ハリー・ポッターと賢者の石
J.K.ローリング

あらすじ

ハリーは、両親を悪の魔法使いに殺されたため、人間に育てられた魔法少年である。
育ての親はハリーをないがしろにしている。
ある日、ハリーの元に魔法学校の入学許可を記した手紙がとどく。
ハリーは魔法学校で組分けされ、ロンとハーマイオニーと友だちになる。
ハリーは、学校生活を送る内、学校になにか特別なものが隠されてあることに気づく。
友だちと協力して謎をさぐる内、それは賢者の石だということがわかった。
賢者の石は、命と金を思うがままにしてくれる特別な石だ。
学校には、それを狙って暗躍する者の存在もあった。
しかも、その者は、悪の魔法使いと通じていた。
ハリーは石をとられないため、罠だらけの隠し場所に友だちとむかうが……

評論

今ごろの評論ですみません。
こういう放っておいても話題になる本はどうも読む気になれなかったのよね。
わたしはひがみ根性で貧乏性なのだ。早い話、ひねくれ者。それはともかく、
いろんな技術の集積みたいな小説やね。
特に初めの方はアメリカのバカファミリーコメディーみたいなノリですわ。
ハリーは居候なので徹底的に疎外される。
ハリーを育てる家族は典型的なバカ悪人。
ハリーに手紙が届くと、それこそコメディーみたいに極端な行動をとる。
ここまでしなればならないほどの動機じゃないのに。
アメリカファミリー映画には悪人=バカという公式が存在するんでしたよね。
うう、単細胞な人物設定。苦痛だ。
と思ったら、あっさりと家族は舞台から去り、学園ものになっていきます。
あ、そうそう、入学に至るまでに使われている技術を先に解説しましょうか。
第一章は広義のミステリーですね。
謎の提示ですわ。
なにかとんでもないことが起きているという仄めかし(謎)を徹底的にして、 その真相はこうなのだと最後に種明かしする手法。
読者をストーリーに引っ張り込むには好適な手段です。
この手段はこのあとも何度も使われます。包みはなにか、とかね。
つまりハリポタはミステリーの手法を劇中に何度も使ってある小説ってわけ。
第二章はなにか。
イヤボーンの法則だ(笑)。
蛇とお話してると、いやな子どもに見つけられる。
すると突然超能力が発現して、蛇を仕切っていたガラスがなくなる。
SF系アニメでは、超能力をもっている子が追いつめられて「イヤ、イヤ」と叫ぶと、 超能力が初めて発現されて敵の頭が「ボーン」とふっとばされるんでしたね。
この命名は「サルでも書けるマンガ教室」でされていました(笑)
で、この手段もこのあと何度も使われます。
ハリーは大魔法使いの素質と額の傷のせいで、大ピンチになると、突然、とんでもない力が発現します。
つまりハリポタはイヤボーンを劇中に何度も使ってある小説でもあるわけ。
くすくす。
この手法は子どもだましのご都合主義になりやすいので、使うときは注意してね。
さて、魔法学校にはいったハリーは、当然、新しい環境にはいる期待と不安の中をしばらく生きます。
お、児童文学らしいじゃん。
と思ったら、ここに更なる上積みがされます。
ハリーは大有名人なので、なにかにつけみんなに注目されるんですね。
選ばれてあることの恍惚と不安われにあり。
これは読者の潜在的願望でもあるので快感です。
つまり、公認シンデレラ。読者も学校をシンデレラ気分で過ごせたらどんなにいいでしょう。やったね。
はてさて、そうした前提の元、学園生活を続けるだけでは、だれますわな。
そこで、次は小さなピンチの連続です。
いやな同級生と張り合い、トロールを退治し、スポーツ選手としてがんばり……
ただし、そういうピンチの中から、別のミステリーが浮かんでくる。
学校になにかが隠されてあり、それをねらっている者がいる。
ハリーはその謎を解き、最終的にその者と戦わねばならない。
ミステリー+善悪の戦い。
さらに、その者は最初思っていた者と違っていた!
これは最近の犯人さがし映画の傾向そのものです。
「スクリーム」「ユージュアルサスペクツ」、「スリーピーホロウ」もそう、応用として「シックスセンス」
真相がわかった時点で、これまでの場面が復習され、周到に張られていた伏線(引っかけ)が初めてわかる。
くすくす。
で、最後は真犯人と戦い、イヤボーン。
これだけ書いてきたらわかったでしょ。
ハリポタとは、ファンタジー児童文学に、それとは違うエンタテイメントの分野で半ば公式化されてある技術を惜しげもなくつぎ込んだ小説なのです。
少年ジャンプの方針は、努力・友情・勝利ですよね。
現代は努力が軽んじられているから、代わりに、素質・友情・勝利というわけですな。