日本一速い男 星野一義さんが語る

シャコタン街道レーサーから栄光に向かって、ひたむきに情熱を燃やしていたアキラだったのに・・・・・・・。
アキラ――――萩原光(29歳)が死んだ。
’86年4月7日、菅生サーキットで、テスト走行中、第2コーナーでの事故だった。
あの日以来、俺の頭は混乱しきっている。俺は、自分の道を信じて今日まで生きてきた。
日本一速い男になる!その夢を追いかけて一途に突っ走ってきた。それは、男の生き方として誇らしいことだと自信を持っていた。ところが、今ではその信念がグラグラと揺れている―――。
* * *
アキラと初めて会ったのは7〜8年前、健ちゃん(高橋健二)と一緒に、当時静岡にあった俺の実家に来たのが最初だった。まだアキラがサニーのツーリングカーレースなんかに出ていた頃だ。「クルマが好きで好きでたまらない」って、大学時代はセリカを車高短にした改造車で公道を走りまくっていたらしい。小田原辺りじゃ、一番速い、かなり有名な゛街道レーサー″だった。
公道をぶっ飛ばすのだから、一般の人からすれば゛暴走族″ってことになる。でも、俺にも覚えがあるからわかるけど、俺とかアキラのは、゛暴走族″とは違う。俺は若い頃六甲山で、朝6時頃からギンギン走りまくっていた。それは、クルマが好きでスピードが好きだったからであって、自分としてはマジメな行動なんだ。世間は俺を不良と呼んだ。でも違う、もっと純粋な気持ちだった。他に場所が無い、だから仕方なくそこで走っていた。きっと、アキラも同じだったに違いない。
俺とアキラの師弟関係は、レース界じゃ皆が知っている。俺は本当は゛弟子はとらない″主義だ。前に一度、痛い思いをしているから。ところがアキラだけは例外だった。
性格でも何でも、アイツはナンバーワンだった。本当にいいヤツだ。例えば俺がレースを終って、ビールでも飲みたいなあと思えば、目の前に差し出してくれる。あっタバコが切れてるな、とポケットを探すと、その時にはもう買いに走っている、そんなヤツだった。本当に俺を慕ってくれていた。とにかくアイツは、一人の人間としてアドバイスを送らなくてはいられないって感じの、俺にとっては可愛いヤツだった。
弟子といっても技術的なことは全然教えなかった。教えて上手くなるもんじゃない。とにかく「いいところは盗め」、俺も先輩から盗んでのしあがてきた。だから教えるよりただ「盗め」と、それが俺なりの教え方だった。ヤツを面と向かって誉めたこともなかったな。だって、可愛いから、その分厳しかったはずだ。
アイツは無口なヤツで、家に遊びに来て食事をご馳走しても、帰るまで一言も喋らないくらいおとなしい男だった。でも、いつかアイツがこう言ったことがある。まだ本格的にデビューする前、富士のサーキットを初めて走った時のことだったと思う。「ボクは誰よりも速いと思ってたけど、富士のサーキットを走って初めて、なんて俺は遅いんだって惨めな思いをしたんです。自分は必死で走ってるのに、鼻歌まじりのプロのレーサーにスイスイ抜かれる。その悔しさといったら・・・・・・。もの凄くショックでした」
普段は無口なアキラも胸中には、凄まじい負けん気と執念を秘めていた。俺にも同じ経験があるだけにアキラの気持ちがよくわかる。その悔しさから、俺もアキラも、本格的な挑戦が始まったんだ。負けたくない、誰にも負けたくない!不良と呼びたいヤツは呼べ。俺はただクルマが好きなんだ。いつかきっと日本一速い男になって、世間を見返してやる!とね。
’83年゛耐久″に初めてチームを組んだ時は、まだまだ走り込まなきゃダメって感じだった。けれどこの2〜3年でグンと力をつけた。アキラは去年(’85年)、F2シリーズで7位、GCシリーズで6位。F3では優勝したことがあるけれど、今年あたり、F2、GCでも一緒に表彰台に登れそうだ、と楽しみにしていた。
10年前、小田原で不良とか暴走族暴走族と陰口をたたかれながらも、ひたむきにスピードに情熱を賭け続けてきた男が、ようやく栄光目前までたどり着いた。スポンサーにもついてもらえて、人気も成績も上昇一途。今年こそ!とまさにその矢先の事故だった。
アキラが死んだなんて神も仏もないじゃないか、それが俺の気持ちだ。悲しいより悔しい。悔しくて腹が立って、そして悲しい。この気持ちは上手く表現できない。うまい言葉で表現しようって気もない。レースに賭けて、ひたむきに努力し続けてきた男が、何故栄光の直前で死ななきゃいけないんだ、理不尽じゃないか!?
アキラが死んで以来、俺は混乱し、俺自信、走る意欲を失っている。
いままで信じて疑わなかった俺の生き方そのものに、自信が持てなくなっているんだ。勿論、今日までの俺の生き方を後悔しているわけじゃない。俺は俺なりに必死で今日まで走り続けてきた。
だけど、今日から、いったい俺はどうやって生きていけばいいのか。若いレーサーに、俺はいつも「他人の2倍も3倍も、とにかく人より多く走れ!」と言ってきた。けれどアキラが死んだ今、俺はそんなことが気軽に言えなくなってしまった。
レース・・・・・・。
つねに死が隣り合わせの危険な世界。
だからカッコイイと、見る立場の人間は言うかもしれない。違う。恐い。危険すぎる世界だ。俺はこんな危険なことをやっていいのか・・・・・・。真剣に苦しんでいる。まして他人をこの世界に誘い込むなんて、もう俺にはできそうもない。一緒にチームを組もうぜ、なんてもう言えない。俺がその人間を危険な世界に誘うってことだから。
俺は考えている。こんな危険を犯してまで、何故走り続けなければならないのか?金のためか?違う。たとえ一億円稼いでも、8000万は税金だ。何故税金を払う為に自分の生命を賭けなくてはいけないんだ。名誉のため?バカ言っちゃいけない。生命と名誉とどっちが大切だと思う!まして俺にはかけがえのない家族がいる。これ以上税金やチッポケな名誉の為に体を張る必要がどこにあるというんだ。
レースが好きだから?それも違う。最初若い頃はそうだったかもしれない。好きだから、形振りかまわず、恐いもの知らずでぶっ飛ばしてた時期はある。けど、好きだなんて、そんなものはとっくの昔に超えてしまった。そんななま優しい世界じゃない。
何故走る?その答えが、今の俺には見つけ出せない。星野は臆病だと、批判されても恐い、レースは恐い。それに自分が守る以外に自分の生命は誰も守ってはくれない。
ただ、ひとつだけ解っていることがある。 それでもアキラはきっと、もっと走りたかったに違いない。
1986年月刊「GORO」より
何度となく読み返しても涙が込み上げます。
1998年、Fニッポン鈴鹿。影山正彦さんが優勝した時、星野さんが流した涙こそが、星野さんの優しい人柄を表していると思いました。