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いつか時代が流れてあの頃が思い出話になる時がくる。
だけどあの時代に感じたもの夢見たものは、ふりつもる現実の忙しさの中にうもれてしまっても、
消える事なく心の中の大事なところで輝き続ける。
だから忘れないで欲しい、あの時あの場所で最速だった男の名前を、、

     萩原光(アキラ)1956年7月21日、神奈川県小田原市にて生まれ育つ。
    1977年7月24日、富士500マイルレースにてレーシングドライバーとしてデビュー。
1978年9月、富士フレッシュマンレースにて初優勝。その後、富士GCマイナーツーリングにステップアップ。
耐久レースでは高橋健二選手とペアで1979年には2勝を挙げる。
1980年マーチ793にてF3エントリー、年間ランキング4位となる。
その後、F3,ランキング2位。FP,ランキング、5位。
1983年、レーサーとしてデビューし、わずか6年足らず。国内レースの最高峰、F2とGCレースを走る。
日産ワークスとしても星野さんと、ともに活躍をし、ル・マンにもエントリーを決めていた。
1985年7月21日、菅生にてコースレコードを樹立する。
この日、アキラさんは、その言葉どおり「最速のタイム」を記録してポールポジションを獲得した。
日本のレース界、レースファン、そしてなによりも私達「走り屋」にとって待望のスタードライバーでもあった。
富士のストレートにはスタンドからいつも「ガンバレ、アキラ」の応援旗が貼られていた。

「もし、・・だったら。」と言う台詞は意味をもたない。
   が、あえてこの台詞を言わせて頂けるのなら、
神が本当に存在し、私の「もし、あの日の出来事が無かったら。」を、叶えてくれれば
アキラさんは、レーシングドライバーとして、F1をドライブしたに違いない。
    若手NO1、誰もがF1に一番近い男として、光さんを応援していた。
                           


















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