こちら、桐生探偵事務所。+10
薔薇の標的

Chapter 2
  
 「はい。ミルフィーユとモンブランですね。720円になります〜っ!」
 閑静な住宅街にある、ログハウス調の小さな洋菓子店。ケーキ類を陳列するガラス棚のカウンターの背後で、一人の女がせかせかと走り回っている。
 白いエプロンが眩しい伝統的なメイドスタイルは、ストレートヘアをボブにカットしたこの女に似合っていた。
 その清楚で無垢な容姿に加え、25歳という実際の年齢より幼く感じる鼻に掛かった舌足らずな声はその店の看板でもあった。
 ログハウスの正面玄関に、『Brough Superior』と木製の看板が掛かっている。
 その正面玄関の先には、長蛇の列が出来ていた。圧倒的に若い男性客が多いが、それに混じって中年男性や若い女性もいる。
 噂が噂を呼んで、店で売りに出している高クオリティの洋菓子もだが、何よりこの店を経営している美人姉妹を一目見ようという、それが目当ての客が約 87%を占めており、中には殆ど毎日、シュークリームを一個だけ買いに来るリピーターもいる始末だ。
 スイーツショップ、ブラフ・シューペリア。今日も大盛況であった。
 「お決まりですか?どれに致しましょう?」
 女は次の客を応対する。無理に作った明るい表情に、若干の疲れが見える。
 「えっと… あのバイク乗ってる茶髪のきれいなおねーさんは、今日は居ないんですか?」
 「あ、今日はダンナとお出かけです。」
 女はにっこり微笑んで答えた。
 客の学生風の若い男は、後頭部にがーんという字幕を強打を受け、肩をがっくりと落としすごすごと帰ってゆく。
 「イチゴのショートと、チーズケーキ。あのぉ… いつもの、背の高いカッコいいおねーさんは?」
 サラリーマン風の、どう見ても現在仕事中の若い男が注文と質問をする。
 「あ、おねーちゃんでしたら、今保育所に子供を迎えに行ってます。もうすぐ帰ると思うんですが。」
 仕事中のサラリーマン風の男は、腰を抜かしてその場にへなへなと崩れ落ちる。
 「はい。イチゴのショートとチーズケーキ。870円になります。あの、大丈夫ですか?」
 女は白い小さな包みを差し出しながら、レジ台の奥から覗き込む。
 どう見ても仕事中のサラリーマン風の男は立ち上がり、女に代金を払って帰ってゆく。その背中に、真冬の木枯らしが吹いていた。
 「もー、おねーちゃん達は商品じゃないんだからね… はい、どれに致しましょう!」
 女は一度小さく愚痴ておいて、また明るい笑顔で客に応対する。
 最近この女が考えた、姉達の露骨な追っかけを断る作戦だった。つまり、嘘も方便という事だ。姉達からは猛反対だったが、店の番を一人でしている時はよく 使う手だった。
 「チョコレートケーキ。」
 注文した少年は、高校生だった。あばた面で髪の毛をワックスでつんつんと立たせ、斜に構えた不良を気取っている風の少年だ。
 「はい、チョコレートケーキです。380円。あ、君よく来るね。今、がっこの帰り?」
 少年はこの店に8回通って、初めてこの女に必要以外の言葉をかけて貰った。
 かぁっと顔が赤くなる。
 「うん。」
 少年は赤くなった顔を隠すようにして、うつむいて答えた。うつむいたまま、千円札を女に渡す。
 「おつり、620円です。どお?チョコレートケーキ、おいしい?」
 釣り銭が少年の掌に乗り、その手が女の両手に包み込まれた。
 白い小さな手は柔らかく、暖かかった。
 女は必ず習慣で、釣り銭を渡すときにレシートと一緒に客の手を軽く握りしめる。その方が誠意が伝わるという、女の客に対しての配慮だった。
 「うん…。」
 少年は短く答え、足早に店を出てゆく。女に握られた右手を見つめ、ぐっと拳を作って嬉しそうに駆け出していった。
 この女にも確実にファンはいる。
 彼女の名は、結城詩織。
 
 客足がぴたりと止まった夕方。
 見れば、ガラスケースの中のケーキは殆ど完売だった。
 「あ〜っ!疲れたぁ!なんで詩織がお留守番の時に限って、いつもこーなのよぉ。」
 詩織という女は椅子に座り込み、レジ隣のサッカー台の上に上体を伏せぐったりとなる。
 壁も床も板張りの、洒落た小さな店内。ガラスの陳列ケースから向かって左に客用の椅子が二つ、そして右側には店名の元になった、イギリス製の古いオート バイがセンタースタンドを下ろして佇んでいる。
 既に不動ではあるが細かい部品に至るまで丁寧に磨き上げられ、店内ディスプレイとしての第二の生を謳歌しているようだ。
 かつて『二輪のロールスロイス』と呼ばれ、晩年のアラビアのロレンスの愛車としても有名である。
 「はぁ…。」
 詩織は台の上に顎を乗せるような形で顔を上げ、正面のガラス窓越しに店の外を見る。
 窓の向こうで、がさがさと人影が二・三体隠れる気配がした。
 店のドアに『Closed』の看板を掛けているにも関わらず、店内の様子を伺う客がまだいる。
 ご丁寧にビデオカメラまで持参しているから始末が悪い。これは客ではなく、既にストーカーだ。
 いつもなら姉達に捕まると血祭りに上げられるので、そうならないように詩織が前もって追い返すのだが、今日はそんな気力も残っていない。
 カウンターの奥、常時電源がオンになっているパソコンから、メール着信の音が店内に響いた。
 詩織はぐぐっと上体を持ち上げると、腰だけを回転させてパソコンの前に向く。
 マウスを操作して新着メールを開いた。
 「お… おおおっ♪」
 契約してる情報屋からのメールだった。
 今までとろんとしていた詩織の目に、きらきらとした生気が満ちて来る。
 「なになに… 不死の兵士計画?ちょっとエグいけど、儲けになりそうねぇ。」
 メイド服の肩から垂れ下がっていた、詩織の細くて白い両腕がばっと持ち上がった。
 新規メールのウインドウが開き、詩織の指がキーボードに超高速の入力を開始する。
 「さー。お仕事よ、おねーちゃん達。いつまでも遊んでないで、早く帰ってらっしゃい♪」
 大繁盛のスイーツショップ、ブラフ・シューペリア。それは、世を忍ぶ借りの姿。
 今この女、いや彼女ら美人異母姉妹の、本当のビジネスが始動する。
 
 サーキットにマシンの咆吼が木霊する。
 今、レーシングモディファイされたシビック・タイプRが、長い直線からヘアピンの第5コーナーに突入した。
 急激なシフトダウンとブレーキング。
 その市販車をベースに徹底的に軽量化した車体は、難なくヘアピンを抜け、続く第6・第7の直角コーナーを乱舞するように駆け抜ける。
 「うぉりゃぁぁぁっ!」
 気合い一発。ドライバーは流れるようなシフトチェンジと、繊細なタイミングのブレーキングでコーナーに突入。
 コーナー立ち上がりから豪快に加速。スローイン・ファーストアウトの基本は、しっかりと押さえてある。
 元々ファクトリー・チューンの車体に、数々のレーシング用キットを組み上げ、完璧なセッティングが施されたシビックのステアリングを握るのは女であっ た。
 最終の第11コーナーを抜け、シビックはピットインする。
 シビックのドアが開き、レーシングスーツの長い足が現れる。
 バケットシートに包まれていた体を起こし、ドライバーがピットに降り立った。 
 レーシングスーツを纏った体はすらりとした長身で、被ったフルフェイス・ヘルメットから覗く目は精悍な光を放っている。
 「ぷはぁ〜!気持ちいい〜!」
 フルフェイスを脱いだ女は、目をつぶってぶんぶんと首を振る。その短めにカットされた髪からほとばしった汗の滴が、夕日を受けて宝石のように輝く。
 女はツナギのレーシングスーツのジッパーを開き、上半身だけ脱いで汗に濡れたTシャツ姿になる。
 ベンチに歩み寄ると、置いてあったスポーツバッグの中から、スポーツタオルとアイソトニック・ドリンクのボトルを取り出す。
 ボトルのストローを口にくわえ、肩に掛けたスポーツタオルで、濡れた髪をがしがしと拭く。
 その仕草を、ピットにいたドライバーやメカニック、サーキットの職員達が眩しいものを見るように眺めていた。
 グラビアアイドル顔負けの美形フェイスに加え、その170センチを越す長身に、均整の取れたプロポーション。28歳という年齢を迎え、その美しさに一層 磨きがかかっている。
 サーキットでマシンに乗っていなければ、レースクイーンと誤解された事も一度や二度ではない。
 「沙織さーん!またラップを縮めたんじゃない?」
 同じクラブの専属メカニックが声を掛けて来た。
 「おうよ!チョロいもんだぜ!」
 女はメカニックにぴっと親指を立てる。
 彼女の名は、風見沙織。
 口さえ開かなければ、スーパーモデルばりの美女で通用するのだが。
 「へえ。彼女、沙織って言うの?ちょっとアタックしてみようか。」
 メカニックの隣にいた若いサンデー・レーサーが、沙織を見つめて言う。
 「やめとけ。マシンを操るウデもだけど、それ以上にケンカめっちゃ強いから。何でもこの前、彼女が目立つのにひがんだ奴らが因縁つけて、ボッコボコの返 り討ちに遭ったってハナシだぜ。野郎が五人がかりでさ。怒らせたらおっかねーぞ。」
 メカニックは真顔で答えた。
 「マジかよ?仕事、何やってんだ?」
 「妹とケーキ屋やってるってハナシだけど、妹二人も激マブ。シャレになんねえ。」
 「そんなのアリかよ。俺、今晩寝れそうにないや。」
 「マスでもかいて寝てなって事。俺らにゃ、無理無理。」
 「あ〜ぁ、世の中そんなもんかね。」
 「そんなもんさ。」
 二人はがっくりと肩を落とし、しげしげと沙織を眺める。
 スポーツタオルを首に掛けた沙織は、バッグから取り出した携帯電話のディスプレイを覗き込んでいた。
 そんな、時折見せる無心な仕草は少女の様でもある。
 携帯電話のディスプレイをぱちんと閉じ、沙織はメカニックに振り返って叫んだ。 
 「ごめ〜ん。急用が出来たから先帰る。マシン仕舞っといて。」
 レーシングスーツの袖を腰で結んだスタイルで、スポーツバッグをひょいと肩に担ぐ。
 「了解!沙織さん、またね!」
 メカニックが答えた。
 男達の視線を後に、スポーツバッグを担いだ沙織は、駐車場に停めてあった青のインプレッサWRX・STIに向かう。
 ドアを開きスポーツバッグをリアシートに放り込んで、レカロのバケットシートにその長身を収める。
 イグニションキィを廻してエンジンを始動する。
 ツインスクロールターボを搭載した、2リッターDOHCエンジンが目を覚ます。
 「へへっ、面白くなって来たぜ。またひと暴れしてみるかぁ。」
 沙織はアクセルを軽く噴かす。
 インプレッサのカスタムされたストリートマフラーが、ぶおんと唸りを上げた。
 
 一台のオートバイが、山の緑に囲まれたワインディングロードを疾走していた。
 赤のアプリリア・NA850マーナ。
 決して飛ばしている訳ではないが、初めて走行する道であるにも関わらず、その無駄のないライン取りとアクセルワークは、相当バイクに乗り慣れたライダー である事を物語っている。
 小柄で華奢な体と、フルフェイスの後部から背中に流れる、明るい茶色に染めて束ねたセミロングの髪は、ライダーが女である事を証明していた。 
 839.3ccの水冷90度Vツインに、電子制御CVTを組み合わせたクラッチ・レス、つまりオートマだ。
 現在7速のマニュアルモードに切り替えられており、左側のスイッチボックスに付いたボタンと併せ、通常のシフトペダルでの変速も可能である。
 小高い峠を登り切ったとき、ぱっと視界が開けた。
 青い海が見える。その先の岬に向かって、なだらかな下りのワインディングロードが続く。
 マニュアルモードのシフトを駆使して、アプリリアは軽快にコーナーをすり抜ける。
 フルフェイスから覗く涼しい目が、楽しそうに輝いていた。
 
 岬の突端、灯台が建っている広場の駐車場に、多くのツーリング・ライダーが集まっていた。
 この景色を一目観ようと、集まって来るのは老若男女を問わない。
 彼らの視線が、今駐車場に入って来たアプリリア・マーナに集中した。
 更にそのライダーが女であった事に、好奇と期待の眼差しが注がれる
 女は停めたアプリリアのスタンドを下ろし、グローブを外してフルフェイスを脱ぐ。
 岬を渡る潮風に、フルフェイスから現れた茶色に染めたセミロングの髪が揺れる。女は気持ちよさそうに、潮の香りを肺一杯に吸い込んだ。
 美しい絵である。
 ギャラリーの間から溜息が漏れる。
 それもそのはず。女はそのハイテク技術が凝縮された美しいマシンに、遜色のない似合いの美女であった。
 10代の頃から評判の美人であったが、現在26歳という大人の落ち着いた雰囲気を纏い、クールビューティーが更に引き立っている。
 女はグローブとフルフェイスをタンクの上に置く。このタンクはダミーで、中身は照明も装備された収納ボックスになっており、フルフェイスがすっぽりと収 まる容量を持つ。燃料タンクはシートの下にあり、リアシートの下に給油口が備えられていた。
 「おい。あれ、望月香織じゃねえか?」
 ツーリングで来ていたハーレー・ダビットソンのスポーツスターに乗った若い男が、隣の男に聞く。
 同じくハーレーのソフテイルに乗った男が聞き返した。
 「望月香織?あの、雑誌でエッセイとかインプレとか書いてる?」
 「そうそう。先月のモトマガジンで写真がちらっと載ってたけど… ナマで見ると断然美人だなぁ。」
 「ちょ、ちょっと。一緒に写真撮ってもらおうよ。」
 「賛成。一生もんのお宝になりそう。」
 男達はアプリリアに跨ったまま、携帯電話のディスプレイを見ている女に近付いた。
 「あの… 望月香織さんですよね?」
 「はい、そうだけど?」
 女が振り向いて笑顔を返す。鈴を転がすような声だった。
 さらりと髪が揺れ、いい香りがした。
 「やっぱり〜!感激だぁ。お願いします。一緒に写真撮って下さい。」
 「いや、サイン下さい!」
 テンションの上がった男達が、顔を見合わせて飛び跳ねる。
 「ごめんなさい。すぐに帰らなきゃいけなくなったの。せっかくこんないい所に来たのに… またね。」
 女は急いで携帯をジャケットのポケットに仕舞い、フルフェイスを被る。
 グローブを両手にはめて、スタンドを上げギアを1速に入れた。
 軽快なフルロック・ターンで、女を乗せたアプリリアの車体が旋回する。
 走り去る女の後ろ姿は、周囲の岬の景観と相まって美しい。
 ライディング・ジャケットの背中で束ねた髪が揺れた。
 残された男達は、何かスカされたような、それでいて幸せな夢を見ていたような、複雑で清々しい気分だった。
 望月香織。美しき女豹が、再び戦いの舞台に舞い戻る。