星野さんの奥様が語る

スピードと死への恐怖
決定的に恐ろしいと感じたのは、星野が本当の弟のように可愛がっていたレーサー、萩原光さんが亡くなったときだ。
その日の事は、今もって忘れられない。その朝の天気も、空気も、星野の着ていたパジャマの色までが、リアルに浮かんでくる。
よく晴れた4月の朝、目覚めたばかりの私達は顔を洗っていた。その時、電話が鳴った。いつも電話にでるのはほとんどが私なのに、その日に限って、なぜか星野が受話器を取った。いまになって考えてみれば、虫の知らせというものだったかもしれない。
電話に出た彼は、最初の「もしもし」という言葉の後に「アイツが・・・・」と言ったきり、沈黙してしまった。どうしたのかと心配になって彼の所へ行ってみると、星野はガックリと肩を落として背中をブルブルと震わせていた。泣いていたのだ。受話器をきつく握り締めたまま、言葉を失って立ち尽くし、泣いていたのだった。
その日、早朝から仙台のサーキットでテストをしていた萩原さんは、テスト開始後間もなくガードレールに激突し、クルマはアっというまに・・・・。
当時、萩原さんと星野は耐久レースの日産チームでパートナーを組んでいた。萩原さんにはレース関係の仕事をしている弟さんがいて、二人してウチヘ遊びにきていた。家族ぐるみで食事へ行ったり、ゴルフをしたり、楽しい思いで出は、尽きない。
たぶん星野にとっては公私共に、最良の友達だったはずだ。萩原さんが亡くなってからというもの、私は星野が彼のことを話すのを、一度も聞いたことが無い。きっと、未だに整理できないほどのショックを受けたのだろう。おそらく、彼にとっては長いレース生活の中で、最も悲しい出来事だったはずだ。
私にとっても、萩原さんが亡くなった事は今までの生活の中で、最もショッキングで悲しいことだった。レースがいとも簡単に人の命を奪う、むごいスポーツなのだということを、また新たに知らされたのだ。
過去に命を落としたのは、萩原さんだけでは無い。多くの人達が、一瞬の出来事のうちに風の藻屑のように消えていった。
だから、星野が今日まで無事に闘い続けてくれたことを、私は言葉に尽くせないくらいありがたいと思っている・・・・・・
私の愛したレーサー掲載