高校未履修問題の元凶は日教組だ!
月刊『Will』19年1月号掲載論文
学校だけが悪いのか
高校の単位未履修問題は全国に拡大して、十一月八日段階で未履修のあった学校は全体の約一割(五四〇校)、該当生徒は八万人を超えている。今回は世界史の未履修が大きく取り上げられたが、受験の対象とならない教科(家庭科、情報、総合学習等)を厳密に調べれば、その数はさらに膨れ上がっていくであろう。なぜ、こんな事態になったのか。原因について意見は分かれているが、最も多いのは学校・教員に対する批判である。
法的拘束力のある学習指導要領をないがしろにするのは許されない。教育荒廃が叫ばれる中、範となるべき教師が進んで不正を働いていたのは言語道断である。教委が承知していたケースもあるので、今後は第三者を入れて監督を強化しなければならない――。たしかにその通りである。筆者も学校関係者の一員として深く陳謝するしかない。
しかし、多くの学校が同時期に不正を行っていたのならば、個々の問題ではなく、各学校に共通する要因を求めねばならない。そこで、まず槍玉に挙がったのが「受験偏重の教育」である。学校の進学実績を上げるために、受験者の少ない世界史を必修にしなかった。公教育の目的を忘れて、受験という功利的な面ばかりを重視した結果である――。十月二七日に伊吹文科相が語った「高校教育の基本的な狙いと、目先の大学入試を混同している」というのがその典型である。しかし、こうした認識は明らかに間違っている。なぜなら、以前に増して受験が厳しくなっているという事実はなく、受験競争が激しかった昭和四十年代以前には、このような問題は起きなかったからである。さすがに、メディアもこれのみでは説得力がないと考えたのか、共通する要因として学習指導要領に目を向けるようになる。ここでやっと元凶の一端が見えてくる。
ゆとり教育という害悪
最初に未履修問題が生じたのは、世界史が必修になった九四年からである。しかし、当時は一部の高校に限られており、今回のような問題になることはなかった。多くの学校が不正に手を染めたのは、二〇〇二年の学習指導要領が実施されてからであり、そうであるとすればこれが引き金になったと考えるのは妥当だろう。
学習指導要領は十年ごとに改訂されている。〇二年の目玉は、週五日制の完全実施と学習内容三割減、「総合的な学習の時間」と教科「情報」の導入等であったが、学力低下をもたらすとして実施前から大問題になっていた。いわゆる二〇〇二年問題である。
当時の様子を振り返ってみよう。
新学習指導要領の謳い文句は「個性尊重」と「ゆとりの中で生きる力を育む」というものであったが、常識的に考えて納得できるものではなかった。「個性尊重」といっても、生徒の個性を尊重して(あるがままに認めて)教育が成り立つはずはなく、「ゆとりを与える(のんびりさせる)ことで生きる力が身につく」はずがない。生きる力の前提となるのは強い精神力や確固とした価値観であり、それらを形成するには、厳しさに耐え、多様な知識を学ぶ必要があろう。文部省(当時)のいう「ゆとり」とは、強制や義務を排した自由な立場に身を置くことを意味しているが、そのような安逸さの中では耐性を養い、豊富な知識を身につけることは決してできない。当時、ゆとり教育に賛成していた現場の教師は、ほとんどいなかったと思われる。
週五日制については、文科省のHPにこう説明されている。「学校週五日制は、学校、家庭、地域社会の役割を明確にし、それぞれが協力して豊かな社会体験や自然体験などの様々な活動の機会を子どもたちに提供し、自ら学び自ら考える力や豊かな人間性などの生きる力をはぐくむことをねらいとしています」「家庭や地域社会では、豊富な生活体験、社会奉仕体験、自然体験などを経験させ、子どもたちに豊かな心やたくましさなどの生きる力をはぐくんでいきましょう」
土曜を休みにすれば、地域で豊かな社会体験・自然体験ができ、生きる力がつくというのである。だが、現実がそんなに上手くいくはずはない。小中学生はテレビやゲーム漬けになり、高校生は部活かバイトに精を出すのが関の山だろう。案の定、危惧されたことは現実のものとなり、その後の調査によっても、土曜に社会体験や自然体験を行っている生徒はわずかしかいなかった。
ゆとり教育は、抑圧や競争を悪として、生徒を自由にのびのびさせれば、主体的に学習に取り組むだろうという空虚な理念に基づいていたことがわかる。
そして、もう一つの目玉が「総合的な学習の時間」の導入であった。高校では週一時間設けられたが、ねらいは抽象的で、「横断的・総合的な学習や生徒の興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かした教育活動」を行い「自ら課題を見つけ、自ら学び、よりよく問題を解決する資質や能力を養う」というものだった。しかも、「教科の枠を超える学習であるため、各学校の創意工夫にゆだねる」として、具体的な指導内容は示されなかった。これで効果的な学習活動ができるはずはない。現場では何をしてよいのかわからず困惑するばかりだった。
新たに設けられた教科「情報」も同様である。学習指導要領には「コンピュータや情報通信ネットワークなどの活用を通して、情報を適切に収集・処理・発信するための基礎的な知識と技能を習得させる」とあるが、限られた授業時間の中で、エクセルやパワーポイント程度の学習に週二時間も割くのは勘弁してほしいというのが大勢(たいせい)の意見だった。要するに、新学習指導要領は迷惑なものでしかなかったのである。
現場の気持ちを代弁すると、およそこんなものであったろう。
土曜休みによって四時間分の授業が減らされた上に、意義のわからない情報(二時間)と総合学習(一時間)を行わねばならない。しかも、あまり受験に使わない世界史が必修になっており、他教科の時間は減らされている。二〇〇二年からは、ゆとり教育で育った中学生が入学してくるが、大学入試のレベルは変わらない。学習習慣もなく、基礎事項も知らない生徒たちに、どうやって学力をつけさせればよいのか。進学実績を上げるのは学校のためでもあるが、目の前にいる生徒の進路希望を叶えてやりたいと思うのは教師として当然ではないか。しかし、ゆとり教育が実施されれば、生徒の学力は明らかに落ちてしまう。どうすればよいのか・・・。
こういう事態になったとき、教員の意識に大きな変化が起きた。すなわち、学習指導要領は「遵守するもの」から「ごまかすもの」になったのである。
やっぱり出てきた日教組
単位未履修問題に学習指導要領が関わっていることは、発覚してから三日後の十月二七日に新聞各紙が指摘している。
日経社説「指導要領のタテマエを現場が背負いかねている側面がある」
朝日社説「少ない授業時間で、生徒の要望に応えなければならない。高校は指導要領と大学入試の板挟みになった」
産経社説「必修科目のあり方も含めて、指導要領の根本的な見直しが必要である」
どれも正鵠を射ているが、問題となった新学習指導要領(ゆとり教育)が生み出された原因にまでは言及していない。これでは画竜点睛を欠くといわねばならない。今回の責任はまず学校・教師にあり、続いて学校を追い込んだ「ゆとり教育」にある。とすれば、この「ゆとり教育」を生み出したものこそ真の元凶であろう。
これを解くには、右に紹介した十月二七日付け朝日新聞社説が参考になる。社説では学習指導要領と入試の板ばさみになる学校に理解を示しつつ、「大学は入試の科目と問題を指導要領に沿ったものにする。指導要領は共通に学ぶべき内容を厳選する。公立学校に週五日制を義務づけている法令もゆるやかにする。そんなことを考えた方がいい」(傍線は筆者)と述べている。しかし、朝日新聞はかつて週五日制の導入に賛成していたのである。
九二年九月六日の社説「ゆとりある学校五日制へ」にはこうある。少し長いが、一部を引用する。
「子供たちにゆとりを、自主性を、が五日制の合言葉である。言葉だけではなく実際にそうする必要がある。大分県竹田市で開かれていた日教組の定期大会の教育論議の中心も、この五日制だった。五日制を機に大胆な教育改革をというのが日教組の考えだ。(中略)日教組のシンクタンクである国民教育文化総合研究所から具体的な提案、たとえば分数の指導を三学年から五学年へ、かけ算を二学年から三学年へ繰り下げるなどの提案もあった。この問題では、日教組の言うように、文部省は早急に完全五日制への道筋を明らかにすべきだろう」(傍線は筆者)
十年以上も前の社説なので、朝日の変節はあえて問わない。それより、傍線部に着目してほしい。ここからわかるのは「週五日制やゆとり教育は日教組が推進していたもの」であるということだ。
九二年一月二九日の毎日新聞社説にも同様のことが書かれている。「実は日教組が学校五日制を、教職員の週休二日制とセットで実現しようと運動方針に掲げはじめたのは、二十年前の一九七二年からだった。(中略)日教組は学校五日制を教育改革としてとらえ、子どもにとって、ゆとりのある学校への転換と、地域社会や家庭での、さまざまな体験や多様な人間との交流による豊かな人間形成の実現をめざしている」
ゆとり教育は間違いなく日教組が目指していたものなのだ。
そればかりではない。「総合的な学習の時間」も日教組が七〇年代から正式なカリキュラムに入れようと検討していたのである。七六年に出された日教組の「教育改革試案」における「総合学習の意義」にはこうある。「教科にまたがり、教科を超えての課題にとりくんでいこうとする総合学習では、その課題をどのような視点からとらえ、その課題に関わっての学習をどういう方向に発展させていこうとするのかという立場性を大切にする」
これは現行の「総合的な学習の時間」のねらいとそっくりではないか。
先の毎日新聞社説にもこの件が載っている。「(日教組は)九一年六月には、教育学者の協力を得て、学校五日制の教育課程試案を作成した。その内容は、教科と総合学習と自治的活動を三本柱に据えたもので、小中高校別に一週間の時間配当も示している。(中略)五日制にふさわしい学習指導要領のあり方や地域社会の環境づくりについて、日教組と文部省・県教委が対話と協議を重ねることを期待したい」(傍線は筆者)
つまり、未履修問題の原因となった週五日制や新学習指導要領(ゆとり教育)、総合学習は日教組が推進していたものであり、当時の文部省がそれを受ける形で、国の施策として実施したのである。
亡国のイデオロギー
なぜ、日教組の活動方針が、敵対していたはずの文部省によって実施されたのか。原因は、九五年に日教組と文部省が和解したことにある。日教組は表向き「硬直したイデオロギー対決を捨て、時代に見合った協調関係を築く」としていたが、その実、ソフト路線を取ることで、文部省の中に日教組イデオロギーを浸透させることに成功したのである。二〇〇二年の中央教育審議会委員の一人に、元日教組委員長である横山英一氏が就任したのはその典型であろう。ゆとり教育の旗振り役だった寺脇研氏が発言力を増したのも、文部省内の左派グループが勢いづいたからだといわれている。
また、信じられないことに、今ではカルト扱いされているジェンダーフリーを文科省が推進していた事実がある。二〇〇〇年から開始された「〇才からのジェンダー教育推進事業」というのがそれで、全国の幼稚園や民間団体などに委嘱して、幼稚園児に対して(!)ジェンダーフリー教育を実施したのである。今では考えられない事態だが、ジェンダーフリーを推進していた日教組の運動方針を、文科省がそのまま引き受けていたことが理解されるだろう。
これ以外にも、文科省内に入り込んだ左派勢力が教科書検定をなし崩しにして、自虐史観やフェミニズム思想に満ちた教科書を送り出してきたといわれるが、その害悪ははかりしれないものがある。新学習指導要領(ゆとり教育)は、こうした日教組イデオロギーを浸透させる一環であったと考えられるのだ。
「ゆとり」を主張する背景には、管理や強制から解放されるべきだという発想がある。管理や強制といった他律的なものが悪であれば、その反対の自律的なものが善となる。自律性の絶対視は個に対する妄信につながり、「詰め込み教育をやめて、個性を尊重すれば、子供は自主的に勉強を始める」という空疎な理念が生み出される。つまり、ゆとり教育とは、抑圧や競争を悪とし、自由であることこそ善であるという階級闘争イデオロギー(社会主義=マルクス主義)が形を変えて現れたものなのである。
もはや未履修問題の元凶は明らかだろう。学校が不正を行った背景には新学習指導要領(ゆとり教育)があり、ゆとり教育を推進したのは日教組と手を結んだ文科省だった。日教組がゆとり教育を生み出したのは、彼らの信奉する「教師の倫理要綱(マルクス主義)」によるものであり、この思想が未履修問題を生み出すのみならず、ゆとり教育やジェンダーフリー、自虐的な歴史観と形を変えて、この国を腐敗させてきたのである。ならば、今回の出来事は、学校や受験、指導要領といったレベルにとどまらず、戦後教育の根幹に関わる重大な問題を示唆しているといえよう。
今回、未履修問題が大きく報じられたのを契機として、戦後教育に流れる「悪しき思想」を広く知らしめる必要があるだろう。日本の教育を立て直すためにも、戦後教育を支配し、様々な問題を生み出してきた病根を今こそ明らかにしなければならないのだ。
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