h20.1.1〜
女子高生のみなさん、そろそろ「茶髪、ミニスカ、ルーズソックス」から卒業しませんか。
私たちは、みなさんが本来持っている「女性らしい気品」を取り戻すことを切に望んでいます。(~_~;)
管理人は、「女子高生のミニスカは日教組教育の負の遺産」であり、「援助交際や、高校生の性行為、性感染症の増加はミニスカと深い関係がある」と睨んでいます。それを様々なデータによって証明してみたいと思っていますので、皆様の情報をお待ちしています。
女子高生のスカート丈が短くなった理由は、「ミニスカに至る文化史」をお読みください。
日本初! 女子高生のミニスカ全国調査(実施中)
以下は、任意に抽出した高校にアンケートを送り、その回答をまとめたものです。(ここでいうミニスカとは膝上20cm以上の超ミニのことを指します)
| ミニスカの流行 | いつ頃から | 指導しているか | 指導法 | 効果は? | ミニスカに対する意見 | |
| 青森県○高 | × | 1998頃から少し短くなった | している | 短い者はその場で直させる | ある。田舎なので20cm以上という猛者はいない。 | 青森市内は苦労しているようだ。 |
| 秋田県○高 | ○に近い | 1999 | している | 昇降口、職員室、服装指導時に指導 | 指導時は長くするが、他の場面では短い。 | |
| 長野県○高 | ○ | 1996 | している | スカートの上下に刺しゅうを入れた。改造した者は再購入。 | 重点的に行ったので極端なミニスカはいなくなった。 | 制服はフォーマルウェア、身だしなみ指導が全ての出発点出発という信念で指導している。 |
| 長野県○高 | ○ | 1996 | 本校は私服なのでほとんどジーンズ | |||
| 富山県○高 | ○ | 1994 | ||||
| 宮城県○高校 |
× | している | 極端に目立つ生徒は個別指導や家庭連絡。 | その場で下ろさせる。切るのは親も手を貸しており、自分の子供だけではないという反応。 | ミニスカが性犯罪を誘発している。欲望を起こさせないような服装・行動も社会生活上の常識。ただ、この問題は教員・保護者ともに共通理解を得にくい。 | |
| 茨城県○高校 | ○ | 1994 | している | 服装・登校指導を月一回実施。 | 大きな効果はない。 | 恥じらいや防犯上からもユニフォームとして清潔な身だしなみをさせたいが、徹底できない状態。 |
| 埼玉県○高 | ○ | 1996 | していない | |||
| 千葉県○高校 | ○ | 1994 | している | 学期2回の服装検査 | ほとんどない。教員に諦めムードがある。 | ミニスカに限らず、化粧や列車内のマナー等、女子高生の問題は亡国を思わせる。人の話を真面目にきかない、注意を無視する、深く考えない、気持ちのよいものだけに興味を示し、そうでないものには頭からバカにする。たいへん情けない状態だ。青少年の育成に携わる者としていつも悩んでいる。アドバイスをいただければありがたい。 |
| 京都府立○高 | ○ | 1997 | している. | 加工しないよう指示 | 織り上げている生徒が少しいる。 | |
| 和歌山県○高 | × | |||||
| 愛媛県 | × | |||||
| 福岡県 | × | |||||
世界初! 女子高生のミニスカ世界調査(実施中)
| 日本 | アメリカ カリフォルニア |
オーストラリア | 香港 | 中国 | 韓国 | タイ | ||
| ミニスカの流行 | ○ | × | × | × | × | × | × |
ミニスカ女子高生は日本だけの現象だと思われます。
みなさんからの情報を待っています!
みなさんの意見・・・
鈴彦姫さん
●ワイシャツにはどうしてこんなにボタンがついているのだろう。男の人の大きな手には不似合いな小さなボタンが11個。これを毎朝きちんととめて、その上のど元にはネクタイまで締めて。わざわざ着心地を悪くしたような服。ワイシャツに背広は男性自身のエロスを封じ込めておく衣装のように見えてきました。「簡単には裸になりません。女性を襲ったりしません。」と言っているような。たまたまエレベーターに見知らぬ男性と二人で乗り合わせてしまった時、私は必ず気まずさを感じます。TシャツにGパンのような男性の肉体がそのまま感じられるような服、ましてや露出の多いタンクトップ、場合によっては、胸元のはだけた浴衣の男性と一緒になると、ほとんどドギマギ。このまま飛びつかれたらどうしようなどと、こんな年になった今でもあらぬ妄想にかられ、早くドアが開かないかなと思ってしまいます。それが背広姿の男性だと不思議とドキドキは小さくてすみます。あの姿は女性達に安心感を与えるようです。
さてサラリーマンの男性の多くは背広姿。男子生徒は詰襟か背広に準ずるブレザー。窮屈な服に身を包んだ、学校・職場・街中での昼間の男性方のストイックぶりに比べると、女子高生のミニスカエロス発散ぶりは、大変無礼に映ります。可愛いミニならともかく超ミニは、おばさんの私でも思わず腿に視線がいってしまいます。たとえ内心楽しみに見ていても、それを表情にも出さず、もちろん手も出さない大多数の良識ある男性の心の内を、あるいはまた安売りなんてもううんざりと思っている男性の心の内を、全く知らず、エロスを振りまき闊歩するのは、無知であり無礼です。手を出さない男性達に守られている世界なのだということを知るべきだと思います。
学校で制服を着せているのですから、指導するのもまた当然でしょう。気持ちを押さえている男性側の努力を教えるべきだと思います。それは結局男女の性差を教えることでもあり、ジェンダーフリー教育から救うことにもなります。もちろん女生徒自身の身を守ることでもあります。更には他人の目を理解することを通して傲慢な女性を減らすことにもつながるはずです。男性の先生が勇気を持ってミニスカに取り組まれたことに感謝します。ジェンダーフリーに毒されたとはいえ多分多くの女性の先生も賛同するはずです。
ニッポンジンさん
●一昨年高校を卒業しました、ニッポンジンと申します(変なネームですが他に思いつかなかったので…)
先ほど『女子高生ミニスカ亡国論』を拝見させて頂きまして、女子高生のミニスカや淫乱ぶりについて思い出した事があるので書いています。
私は静岡県の私立高校に通っていたのですが、そこではルーズはもちろん、ミニスカ・化粧も禁止のいわゆる「お堅い」学校でした。…というのは形だけで、実際は大半の女生徒が違反をしている状態でした。彼女達は常に「如何に可愛く、イマドキに見えるか」を気にしていた様に思います。私も高校生、可愛くなりたかったしモテタイ願望はありましたが、流石に真似る気にはなりませんでした。友達はしてましたけど。
理由は主に二つ。まずは(特に指導の厳しい)運動部に入っていたので、化粧やミニスカは論外でした。少しでもスカートが短いと先生に注意される前に先輩に注意されました(でも先輩は短かった…^^;)。
次に、私から見て「ギャル」(又はそう振舞っている子達)はどうしてもレベルの低い、軽い人間にしか見えなかった。私は成績も良い方で違反をしなかったので「優等生」という分類に入っていたかも知れませんが、そういう意味ではなく、人間としてモラルの意味で彼女達が自分より劣っていると感じざるをえなかったのです。価値観が違い過ぎると、彼女達は人生に生きる意味すら見付けられないのではないかとすら思った事もあります。あまりにも「先(未来&現在の行動の結果)」が見えていない人間が多かったからです。
その高校では生活指導の先生方を始め他の先生方も日替わりで校門に立ち毎日服装チェックをしていましたが、効果はありません。大抵が一時的に直すだけで気にも留めません。先生方の中には諦めてただ立っている人、叱るのを楽しみにしている人、そして本気で取り組んでいる方がいました。私は本気で取り組んでいる先生が好きでしたし、一番生徒の事を思って下さっている先生だと尊敬していました。何故ならその先生は他の先生の様に「ただ」服装を注意するだけでなく、「何故」制服を正しく着るべきなのか、理由を教えて下さったからです。
実は数年前、静岡県の女子高生がストーカー(元彼氏)に殺されるという事件がありました。知り合いの友人でした。知り合いには申し訳ないのですが、殺された子はいかにもイマドキで、コギャルでした。『類は友を呼ぶ』この言葉が最悪な例で証明されたと思いました。
女子学生がギャルらしく振舞っていても良い事は殆どないのです。それどころか、自らを危険にさらす様なものなのです。
ですが、残念ながら最近では口だけではそれが伝わらない様です。解からないのです。その子が実際に被害にあうまで…
先生方、お辛いとは思いますが、どうか諦めないで下さい。
生徒の中には大した理由もなくただそういう格好をしている子も多いのです。その何気ない行動から何が起こりえるのか「解かって」いない子が、親が多いのです。ですから先生方の努力(愛)が絶対に必要なのです。頑張って下さい。
ぎやどぺかどるさん
●私の現役時代はミニスカ、ル-ズなど存在しませんでした。
当時あのような格好をしていたなら間違いなく、売春願望淫乱女子高生として男子からの卑猥な誘い、あるいは道徳的忠告が男女両方からあったと思われます。
それらを無視してでもミニスカ、ル-ズを着用するほどの女子はほとんどいなかったとも思われます。ところが今は信じられないくらいの数のミニスカ、ル-ズ女子高生達がいます。
たった一人あるいは少数でミニスカ、ル-ズを着用していた女子の影響でほぼ全部がミニスカ、ル-ズを着用しだしたとすると、いかに女子高生が外見と流行に眩惑され欲望に弱かったのかがよくわかります。
私はごく少数の女子高生が突然あのような服装をしだしたというよりは、彼女達をそそのかし誘惑し入れ知恵をつけ、マスコミで弁護しつづける不道徳人間達、多くは人権とか自由とか個性尊重、などといいふらす革命主義者、赤軍崩れ、左翼崩れが本体とにらんでいます。
奴等に正義の鉄槌を下す必要があります!
紅緒センセイ
●アメリカの女子高校生のスカート丈についてのご質問をメールでいただきましたので、私の知る範囲内での観察の結果をご報告させていただきます。(実際に観察できたのはここ10年ほどの南カリフォルニアの高校及び短大です。こっちの短大は高校生でも参加できるし、うちのクラスにも毎学期何人かいますので。)
まず、私が渡米したばかりの頃に比べると、女子高生のファッションは露出度が低くなってきたというのが第一の感想です。こちらの高校は制服がないのが普通ですから、たいてい生徒は私服で来るのですが、昔はぎょっとするような恰好(例えば、上半身はビキニタンクトップもしくは紐タンクトップに下半身は超ミニもしくは短パン)なんてのもよく見たのですが、ここ数年は長いズボンが主流のようです。たまにスカートをはいていても、日本の女子高生のような超ミニは最近はあまりお目にかかりません。
またそういった超ミニにしても、たいていキュロットになっていて、下着は簡単に見えないようなつくりになっています。(キュロットドレスってのはトイレの時には大変不便なんですよね〜^^;でも、これって、恥じらいがトイレの際の利便性よりも勝ることの証左かもしれませんね。)
また、トップのファッションもここ数年で随分保守化の傾向があるように思います。肌の露出度はだんだん少なくなってるようです。
ただ、もちろん地域による差異がかなり大きいのはいうまでもありません。そして、これは数値として証明することは不可能でしょうが、肌の露出度と学校もしくは個人の学力レベルというのは相関性があるというのが通説のようです。住民の生活レベルが一般に高い地域にある学校は当然学校のレベルも高いのですが、こういった学校は全体的に肌の露出度が低く、また逆に治安の悪い地域の学校はそれより高いという傾向があるというのは実際に私も観察して感じました。そして、私のクラスに来る女子学生達も、肌の露出度が極端に高い学生は(こういう学生はほんの一握りですが)、そうでない学生に比べてやはり成績が芳しくなく、その多くが学期が終わる前にドロップアウトする傾向が著しく高いです。
こういった傾向は、又吉先生や林先生のHPで得た知識をベースにして分析すると、こういった露出度の高い女学生はその家庭環境から愛情欲求が充足されていない場合が多く、それを補うために肌を露出してエロスを発散し、男性の性的関心を引くという代償行為の表れのような気がしてなりません。(日本の女子高生のミニスカ制服の場合はもっと複合的な原因があるような気がしますが。)
勝又さん
●ミニスカ論について、横レスをひとつ・・・
学校が寄宿舎であれば、それこそ裸で授業を受けたって良いでしょうし、問題になるとは思いません。実際、マリリンモンローのように、全裸で寝る人さえいるのだから、プライベートな閉鎖空間で何をしようが勝手だと言えるでしょう。けれども、日本に寄宿舎制の学校が幾つあるか。多くは通学を必要とするでしょう。そのため「社会(異性)との接点」が発生し、「周囲の目」が問題になってくるわけです。つまり「通学」を無視した制服論は中途半端なものであり、社会の目による制限があって当然だと思うわけです。
あまり好ましい表現ではないが、ミニスカ高校生は「国内イエローキャブ」と言えます。これは本人の自覚云々の問題ではなく、客観的に見て「売春婦と一緒だ」と言うことです。誘われて「その気」になった男を捕まえて「痴漢」「暴漢」呼ばわりするのは、それこそ「美人局」と一緒です。服飾学校、ファッションスクールやタレント学校に通ってるならともかく、普通の「勉強するための学校」に通っている生徒の服装として、ミニスカが適当がどうか、考えるまでもない話でしょう。香港では、スカート丈が短いと「不良」なんだそうです。日本人の価値基準が信用できないのなら、外国人を呼んで「官能試験」を実施すれば良いでしょう。私達の「麻痺」を是正する意味でも・・・
神名龍子さん
●ミニスカートとは何か。それは短いスカートである、というだけでは何の答えにもならない。さしあたり、まず指摘しておきたいのは、それがしばしば当の女性のエロスを発信するものだということである。
たとえば、ある男性の目の前をスタイルのよいミニスカートの女性が歩いていたとする。一般にこの時に男性が触発されるのは、彼女に対する性的な関心である。この男性が具体的に「どうしたいと思うか」は人それぞれだろう。しかし彼には何らかの仕方で、この女性が持つエロスを自分に関係付けたいという欲望が到来する、ということは一般的である。なお、これは(同性愛者は別にして)おおかたの男性がこのような性質を持っているという事実の問題の指摘であって、倫理の問題について述べているのではない。
このような場合、ただ女性の後姿を眺め続けるか、前に回って女性の顔を見たいと思うか、それは男性しだいである。また、彼女の顔を見てみたらそれなりに美人だったという場合、やはり彼女の顔を盗み見るに留めるか、声をかけるか、痴漢行為に及ぶか、これも男性次第であろう。どのような経緯をたどるのであれ、最初の「見る」ということが初発的な契機であることには違いない。
また、この時に男性は、もしそれが許されるなら(そして自分に勇気があるなら)、可能な限り彼女の全体性に手を伸ばそうとするのではないか。たいていの場合(つまり脚フェチのような場合は別にして)、男性の関心は純粋に彼女の身体のみに向うのではなく、内面まで含めて彼女が自分の「好み」であるかどうかということに向けられる。第一次的には、男性の関心を触発するのは女性の身体である。それは彼女の内面を知ることのできないような契機であるにも関わらず(また多くの場合にはそのような契機から始めるしかないのだが)、その契機は当の男性に対して、彼女の全体を見通そうとする可能性(の糸口)を与えるのである。
この男女が、その後どのような関係になるかは様々だが(たまたま短時間のみ同じ場所にいただけという関係もあれば、恋愛関係に発展することもあり、また痴漢の加害者と被害者になるかも知れない)、いずれの場合であれ男性にとっての「見る→引かれる」という契機に始まることでは共通している。もし、このような男性のエロス的関心が、相手の女性を即物的な身体的対象とするにとどまるとすれば、それは、相手の女性についてそこから先を知ることができないか、知ろうとする意志がない場合に限られる。
そもそも、男女だけでなくあらゆる人間関係において、関係を媒介するものは身体をおいて他にはない。人間が他者の「心」を直接に知ることは不可能である。他人の考えを知るにせよ、精神科医が患者の無意識を分析するにせよ、ちょっとしたしぐさや表情なども含めて、何らかの言動を介在させる以外、人間にはいかなる手段も与えられていないからである。このことは当然、男女の関係においても例外ではあり得ない。男性は女性との出会いの瞬間から「まず」女性の身体性を性的な信号として受け取っている。
さて私は、女性の身体から性的な信号を受け取った男性が、その女性が自分の「好み」であるかどうかに関心を向けると書いた。では「好み」とは何か。「このように見える人であれば自分の価値観に適うのではないか」という予測である。人は誰でも、過去に様々な人間と接しており、そこから「このように見える人は、自分の経験に照らしてこのような人物であろう」という予測データを持っている。この予測データは、たいていの場合は内面化されていて、特に意識に上らないことが多い。そのため「美意識」と同様に論理的に表現することが難しいという性質を持っている。したがって「好み」の判断は直感的になされるのが普通である。
ところでミニスカートという衣装は、脚線をあからさまに露出するために、男性に対してエロティシズムを感じさせる。正確にいえば、女性に対してもエロティシズムを感じさせる。同じように(あるいはミニスカート以上に)脚線を露出する衣装、例えばレオタードなどにも、似たようなエロティシズムがないではないか、それと比較してもミニスカートは一種独特なエロティシズムを持っている。
バタイユによれば、エロティシズムとは禁止された美の侵犯である。これは特に、男性にとってのエロティシズムの本質をよく表している。私なりにいえば、エロティシズムを感じさせるのは、侵犯することを禁止された美の、その禁止が綻びを見せる点にある。この綻びが、「禁止された美の侵犯」の欲望を誘う。喩えていえば、塀に何とかくぐり抜けられるくらいの破れ目があると、子供がそこを通り抜けたいという欲望に駆られるのに似ている。本来は向こう側に行けないはずなのに(塀とはそういう機能を持つものである)、それをあえて破る機会が与えられると、与えられたチャンスをものにしようとする心性が、人間にはある。
レオタードがあからさまに股間を覆い隠しているのに対して、ミニスカートは内部の空間が下方に開いている。もちろん、その中には股間を覆い隠すものとしての下着があるのだが、スカートはその下着を隠すものである。つまりスカートには下着を見ることの禁止という機能がある。ところがミニスカートは、一応はそのような機能を負っているにも関わらず、丈が短く、下方に開いているために、「下着を見ることの禁止」を侵犯したいという欲望を掻き立てる。もちろん、これは必ずしもスカートをめくりたいという欲望を意味しない。丈の長いスカートに比べて、その中に下着が何かの拍子に見えてしまうかもしれないという予感を与えるという意味である。それに加えて、丈の長いスカートでは隠されているはずの脚線が露わになっているという点で、見る者に対して既に禁止を侵犯をしているかのような印象も、同時に与えている。
要するに、ミニスカートとは塀の破れ目のようなもので、女性を性的な対象と考えていない普通の女性に対してですら、どきっとする感じを与えてしまう。女性には他に、普通は触れることのできない他の女性の乳房に触れてみたいと思う好奇心が生じることもある。ただこの「禁止の侵犯」が性的な意味を伴わないという点で男性のそれと異なっている。男性の場合には、通常それは性的な関心と結び付きやすい性質を持っている。
したがってこのような衣装は、男性が性的関心を掻き立てるべきではないと考えられている「場所」にはふさわしくない。そのような場所として、学校や企業を挙げることができる。学校(小学校〜高校)とは教育の場であり、教育とは以前に考察したように、社会の成員として必要な知識や技能を子供に教えるものである。そして、学校においての教育は集団的に行なわれるため、そこには自ずから学校としての機能を維持するための秩序を必要とする。学校であれ企業であれ、何らかの(非性的な)機能を目的として設立された「場所」で、人間が持つ性的な側面が表出することは、好ましいものではない。
もう一つ重要なことは、これも以前に考察した通り、学校の教師とは「聖人」ではないし、また「聖人」であることを求められる必然性もない。もし教師(それも男性の)が「聖人」であることを求められるならば、女子生徒や女性教員がミニスカートその他の、男性の性的関心を掻き立てるような衣装を身につけていても、これを問題とすべきだという考えが表立って生じることはないだろう。なぜなら「聖人」であるべき男性教師は、女性のそのような姿を見ても性的関心を生じさせないような存在だと(少なくともそうあるべきだと)考えられているはずだからである。しかし、男性教師は近代社会においての一人前の成員であることは求められても、「聖人」であることを求めるべき存在ではない。他の男性と同様、女性の身体が持つ性的信号に触発されるような、その意味では「ごく普通の」男性なのである。
男性に生じる性的関心(や性欲)は、しばしば単に抑圧すべきものとして、倫理的問題としてのみ取り上げられる傾向があった。このような考えは容易に「教師=聖人」観と結び付き、「ミニスカートを見て性的関心を生じる男性は非倫理的であって教師としてふさわしくない」という考えに陥り勝ちである。しかし、男性が女性の身体から性的信号を受け取ることそれ自体は、根本を掘り下げて考えれば人間が「意味」や「価値」を持つことと不可分な現象なのだ。場面によって都合よくそれを「ないもの」にしようとすることは、原理的に不可能である。男女を問わず、人間に内面化された価値観が、意志によっては容易に変更できないことは、日常でも誰もが経験しているはずなのだ。教師もまた、このような人間に普遍的な精神の在り方を免れることは出来ないし、それを求めるのは不当な要求である。
この認識は、少なくとも教師自身の間で共有されるべきものである。そして、この認識に立脚する限り、女子生徒(や女性教員)のミニスカートの着用は、個人的自由としてのみ扱われる問題ではない。教師や生徒は、学校の秩序の維持に必要な規則に従うべき存在であり(そうでなくて誰が学校の秩序維持にあたるというのか)、またそのために協力し合う義務を負う。その限りにおいて必要最低限の自由の制限は、正当なものである。
男女の性的関心(や性欲)は、個人の自由意志によって生じるものではなく、各個人に対して「到来する」ものである(性欲に限らずあらゆる関心や欲望は、そういう性質を持っている)。したがって、ミニスカートが男性教師(と男子生徒)に与える影響は、ミニスカート着用者を見た個々の男性の問題ではなく、彼らの性的関心を喚起するような契機それ自体を制限するという、男女の協力によって根本的に解決すべき問題として考えなければならない(もちろんそれ以前に、学校の秩序の維持いついての問題意識が教師間で共有されている必要がある)。
ただし、これは校内の秩序維持、あるいは(校外での活動も含めた)教育活動における秩序維持の必要上から行うものである。したがって以上は、活動外においての女子生徒(や女性教員)の私服にまで制限を加える根拠とはなり得ないことに留意する必要がある。
地方の一教師さん
●>スカートには下着を見ることの禁止という機能がある。
>ミニスカートは、丈が短く、下方に開いているために、「下着を見ることの禁止」を侵犯したいという欲望を掻き立てる。
>丈の長いスカートでは隠されているはずの脚線が露わになっているという点で、見る者に対して既に禁止を侵犯をしているかのような印象も、同時に与えている。
>男女の性的関心(や性欲)は、個人の自由意志によって生じるものではなく、各個人に対して「到来する」ものである。
>ミニスカートが男性教師(と男子生徒)に与える影響は、ミニスカート着用者を見た個々の男性の問題ではなく、彼らの性的関心を喚起するような契機それ自体を制限するという、男女の協力によって根本的に解決すべき問題として考えなければならない。
個人の自由に押し切られがちな学校現場では、上のような「他人への迷惑」の論理、もっといえば「公共の利益」を、生徒に説いて聞かせる必要があると思います。非常に明快な論理で、すっきりしています。
このような論理をもっと明確に生徒にぶつけていかなければならない。
今の高校の現状は、「分かっているだろう」では「分からない」のです。一からとことんやらなければ「分かっているだろう」ではどうしようもありません。
この間、本校で「エイズ講演会」なるものがあって、聞いていると保健婦さんがやってきて、コンドームの付け方まで実物を持ち出して、ナニと見立てた棒につけて見せるのです。男女いっしょの前でです。
そして男子に向かって「あとでちゃんと練習しておきましょう」ですと。
「練習してどうするんだ」と私は思いましたが、ここまで来ているのです。そのパンフレットたるや、コンドームの付け方のパンフレットかと思うほどでした。こんなものを県費でつくってどうするんだと思いました。
エイズ講演会とは別に、私は「こうやって人間の羞恥心というものはなくなっていくんだなあ」と思いました。
逆にいうと今の高校生は、たいがいのことには驚かなくなっています。しかし男の持つ性的衝動の暴力的な側面への認識は欠けています。それを抑制するために男がどれだけの労力を要しているかということをちゃんと理解させる必要を感じます。ミニスカ論、有効だと思います。