
18歳の頃はいっぱしの街道レーサーを気どっていた。自分で言うのもおかしいが、小田原近辺の仲間うちでは一番速かったのが自慢のタネだ。群れて走った事も数知れず、向こう見ずな俺はタイムトライアルが3度のメシよりもすきだった。
そんな趣味がこうじて暴走族に入っていた時期もある。乱闘騒ぎこそなかったが、夜になるとシャコタンでかっとぶのが日課。それがむしょうに面白かった。速く走る事しか俺の頭の中にはなかったからだ。
伝説、1.
ステアリングを握ったのは14歳の時。土曜の夜は東京をめざしてまっしぐらだった・・・・・
そのころスピードに憧れていた、というよりクルマを動かす事に喜びを感じていた俺は、毎週土曜日の夜になるとオヤジのクラウンを持ち出して、深夜ドライブとシャレこんでいた。その後16歳になるとCB750を手に入れスピードの魅力を知った。
伝説2.
一日だけのRX−3・・・・・・
18歳になるのも待ちどうしくて、俺はクルマの免許をとった。友人の一人がサバンナGT(RX−3)を譲ってもよいといいだした。当時、昭和49年ごろのサバンナといえば圧倒的に速い車の代表選手。スタイルはよくいえば精悍、悪く言えば武骨だったが、速さはピカイチ。俺にとっては乗りたいクルマのナンバーワンだった。
欲しくてたまらない俺はそのクルマを一日借りた。そしてサバンナのステアリングを握ったとき、もうはなすものかとさえおもった。
湘南方向から小田原市内に入った1号線は市民会館の近くでクランク状に曲がる。俺はアクセルを吹かしすぎた。ところが強力なパワー、溝のないワイドタイヤ、雨と悪条件が揃ったのだからたまらない。LSDもついていないサバンナは大きくリアを振った。サバンナはクシャクシャになった。
伝説、3
小田原一速い男・・・・・・
サバンナをオシャカにした後、手にしたのは初代セリカLB2000GT。こいつは新車だった。
このセリカも、俺の街道レーサー時代に共通する改造を施していた。足はスプリングをカットしレース用ショックに変更した。アルミにワイドタイヤ、フロントにレーシングジャケット、リアにはスポイラーと、当時最高のクルマになった。
真鶴の旧道をよく走ったが、負け知らず圧倒的に速かった。
伝説4
箱根最速の240ZG・・・・・・
240ZGをかった。中古なんて事は気にしなかった。速ければよかったのだ。セリカの時のように改造を施し、ソレ、タコ、デュアルをつけた。セリカとはずいぶん違うクルマだった、それ以上のポテンシャルを備えていたのだ。240ZGでは誰にも公道では負けなかった。ハイポテンシャルモデルの乗りこなしテクニックを体得できたのはZのおかげと言ってもいいだろう。そして、その少し後から、俺の興味はレースへとうつっていくことになる。
伝説5
また、サバンナ(RX−7)・・・・・
昭和53年、RX−7が発売されるや、俺はすぐに買ってしまった。愛車にしてから1年程たった頃、小田原市内をいつもどおり走っていた俺のクルマの鼻先を2台の暴走族が鼻先をかすめるように曲がった。すべるテールが、フロントをヒットしそうになった。フルパワーをかけて追走する、かつて俺も仲間と一緒に信号無視をして周囲のクルマに迷惑をかけたこともある。その時俺達に走路をジャマされた人たちも、今の俺と同じ心境だったのかと思うと、無性に腹が立った。そんな危険な走り方をするから、走り屋仲間が迷惑をうけることになる、とも考えたがやはり目の前で無茶な走り方をされるとあたまにくる。
RX−7はやはり速くすぐにそいつらに追いついた。しかしやつらも逃げる。俺はいったん追い抜いてからクルマを前にかぶせた。とこらが、かなりのスピードがでていたRX−7は、そのとたんいきなり真横を向き横滑りをしてぶつかってしまった。
俺とサバンナとは本当に縁がないのだろうか・・・・・。
伝説6
初めてのレースでトップを走る・・・・・・
自分達で組み上げた110サニーでエントリーをした初レース、4番目からスタートし10周めにはトップにおどりでた。残り2周というところで100R出口でスピン、エンジンがかからずリタイアしてしまった。
でも俺はうれしかった、オヤジがスタンドから応援していたと他の人から聞かされたからだ。これがきっかけでどんどんレースに夢中になっていった。
伝説7
俺はマシンを壊さなかった。
レースにおいて、俺はクラッシュしなかった。いや、出来なかった。
金銭的に負担をかけていた、オヤジ。いつも隣にいてくれる、弟のマコト。寝る時間も惜しみ、サポートしてくれる仲間達。それを考えると、俺にはマシンを壊すなんてできなかった。
完走率が高かった、俺の秘密だ。
光さんの数々の伝説は、他にもまだまだあります。
次回の機会に掲載します。
当時の光さんを知る人は、皆、口を揃えたように
「めちゃくちゃはやかった」とはなします。
アキラさんとTSサニー