成人式の混乱は日教組教育のせい?




●(問題提起)塾屋さん

本日の読売新聞より

 埼玉県深谷市で6日行なわれた(成人式の)式場の挨拶に立った市長が私語をやめない新成人たちに腹を立ててあいさつを取り止め、式辞を書いた紙をステージに放り投げる一幕があった。
 式典は同市総合体育館で午後2時から30分間の予定で始まり、新成人約1030名が参加した。しかし、開始直後から、おしゃべりをやめなかったり、携帯電話で話したりする新成人が目立ち、国歌や市歌の斉唱にも参加しない状態。式辞に立った○○市長は「30分の静寂も守れないのか」とマイク越しに大声で会場に呼びかけたが、会場は静まらず、「おめでとうという式辞も読む気にもならない」と手にしていた式辞を足元に放り投げた。さらに「毎年、成人式に参加するたびに憤り、さびしい思いで会場を去る。せめて大人のルールを守ってほしい」と続け、自席に戻った。(中略)
 新成人からは「私たちもうるさかったが、式辞を放り出すのはひどい」と反発する声も出た。
 −−−−−−−−−−−−−−転載以上

 市長さんの心中を察するに余りあります。
 私にはこれが学校の現場で国旗・国歌を扱ってこなかったためだと思えて仕方がありません。
 やはり一部のイデオロギー(国歌は個人崇拝・国旗は侵略の象徴、学校内で国旗・国歌を扱うのは内面の自由を奪う暴挙という主張)によって式典に臨む姿勢が全くできていない若者が成人したためでしょうか。

 しかも自分達の「態度も悪い」と認識しているにも関わらず「式辞を放り出すのはひどい」などとよくも反発できるものです。こういうのを「盗人猛々しい」とでもいうのでしょうか。しかも本人達に全くその自覚がないようですので、本当に始末に終えないというのが現状でしょうね。

 このような誠意の欠片もない、不誠実な輩を輩出している現実が現在の学校教育の「個性尊重」であり「個人主義」だとしたら、この成人式で静寂を守れなかった輩が受けていた教育は間違いなく「亡国の教育」でしかないと確信します。

 個人だけを尊重し公共という概念を教えない現在の教育の弊害が形になって現れているのが現在の成人式の実態であり、私には家庭での教育では学べない、学校で教えるべきである公共心が全く養われていなくなっているのではないかと思います。
 
 学校教育ってなんだ? 新年早々、考えることが多い一年になりそうです。




●管理人
今日の成人式では全国至るところで塾屋さんの紹介したような事態がおきるのでしょうね。やれやれです。
 今の若いモンはというとオジン臭いのですが、私はどうだっかというと「官制成人式なんてアホらしいや」「市長の話なんて聞けるかよ」と思って参加しませんでした。今考えると幼いですが、騒いで迷惑をかけるよりもはるかにマシだと思います。
 今の若者がなぜ成人式に出るのかといえば、かつての友人に会えるからだと思います。だったら、そういう場を設定してくれた行政側に感謝して、儀式の間くらい静かにするのが筋でしょう。しかし、彼らにはそういう気持ちがさらさらなく、自分たちにとって都合のいいこと、おいしいことだけを享受しようとしているわけです。これはまさに、他者に感謝することも、義務を果たすことも教えず、権利、権利と騒いできた戦後教育の見事な成果といえるでしょうね。
 成人式の問題が騒がれ出したのはここ数年ですが、こうした若者が学校生活を送った時期が、マスコミによる管理教育批判が盛んだった頃に重なっています。あくまで個人的な感想ですが、あの頃から学校の「躾力」が急激に低下したように思います。

2chの「学校がダメになったのは日教組が原因?」というスレを見ていたら、実に興味深い書きこみがあったので紹介します。成人式で騒ぐ側の論理です。

「官制成人式なんて糞。当たり前じゃん。
成人式をやってくれなんて頼んだ覚えはねーよ。
どこのえらい人か知らないけど、つまらないことをだらだら話してんじゃねーよ。
黙って聞けなんてのが無理な話。
忙しいところを来てやってんだから不快な思いをさせるなって。
ホント成人式の強制にはうんざりだよ」

いや〜参りましたねぇ。(笑)スレではさっそく袋叩きにされていますが、そんなの当たり前。
都合のいい自己正当化、自己中心的で「公」の概念など皆無。
塾屋さんの言うように「成人式の混乱は日教組的な戦後教育の結果である」という見事な証明になっています。はぁ〜あ……と、溜息ですね。



●塾屋さん

「2チャンネル」の「日本をダメにしたのは日教組か」のスレッドを読んで私も呆れました。
以下は特にその象徴のような書き込みです。


名前: 組合員さん 投稿日: 2001/01/08(月) 17:34
成人式に出席している人間には久しぶりにあった友達と話をする権利行動を誰からも干渉されない権利があります。
聞きたくもない話を押しつけられるのは苦痛以外のなにものでもありません。
出席している成人一人一人の個性こそ、何よりも尊重される必要があるのです。
祝辞を述べる方は壇上で全員に向けて話すのではなく、若者一人一人に直接語りかけてみてはいかがですか。きっと新たな発見があると思いますよ。
少しぐらいにぎやかでもいいではないですか。活気があるということですから。
「最近の若者は・・・」などという画一的なものの見方しかできない人は情けないですね。


人には確かに人と会い人と話をする権利がありますが、「いつでも、どこでも」保証されているといった思考には呆れ果てますね。
また成人式で騒ぐことを「可」とし、それを「個性の尊重」などというのは明らかに全然違うことを持ってきて発言しています。
どうも「個性尊重」が全ての免罪符になるのだと思いこんでいますね。
また祝辞を述べる方に「ひとりひとりに話し掛ければ新たな発見がある」などと言っていますが、ここで大人が問題としているのは、ひとりひとりではない、若者が全体で集まったときのマナーの問題であることが全く分かっていない。
最近の若者はそのことさえも分かっていない、本当に情けないですね。
しかし、上の主張をみると明らかに学校現場で聞かれる言葉ですね。このような「特権思想」を植付け、人と人との連帯を断ち切る見事な思想教育ですね。
しかしこのような短絡思考人間を生み出している、やっぱり教育は間違っているな、と強く思います。





●管理人
高松のクラッカーを市長に向けて鳴らした件といい、高知の橋本知事への暴言といい、成人式のニュースを聞くたびに暗澹とした気持ちになり、おまけに今日は始業式というわけで、最悪の気持ちで学校に行ったわけですが、放課後になって教え子が二人遊びにきて、まぁ金髪、鼻ピ系の子なんだけど、その子たちがちょうど二十歳で昨日成人式をすませたばかりだというので様子を聞いてみました。(ふぅ〜、一文が長いぜ)
「お前ら、成人式で騒いだんじゃないだろうなぁ」
「そんなことないスよ。おれ、足立区なんだけど静かだったよ。シュクシュクって感じで」
「ほんとかよ」
「ほんとだって」
「おれんとこもそうだったよ。おれ、荒川区で成人式の役員やってたんだけど、けっこう落ちついてて、テレビでやってるみたいなことなかったよ」
「???」
 そのときハタと気付きました。またマスコミの詐術にはまっていたようです。マスコミは一部を誇大に報道するので、全部そうなんだと思ってしまうのですね。
 実際には、ひどい成人式もあったのでしょうが、つつがなく終了したところもたくさんあったのでしょう。おそらくそちらの方が多いのではないかと思えます。
 なんだかホッとしたわけですが、考えてみれば一連の成人式報道は明らかに国民世論を「こちら側」に近づける効果があったように思います。
 高松の件などの映像を見た人々は「なぜ若者がこうなったんだ」と疑問を抱き「戦後の教育が悪かったんだろう」と思い、「やっぱり日教組教育はまずかったんだろうなぁ」という結論に達すると思います。まさか「日の丸君が代を強制したり、歴史をねじまげようとしている反動勢力によってこうなった」とは思わないでしょう。とすれば、これは好ましい結果をもたらすかもしれません。今ごろは、この成人式報道によって、多くの国民が「覚醒」しているかもね。



●塾屋さん
今日のスポニチは橋本知事が一面。でもその中に戦後教育について触れていたのは赤塚行雄氏だけ。吉永みちこは「希望を持てない社会が悪い」という相も変わらず全く的外れで馬鹿に迎合した理屈を述べている。本当に社会が悪いということに実感を持つ人なんてまるでいないことに気付いていない。まだあのような「馬鹿」を庇うのかい。全く恥さらしもいい加減しろ、吉永!
 それとデーブ・スペクターのコメントも最悪。「日本の式典のつまらなさが原因」だとさ。じゃあ、アメリカのメモリアルデイの式典は心ウキウキするものなのかい? みんな神妙な顔つきで黙祷を捧げているんじゃないかい? そうやって権力側というか「大人の方が悪い」と言った理屈にみなうんざりしているんだよ。
 お前達のような人間が騒ぎを起こす人間を生み出してきたことに何で気付かないんだろう。
 成人式というのは「社会を構成する人間の一人としての門出を祝う式典」だろう。だったら大人の義務というものを分からせることも充分意義があることなんだよ。全くここにも「馬鹿牧場」の住人を見つけてしまった。
 
 高松市は昨日の成人式で悪態をついた連中を刑事告訴するとのこと。大げさなようだが、このような馬鹿を擁護する「馬鹿牧場」の連中に惑わされず信念を曲げずに頑張って欲しい。大人になったら公共の利益に反する行為を行ったら罰が与えられるのが常識であることを身に染みるほど分からせてやって欲しい。
 そうすれば彼らが成人式に出た甲斐もあったといずれ分かるだろう。
 大人になるということはきっちりと自分で「落とし前」をつけなければならないということに漸く気付いてくれるだろう。



●管理人
 成人式の混乱は日教組教育の結果なのかという問題に関して、ネット内でもかなり討議されているようです。そういう論議をざっと見ても、大部分の人は日教組に象徴される戦後教育に問題があると考えているようです。成人式の状態を見て「管理が強くなったせい」だから「自由にのびのびさせればいい」「ゆとりを持たせればいい」と思う人はまずいないでしょう。朝日や日教組的な教育論の出番は、もはや全くないのです。
 下にも書きましたが、私も成人式の混乱は日教組的な教育論の結果であると強く感じます。たとえば、「義務」を教えず「権利」ばかりを教えれば、やはりああいう結果になるでしょうね。
 例えば……人に親切にしてもらえば、ありがたいと思って感謝し、その人のために何かをしなくちゃいけないという感覚を持ちます。こういう義務感の発露というのは、人間として自然な感情だと思います。ところが、権利の意識ばかりを教えると、義務感が育たず、同時に義務感を発露させる「感謝や恩義」も感じなくなり、「されて当たり前」「奪えるものは何でも奪え」的な感覚に陥ってしまいます。
 成人式で騒ぐ若者はこの典型ですね。行政に庇護され、教育を受けさせてもらい、安全で快適な暮らしを享受しながら、その恩義をまったく感じることができず、その恩恵を授けてくれた存在に対して無礼きわまる態度をとっているわけですから、もう最低の人間だといえるでしょうね。
 こうした戦後教育によって、エゴをむき出しにする愚劣な人間の群れが大量出現し、それが成人式に表れたというわけです。
 ただ、多くの国民がこのことに目覚めつつあることが救いですね。


(追加)戦後教育において、教師の権威性を意図的に貶めたことも原因の一つ。教師と生徒は対等であるという理由で教壇を置かないとか、「仰げば尊し」を歌わないのはその一例。騒ぐ側からすれば、市長や県知事なんて単なるオヤジにすぎないのだろう。
それに教師の権威低下による「騒ぐ授業の恒常化」も大きい。この教師の権威低下を助長したのが左翼マスコミによる管理教育批判。これからも日教組(左翼)イデオロギーが関わっているのは明らか。



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