的を果たせなかった四枚の半紙は、彼方の川向こうへと飛び去る。
 「では、本気で参ると致しますか。」
 陣風は再び懐に入れた両手を突き出す。
 その両手から白い旋風が二つ、刀を構える沙織に向かって飛ぶ。
 陣風が投げた二枚の半紙をかわした沙織は、瞬時にだんっと河川敷の石原に腹ばいになる。
 沙織の動きを追尾する半紙の刃は、地面に伏せてしまった沙織の動きを感知出来ずに、ぞれぞれがあらぬ方向へと飛んで行った。
 地面に伏せたまま、じりじりとほふく前進をする沙織。
 「おやおや、考えましたね。でも、美しい貴女には似合わない格好ですね。」
 陣風は沙織をあざ笑い、懐に両手を入れる。
 「うっせぇな!」
 忍者刀を握っていない沙織の左手の親指が、ぱぱぱぱっと超高速で動いた。
 陣風は投げる予定だった懐の半紙を、自分の前面に幕を作るように展開する。
 沙織が左手の親指で放った数個の小さなマキビシが、陣風の前に作られた半紙の幕に柔らかく受け止められ、その殺傷力を失う。
 その瞬間、沙織は地面を数回転がった後、すっくと立ち上がった。
 「さあ、勝負だぜ。このスケコマシ野郎!」
 沙織はそう言うと、忍者刀を正眼に構える。
 「何度やっても同じ事ですよ、わたしの術をかわし切る事は出来ません。」
 陣風は口元に皮肉な笑みを湛え、懐に入れた両手を放った。
 じりっと、沙織の踏み出した右足が動いた。
 今、沙織の背には川の土手。つまり、対峙する陣風は川面を背にしている。
 今度は六枚の半紙が白い旋風となり、沙織を正面から襲った。
 沙織は旋回する六枚の半紙の間隙を縫い、陣風に正面から迫る。
 沙織の動きを空気の流れで感知した六枚の半紙は、一度旋回して沙織の背後から迫る。
 走りながら沙織は、右手の忍者刀を腰の鞘に仕舞った。
 「なに!?」
 敵に迫りながら肝心の武器である刀を仕舞うという奇行に、陣風の動きが一瞬凍り付く。
 「忍法、一蓮托生!」
 そう叫んだ沙織は陣風を正面からタックルで抱え、走って来た勢いで一気に川面まで走り抜けた。
 どぼんと水の弾ける音がした。
 そこは川原とはいえ、川面が河川工事によって整備されてたので溝のように水深は深い。
 沙織は抱き抱えた陣風の頭を強引に押さえ込み、一度水の中に深くダイブした。
 目標が水中に潜ってしまった為に、行く先を失った六枚の半紙は水面に墜落し、何の変哲もない白い紙となって春の川面を静かに流れてゆく。
 突然ぶばっと、水面に沙織と陣風の上体が浮き上がる。
 「どうだい!全身濡れてしまったら、自慢の技も使えないだろがぁ?!」
 沙織はその美しいずぶ濡れの顔を、ぶんぶんと振りながら言う。濡れた髪から水滴がほとばしった。
 忍法、一蓮托生。それは沙織が即興で編み出した、捨て身の技だ。敵の陣風をわざと川の背に誘い込み、抱え込んだ敵と一緒に水中に飛び込むという、一見や けくそとも思える強引な戦法である。当然、敵の陣風が懐に隠した奇怪な刃となる半紙も、全て水浸しとなって使用不能となるのである。
 「ああっ!わたしは泳げないんだぁ!助けてくれぇ!」
 陣風は水面でもがきながら、必死に沙織に取りすがろうとする。
 「あたしが知るか!こら!さわんな!」
 泳いで川原に体を持ち上げた沙織は、腰の忍者刀を鞘ごと抜き、川面でばたばたともがいている陣風に差し出した。
 「か、かたじけない…」
 陣風は沙織が差し出した刀の鞘を両手でつかみ、何とか川原に辿り着く。
 川原の堀にしがみついた陣風は、肩で荒い息をしながら言う。
 「わたしを助けて下さったのか?何とも貴女は、身も心も美しい御方。わたしは益々惚れ込んでしまいました。どうか一度、わたしと…」
 その陣風の頭頂に、がんと刀の鞘が落とされた。
 「アホか?取りあえずこのリターンマッチは、あたしの勝ちだね。」
 忍者刀の鞘を握る沙織は、にっと笑って言った。
 「仰せの通り。この陣風も楽しゅうございました。さぁ、この首を撥ねるなりなんなり、ご随意に。」
 陣風は少し嬉しそうに答える。
 「へんっだ。てめーの首なんか欲しかねえや。だけどな、てめーとのデートもご免だぜ。」
 そう言い捨て、沙織は立ち去る。
 「えっくしっ!」
 大きくくしゃみをした沙織は、鼻を啜りながら歩く。
 「また寒中水泳だよ、ついてねーな。早く帰って、鍋突きながら一杯飲るかぁ。」
 そう言う沙織は、何か違和感のようなものを感じていた。
 うつむいて見える歩く足下が、自分のものではないような感覚。
 何かふわふわと雲の上でも歩いているような、本来の自分の歩調とは違う不思議な気分だ。
 「風邪ひいたかな?いや、これは… シット!」
 異常を察知したが、既に遅い。
 「…忍法、偕楼同穴… ふふ、娘、儂の術からは逃れられんぞ…」
 「誰だ?!…てめー、あん時のクソジジイ…」
 何処からか聞こえた声の元を探ろうとするが、意に反し沙織はただ歩くだけの操り人形と化していた。
 
 天気の良い昼下がり。
 新たに移った貸家の縁側にも、春の日差しが差し込んでいる。
 香織は形の整ったその品の良い唇で湯飲みの茶を静かに飲み干し、白い指で空いた湯飲みをそっと縁側に置く。
 「いい天気… 気持ちいいわぁ。」
 香織は空を見上げ、その青空を抱きしめるように両腕を広げて伸びをする。
 「そ、こんな日は縁側で光合成するに限るよ。沙織おねーちゃん、どこ行ったんだろ?もう沙織おねーちゃんのお団子、食べちゃおうかな。」
 詩織は団子を頬張った口で言う。
 「詩織。常識的にそんな事は、食べる前に言うものよ。既にあんたがすっかり食べちゃってるじゃない。」
 「あれ?ホントだ。不思議な事もあるものねぇ。」
 詩織は空になった皿を持ち上げて言った。
 「あ、ウグイスさんだ。」
 わざとらしく皿を見つめていた詩織は、皿の先にある庭石に留まった小さな一羽の色鮮やかな小鳥に目をやる。
 庭石の上で、首を振り一度ぶるっと羽を震わせたウグイスは、その小さなきょとんとした目で縁側に座っている香織と詩織を見ている。
 香織の涼やかな表情が、突如険しいものに変わった。
 座っていた縁側に飛び上がると、袖の下から滑り出た棒手裏剣を右手に構えウグイスを睨みつける。
 「どうしたの、香織おねーちゃん?焼き鳥が食べたくなったの?そんな事をしたら、ウグイスさんかわいそうだよ。」
 「焼き鳥ならいいけど… 詩織、下がって。」
 香織は左手で詩織をかばうようにして、縁側の上で膝を立て油断無くウグイスを睨む。
 「…ふふ… よくぞ気づいたな、娘。」
 今、人影のない筈の庭から声がした。
 「やだぁ!ウグイスさんがしゃべったぁ!」
 香織の肩越しで、詩織は驚きとも好奇とも言える声で叫ぶ。
 「何者? 甲賀衆の者か?」
 棒手裏剣を構えた香織が聞く。
 「いかにも。うぬらの姉は預かっておる。この鳥が案内するので付いて参られよ。」
 それは、まだ若い小さなウグイスに似合わぬ老人の声であった。
 庭石に留まっていたウグイスがぱたぱたと羽ばたき、春先の青空に舞い上がった。
 「行くよ、詩織。沙織お姉さまの身に何かあったんだわ。」
 「うん。これはミエミエの罠よね。」
 詩織は側に置いてあった大きな布袋を担ぐ。
 香織と詩織が貸家の門を出た時、正面の家の塀に留まっていたウグイスが、香織達の姿を認めると同時に羽ばたき飛び上がる。
 「ウグイスを操るなんて、敵も大した術。早く沙織お姉さまを助けないと。」
 香織は真剣な表情でウグイスを追う。その美しい横顔に、焦りの色が伺える。
 「沙織おねーちゃん、あの人たちに捕まっちゃったの?」
 詩織は香織の後を早足で歩きながら聞く。
 「その様子ね。あの沙織お姉さまが捕まるなんて… きっと甲賀衆も最後の手段に打って出たのよ。」
 「ああっ!敵の手に堕ちてしまった沙織おねーちゃん。これからどーなるのっ?!」
 「ちょっと、詩織。それじゃまるで他人事みたいじゃない。あんただって、一度捕まってるのに。」
 香織は後ろを付いて歩いている詩織を振り返って言う。
 「詩織はいい子だから大丈夫だったの。普段の行いの悪い沙織おねーちゃんは、きっと今頃ごーもんよ、ごーもん。あんな事とか、こんな事とか…」
 「あんな事って、何よ?」
 「沙織おねーちゃんはね、足の裏の土踏まずのあたりを筆の先でこちょこちょとくすぐられるとね、死ぬほど喜ぶのよ。あと、黒板を爪できりきりと引っ掻く とね…」
 「やめて!聞いてるだけで身の毛がよだつわ!って、それまさか、詩織が沙織お姉さまにやってるの?」
 「うん。だって沙織おねーちゃん、いっつも寝起きが悪いんだもん。」
 「大変ね。沙織お姉さま…」
 「可哀想な沙織おねーちゃんの運命や如何に?!次回へ続く!」
 「緊迫感がどんどん消滅しているのは、私の気のせいかしら?」

 

 

 

To be continued …