このページは海外WEB SITEなどに掲載されている我らの御大セルジオ・メンデス氏自身が語る
インタビュー記事やWeb Radio などで配信された自らの活動の軌跡を翻訳して紹介しています

From Fireside chat    Redbull Music Academy  
2010年9月27日 Red Bull Music Academy Radio

Redbull Music Academy Radioは様々なジャンルの音楽情報をネット配信により提供している
セルジオ・メンデス自身が約1時間にわたり曲をかけながら自らの長い音楽活動についてふり返る!
http://redbullmusicacademyradio.com/shows/3143/                  WEB Radio 翻訳:Akiko Kashiwagi

1941年2月11日生れ リオデジャネイロ近郊のニテロイで生れる
私の名前はセルジオ・メンデス
ブラジルのリオデジャネイロの近郊のニテロイという小さな町で生まれました。父は医者でした。キーボードプレ
イヤーであり、作曲家、アレンジャーでもあり、そして歌も時々少し歌います。7歳からクラシックピアノを習い12
〜3歳の頃からジャズのレコードを聴くようになりました。 最初に聴いたのはホレス・シルバー、バーデン・パウ
エルらのレコードです。最初に聴いた時は驚きと感動で一杯になり、もっとたくさん聴きたいと思いました。

最初はクラシックが好きでしたが次第にジャズピアニストのレコードを聴くうちに、その自由な表現方法、作曲方
法やアドリブなどに魅力を感じ自分がバンド(ピアノ、ドラム、ベース)を組んで演奏し始めたらこれこそ自分がや
りたいものだったと感じました。そして今も演奏し続けています。

当時はボサノバが世に出始めた頃で、コパカバーナに有る「ボトルス・バー」という名のクラブに私もバンドを組
んで出演していました。そこは「ブラジルのミュージシャンたちの大聖堂」みたいで多くの人々が訪れ色んなミュ
ージシャン達が様々な曲を夜毎演奏しジャムセッションしていました。 このボサノバ創成期にたくさんの美しい
ボサノバの名曲がブラジルで生まれました。私もそこで演奏し素晴らしい時代を過ごした。1961年から1964
年の頃です
               
左:1961年ソロ・デビューアルバム「ダンスモデルノ」 中:1966年ブラジル’66 右:1967年「FROG」
1964年にブラジルで軍事クーデターが起こり、4月に息子も生まれたのをきっかけに米国への移住を決意し
ました。LAを選んだのは気候がブラジルによく似ていたからです。雪も降らないしね。

西海岸を中心に演奏活動を開始したくさんのミュージシャンたちとクラブでジャムセッションしていました。有名
なドラマーのシャーリー・メンやチェット・ベイカー、チャーリー・ロジャーズ、バーニー・ケッセル、バド・シャンク
など〜。それと同時にレコード会社のオーデションも受け始めました。ハーブ・アルパートとジェリー・モス主宰
のレコード会社(A&M)がリハーサルしているところを見に来てくれました。そこで参加をすすめられました。
1966年"Herb Alpert Presents  Sergio Mendes & Brasil'66"でついにデビューを果たしました。 その
アルバムの中でかつてボトルス・バーでも演奏した「マシュケナダ」が売れ、歌詞がポルトガル語の曲で初め
世界中でヒットし、それから成功への大きなチャンスをつかんだのです。

「FROG」
親しい友人で偉大なピアニストのジョアン・ドナート作曲の歌詞は無いがハーモニーやメロディがユニークな曲
です。蛙がしゃべっている様な、〜コロンゴドー、ケデゲテ、ケデゲデゲデ〜〜そんな蛙がハモっているような
感じです。

「フランク・シナトラ」
そしていろんな人たちと一緒に仕事をしました。彼とは何度か一緒にツアーもしました。 彼と一緒に仕事がで
きたのはとても光栄なことでした。とにかく偉大な歌手でした。 彼みたいな素晴らしい人物は他にいないと思
います。とにかく音楽が大好き、そしてブラジル音楽の大ファンでした。アントニオ・カルロス・ジョビンとの素晴
らしい共演アルバムも出しています。

「ラニ・ホール」
最初のブラジル’66のシンガーでハーブ・アルパートと結婚。いわばブラジル’66の音楽を象徴する人とでも
いいましょうか、とても親しい友人で今でもよく行き来しています。

「恋の面影」
親しい友人でもあるバート・バカラックの「恋の面影」を67年にレコーディングしました。当時バカラックも同じ
A&Mに所属していて、ダスティ・スプリングフィールドが歌うこの曲を聴いたとき、メロディがとても美しく、ボサ
ノバのフィーリングを持っていると思いました。 バカラックもブラジルやボサノバの影響を受けていることを認
めていました。官能的 sensual なブラジルのフィーリングを持つ曲だと思いレコーディングしました。素敵なメ
ロディーと歌詞を持った曲です。

「プライマル・ルーツ」
自分のLAでのスタジオで制作したアルバムです。これは日の出を祝福した音楽で、スタジオの建築は俳優
のハリソン・フォードが担当しました。彼は家の大工さんでした。いろいろな意味での記念のアルバムです。
〜初めてLAの自分のスタジオで録音したアルバムで〜ハリソン・フォードが建てた家で〜・・・このメロディー
も気に入ってます。
                
左:ラニ・ホール 中:1967年「The Look of Love」2008年ファーギーを迎え再録 右:「プライマル・ルーツ」

「ブラジレイロ」
ブラジルに行って制作したアルバムです。本場のカーニバルの音を伝えようと思って作りました。百人を超す
大勢のパーカッショニスト達がブラジルの何百個もの打楽器を使い、ポリグラムレコードの駐車場での演奏は
マイクを木からぶら下げたりして録音しました。このアルバムで本当の意味でのブラジル音楽のエッセンスと
そしてリオのカーニバルのストリートに響き渡るサウンドのメッセージを伝えることができたと自負しています。
それはオープニングの「Fanfarra」という素晴らしい曲に表れています。このアルバムはグラミー賞を獲得した
私自身大好きなアルバムの一つです。

「マシュケナダ」〜ブラック・アイド・ピーズ ウィル・アイ・アムとの出会い〜
彼はLAっ子で子供のころからのお気に入りはブラジル’66のレコードだったそうです。僕のレコードをたくさ
ん持っていて、ブラジル’66以前の演奏だけのアルバムも持っていました。2005年に彼が僕の家を訪ねて
きた時そういった話を聞きました。それからBEPの「エレファンク」というアルバムに参加する話が出ました。
ジョビン作曲の「How Incensitive」という美しい曲を彼は従来の僕が演奏していたものとは一味違った形のビ
ートやサウンドで表現しました。ラップを盛り込んだりして、それを僕はとても気に入り新鮮に感じ、興味をそ
そられました。アルバムが終わってからブラジルの伝統的な曲を一緒にやらないかと声をかけたら是非一緒
にやってみたい、と話が進みそれでコラボしたアルバムが出来上がったのです。ボトルスバーでも演奏しデビ
ューでも演奏し、そしてこの時のアルバム (タイムレス)でも登場する曲は僕にとってとても大切な曲です。彼
は想像力が豊かで音楽的才能に溢れ素晴らしいアイデアをたくさん持っている最高のアーティストです。
彼からはたくさんのことを学びました。

「Bom Tempo」
Good Time(いい時間)、Good Temperature(良い天気)を意味します。 私の新しいアルバムで以前演奏した
曲や初めての曲も含め、ブラジルの新旧の美しい曲を盛り込み素晴らしいゲスト達を迎えて作ったアルバム
です。ブラジルの新しいシンガーのセウ・ジョルジはじめミルトン・ナシメントやカルリーニョス・ブラウン、僕の
妻のグラシーニャをはじめとするバンドのシンガーたちも参加し美しい声で歌われているものです。このアル
バムを作れてとてもハッピーです。

そして今までの楽しかったこと、素晴らしい数々の出会いをふり返ってみると・・・・・・

ブラジルの「ボトルス・バー」でのトリオ演奏、ジョビンとの出会’62年のニューヨークのカーネギー・ホールで
の演奏、そして’64年の米国への移住、シナトラとのツアー、 数え切れないほどのテレビショーへの出演等
〜ボブ・ホープショー、ダニー・ケイショー、ジェリー・ルイスショー等〜そしてコンサート・ツアー、お気に入りの
ヨーロッパの国々〜パリ、ロンドン、フィレンツェ、スペイン等、そして僕の愛するアジアの国々。ブラジルには
年に一回帰っています。3年前にイパネマの海岸でBEPと一緒に出演した新年祝賀コンサートで何百万人も
のブラジルの人が僕たちの演奏を聴いてくれました。真夜中から新年にかけての盛大なお祝い・・・ブラジル
中の人たちが白いドレスを身にまとい、 海の女神のイエマンジャに祈りを捧げるため海に花を浮べたりして
・・・そして僕たちはコンサートをやったのです。それは素晴らしい経験でした。
それからまだまだたくさんありますが・・・・・
                 
左:1992年「ブラジレイロ」 中:2006年「タイムレス」 右:2010年「ボンテンポ」
    
左:ブラジル’66デビュー当時フランク・シナトラと 右:1962年世紀のボサノバコンサート
Bossa Nova CARNEGIE HALL LIVE 1962



   
http://larecord.com/

音楽情報サイト LA.RECORD Interview 2009/7/6                                        WEBSITE 翻訳:Akiko Kashiwagi
Sergio Mendes: I Love It With Why

セルジオ・メンデスは1966年に「マシュケナダ」と共に米国へやって来て以来、ボサノバのリズムをブレンドした粋で
お洒落なカクテル作りの通として不朽の地位を確立してきた。現在彼は新しいアルバムを制作中である。今だにコン
サートの前は緊張すると言い、特にハリウッドボウルで演奏する時はことさらの様だ。そのハリウッドボウルに今週の
水曜日に出演する予定である。 インタビュアー:Ayse Arf
Q:
リチャード・ニクソンの前で演奏されたことが有るそうですが、その時はどんな感じでしたか?
A:
ええ、ホワイトハウスで何回かコンサートをやりました。1回目はスペインのホアン・カルロス王が来た時にリチャード
・ニクソンの前で。それから数年後ブラジル大統領がやって来た時はレーガン大統領の前で、今までに2回ホワイト
ハウスで演奏しました。
Q:
聴衆としてのニクソンはどんな感じでしたか?
A:
素晴らしかったです。私たちバンドのメンバーを紹介してくれてとても面白かったし、ホワイトハウスに行って
しかもスペイン国王の前で演奏するということ自体、私たちにとってとても貴重な経験でした。とにかく素晴ら
しい経験をしたと思っています。
ニクソン大統領とホワイトハウスのセルジオ・メンデス
Q:
よく自分の音楽を表現するのに「Sensual 〜官能的」という言葉を使いますね。どんな意味があるのですか?
A:
そんなに使ってますか?
Q:
私の調査によればそうです。
A:
まぁ、ブラジル音楽の構成要素のひとつです。喜びであり、繊細さであり、ロマンスでもあります。そこにはダンスあ
りリズムあり、ハッピーな音楽です。
Q:
ニテロイですごした子供時代は幸せでしたか?
A:
ええ、とても楽しかったですよ。海岸でたくさんサッカーをしたり、そこで楽しい子供時代を過ごしました。
Q:
アントニオ・カルロス・ジョビンは時々あなたにとっての「mentor 〜良き指導者」と言われますが本当ですか?
A:
はい、偉大な作曲家です。おそらくブラジル音楽界にとってもっとも重要な作曲家だと思います。良き友人でもあり、
彼の作品をたくさん取り上げてきました。
Q:
かれからどんなことを学んだのですか?
A:
アレンジから作曲、音楽のスタイル、コード進行などありとあらゆることです。
Q:
なぜあなたはたくさんの他の人の作品を取り上げるのですか?またどんな魅力を感じるからですか?
A:
私は世界中の音楽が好きです。ビートルズ、バート・バカラック、コール・ポーター、ガーシュイン、ジョビン私は音楽
の解説者みたいなものです。素敵な音楽が好きなんです
Q:
なぜピアノを選んだのですか?
A:
そこからスタートしたからです。小さいときからピアノの音が大好きで、いまだにそうです。だから今も演奏してるん
です。
Q:
あなたがミュージシャンになりたいことを知ったご両親はどう思われたのでしょう?
A:
両親ですか、あの当時のブラジルで私がポップミュージシャンになると言ったら驚かれましたよ。(私の父は医者で
したから) でもミュージシャンとして私がいろんな活動を始めて、幸せそうにしているのを見て理解してくれました。
最終的には両親もとても満足してくれましたがスタート当初は理解してもらえるまで少し大変だったのは確かです。
Q:
最初はクラシック音楽から始められましたよね。なんでボサノバを演奏するようになったのですか?
A:
’60年代初頭のブラジルはボサノバが誕生したくさんの素晴らしい曲が生れ、私もバンドで演奏しその時代を担う
一人だったのです。クラシックのレッスンは一通り受けました。次にジャズの魅力に取りつかれ、そしてボサノバの
時代が到来し、私はその魅力に引き込まれていきました。
Q:
何故ですか?
A:
素晴らしいから。ボサノバには素晴らしい曲が有るからです。当時はブラジル音楽にとって歴史的に重要な時代で
あり、そこにいて私はバンドを組んで演奏していました。ですから私はその時代の動きの一部であり、ニューヨーク
におけるビバップ時代と同じような感じでした。
Q:
ハリウッドボウルはどう思いますか?
A:
とても楽しみにしています。好きな演奏場所のひとつですし。
Q:
何故ですか?
A:
なんで好きかって? 面白いこときくなぁ・・・
Q:
誰もなんでハリウッドボウルが好きかなんて気にしませんよね
A:
そうですね。とにかくあそこはとても特別な・・・・・行ったことありますか?美しい場所ですよ。ユニークなところです。
世界中であんな施設があるところは少ないと思うし、人々の雰囲気かなぁ・・・あそこの何もかもがいいんです。
とてもロマンティックで、とにかく素敵な場所です。何度もあそこで演奏していますがあの場所で演奏するのは大好
きです。
Hollywood Bowl のSergio mendes
Q:
長年演奏活動をやってきてますが、何か変ってしまったように感じますか
A:
いつもコンサートの前は緊張しますよ。1時間の演奏時間の中でどんな曲を演奏してどう進行していくかいつも新し
い経験です。ここでは何回も演奏してきましたが、いつも最後には何が起きるかわからない、それがここの魅力で
す。楽しいですよ。
Q:
でも長年同じ人たちと演奏してこられたんですよね
A:
いいえ。交代してますよ。ドラマーはもう20年以上一緒ですが1年目のシンガーもいます。たくさんのメンバーが私
と長年活動してきました。一人は10年位、もう一人は5年。素晴らしいバンドです。いろんな国から参加しています。
ブラジルからのメンバーがいますし、ベース奏者はスリランカ人、さっき会ったでしょ。誰かが辞めたり結婚したりし
た時はいつでも新しいメンバーを探しはじめます。
Q:
これまでとてもたくさんのアルバムを発表されてますね。長年ほぼ1年に一度のペースで。どのようにしてそんなに
早いペースで作られるんですか?
A:
毎年なんか出していないと思いますよ。でも初期の頃はそうだったかもしれません。1年に1枚のアルバムが定番
だった時もあります。当時は皆がそうしてましたから。今は2〜3年に一枚のぺーすです。
Q:
長い休止期間もありましたね。1996年からTimeless(2006年)までの間。何をなさってましたか?
A:
ツアーに出ていました。世界中でコンサート活動をしていました。ちょうど休養するのに良い時期だったと思ってます
そしてWill Iamと出会い、またアルバムを作ろうと決めTimelessが出来ました。それは世界中で大成功をおさめま
した。それからEncantoを発表し、今は先週から別のアルバム(2010年BOM TEMPO)を作り始めました。どん
な曲を演奏するか、誰がそれに参加するかを決めている最中です。
Q:
映画 ”Be Cool ”のサントラで Will I amと共演してますよね。
A:
1曲一緒にやりました。とても良いできでした。ジョン・トラボルタとユマ・サーマンがダンスするナンバーでした。この
曲をBEPと一緒に録音し、それを二人が踊るシーンで使ったのです。とても素晴らしい体験でした。彼とはアルバム'Elephunk'制作に参加するよう誘われた時に会い、映画はアルバム作成後に作られ「よかったら一緒に映画の中
でも演奏しないか」と誘ってくれたのです。
  
2004年公開 ジョン・トラボルタ主演「ビー・クール」 映画内でブラック・アイド・ピーズと共に実際に演奏している
Q:
Encantoでは何故Will I am をブラジルまで連れていったのですか?
A:
向こうに行って色々やろうと思ったんです。彼も行きたいと思っていたので行きました。前回のTIMELESSでは全部
L.Aでやったので思っていた通り、違ったものになりました。そして現地でしか表現できないリズムやその他いろんな
事をバイーヤやリオデジャネイロまで行ってキャッチしてきました。彼も私もとても満足しました。
  
ウィル・アイアムとセルジオ・メンデス ブラジルでの「エンカント」制作

どうやってブラジルの新しいものを追い続けているのですか?
A:
常に新しいアルバムを聞いているし、僕にみんながそういったものをインターネットで送ってくれますしね。ブラジルの
TV番組も衛星放送で見るし音楽的に何が起こっているか常に関心を持っていますから。
Q:
今とくに関心あるアーティストや動きはありますか?
A:
ブラジルではいろんなことが起こっています。ブラジルは複合文化(多文化)国家だから。ブラジル音楽はそういった
多様性を持っているから一つの要素で表現することは不可能だし、向こうへ行って経験してみると良いと思いますよ。
Q:
みなさんがブラジル音楽を知るのに良いと思うブラジルのアーティストを5人選ぶとしたら誰だと思いますか?
A:
うーん、そんなこと考えたことないけど、でもあえてあげるなら、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジルベルト・ジル
ミルトン・ナシメント、トニーニョ・ホルタ、ゼカ・パゴディーニョとかマルセロ D2 とかでしょうか。
Q:
駐車場でEscola de Samba の集団と録音したという記事を読みましたが。
A:
十数年前にグラミー賞を受賞したBrasileiroでやりました。ブラジレイロはさっき言ったブラジル音楽の多様性、
リズム、歌、様々なスタイルを一番よく表現しているアルバムでカルリーニョス・ブラウンと彼のお音楽にまつわる
たくさんの人たち、とにかく当時の最高のブラジル音楽を結集したアルバムです。素晴らしいアルバムでとても
誇りに思ってます。