こちら、桐生探偵事務所。

Explosive 特急!

 

 幸せの確率(下)

 

 俺はビルの階段を降りて一階に向かう。こんなオンボロビルに、エレベーターなどという立派な設備が付いている訳がない。
 ビルの一階は貸ガレージになっている。それと隅っこに管理人事務所があるのだが、管理人のオヤジがそこにいた例しはない。
 俺はキィをじゃらつかせながら、ガレージの隅で蹲っているガンメタ塗装のスカイライン・HT2000RS-Xに向かう。
 俺のスカイラインの隣に、純子の青いスバルのインプレッサ。これは財閥令嬢である純子が、金にモノを言わせて特注させたものらしい。
 WRで実際に使用されている車両を右ハンドルで作らせ、ストリート用に調整したものだ。元はWRカーである為に、車体を構成するパーツの半分以上は別物である。エグゾーストをストリート用のものに変更し、市販車の内装を追加して強引にナンバーを取得してしまうあたりに、俺は純子の底知れない財力に恐怖すら感じる。
 もっとも、家を飛び出して高級マンション暮らしをしながら、こんな寂れた興信所に勤めに来るあたりも、謎と言えば謎なのだ。
 スカイラインのドアロックを外し、俺は運転席の堅めなバケットシートに座る。
 コイツはかつてシルエット・フォーミュラでも活躍した、スカイラインのR30シリーズ、その中で“ターボC”と呼ばれたインタークーラー・ターボ装備の最終モデルだ。
 その独特のフロントマスク形状から、『鉄仮面』という愛称でも呼ばれている。
 このスカイラインは知り合いのモータース屋のオヤジから、俺がタダ同然で買い叩いたものだ。
 元のオーナーはかなりな金をかけていたらしく、タービン変更に加えてトラストのインタークーラーにコンピュータ増設、更にFRPボンネットとサスペンションの変更からLSD追加とスポット溶接の個所までが追加されている。
 イグニションを回すとセルの軽快な音と共に、4気筒DOHCのFJ20型エンジンが息を吹き返した。
 俺はナルディのステアリング越しに見えるメーターパネルを覗きながら、充分に暖気をさせた。メーターは社外品に変更されているが、ベースの角張ったパネルが時代を感じさせる。隅っこにちょこんと乗ったブースト計も愛嬌だ。
 レーシングマフラーから発せられる排気音が安定して来た。
 この音がうるさいなどと近所のクソババアがほざいてやがるらしいが、これほど官能的なサウンドは滅多に無いってモンだぜ。
 純子はコイツの事をポンコツなんて言ってるが、女にゃわかんねーだろうな、この良さは。
 俺はギアをローに入れ、滑らかにステアリングを切り、幾分か暖かくなって来た陽光の中に、ガンメタ塗装のDR30改を滑り出させた。

 俺はある貸しビルの向かいにDR30改を停めた。
 このビルには藤井という男が現在勤めている、デート商法の事務所があるのだ。
 DR30改の中で待つこと数時間。さすがに尿意を催して来た時に、モニターの中で見た藤井がビルから出てくるところだった。
 藤井は歩いてビルの裏に回ろうとしていた。俺は素早くDR30改のエンジンを始動して後を追った。
 貸しビルの裏は駐車場になっていた。俺はDR30改を駐車場に滑り込ませ、藤井が自分の車に乗ろうとする前に行く手を阻むように車体を斜めに停めた。
 俺はドアを開き運転席から降りる。
 藤井という男は突然の俺の出現に、怯えの表情を見せている。
 ビジュアル系ロックバンドのヴォーカリストを思わせるような、二十代中頃の異常なハンサムだが、何とも薄っぺらい感じの男だった。
 「あんたが藤井さん?ちょっと聞きたい事があるんだけどね。」
 俺はこれでも愛想一杯に微笑んで藤井に声をかけた。
 「な、何ですか、あなた…」
 藤井は依然身を強ばらせている。
 「お手間は取らせないから。ある女の子の事を聞きたくてね。」
 「知りませんよ。仕事がありますので…」
 接近して来る俺から逃れるように、藤井は身を翻して駐車場の出口へ向かう。
 俺は一足飛びに逃げる藤井に追いつき、肩を掴んだ。
 面倒だ。俺は早く小便がしたい。
 俺の手を振り払おうとした藤井の鳩尾に、鋭いフックをかましてやった。
 「ぐぅ…」
 腹を押さえて蹲る藤井の襟首を掴み、停めていたDR30改の所まで引きずって行き、ドアを開いた助手席に放り込む。
 俺はDR30改を走らせて、人気のない公園の駐車場まで藤井を運んで来た。
 藤井は助手席で蹲ったまま震えていた。藤井が逃げようとして暴れるのを想定して、いつでも反撃の準備をしていたのだが杞憂に終わった。どうもこの手の軟派男は暴力に対しての免疫が出来ていないので、やりやすいと言えばやりやすい。
 俺は人目に付かない場所にDR30改を停め、藤井を助手席から引きずり降ろす。
 襟首を掴み、横っ面を張り倒して大人しくさせておいて、俺はクルマの影で張りつめていた膀胱の中身を空にする。
 すっきりとした気分で、俺はあらためて藤井に迫る。
 「さてと、本題に入ろうか。」
 俺はジーンズの尻ポケットからナックルを取り出し、これ見よがしに右手の拳に握り込む。ゆっくりと猫撫で声で藤井に語りかける。
 「俺は三原寛子って子の事を聞きたいんだ。知らないなんて言わせねえぜ。」
 「ま、待って下さい!何でも言いますから、乱暴だけは許して下さい!」
 怯えきった藤井は、去年からの出来事を何もかも喋り始めた。
 
 俺は寂れた駅裏にある有料駐車場にDR30改を停めた。
 この先に藤井が言っていた現在の“いずみ映像”、元“とまと企画”の事務所が入ったマンションがある。
 そこの野口というヤツがボスらしい。
 いよいよ悪党どもの本拠地に乗り込む。ナックルだけでは不用心ってもんだ。
 俺は助手席の下から、ぱっと目には分からないように作られた隠し物入れを引き出す。
 その中で、ステンレスの輝きを放つ一挺の拳銃が目を覚ました。
 コルト・コンバット・コマンダーだ。コンバットシューティング用に作られたそれは、振り回し易いように銃身が短めに設計されていて、ファクトリー・チューンとも言える細部にまで神経の行き届いた作りは、軍用のガバメントとは一線を引く。
 更にこのコンバット・コマンダーには、レスポンスの良いリングタイプ・ハンマーに加え、バレル・ブッシングもタイトなものに変更されていた。
 コルトのガバメントシリーズのアキュライズは、このバレル・ブッシングが要だ。ショートリコイル時の銃身のガタつきを少なくし、安定した着弾を得る為である。
 そしてこの銃身との摺り合わせや、ハンマーとシヤーのラッピングも施されていて、トリガーは驚くほど軽い。携行時に邪魔になる為に、コンバット・シューティングで流行しているワイドタイプのセフティレバーや、後方に張り出したセフティ・グリップは取り付けてはいない。
 こいつは俺の知り合いで日本では屈指の闇のガン・スミスである、旋盤職人のじいさんが造り上げた傑作だ。法外な工賃をふんだくるのでも有名だが、もっとも未登録の銃器を所持する側としても法外などというレベルの問題ではない。
 俺はマガジンを抜き、.45ACP弾がフル装填されている事を確かめ、スライドを引いてマガジン上端のカートリッジをチャンバーに装填させる。このスライドを引くのはかなりな力が必要で、腰を入れてぐっと引き切らないとならない。
 俺はカートリッジを装填したコンバット・コマンダーのハンマーに親指をかけ、静かにトリガーを引く。
 親指に阻まれて、落ちたハンマーが中立の位置で止まる。これでハンマー・セフティが掛けられた訳だ。仮に銃を落とそうが、ハンマーの後ろから金槌でブッ叩こうが、絶対に暴発する事はない。
 俺はハンマー・セフティを掛けたコンバット・コマンダーを腰のベルトに差し、MA-1ジャケットの裾で隠してDR30改から降り立った。

 「邪魔するぜ。」
 俺は事務所のドアを開いて中に押し入った。
 いずみ映像の事務所は、マンションの一室を使った撮影スタジオだった。入った先に申し訳程度の応接セットと、デスクが一つ並んでいる。
 応接用のソファーに腰掛けていた若い男二人が、俺の顔を見るなり立ち上がった。背後のデスクに座ってる三十過ぎの男は、俺を見て何やらニタニタと笑っていた。
 「なんだぁ、てめえわぁ…」
 若い男が二人、肩を揺すって俺を出迎えた。
 きっと先程痛めつけた藤井から、携帯電話で連絡が入っていたのだろう。こいつらは既に臨戦態勢だが、この俺をビビらせるには少々役不足だ。
 俺には『てめえは』の“は”が、“わ”に聞こえたほどの、頭の悪そうな若い男が先頭に立って、俺の胸ぐらを掴もうと右手を伸ばす。
 俺はその二人の顔にピンと来た。あのビデオの中で、美味しい役割を演じていた奴らだ。その胸くそ悪いツラを見た瞬間、俺のこめかみが一瞬ぴくりと痙攣する。
 俺は挨拶代わりに、右足のつま先を正面の男の股間に食い込ませた。
 「うげっ!」っと絶叫をわめきちらし、正面の男は潰れた睾丸を押さえて蹲る。
 「てめえ!」
 背後の男はソファーのクッションの隙間から日本刀を取り出し、すらりと鞘を抜いて床に捨てる。
 一見して模造刀と分かる代物だ。
 「てぇい!」
 立派な気合いと共に、男が模造刀で俺に斬りかかって来た。ところが男の攻撃は、へっぴり腰の見よう見まねの素人技だ。
 俺はバックステップで僅かに身を引き、模造刀の一閃をかわす。
 MA-1のポケットに突っ込んでいた右手を出し、目の前に伸びてきた男の腕目がけて、ナックルを握った拳を思い切り叩きつけた。
 ばきんと薪を割るような音がする。
 「あぁぁぁぁぁぁっ…」
 男は情けない悲鳴を上げ模造刀を放り出し、骨折した腕を抱えて床の上でのたうち回る。
 デスクの向こうで笑っていた野郎は血相を変え、慌てた様子でがたがたと引き出しを探っていた。
 俺は一瞬にして使いものにならないようにしてやった男二人に目もくれず、大股で応接セットをまたぎ越え、デスクの男に迫る。
 男は何とか引き出しから掴み出した、極端に銃身の短いスナッブ・ノーズと呼ばれるリボルバーの銃口を俺に向けようとしていた。
 俺はデスクの上に置いてあった、ガラス製で大型の灰皿を左手に掴み、手首のスナップを効かせたフリスビーの要領で男に向けて投げつける。
 男がダブル・アクションのトリガーを引く前に、俺が投げつけた灰皿が男の顔面にヒットした。
 男は拳銃を放りだし、座ったイスもろとも背後にブッ倒れる。
 俺はデスクの上に乗り上げ、男の拳銃を拾い上げて構える。
 デスクの上から見下ろした男は、無様にも大の字になって伸びていた。
 倒れる瞬間、男は背後の窓枠にしこたま後頭部を打ちつけたらしい。灰皿の直撃を食らった鼻から血が滲み出ている。
 俺は右手のナックルをジーンズの尻ポケットに仕舞い、デスクから飛び降り、先程から呻いている男二人の顎を蹴り砕いて昏倒させてやった。
 ともかく切り札である、腰に差したコンバット・コマンダーを使う機会が無かったのは幸いだ。
 事務所のドアの内側から鍵をかけ、俺はデスクの背後に向かう。
 ダビング用のビデオ機材からコードを外し、それを使って男の両手首を後ろ手に縛り上げ、男が首に巻いていた趣味の悪いネクタイを使い、ゆるめに猿ぐつわを噛ましてやる。大声を立てられないようにする為だ。
 どうやらこいつが、藤井が言っていた野口という野郎だ。
 俺はポケットからビックの使い捨てライターを取り出し、野郎の耳たぶを火で炙った。
 野口はたちまち目を覚まし、恐怖に両目を見開いて束縛から逃れようとする。
 「てめえが野口か?質問に答えて貰うぜ。真面目に喋らねえと、もっと痛い目に遭うからな。」
 俺は陰気な声で野口に囁く。
 「単刀直入に聞く。三原寛子の居場所が知りたい。」
 野口は一瞬考え、ネクタイの猿ぐつわの下からくぐもった声を出した。
 「忘れたなぁ…」
 俺はこの期に及んでの、野口のふてぶてしい態度にカチンと来た。ちょっと苛めてやる事にする。
 デスクに置いていた野口の拳銃を取り上げる。スミス&ウエッソンのチーフ・スペシャルだ。
 俺はグリップ上のシリンダー・ラッチを押し、レンコン状の弾倉を左方向にスイングアウトさせる。野口の目の前でシリンダー・ロッドを押さえ、ばらばらと落ちて来る五発の.38スペシャル弾を左掌で受け止めた。
 四発の.38スペシャル弾をポケットに仕舞い、左手に残った一発のカートリッジを野口の眉間の手前でかざす。
 まるで神事を執り行う如くの厳かな手振りで、俺は一発の.38スペシャル弾を空の弾倉に装填した。
 シリンダーを銃のフレームに戻し、トリガーとハンマーを少しだけ引いてシリンダーのロックを解き、静かに掌の上で一発の弾が入ったシリンダーを転がす。
 チーフ・スペシャルのシリンダーが、ちきちきと乾いた音を立てて回った。
 こいつはスミス&ウエッソン製なので、シリンダーは左に回る。銃身内のライフリングとシリンダーの回転方向、そしてシリンダー・ラッチのアクションまで、コルト製のリボルバーとは全く逆となっている。
 「ロシアン・ルーレットって知ってるか?これをやると、どんなに物忘れがひどいヤツもあっという間に思い出す、不思議なおまじないなんだぜ。」
 俺はハンマーを起こした。正面からシリンダーの中身が野口に見えないようにして、ヤツのこめかみに押し当てる。
 「確率は五分の一だ。」
 俺はそっとトリガーを引いた。
 かちんと音を立て、空しくハンマーの先が空のシリンダーを叩く。
 野口は固く目をつぶり、チーフ・スペシャルの乾いた音に安堵の溜息を漏らした。
 「おや?最初は運がいい。でもね、あんたが黙ってるんなら続けるぜ。よく拳銃で自殺するのに銃口を頭にくっつけて引き金を引いたりするけどね、ありゃ間違いだ。本当は銃口を口にくわえて、延髄をぶち抜くのが確実な方法さ。ドタマを撃つと、弾の状態によっては即死とはいかない場合がある。脳みそ吹っ飛ばされても生きてる事だってあるんだからね。」
 俺は野口に優しく囁き、次弾のハンマーを起こした。
 「さぞや痛いだろうなぁ…」
 俺は再び野口のこめかみに銃口を押し当てる。野口の顔から脂汗が吹き出て来る。
 そっとトリガーを引いた。
 再びかちんと空しい音。
 野口の表情が、まるで天国と地獄を行ったり来たりしているようで面白かった。
 「あんた、ついてる。さぁて、お次はどうかな?」
 俺はゆっくとハンマーを起こす。
 「ま、待て!思い出した!急に思い出したぞ!」
 野口は身を捻らせて哀願を始めた。
 「いや、もう喋らなくていい。てめえみてぇなクズはくたばったほうが、住み良い社会の為に貢献するってもんさ。」
 「待ってくれぇ!喋るから… 喋らせて下さい!」
 「往生際が悪りぃぞ!死ねと言ったら死ね!」
 俺は野口の額にチーフ・スペシャルの銃口を押し当て、力一杯トリガーを引いた。
 かちんという音と共に、野口のズボンの前が濡れて湯気を立てる。
 もう一発撃っても弾は出ない。種を明かせば、俺は一発の.38スペシャル弾を装填したシリンダーの部分を、銃身の後ろになるようにセットしていた。そして掌で回転させた時、シリンダーがまるまる一周するように転がしたのだ。
 それから弾倉が回り始める訳で、つまり四回トリガーを引いても撃発しない仕掛けだ。
 相手は素人で、ましてや動揺しているヤツが相手なら見抜ける訳がない。
 「あの女を藤井が廻して来たのが、去年の十一月頃だった… すっかりシャブ漬けにしてやって、俺らは輪姦(まわ)してやったところをビデオに収めたりした。風俗店に売り飛ばしたのはその後だ。」
 野口は俺が聞いてもいないのに喋り始めた。こいつらの悪行三昧が、余計に俺の神経を逆撫でする。
 「店の名前を言え。」
 俺は野口の額をチーフ・スペシャルの銃口でこずく。
 「ベリー・ベリーという店だ。でもあの店は國元組のシマだぞ。俺らも國元組にコネを持っている。貴様もこんな事をしてタダじゃすまねえぞ。」
 野口はバックの組織の存在を思い出したのか、突然態度を変えた。勝ち誇ったような傲慢な目で俺を睨む。
 「そうかい。じゃ、國元組に連絡してくれ。」
 俺はデスクの上の電話から受話器を取り上げ、野口に差し出す。
 「おっと、縛られたままじゃダイヤルは無理か。俺が掛けてやるよ。」
 俺は馴れた手つきでダイヤルをプッシュする。野口は呆気に取られた表情で俺の手元を見つめている。
 ナンバーをプッシュし終えて、俺は野口の耳に受話器を押し当てる。
 電話の向こうで応答の声がするが、野口は顎をかくかくと震わせて一言も喋らない。
 野口がコネというのはハッタリだった。
 仕方ないので俺が代わる。
 「もしもし。澤田さん、いるかな?隼人と言えば分かると思うけど。」
 電話の向こうで若い男の声が応答する。
 「少々お待ち下さい。若頭ぁ!電話ですぜい。」
 最近はこの手のビジネスもスマートなものだ。もっとも幹部を名指しで呼ぶ相手をむげに断ると、後で大変な事になりかねない。
 「何だ?隼人。久しぶりじゃねえか。どしたい?」
 受話器から聞き覚えのある、ドスの利いた声が現れた。
 「あ、おっちゃん、元気だった?あのさ、ちょっと仕事でね…」
 俺は今までの出来事を旧知の男に説明した。
 「そうかい。ウチの名前を語ってそんなことをしてるヤツがいたなんてなぁ… そこの場所を教えてくれ。きっちり落とし前をつけてやるからな。それと、その女の子の事は俺に任せてくれ。店長に言っといてやる。」
 「ありがとう、おっちゃん。恩に着るぜ。」
 俺は静かに受話器を置いた。
 「國元組、かなり怒ってるみたいだったぜ。後で来るだろうから、そのまま待ってなよ。」
 俺は野口に向かって笑顔で語りかける。
 最後に見せた野口の絶望に歪んだ表情が、やけに滑稽だった。

 夜も眠らない歓楽街の中、俺はDR30改を走らせた。
 酔いつぶれたサラリーマンが車道のど真ん中を、ふらふらとした千鳥足で歩いていた。俺は背後から静かに迫り、ボッシュのダブルホーンの強烈なクラクションを浴びせかけて酔いを覚まさせてやった。
 毒々しいネオンの群の中、目的の店“ベリー・ベリー”の看板が見えた。
 俺は店の前にDR30改を停め、運転席から降りる。店の方側に回り、車体に腰を預けてタバコに火を点けた。
 短くなったタバコを道端に捨て、スニーカーの裏で火を踏み消した時、ケバい装飾の店頭から國元組の若い男に連れられて、一人の女が現れた。
 俺は静かに彼女に歩み寄る。國元組の男に軽く会釈をして、彼女に向き直った。
 「き、桐生、くん…」
 彼女は、三原寛子は、俺の事を憶えていた。
 「帰ろうか、寛子ちゃん。お母さんが待っている。」
 俺は彼女の為に、助手席のドアを開いてやる。彼女は一瞬ためらったが、俺の顔を見て嬉しそうに笑い、助手席に座ってくれた。

 先に沈黙を破ったのは彼女だった。
 「なんて巡り合わせなんだろうなぁ。桐生君が来てくれたなんて… 驚いたよ。」
 俺はDR30改のミッションを操作しながら答える。
 「仕事なんでね。」
 「ふふ… 十年ぶりになるのかな?小学校の時いじめられっ子だった私を、桐生君はよくかばってくれたよね。」
 彼女は助手席のウインドウガラスに流れる夜景から目を離し、俺の方に向き直る。
 「そうだったけ?」
 「あれから私は私立の中学に行って、桐生君とは離れてしまったけれど、よく桐生君の噂は聞いてたよ。」
 「ロクな噂じゃないだろ。」
 「当たり。隣町の高校の番長グループをやっつけたとか、暴走族相手に大ゲンカをしたとか…」
 「若気の至りさ。」
 くすりと笑った、彼女の痩せた顔が痛々しかった。

 スカイラインの特徴的な丸いテールランプが、闇の中に走り去って行く。
 三原寛子は、その赤い光が見えなくなるまで見送っていた。
 そして、家の門に向き直る。
 この家に帰ったところで、何があるわけではない。
 でも…
 寛子は決意を込めて、門に付いたインターフォンのブザーを押した。

 …桐生くん。わたしはね、キミの事が大好きだったんだよ……

 「ふーん… 同級生だったんだ…」
 純子はグラスの中の琥珀色の液体を飲み干した。
 事務室のテーブルには即席のオードブルの大皿が広げられ、その横に純子が買って来たバランタインやオールド・パーのスコッチの瓶が並んでいる。
 テーブル越しの純子は空けたグラスに氷を放り込み、バランタイン・ファイネストの瓶からスコッチを注ぐ。背中を丸め頬杖をついて、マドラーでグラスの中の氷をかき回す。酔いが回ってきたのか、そんな純子の物憂げな表情が堪らない。
 ペットボトルの天然水をグラスに注ぎ、さらにマドラーで軽くグラスの中を混ぜる。皿に盛ったクラフトの切れてるチーズを摘んで口に運んだ。
 自分で作った水割りを一口飲み、俺の顔を覗き込んでいる。
 「な、何だよ?」
 俺はコーンビーフをパクつきながら、カリカリに焼いたフランスパンを囓る。
 「それで元気が無かった訳?でも、何とか回復したようね。」
 俺の旺盛な食欲を見て、純子は感心する。
 俺はスコッチの水割りで口の中のフランスパンを流し込み、タバコに火を点ける。
 「あったりめーだ。いつまでも落ち込んでられっかよ。」
 純子は顔にかかった髪をかき上げ、タバコを探る。
 抜き出したマイルドセブン・ライトをくわえ、ライターで火を点けた。
 「運命のイタズラかしらね。」
 煙を吐き出して純子は呟く。
 「ああ、とんでもねえや。運命の神様ってヤツがいたら、蹴りの一発でもお見舞いしてやる。」
 俺は呻くように言った。
 「必然。だったのかもね…」
 「え?」
 俺は純子の言った意味が分からなかった。
 「起こるべくして起こった事。でも、はやとが元通りになって良かった。」
 酔っている純子の言ってる事は、まるで理解が出来ない。
 何せバランタインの瓶の中身は既に四分の一になっている。その殆どを純子が飲んでいた。
 純子はタバコの火を灰皿で揉み消した。
 「ああ、もう飲めないよ… 今日は泊めてね、はやと。」
 当たり前だ。そんなに酔っぱらった状態で、あの化け物のようなインプレッサを転がされては世間の迷惑だ。
 「おやすみぃ… はやと。」
 純子は俺の部屋に消える。俺のベッドで寝るつもりだ。
 俺はタバコを吸い終わると、そっと俺のベッドに忍び寄る。
 純子はジーンズとセーターという仕事着のまま、俺のベッドに潜り込んですやすやと寝息を立てていた。
 何度もこんな事があった。男にとってはこれぞ千載一遇のチャンスなのだろうが、俺はいつも結局…
 俺は物置から毛布を引っぱり出し、事務室のソファーで横になる。
 明日の朝もまた、有りもしない容疑の弁解をするハメになるんだろうな。

 

 

To be continued …