こちら、桐生探偵事務所。異聞

〜女豹忍法帖〜
Villain Heaven


 弐の巻

 「うーん… あれって、やっぱ推進力が必要かなぁ。」
 詩織は先程から思案をぶつぶつと呟いている。
 「推進力って?」
 隣で一緒に歩いている香織は、詩織の顔を覗き込み聞く。
 「忍法、鴉天狗。あれは滑空しているだけなのよねぇ。航空力学的に問題は無かった筈なんだけど。」
 昼間、人々が賑わう大坂の町。町娘の格好をした二人は、先程買った好物の団子を手に、町の見物がてら家路に着いていた。
 「メタノールにヒドラジンと水を加えてそれに過酸化水素を触媒で反応させるの、そうすれば酸素と水に分解されて爆発的な推進力が得られる筈よ。そぉね〜、後は翼の強度がネックなの…チタニウムか、せめてグラスファイバーでもあるといいんだけど。」
 この可愛らしいマッドサイエンティストに、香織は呆れ果てた顔で聞いた。
 「誰がやるのよ…」
 「もちろん、沙織おねーちゃん。」
 「沙織お姉さま、嫌がるどころか怒り狂うわよ。」
 「そおかなぁ…いいアイデアだと思うんだけど。そうそう、特殊な火薬、つまり固体燃料を背中に背負って飛ぶ“ロケット変身”という変化の術があるって聞いた事があってね♪」
 「それ聞いたら沙織お姉さま、どんな顔するかしら。さあさ、早く帰ってお茶にしましょう。」
 「さんせぇ〜!」
 「沙織お姉さまの分も残しておいてあげないとね。」
 「あははっ!沙織おねーちゃんが大魔神になっちゃうっ!今頃は、わるいおとな遊びの真っ最中なのにね。」
 香織はくすりと笑う。
 瞬間、異様な殺気に足を止めた。
 「どうしたの?香織おねーちゃん…」
 怪訝そうに顔を覗き込む詩織をかばうように、そっと自分の背中に追いやる。
 前方から歩いてくる虚無僧が二人。
 右側の男は天を突くような大男で、左側の男は詩織の背丈より低い丸々と太った男だった。
 近づく程にまとわりつくような殺気を香織は肌で感じ、男達を睨みつけながら身構える。
 男達は香織の手前、一丈程の距離を置いて立ち止まった。
 「やっと見つけたぞ、娘。その身のこなし、まさしく聞いたとおりじゃな。」
 声は大男の方から聞こえた。香織の耳にしか聞こえない声だ。
 「貴方は?そう、追っ手の一味ね。」
 香織は答える。その側で通りを通過する人々の耳に、男と香織の会話はまるで聞こえない。
 忍者特有の喋り方が通じるのは、相手も忍者である事に間違いなかった。
 「我らとて無益な殺生は好まぬ。どうじゃ、素直に御宝を渡すとよし。さもなくば…」
 「いやだと言ったら?」
 香織は着物の懐に右手を差し込み、帯に差した短筒の銃把を握る。
 特製の上下二連式、大口径の弾頭を使用する短筒だった。
 相手は二人、この距離なら絶対に外しはしない。
 「何を呑んでいるかは知らぬが、そんなもので我らは倒せぬぞ。ふふ、その可憐な顔で命乞いをする絵を見てみとうなったわ。」
 「香織おねーちゃん…」
 香織の背中で不安そうに声をかける詩織の手をそっと握りしめる。
 その時、香織は鼻に異臭を感じた。
 一陣の風が、酢をもっと濃厚にしたような匂いをどこからともなく運んで来たのだ。
 「詩織!」
 「は、はいっ!」
 どんという破裂音が響き、眩い閃光の後、白煙が周囲に広がる。
 傘で顔を隠した虚無僧姿の男達は、白煙が飛び去るのを身じろぎせずに眺めていた。
 少女二人の姿は、既にそこには無い。
 先程の爆発音に驚いた野次馬が、大通りに集まって来た。
 「ふん、逃げたか。」
 大男が忌々しげに呟く。
 「ああ、どうやらおれの術に感づいたと見える。」
 隣の背の低い丸々と太った男が言った。
 「しかし、晴嵐。これでは後を追えんわなぁ」
 大男は晴嵐という太った男に囁く。
 「まことにな、天山。あれ程の娘に会うたことはないわ。ふふ、面白くなってきおったわい。」
 天山という大男は、右足に履いたわらじの先と地面を縫いつけているマキビシを抜き取る。
 男達が気付かない間に。そう、それはおそらく最初に見合わせた時点で、香織が男達の足下に放ったものだった。
 晴嵐という太った男のほうを見ると、天山と同様にわらじの先に突き刺さったマキビシが、見る見る茶色く変色している。
 すっかり形が崩壊したマキビシは既に戒めの役に立たず、晴嵐のわらじからさらさらと崩れ落ちてゆく。
 
 通りを歩く人の間を走り抜けながら、香織は懐の短筒を抜き出した。
 異様な手触りに気が付いて、詩織の投げた目くらましの閃光を伴う煙玉に紛れて身を隠した後だった。
 見れば、短筒は銃身を始めとして引き金に伴う金属製の機関部に赤錆が浮いていて、全く使い物にならないと言っていい程の状態になっていた。
 「これは?… これって、錆びてるじゃない!」
 隣で詩織が聞く。既に息が切れている。
 「もう安心。それにしても、妙な術を使う相手だわ…」
 詩織の体力を考慮して、走るペースを下げた香織は呟いた。
 「沙織おねーちゃん、大丈夫かなぁ…」
 詩織は息を切らせ、歩きながらに呟く。
 「心配ね、急ぎましょう。」
 香織は詩織の手を引き、町中を早足で歩く。
 
 三郷の遊女町。昼間から客を引く女の声があちらこちらで響く。
 侍の姿をした沙織は遊郭の二階の窓辺に座り、手すりに寄りすがってそんな風景をぼんやりと眺めていた。
 手にした真鍮手綱太煙管から煙をくゆらせる。春は間近の遊女町の通りに並んだ梅の枝には、小さなつぼみが膨らみ初めていた。
 「えっくしっ!」
 不意に沙織はくしゃみをし、鼻を啜る。
 「おや?風邪を引かれましたか、旦那様。」
 赤い着物を纏った遊女の一人が沙織にすり寄って来る。
 「昨日の寒中水泳… いや、たぶん妹がロクでもねぇ事を言ってやがるんだよ。」
 沙織は遊女にぐいと大杯を差し出す。
 遊女は沙織の大杯に酒を注ぐ。
 徳利の酒が無くなった。遊女は控えていた女中に、酒のお代わりを持ってくるようにと言った。
 「妹様がいらしたのですか?旦那様に似て、さぞかしお綺麗な方なのでしょうね。旦那様も何故女なのに、わざわざ御武家さまの格好をされてこんな所に来られるのですか?」
 沙織は杯の酒をぐっと口に流し込む。
 ふうと溜息をついて、再び外の風景を眺める。
 「あたしゃここの空気が好きなんだ。ここで酒を飲んでるのが、何より極楽ってもんさね。」
 「変わったお方ですこと…」
 遊女は窓辺に座った沙織の腰にしなだれかかる。沙織は気に止めた風でもなく、煙管から吸った煙を口から吐き出した。
 紫煙がのんびりと青空に舞う。
 
 女中は徳利を乗せた盆を抱え、厨房からの廊下を歩いていた。
 未だ年端も行かぬ、少女と言える程の歳の若い女中だった。遊女が相手にしていたあの侍姿の女の顔を思い出し、ぽっと顔を赤らめる。
 …綺麗な人だったなぁ。私もお百合姉さまのようになったらきっと…
 少女は期待に胸を高鳴らせつつ、再びあの女の顔を盗み見るのを楽しみにして酒を運ぶ。
 何時現れたのか、少女の後ろに一人の老人の姿があった。
 音もなく現れたその枯れ枝のような老人は、奇妙な事に前を歩く少女の背後から少女と全く同じ歩幅で、足の動きさえ同調させて歩いている。
 「忍法、偕楼同穴…」
 真田幸村が差し向けた刺客、甲賀の景雲斎は小さく呟いた。
 
 女中は紙障子を静かに開け、徳利を載せた盆を抱えて部屋に入る。
 相変わらず侍姿の女は、窓辺に腰掛け外の風景を眺めている。お百合姉さまはその膝元に寄りかかり、うっとりと瞼を閉じていた。
 女中は徳利の乗った盆を置き、女の横顔をちらりと盗み見て静かに去ろうとした時である。
 侍姿の女、沙織は手に持った大杯を女中に突きだした。
 「次はお前が酌をしろ。」
 女中は沙織の言葉に、背筋に電気が走ったようになって硬直した。
 「え?わたくしめが…」
 「ほら、お千。旦那様が酌を所望しておられますよ。」
 お千という年端も行かない少女の気持ちを察してか、この遊郭きっての売れっ子お百合姉さまはにっこりと笑って客の要望を勧めていた。
 徳利を持つ手が、喜びと緊張のあまり震える。
 「し、失礼します…」
 お千は身を乗り出すと、沙織の差し出した杯に徳利の口を当てた。
 その時だった。お千の手から徳利が滑り落ち、畳の上に酒をぶちまける。
 お千は目にも止まらない早さで、座っていた遊女の髪からかんざしを抜くと逆手に持って沙織に襲いかかった。
 沙織は反射的に杯を放り投げ、襲いかかるお千の手首を掴んだ。
 凄い力だ。到底少女の力とは思えない怪力。
 沙織は目の前に迫って来るかんざしの切っ先から逃れようと、必死に首をねじ曲げる。
 お百合の悲鳴が響く。
 沙織は無表情なお千の顔を見る。その目には意志の光がなかった。
 「許せ!」
 沙織はお千の腹部を膝で蹴り上げる。
 溜まった息を全て吐き出して意識を失ったお千の手首をねじ上げ、握っているかんざしを奪い取る。
 沙織はお千の体を放り出すと、閉じられたままの障子を睨みつける。
 奪い取ったかんざしを沙織は掌に挟むや、手首のスナップを利かせて投げる。沙織の手から飛んだかんざしは、一直線に紙障子を貫通した。
 立てかけてあった刀を掴むと、一気に障子を開いた。
 そこには、土壁に突き刺さったかんざしが一本。
 「ガッデム!」
 沙織は振り向き懐から金子をいくつか掴み出して、畳の上に放り投げる。
 「その娘は狐に憑かれただけだ!責めるに及ばん。いずれ改めて、その娘に酌をしてもらう前金も払っておくぜ!」
 沙織は階段を駆け下りる。
 遊郭から飛び出すと、カンを頼りに影を追った。
 「娘、そこの天神で待っておるぞ。」
 遊女町を走り抜ける沙織の耳に、どこからともなく声が聞こえた。
 沙織は周囲を振り返るが、それらしい人影は認められなかった。
 忍者が特定の相手だけにターゲットを絞って囁く時に使う発声法だ。
 「けっ!ナメた真似しやがって!」
 
 沙織は天神の境内に踏み込む。
 そこは町の喧噪から隔離された別世界。
 腰の忍者刀の柄を握り、身構えながら油断なく周囲を伺う。
 じりっと一歩踏み出した時だった。
 参道の石畳の側に立つ杉の巨木の影から、一人の着流し姿の男が現れた。
 遊び人の風情の町人のようであるが、すらりとした高い背丈に加え、なによりその秀麗なマスクが目を引く。
 この男が町を歩けば、流し目をくれるだけで大勢の女がぞろぞろと後を付いて来る事であろう。
 「これはこれは… 美しい方だと聞いておりましたが、噂に違わぬ美形。一目お会いしたいと願っておりましたぞ。」
 「誰だ、てめえ。」
 沙織は刀の柄を握り、じりっと半身で構える。
 「わたしの名は陣風。以後、お見知り置きを。」
 「あたしは、二代目石川五右衛門。あの娘を操ったのはてめえか?」
 沙織は鋭い視線で男を睨む。
 「これは心外な。わたしは御婦人にそのような無粋な真似は致しません。あれは景雲斎殿が仕掛けた事。わたしはただ、貴女さまのお相手をする為に参上仕った。」
 「景雲斎?そうか、あん時のジジイか… まぁいいや。一緒くたにまとめて引導を渡してやるから覚悟しやがれ。」
 沙織は鞘から刀を抜く。刀身が陽光を反射させ、きらりと輝いた。
 「美しいお方がそのような言葉遣いを… いや、きっとそれが貴女様の魅力なのでしょうね。さて、お手並み拝見と行きますよ。」
 陣風という優男は丸腰である。
 武器を持っていない筈であるが、その余裕に満ちた気配は不気味さを通り越して、当に滑稽とも言えた。
 優雅な身振りで手を胸の前に交差させる。
 来る!
 沙織は身構えたまま精神を集中させる。男の足の指一本の動きさえも見逃さない。
 陣風という男とは十分に距離を置いている、懐に飛び込まなければ刀の攻撃範囲に入らない。
 だが、この男の気は離れた沙織を包み込んでいた。つまり、既に沙織はこの陣風の攻撃範囲にあると言う事だ。
 この男の得物は飛び道具に相違ない。
 何で来る?手裏剣か、それとも鉄砲か…
 男が腕を振り下ろした次の瞬間、反射的に身を屈め間一髪で避けた沙織の頭上を白い旋風が襲った。
 沙織の頭上を通過した旋風は、そのまま背後の雑木林に飛び去った。
 背後でざざざと木々の枝が切れて落ちる音がする。
 「次は、かわせますかな?」
 陣風は懐に入れた手を、手首を返すようにして繰り出す。
 ぶんと空気を切って、再び白い旋風が沙織に迫って来た。
 沙織は横に飛んで攻撃を避ける。
 だが、その白い旋風はまるで意志でも在るかの如く、空中で方向を変えて沙織に迫る。
 地面を転がりながら間一髪で避けた沙織の上を通過したが、再び立ち上がり背後に飛んだ沙織の見ている目の前で、向きを変えて正面から迫る。
 「チッ!」
 沙織は正面から迫る白い旋風に目がけ、思い切り斬りつけた。
 妙な手応えを感じた。物を切った時の感触ではなく、何かが刀身に絡み付いたような感覚。
 「これは!」
 刀にまとわりついた物を見て、沙織は驚愕した。
 沙織の忍者刀には、一枚の白い半紙が張り付いていた。
 「忍法、画竜辿睛。逃げても無駄ですよ。貴女が動けば風が起こる。この半紙はその風の動きに従い、どこまでも貴女を追い続けます。」
 沙織は地面を転がりながら、陣風に向けて続けざまに二つの十字手裏剣を打つ。
 陣風が両手をかざすと、前にふわりと二枚の半紙が舞った。
 二枚の半紙は沙織が放った十字手裏剣を柔らかく受け止め、包み込みながら静かに地面に落ちた。
 沙織は杉の木を背後にして立ち上がり、刀身に絡み付いた半紙を振り落とそうと必死になって刀を振り回す。
 「短気で気性の激しいの貴女は、まさしくこの術の恰好の餌食なのです。さあ、どうしますか?」
 沙織は腹の中でカチンと来たのを表情に表さず、半眼で静かに刀を構える。
 動きを停止した沙織の刀から、ひらりと半紙が落ちた。
 「そうです、一つ賢くなられましたね。今日はここまでにしておきます。どうです、わたしと一度逢い引きしては頂けないでしょうか?さすれば、貴女の事は見逃して差し上げても宜しいのです。貴女のような美しい方を殺めるのは、実に忍びない。」
 沙織はぎりっと奥歯を噛む。
 歯の隙間から渾身の拒絶を込めて言葉を吐き出した。
 「Fuck you!」
 「聞き慣れない異国の言葉ですね。でも、何となく敵意は伝わって来ますよ。残念ながらわたしは振られてしまったようです…」
 陣風の手から再び半紙が沙織に向け、高速回転をしながら飛来する。
 沙織は、今度は避けなかった。
 明らかに沙織を外して、沙織の頭上一尺あたりの杉の幹にだんっと突き刺さった。
 「では。またお逢いしましょう。麗しい御方。」
 陣風は懐に手を差し入れその手を宙にかざすと、長い大ぶりの半紙がきりきりと宙に舞った。
 その半紙の舞いは暫くの間陣風の体の周囲を旋回していたが、突然与えられた生命を失ったかの如くひらひらと地に落ちる。
 地面の上で折り重なった半紙だけを残し、陣風の姿は消えていた。
 沙織は肩の力を抜き、大きく息を吐き出す。
 刀を鞘に納め、ゆっくりと顔を上げた。
 「あんにゃろ… ムカつくう〜〜〜〜〜ぅっ!」
 一人で地団駄を踏むが、あとの祭り。実際あの陣風という男の術に、手も足も出なかったのは事実だ。
 気を取り直した沙織は、頭上の杉に突き刺さった半紙に手を伸ばす。
 回転が加えられていた時とは打って変わり、どこから見ても何の変哲もない普通の半紙は、自らが付けた杉の幹の切れ目から垂れ下がっていた。
 沙織はその半紙に記された達筆な墨文字に目を通し、くしゃくしゃと丸めて地面に叩き付けた。
 が、そこで思い止まり、丸めた半紙を拾って懐に仕舞いながら呟く。
 「ウゼえなぁ。何考えてやがんだろ?…」

 

 

 

To be continued …