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こちら、桐生探偵事務所。+10
薔薇の標的
Chapter
4
閑静な住宅街に、アプリリア・マーナのVツインエンジンの音が響く。
ログハウス調の店舗の隣、同じく木造の大きなガレージの中に、香織を乗せたアプリリアが滑り込む。
「おかえり〜。香織おねーちゃん。」
「おっせーぞ、香織。」
ガレージでは腹違いの姉と妹が待っていた。
広いガレージは乗用車なら五台は停められるスペースがあり、更に奥には一段高い板の間が作られていて、工具や加工機材がきちんと棚に収められている。他
に木造の椅子とテーブル、流し台にコンロ、ベッドにも使えるソファーも据えられており、二人ぐらいなら生活も可能だ。
アプリリアのスタンドを下ろしエンジンを停め、香織はフルフェイスを脱ぐ。
明るい色に染めたセミロングの髪がさらりと流れた。
「これでも高速カッ飛ばして帰って来たんだよ。高速なんてホント、つまんないんだけどね。」
香織はアプリリアから降りながら言った。
短時間で距離を稼ぐのにはいいが、ツーリングライダーにとって変化の無い高速道路は退屈な道でしかない。
「おっ!新型じゃん!いつの間に買ったんだ?ちょっと乗せてよ。」
ジーンズに胸元の開いた黒いセーターという出で立ちの沙織は、まだエンジンの熱気が立ち上っているアプリリアの車体の側に跪き、しげしげと覗き込む。
「沙織お姉様はダメ!」
「なんでだよ?かてー事言うなよ。」
「納車したてのあたしのダブルアールでブッこけて、速攻廃車にしたのは誰よ?」
「うーん…。若気の至りというか、何と言うか…。」
香織の言うダブルアールとは、ホンダCBR1000RRの事だ。ほんの数週間前の出来事である。おそらく沙織の前科は、これだけに留まらない筈だ。
「せめて慣らし運転ぐらいさせてよね。若気の至りで廃車なんて、堪ったものじゃないわ。」
「おめーだってなぁ!あたしのランサーのタービン、回しすぎでブッ壊したじゃんか!」
「あれはセッティングが悪かったのよ。レース用パーツは繊細なんだから。」
この長女と次女、表面上はまるで正反対の性格のようであるが、根本的な深い部分でよく似ている。同一の遺伝子で出来ている証拠である。
「はいはい。ケンカはそこまでよ、おねーちゃんたち。お仕事ミーティングの始まり、始まりぃ〜♪」
これぞ全く違う遺伝子と思われる末妹が、二人の間に割って入る。
この緩衝器があるからこそ、三姉妹のバランスが取れているのだ。
花柄のブラウスにデニムのロングスカート姿の詩織は、テーブルの上に乗っているノートパソコンの電源を入れた。
ネットワークに接続された、詩織の自作であるガレージ制御アプリケーションが起動する。
モーターの音と共にガレージ正面のシャッターが閉じ、側面上部にある全ての採光窓も閉じられる。
続いて香織たちの正面と左側の壁に備えられた工具棚が、油圧シリンダーによって横にスライドする。
正面の棚の背後から大型液晶モニターが現れ、現在詩織の操作しているパソコンと同一の画面が映し出された。
スライドした左側の棚の裏には、多目的機関銃からアサルトライフル、サブ・マシンガン、コンバット・ショットガン、ハンドガン、グレネード・ランチャー
等に至る、各種の武器弾薬がずらりと並んでいた。
香織はこのガレージを作る時に、こういった仕掛けは無駄だからやめろと反対したのだが、「カッコイイから」とか、「このほうがモチベーション上がるじゃ
ん」とか言う姉と妹の意見に押され、二対一の多数決で採用されてしまった。
趣味である。
正面の大型液晶モニターの開いたウインドウに、カールしたゴールデンブロンドの青い瞳の少女が映し出された。
「彼女が今回のターゲット、ローゼ・ルーデンドルフちゃん。」
敢えてわざわざマイクロフォンを通したシリアスな詩織の声が、防音壁に固められたガレージに響き渡る。
「なによこれ!どーしたのよ?!ひーこ!」
事務所に入った途端、下垣内倫子が絶叫した。
上下の赤いジャージ姿で、右肩に道着を入れたスポーツバッグと、背中に買い物を詰め込んだショルダーバッグを背負っている。
背中のショルダーバッグから、長ねぎのパッケージがはみ出ていた。
近所の空手道場の師範をしているこの女は、今事務所の床をせっせと掃いている白木姫子と同い年の26歳。
姫子より頭半分高い身長に、古武術で鍛え抜かれ均整の取れた体躯を持つ美女だ。
有名な美人空手家として、多くのスポーツ雑誌の取材依頼も殺到している。
今道場の少年部の指導を終え、ジョグで帰って来たのだろう。うっすらと額に汗が滲んでいる。
「あ、倫子〜。おかえり〜♪」
姫子が振り返り、にかっと笑う。
「何があったの?特殊部隊の襲撃でもあったみたいじゃない。」
ガラスが吹き飛んだ窓には、応急処置としてガムテープで新聞紙が貼られ、夜風を受けてばたぱたと鳴っていた。
「うん、近いな。そんなとこ。いきなりスパイ組織のおじさん達が窓から入って来たから、あたしが伸してあげたら、『よし、合格!』って言って、拓也を探
してたから、『居ません』って言ったら、お仕事頼んで帰っていったの。」
「そんな事、あるの?」
実際にあったのだから仕方がない。
「さぁてと、片付いた。片付いた。窓のガラスとブラインドは、明日業者のおじさんに任せてと。」
姫子はほうきとちり取りをロッカーに仕舞い、ぱんぱんと両手をはたく。
「まだ拓也と連絡は取れないの?」
倫子は困り顔で聞く。
「連絡も何もアイツ、ケータイ忘れて行ってんだからどーにもなんない。」
姫子は所長の机の上を指し示す。
整頓された机の上に、充電器に乗った携帯電話がぽつんと置かれていた。
「あのバカ、仕事だって言ってたけど、何の仕事なんだか…」
倫子はそう呟きながら、肩のスポーツバッグを下ろし右手に提げなおす。
「倫子ぉ〜、お腹空いた〜。何か食べにいこ〜。」
姫子が言う。来客時の対応とは、全く別人の喋りになっている。これも気心を許した古くからの親友の前で見せる、本当の彼女の姿なのかも知れない。
「はいはい。もう閉めちゃって帰りましょう。今日はカレー鍋するから、ウチにおいで。」
「おお〜っ!カレー鍋ぇ♪カレー鍋ぇ♪」
姫子は妙な節を付けた歌を口ずさむ。
「ひーこ、あんたはたぶん五人前は食べるから、お鍋は別よ。」
「イエッサー!作るのお手伝いします。」
どやどやと二人が事務所を後にする。
ぱちんと事務所の明かりが消えた。
薄闇と静寂に支配された、事務所の中。
窓に貼られた新聞紙が、ぱたぱたと鳴った。
「あ〜っ!わすれてたぁ!」
突然ドアの開く音と共に、蛍光灯の明かりが復活し、姫子の絶叫が響き渡る。
来客用テーブルに置かれた書類封筒を、姫子が掴み上げる。
「こっかじゅうようきみつじこう。トップシークレット。読後焼却すべし。ここに投げてちゃまずいじゃん。」
書類封筒を胸に抱き、事務所を後にする。
再び事務所の明かりが消え、闇の中でドアが閉じられる音が響く。
白木姫子、優秀な秘書である。
「で、この件の重要人物と思われる、国際放射線医学研究所のボーエン博士が二日前から失踪。ところがね、失踪する直前に博士はある探偵社に接触している
の。100パーセント、保護されていたライプニッツ協会の極秘研究施設から姿を消した、ローゼちゃんの捜索依頼だと考えていいわね。」
「そのローゼが、今日本に来ているって事?」
深々とソファーに座り、肘を膝の上に乗せ両手を顔の前で組み合わせ、詩織の説明を聞いていた香織が聞く。
「そうなのよ、それを武器商人の楊雲章と密輸屋のリュック・モンテーニュが追っているの。」
「彼女が日本に来た目的は?」
ソファーの背もたれに腰掛け、腕を組んで説明を聞いていた沙織が聞く。
「それが分からないのよね。彼女の捕獲に、モンテーニュも相当苦戦しているみたい。それでね、別の情報筋によると、日本政府の公安調査庁がドイツ連邦情
報局・BNDからの協力要請で情報提供を受けてて、何の因果かその探偵社に調査依頼を出したらしいわ。」
「その探偵社から洗い出してみるか。」
沙織は短めにカットした前髪を、指先でかき上げながら言った。
「そうね。それが手っ取り早いわね。で、その探偵社って?」
香織が聞く。
「うーん。前置きが長かったけど、やっと核心に近付いたわよ。おねーちゃんたち。」
詩織がにやりと笑って言った。
「何だよ、勿体ぶるなよ。」
「あの、私… とってもイヤな予感がするの…」
沙織と香織が引きつった顔を見合わせる。
「そう。おねーちゃん達も、よーく知ってるひと。」
「まさか…。」
「アイツ?…」
三人の正面の大型液晶モニターのウインドウに、探偵社の名前と住所、電話番号と、代表者の氏名と顔写真が映し出される。
「わりィ偶然だぜ、こりゃ。」
「お約束よ。あのトラブルメーカーの。」
沙織と香織が頭を抱える。
「うふっ♪拓也くん、だーい好き!」
詩織は両手を組み祈るような格好で、その少女のようなきらきらした瞳でモニターを見据えて言った。
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