こちら、桐生探偵事務所。異聞

〜女豹忍法帖〜
Villain Heaven


 参の巻

 「で、それからどうしたの?」
 香織は湯飲みから静かに茶を啜りながら聞く。
 既に陽は落ち、外はしんとした静寂に包み込まれていた。そこは、隠れ家として香織たちが買い取った簡素な武家屋敷だった。
 「デートを申し込まれたんで断った。」
 沙織は片方の頬を、頬張った団子で膨らませて答える。
 「そうじゃなくて、あの人たちがタダで帰る訳ないでしょ。」
 「ああ、そだ。こんなモンを置いて行きやがった。」
 沙織は口の中の団子を咀嚼しながら、陣風という男が残した半紙を懐から掴み出す。
 
 
 
 香織は沙織から受け取った半紙を見入ると、その形の良い唇を動かして読み上げ始めた。
 「ふたたひここにまひられよあすあさたつのこく」
 「なぁに?どういうこと?」
 詩織は串に刺さった先頭の団子を横から半分囓り、皿に置きながら聞く。
 「再び此処に参られよ、明日朝辰の刻。これは忍びいろは。」
 この暗号は木・火・土・金・水の五行に人と身を足した七つの偏に、色と青・黄・赤・白・黒・紫の七文字を組み合わせて作成される。いろは四十七文字に“ん”を加え、さらに“。”と“、”を残りの“身紫”に当てはめれば、全てで四十九文字となる。
 これは最もスタンダードな読み方であり、香織達に判読出来るように考慮されたものだ。実際はグループによって読み方や組み合わせをが変えられていた筈である。
 「果たし状だよ。別にすっぽかしちまってもいいんだけどな…」
 団子を飲み込んだ沙織は湯飲みを掴み、中身の茶を静かに啜る。
 「そうね。命を狙われに行くだけで、私たちに何のメリットもない。そう言いたいところなのよね…」
 香織は手を伸ばし、皿から詩織の食べかけの団子の串を摘み上げる。
 「あ、それ私のだよ。」
 詩織は香織の唐突な行動に慌てて言う。
 「詩織、“妙薬之擣節和合之法”は一体どんな内容だったかしら?」
 香織は摘んだ団子の串をゆらゆらと揺らせ、その目線は真っ直ぐに詩織の顔を見つめている。
 「え?なに… えっと、薬草の調合法でしょ…」
 香織の唐突な質問に、詩織は狼狽して言葉を濁そうとしている。
 「ミエミエなんだよ。いい加減、正体を現したらどうだい?お宝は何処にあるの?ってな。」
 沙織は脇に置いた忍者刀に手を伸ばし、鞘を握った手の親指で鍔を持ち上げる。
 一瞬の沈黙の中、ちんと軽快な金属音が響き渡った。
 「え?… ひどいよ、私が何をしたの?」
 詩織は香織に助けを求める視線を送った。
 香織は冷ややかな目で詩織を見つめて言い放つ。
 「詩織はね、団子を食べるときは串に刺さった団子の一個をまるごと頬張るの。あなたのように半分だけかじりつくなんて事はしないわ。」
 「これで決まりだな。あたしらの目は欺けねぇんだよ!」
 膝で立ち上がった沙織の右手から白刃が迸る。
 詩織は座った姿勢から瞬時に飛び上がり、迫って来た刀身をさらりとかわして後方へ飛ぶ。
 「よくぞ看破した。ふふ…お見事、と褒めておくわ。」
 詩織は。いや、詩織に化けた別人は、板の間に足音を立てずに着地し残念そうに呟く。
 「詩織の顔形や声まで真似るとは大したものね。でも、中身まではコピー出来なかった。」
 香織は立ち上がり、袖から白く細い両手を出す。その掌には棒手裏剣がずらりと並んでいた。
 詩織の顔に変化が表れ始めた。
 くるんとした目は艶めかしい切れ長の瞼に変わり、低めな鼻筋はすっと通った大人の女のものになる。詩織の清楚な顔立ちだけではなく特有の低い背丈と幼児体型ですら、見る間にグラマスで妖艶な美女のものへと変化した。
 真田源治郎信繁が差し向けた甲賀衆五人目の刺客は、年の頃は沙織と同じ程の彼女らに勝るとも劣らない美少女だった。
 「忍法、謎鏡止水。わたしの名は、甲賀五人衆の梅花。」
 この梅花という女忍者は、相手の顔形に留まらず声や背丈体型さえも、自らの体を変化させてそっくり写し取る。それが、忍法・謎鏡止水。それは見事にも、衣服さえ当人と同じものを擬装している事だった。
 しゅんと香織の掌から、棒手裏剣が銀色の閃光の尾を引いて飛ぶ。
 梅花と名乗った女は、着物の袖で飛来する棒手裏剣をはたき落とした。
 床の上に落ちた棒手裏剣が、ちんと無念の音を立てる。
 「いつ詩織とすり替わったの?そうか、あの二人と出会した時に…」
 香織は過去の事象に頭を巡らせながら、棒手裏剣を持つ手を交差させて身構える。
 「あの娘を攫ったついでに、潜入して御宝の在処を突き止めようとしたのだが… まあよし。この場でうぬらの首を撥ね、御宝とともに持ち帰るとしよう。」
 「思ってる程簡単に行くかな?世の中そうそう甘くはねぇぜ!」
 沙織は刀を振りかざし、一足飛びに梅花に迫る。
 梅花は迫ってくる沙織に向け、優雅な動作で右手を挙げた。
 梅花の袖口より朱色の流れが迸った。
 その朱色の流れは沙織の構えた刀に到達するや、刀身から沙織の腕にかけてしゅるしゅると巻き付く。
 「なにっ!」
 慌てて振り解こうとするが既に遅い。沙織の腕は刀と共に、梅花の放った朱色の布にがんじがらめに巻き取られていた。
 続いて梅花は、左の腕を香織に向けて繰り出す。次の手裏剣を打とうとした香織の首に、今度は桜色の布が巻き付いた。
 沙織、香織ともに、巻き付いた布がぎりっと締め付けて来る。
 「う、ううっ…」
 香織の掌からは棒手裏剣が落ち、首を締め付けている桜色の布を握り返すのがやっとの反撃だった。
 「ふふ…味わう気分は如何なもの?忍法、天衣夢縫。その気になれば、全身の骨が砕けるまで締め上げる事も出来る。」
 梅花は静かにほくそ笑んだ。その美しい顔に残虐な笑みが加わり、一層凄味のある妖艶さを増している。
 沙織を締め付けている右手が再び一振りした。
 今度は紫色の布が飛び、沙織の足首に絡み付く。
 「さあ、これで文字通り手も足も出ぬ。さて、妹君のほうから始末して進ぜようか。」
 梅花は左手の手首をくるんと返した。香織の首を締め上げる桜色の布に、更に締めつける力が増す。
 「くっ…」
 香織は首に巻き付いた布を握り抵抗を続けるが、布自体が万力のように香織の首を徐々に力強く締め付けて来る。
 「香織っ!」
 姉の声が遠くのほうで聞こえたような気がした。
 霞む視界の中で、ある匂いを嗅いだ。それは香織の首を締め上げている布からほのかに漂う、梅花という女の匂いだった。
 …これは… そう、そうか…
 「天衣夢縫… 甲賀忍法、破れたり。忍法、燈々無尽!」
 香織は残った力を振り絞り、自らの首を締め付けている布に右手を拳にして突き出す。
 香織の拳の甲からごうと火柱が吹き上がった。
 「ぬっ!」
 梅花は香織の首を締め上げている布に炎が引火したとみるや、手元からその布を切り捨てる。
 火の付いた布は床の上にぼたりと落ち、香織は首から素早く布を外す。
 すかさず香織は梅花に右拳を向ける。
 手首に取りつけた輪を曲げた指の先で引くと、腕に隠したタンクに分納された自然発火性物質と引火性物質の二種類の薬品が混合され、強力な発火性の有機性液体となり、装填された圧搾空気で動くポンプによって射出されたそれは外気に触れた瞬間、発火しながら飛び出す。
 忍法、燈々無尽。それは小型で袖の下に隠し持つ事が可能な、簡易式火炎放射器だった。
 ひらりと身をかわした梅花であったが、沙織を呪縛した二本の布に引火してやむなく切り捨てる。
 「うわ!あちちちっ!」
 沙織は火の点いた梅花の布を手早く解くと床に叩き付ける。
 「おのれっ!」
 梅花の両手から青と赤の布が飛び出し、沙織と香織の右手首に巻き付いた。
 香織は装置を取りつけた右手首を拘束されてしまったので、燈々無尽の術は既に使えない。
 「沙織お姉さま、走って!私と別の方向に!」
 咳き込みながらも大きく息を吸い込み復活した香織は、沙織に向けて叫ぶ。
 「そういう事かい!よっしゃ!」
 ばんと紙障子を割って、繋ぎ止められた三人が庭に飛び出す。
 長らく手入れをされていない荒れ放題の庭は広い。
 沙織は右方向に、そして香織は左方向に、庭の端まで走り出した。
 「あ、ああああああっ!」
 梅花の体が独楽のように回り始めた。
 香織と沙織は庭の端に立つ松の木を周回し、更に回り続ける梅花に繋ぎ止められている布の出口を掴むと、再び別方向へと走り出す。
 様々な色の布が庭に乱舞する。
 先程の香織の燈々無尽の術により、火が点いた武家屋敷が燃え始め、庭で交差し飛び交う煌びやかな布の乱舞を煌々と照らし出していた。
 「ああっ…」
 梅花は庭の土の上に倒れ込む。
 既に全裸であった。
 その白い背に、屋敷の炎がちらちらと映り込む。
 「ぬううう… 口惜しや。おのれ…」
 梅花の忍法天衣夢縫とは、数々の布を体に巻き付け着物に擬装しておき、それを自在に飛ばして相手に絡み付かせ、窒息もしくは絞殺する術だった。だから逆に身に付けていた衣を剥ぎ取ってしまえば、そこで術は使えなくなる。
 また身に付けた布の配列を変えることにより、様々なパターンの着物に擬装できる。つまり梅花は、詩織が着ていた物とそっくりの着物を作り出して外観上を欺いていたのだ。
 胸を隠してしゃがみ込んでいる梅花に、沙織と香織がそっと近寄る。
 「詩織は、詩織は何処にいる?」
 沙織は刀身をぐいと梅花の前に突き出す。
 「おいそれと答えるものか。さあ、この首を撥ねるがよかろう。わたしとて甲賀の女。敗北を喫したうえにこれ程の辱めを受けたとあれば、生きて帰る訳にはゆかぬ。」
 梅花は恨めしそうに沙織と香織を睨みつける。
 「まぁ、明日の朝には会えるよな。これはあんたが万が一、いや、実際に負けたんだけど… その為のメッセージだったんだからな。」
 沙織は懐から取り出した忍者文字の書かれた半紙をひらひらさせる。
 「!」
 瞬間、梅花の口に沙織の刀の鞘の先が差し込まれた。
 「おっと、舌を噛み切ろうなんて無茶するなよ。だいたいあんたに死なれちゃ寝覚めに悪りぃや。」
 香織は上に羽織った衣を脱ぎ、蹲った梅花の肩にそっとかけてやる。
 「情なぞいらぬ!わたしはうぬらの敵なるぞ。わたしに情けをかけるな!」
 鞘の先を吐き出した梅花は、顔を背け肩をわなわなと震わせて叫んだ。
 「情け?… なんだそりゃ?あたしらの範疇には、ハナっからそんなものは存在してねぇんだぜ。あたしらは損得勘定で生きてるんだ、単純なものさね。そう、敢えて言わせて貰えば“勿体ない”ってとこかな。」
 「そうね、貴女は素敵な人。もっと生き方を楽しんでもいいんじゃないかしら。」
 香織は梅花の背中に掛けた衣の上から、そっと肩を抱く。
 梅花の鼻腔を少女の甘い香りがくすぐった。
 「甘い… うぬらは、甘いぞ。」
 立ち去ろうとする沙織と香織の背に、梅花の呪詛とも警告とも取れる声が追ってきた。
 「上等だよ。」
 沙織は振り向き、にっと笑って答えた。
 「さて。それはそうと、家が燃えちまったなぁ…」
 「新しい隠れ家を探さないと… その前に詩織を救出するのが先決ね、沙織お姉さま。」
 「やれやれ…とんでもねぇお宝だな、ありゃ。」
 燃え落ちる屋敷の炎は、少女二人の顔を一層美しく照らし出していた。
 
 「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!沙織おねーちゃーん!香織おねーちゃーん!」
 「これ、娘。泣くでないわ。まことに困ったのう…」
 忍者屋敷に響き渡る号泣と、それをなだめ続ける男の声。
 天山という大男は、攫って来た娘にほとほと手を焼いていた。
 「ほれ、飴玉を買ってきてやったぞ。もう泣くでない。」
 そこへ小太りの男が駆け込んで来た。
 「おお、待ちかねたぞ、晴嵐。どうじゃ、これで機嫌を直せ。」
 紙袋に入った飴玉が、顔を涙と鼻水でぐしょぐしょにした詩織の前に突き出される。
 「…… 詩織は… 詩織は、お団子がいいの…」
 「何!それはまことか?晴嵐、団子を買うて参れ!」
 「またわしが使いっ走りか。何よりこんな夜中、巷の商いは既に閉まっておるわ。」
 当然の事だが、コンビニなど存在しない時代である。無理もない。
 「ぬぅ、不覚。」
 「……お団子… 食べたい…」
 「ま、まて!娘!団子の粉を探して来るから、暫し待たれよ!頼む、泣くな…」
 「天山、ぬしに作れるのか?」
 「知らぬ。が、なせばなる。」
 「こんな時に陣風と梅花がおれば、よい遊び相手になったかも知れぬな…」
 がらりと戸の開く音。
 隣の部屋からぬっと現れたのは、枯れ枝のような老人が一人。額に濡らした手ぬぐいを宛っている。
 「おお、景雲斎殿。寝ておられたのでは?」
 詩織の前にしゃがみ込んでいた晴嵐は、瞼はくぼみ顔色の悪い景雲斎を見上げて言った。
 「いや、寝るどころか熱気がして来たわい。その娘の泣き声に天井が回っておるぞ。」
 「明日の朝までの辛抱でございます。梅花はしくじった様であるが、必ずやこの天山が御宝と引き替えに、こやつともどもきゃつらを始末して参りますゆえ。」
 「明日の朝か… それまでが長いのぉ…」
 晴嵐は遠い目で呟く。
 その時、ぐずりと詩織の鼻水を啜る音がした。
 景雲斎、天山、晴嵐の三人が同時に身構える。
 「うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!お団子食べたいよ〜ぉぉぉぉっ!」
 既に泣く理由は何でも良かった。
 これぞ石川忍法、泣き落とし。
 
 牢の造りになった個室で、詩織は一人ゴザを被る。
 泣き疲れ、しんと静まり返った甲賀の忍者屋敷は寒々しい。
 「おねーちゃんたち、心配してるだろうなぁ…」
 姉の事を考えると再び涙が溢れて来た。
 既に声は枯れてしまって、嗚咽さえも胸が苦しい。
 「…娘、憂うでない。おれが付いておるから、気を大きく持たれよ…」
 その時、何処からともなく聞き覚えのない声が詩織の耳に響いて来た。
 「え?だぁれ?」
 詩織はきょとんとして辺りを見渡すが、それらしい人影は見あたらない。
 再び静寂が詩織の背中にのしかかる。
 「誰なの?…」
 声の主を探そうとして周囲の気配を探るが、今日一日の疲れからか、詩織はうとうとと眠りに引き込まれる。

 

 

 

To be continued …