なんだかんだで空手部の稽古を手伝うことになった浩之。
ちょっとしたはずみで好恵の突きが浩之に当たってしまう。倒れる浩之。
気がつくと保健室のベッドの上。覗き込んでいる保険医。

・・・。・・・・・・。
「ここは・・・保健室?」
オレはベッドの上で上体を起こした。頭がくらくらする。
「気がついたようね。痛むかしら?」
先生にそう聞かれて、オレは坂下に突かれたところをさすってみる。Tシャツの首のところを引っ張って中を覗いてみると、胸の真ん中の辺りが赤く痕になっている。
くそ。華麗にかわしたつもりだったのに、不覚を取ったぜ。
「あー・・・いえ、大丈夫っす」
実はまだ息を深く吸い込むとチョッピリ痛かったが、別に喋れないほどではない。
「そう、良かった。いやいや、あの坂下さんが泣きながらあなたを引きずってきたのにはビックリしたわ」
「え?」
見ると坂下は先生の隣にちょこんと座っている。いつもの尊大な態度はどこへやら、肩をすぼめ背を丸くして、すっかり小さくなってしまっている。その顔が先生の言葉で跳ね上がった。
「そ、それはその、」
「坂下さんったら、もう大変だったんだから。『先生、藤田君を助けてください!』って大騒ぎ・・・」
「せ、先生!それは言わないで下さいって・・・」
「坂下?」
普通、こういうときは知らないふりをするのが粋な男なんだろうが、オレはそこまで人間が出来てない。つい声が出てしまった。
先生に抗議する坂下の目が真っ赤だったからだ。ほっぺたにも涙の流れた跡がはっきりついている。
「ふ、藤田・・・無事で良かっ・・・」
坂下はオレの声に振り向いて、それから自分の顔がひどいことになっているのに気付いて
「わっ、み、見ないで!」
また下を向いて、両手で顔を隠した。
「む・・・」
オレは何を言っていいか分からず、ボリボリと頭を掻いた。
−意外に、女の子っぽい仕草もするんだな。
それが今の正直な感想だ。でもそれは黙っておいた方が良さそうだ。なにしろ、顔を両手で覆った坂下は両耳まで朱に染まっている。余計なことを言ったら今度は坂下のほうがぶっ倒れそうだ。
「・・・」
「・・・」
妙な沈黙が訪れた。
「あ、そうだった!」
と、突然先生が手をぱちんと叩いて立ち上がった。
「わたし、職員室に呼ばれていたんだったわ。ちょっと行ってくるから留守番お願い。もし急患が来たら電話してね」
「え?え?」
「さらば、若人たちよ!」
それだけ言い残し先生は光の速さで保健室を飛び出していった。だがオレは、先生が去り際にこちらにウインクしたのを見逃さなかった。どうやらオレたちに気を利かせたらしい。普段は居眠りばっかりしているくせに、なかなかやるじゃねえか。
「あー。なんだ、その、坂下」
せっかくなのでここは先生の気配りを利用させてもらうことにしよう。
「まあその。・・・ありがとな」
「・・・」
坂下は、顔を隠したままモゴモゴとつぶやいた。よく聞こえない。
「はい?」
「・・・ばか」
今度はやや大きな声。
「な、なんだよ。そりゃないだろ」
「だって私のせいで倒れたのに、どうしてあなたが礼を言うのよ」
「お前がわざわざここまで運んでくれたんだろ?だったらいいじゃねえか」
「ばか。・・・あの、ゴメン。・・・ゴメンね」
「坂下・・・?」
意外だった。オレの知っている坂下なら、偉そうに腕組みをして片眉を上げ、
「あんなのを避けられないなんて、あなたも所詮素人ね」
とか、冷たく言うはずだ。もし謝るにしても、
「本当にすまなかった。私の不注意だったわ。この通り謝るわ、ごめんなさい」
なんて言い方をするはずだ。それがオレの知っている坂下だ。こんな弱い面なんてあるはずがない。
いや、待てよ?
もしかすると・・・。
坂下のやつ、顔を隠しているせいでいつもより素直になっているのかもしれない。
いつも背筋を伸ばしてきびきびと動く女。
葵ちゃんが尊敬し、空手部の先輩部員さえも圧倒する実力者。
生活指導の先生が一目置くほど礼儀正しい女。
ガラの悪い他校の生徒がつい目をそらすほど気の強い女。
そんなレッテルを貼られた(全部ホントのことだが)坂下としては、ちょっとした弱みも見られたくないのだろう。
こうやって顔を隠さないと正直になれないなんて、とんだ意地っ張りもいたもんだ。
しかし、なぜオレに素直な面を見せる?
素直な女の子なのは結構だが、オレとしてはやっぱり居心地が悪いのは確かだ。
「なんだよ、あんま気にすんなよ。お前らしくないな、調子狂うぜ」
「知らないわ・・・ばか」
「今度はなんだよ」
「心配したのよ。倒れたきり動かなくなっちゃうんだから・・・ばか」
「・・・!」
坂下のやつ、もしかしてオレのことを・・・好きだとか?本人に自覚はないようだが、そういう意味らしい。
それでもこいつは「ばか」としか言えない。心配して泣いてしまうほど好きでも、「ばか」としか言えない。
つまりこいつは単に素直になれないだけでなく、とんでもなく不器用なやつなのだ。
ったく、しょーがねーな。
とにかく調子を狂わされたままなのは面白くない。オレは咳払いをひとつした。
「アタシに気を使わせるなってか?修行が足りないのは認めるけどよ、一体誰のせいでこうなったんでしょーねえ」
「だ、だからそれは謝って・・・」
坂下が思わず顔を上げたのを見計らって、入れ違いにオレは殴られた場所を押さえてうずくまった。
「痛っ!イタタタ・・・」
「わ、わ、大丈夫?ごめんね、ごめんね?」
坂下は椅子から腰を上げてこっちに来ると、オレの背中を優しくさすった。
「どう?痛むの?」
「あ、イタタ・・・くそー、お前のせいだぞ」
「ご、ゴメン。こんなはずじゃなかったの・・・お願い、許して」
坂下の声は真剣そのものだ。オレはついニヤついてしまう顔を見られないように、ますます深くうずくまった。坂下には、オレがムチャクチャ苦しんでいるように見えるはずだ。惚れた弱みというやつだ。
「あー痛え。どーしよーかなー。すげえ突きだったもんなー」
「本当に悪かったわ。許して、お願いよ」
背中に当たる手が熱い。もう一押しだ。
「痛いよー、坂下のせいだよー。乱暴なやつだなー」
「お願い!なんでも言うこときくから」
・・・来た。
「デートしてえなー」
「だから許してって・・・え?」
突然切り出すと、背中の手が止まった。
「坂下とデートしたいなー」
「ちょ、ちょっと。いきなり何を言って・・・」
「あ!痛っ、イタタタ・・・」
「わわっ」
さすがに抗議しようとするが、先手を打ってオレが苦しそうにするのでそれどころじゃない。
「うー。デートしたいなー」
「分かった、分かったわよ。デートでもなんでもするから・・・」
ついに観念したらしい。坂下の降伏の言葉に、オレは晴れやかに両手を突き上げた。
「よーし。やったぜ!・・・ん?どうしたんだね、坂下クン?」
勝利の味に酔うオレの顔を、坂下は嬉しいような、まんまと騙されて悔しいような、複雑な表情で見た。