男女参画法が施行されてより、特定のイデオロギー勢力が行政に介入し、「男らしさ」「女らしさ」や専業主婦を否定する奇矯な思想を押しつけようとしています。誰も望んでいないにもかかわらず、税金によってこうした活動が行われていることは重大な問題です。多くの方がこの事態に気づき、われわれの文化や伝統、モラルを破壊しようとする動きに対してNOを叩きつけていただきたいと思います。
このページは「ジェンダーフリーってなんか変1・2」の続編となっています。論旨が展開していますので、まずは「1・2」の方からお読みください。
小児科の先生からのメールです。
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初めまして。kentaroと申します。小児科医です。さて、ジェンダーフリー教育、絶対に止めさせねばならないと感じております。その根拠は、医学的に正しくないからに他なりません。以下は、現在教育委員会の要職にある恩師宛てに出そうと思っている手紙の一部です。長くなりますが、御容赦下さい。 ジェンダーフリー教育を推進したい人達が異口同音に繰り返す言葉は、「男らしさ、女らしさというのは、完全に生後の教育により植え付けられた後天的なものであり、押し付け以外の何物でもない。だから、そのような押し付け、性役割の固定的分担をせず、自分らしさ、個性を伸ばしてあげるのが良い。」などと言います。実は、出発点の「後天的」という部分が根本的に間違っているのです。医学的に。 少し長くなることを御容赦下さい。性染色体というものがあって、男性はX染色体とY染色体を一つずつ持っており、女性はX染色体を2つ持っています。何もおこらなければ、女性として生まれてくるのですが、胎児期の途中で、]染色体とY染色体を一つずつ持っている個体はY染色体の上にある睾丸決定因子というものの働きで男性器が形成され、睾丸から分泌されるテストステロン(男性ホルモン)が脳に影響して、男性的な感情が形成されるというのが、現在の科学的な常識です。その結果、胎児期から男の子は手足を活発に動かし、女の子は口を動かすということが起こるということのようです。幼児期に絵を書かせるとさらに違いは明らかとなります。絵を書かせるとわかるのですが、大半の男の子は車や飛行機を描き、大半の女の子は、家の絵を描きます。また、副腎性器症候群という先天的なホルモン異常を来す病気があるのですが、この病気の女の子は、男性ホルモンの分泌が過剰になります。その結果、男の子のように車や飛行機の絵を書くようになるようです。普段からもとても活発です。要するに、男らしさ、女らしさというのは、全くもって先天的なものであるということになります。決して押し付けではないのです。当然例外もあります。(実は、例外を強調して自分達の主張を通そうとするのが、ジェンダーフリー推進派のやりかたなのですが。)しかし、生物を相手にした学問の世界では、95%の確率で正しいと言えることは正しいというのが常識です。そもそも、例外を基準に物事を進めようというのは、むちゃくちゃなやり方です。男の子は軟弱になり、女の子は下品になるばかりでなく、自身の性が認識されず、ジェンダーアイデンティティの確立されない子供が増えるのは明白です。差し出がましく、また、現在の方向と真っ向から対立する考え方であることは、分かっております。しかし、このような教育を容認していたら将来日本はだめになってしまうという危惧感を持っております。現実に配られている高槻市の資料と、ジェンダーフリー推進派と同じ考えを持つと思われる人達によって作られたと思われる資料である、ラブアンドボディー(これもとんでもない教材のようなのですが、)をお送りいたします。くれぐれも、熟考のうえ、ジェンダーフリー教育推進は止めて下さいますようお願いいたします。 インターネットで知り合った方々と共同戦線を張って戦っております。 今後ともよろしくお願い致します。 |
ユキさんのHPより
●とよなか男女共同参画推進財団の広報誌、「すてっぷジャーナル」を見ています。特集は「もうやめたい専業主婦是非論」、「もうやめたい」との主観を冒頭に出しながら、「是非論」としてあるところに、いやらしさを感じます。
内容はといえば金銭的な損得の計算、夫婦別姓を前提としたうえでの社会的な暮らしにくさ、専業主婦になった理由、という「是」の意見には「働きにくい社会だから」「子供ができたから」ときわめて消極的な意見を持ってきてまで、全編専業主婦という生き方を否定した内容であったのですが、それだけであるなら、それが彼らの主張であり、存在する意味であるので私には何を思うこともありません。
私が不審に思ったのは、
「主夫であることと、自分らしく生きることは矛盾しません」
にはじまる、専業主夫たちの主張、
「彼を扶養家族にするまで」
といった、専業主夫肯定の記事でした。
専業主夫肯定、そこには何のうしろめたさもなく、「働く女性」と同じくらいに「専業主夫」としての仕事が素晴らしいものとして描かれているのです。
「妻が外で一生懸命働いているのだから、僕も家事を一生懸命しよう」
と、家事を懸命にする夫、そしてそこにはそれが「自分らしく」「楽しいもの」として描かれているのです。
専業主婦として、同じことをするのは差別であり、「労働」であると描かれているのに、これはどういうことでしょうか。女性だから、家事を「自分らしく」「楽しむ」資格がないとでもいうのでしょうか。
これは、重大な男女差別です。
このようなことを平気で主張するひとの言葉を、真に受けて、私たちは一体何を得ることができるというのでしょうか。ジェンダーフリーという言葉など、彼らもまた信じてなどいないのです。彼らのこころにあるのは、家族というものを含めた既成概念の破壊、ただそれだけなのです。
●フェミおばさんの迷惑な「押し付け」。
役所、教科書、CM、ドラマ(金八先生なんかは、擦り込みだらけ)みんなフェミに汚染されてるよ。
ドリンク剤のCMでドリンク瓶を型どったロケットに乗って夫が会社へ「出撃」するコマーシャルがあったけど いつしか、妻も「出撃」するものに差し替えられてた。つまり「夫を見送る主婦」はその存在を否定され、CMから抹殺されたわけだ。
また、ビタミン剤のCMで夫の疲労を心配する妻の姿が「なぜ夫の健康を心配せねばならないのか、女性差別だ」と、フェミに弾圧された事件もあったんだ。まるで文化大革命とか焚書、思想統制だねっ!
つまり、フェミな人たちにとって愛情は否定されるべき「支配」なのでしょ。ゲバ棒を持ってヘルメットかぶって「権利の闘争だぁぁ」なんて暴力は今どき流行らない。だからってそんな手を使って、世の中を壊して悪くしようなんて卑怯だよ!
このような理屈で、公民の教科書を書かれて子供を洗脳されたら、たまったものじゃない。次世代の子供は皆「深層的フェミ」になってしまうでしょう。神風の子だって若いころ、好きな女の子に「手料理を食べたい」と言うと即座に「女性差別」と言われましたよ。いえ、言った彼女を責めないで下さいな。そう教育したのは学校の、日教組やってる先生なんだから。
彼氏への手料理は「愛」でしょ、愛は差別なの? なんておそろしい時代なんだ!
それが「平等教育」「共同参画」の実態なんです。その実施校の「踏み絵」として男女混合出席簿というものがあるのです。
寝屋川市発行の「みんな地球仲間」という、税金でつくった本の中に「二級市民扱いをされる女性」というタイトルで男女別名簿を非難しているけれど、常識的に考えて運動会で男子か先頭に立って行進し、名簿で男子が先に呼ばれるから女子は格が低いなんて思うはずもない。被害妄想も甚だしいって!
むしろあのころ私は冷たい風の日も先頭に立って歩き、「女の子を守る」という自覚が芽生えたな。「守る」、それすらも差別なんですか?
ほら、そこの可愛い彼女を連れた彼、彼女を守ってあげたいって思うでしょ。彼女が強姦されそうになったら逃げて、のうのうと自分だけ生きられますか?
彼女が可愛いでしょ、大切でしょ、そんな心を「愛」って言いませんか?
もう敏感な若い君達は わかってるよね、汚い大人たちの思惑が。
この「男女混合名簿」もフェミに利用されている政治運動だってことが。この名簿が、私たちの「愛」をぶち壊すための第一歩だということが!
みんな、権利だとか言ってないでもっと、愛しあおうよ。
春樹さん
●ここの方々は男女共同参画社会とかジェンダーフリーとかのイデオロギーの押し付けに反対の方が多いようです。
しかし、現実に男女共同参画社会基本法は存在し、しかも、数年前に可決されたとき、全会一致であったと聞きました。
したがって、これを廃すことはかなりの困難を伴うのではないでしょうか。
確かに、昨年も朝日新聞の投書欄に、この手の思想を行政が押し付けるのはおかしいという主張が載りましたが、実際に変なイデオロギーの押し付けは止む気配がありません。
考えてみれば、男女共同参画社会基本法は全会一致で国会を通過したはず。どの政党も賛成していたわけで、したがって、国民のよほど強い要求がないと廃止は行なわれないでしょう。
ただ、現実には、ジェンダーフリー思想に反発する人も多い、小学生に学校でエロを教えること(リベラルな性教育)には根強い反対がある、福島県では県立高校の男女共学化には反対の方が多かった、など、要するに、政策自体が国民の支持を得ていないことは明白です。
小人閑居さん
●参画法の内容を考え、国会に出したのがどのような人たちかはわかりませんが、その春樹さんのあげておられる点が狡猾なところですね。ただ「男女平等」「女性の人権」と言われるとだれも反対できないでしょうが、その美名の陰に隠れてヘンなジェンダーフリー思想を押し通そうとするというわけで。(私はこれを「トロイの木馬」と呼んでいます。)
フェミ議員はともかく、自民党や民主党あたりの議員の多くは、「男女共同参画社会」なるものの本質がわかってないんじゃないかと思います。(一昨年9月、森前首相が「私個人としては、従来の(夫婦同姓の)方が日本になじむと思うけどね」と発言したところ、フェミ議員からつるし上げを食うという一幕もありました。)まあ今の世の中にはいろいろ問題にしなければならないことが山積していますが、その陰に隠れてこのような思想が行政にまで介入することを許したのは西尾幹二先生の言葉を借りればまさに「国民の油断」ではないでしょうか。
それにしても、「あなたが生きにくい思いをするのはジェンダーにとらわれた古い考えや慣習のせいですよ」などと言って人々の心の中にある不満を利用しようとする点といい、「彼ら」はなかなか狡猾ですね。油断は禁物です。
最後に、昨年11月の「朝日」の、「夫婦別姓 早く法案の提出を」と題する社説の中にこのような一文が載ってたのには呆れを通り越して笑いたくなりました。
「男は仕事、女は家事育児という分業社会を転換し、仕事も家庭も男女でという男女共同参画社会の実現に向かってもいる。人々の意識や社会の変化にあわせて、法律も柔軟に変えていくのが望ましいと思う。」
こういうことを言ってる一方で、憲法9条に関してはいくら実態とかけはなれても「憲法と合わない世の中の方が悪い」みたいな言い方をしてたのはだれだったんでしょうね。そもそも男女共同参画社会基本法こそが「人々の意識や社会」と法律が合わなければ、「人々の意識や社会」の方を法律に合わせて変えてしまえという無茶な法律ではないですか。
ユキさん
●ジェンダーフリーを唱えるひとびとの問題について考えていると私は、これがどれほど難しい問題になってしまっていることかとあらためて戦慄します。
なぜなら、この不況下、目先の損得と、小人閑居さんのおっしゃった、ひとが生活の上で感じる「不満」を利用したうえでひとの考えを誘導するフェミ(フェミナチという言葉がありますが、レッテルとして定着させませんか?)に対し、それに反対する立場の者には、「愛情」「絆」「伝統」「繋がり」といった、目に見えない、きわめて情緒的な言葉しかないからです。「女性の人権」という言葉がフェミのものになってしまっているので、それに反対するものが自動的に差別者になってしまうのも、小人閑居さんのおっしゃるとおりですね。本当に差別しているのはフェミのほうなのに。「差別ではない区別だ」と、今更言ったところで普通のひとには詭弁にしか聞こえないというのも本当のところです。
それでも、だからこそ、私たちは止まるわけにはゆかないのだと思います。論じるばかりではなく、行動しなければとも思います。例えば役所には共同参画推進室が置かれ、夫婦別姓さえもが当然のことのように法案成立に向けて推進されています。私は言われるまで気付かなかったのですが、法を執行するためにある役所で、まだ成立していない法案が推奨されているのは異常です。フェミは狡猾ですが、これからはそれを見破りながら、直接的な抗議を行ってゆかなければならないと思っています。
小人閑居さん
●「笑うせぇるすまん・ジェン子版」
「つらいでしょう? 『女らしくない』とか言われてあなたの個性を否定されて、自分の好きなようにできなくなるのはいやでしょう? 職場でも家庭でも『女だから』という理由で理不尽な負担を強いられてるでしょう? ダイエットや容姿、ファッションのことでいろいろ悩まなければいけないのはうっとうしいでしょう? それはみんな、『女は出しゃばらず控えめであるべきだ、男を立てるべきだ、家庭に入って夫や子のためにつくすべきだ、女の価値は容姿と若さだ、それが女らしさだ』という価値観がまかり通っているからだよ。ストーカーだってDVだって児童虐待だって、そういうジェンダーの問題からきている。そして社会の慣習も学校もメディアもそのような価値観をすりこみ、再生産するためのものになってるんだよ。(男女別の名簿、女性が家事をしているドラマやCM…)
だからもっと自由にやろうよ。晩婚・少子化は結婚して出産したら女性が自由に活動できなくなる社会が悪いんであって、女性には何の罪もないんだよ。それで労働力が足りなくなったって、外国人労働者を受け入れればいいだけの話じゃん。それに子どもがかわいいと思えない母親だっているから、母性なんてマボロシだよ。あと『女は身だしなみに気をつけなければならない』『股を広げて坐ってはいけない』『乱暴なことばづかいでしゃべってはいけない』というのもみんなそういうジェンダーの現れだよ。そんなものにとらわれずに自由に生きればいいじゃん。みんな生まれもって自由を持ってるんだから、その自由を権利として行使しなくちゃね……」
まあ世の女性は、右も左もわからない子どもよりもう少し賢いとは思いますけどね。でも真面目で頭のいい、才能のある女性ほどこういう考えにハマるのは…ううむ。
笙さん
●「笑ウせぇるすまん・ジェン子版」良いですね(笑) うまくジェン子の心のスキをついてます。
しかし、私は結構保守的なので「なんでそう思うの?」と、逆に驚く事がしばしばです。
だからあまりジェンダー論について問われても参考にはならないかと(^^;
日頃から、結婚したら大好きな夫に尽くしていきたい、子供は最低でも二人は欲しい、夫と子供の為にも
美味しい料理が作れるように花嫁修行したいな〜、とか考えている私は吊るし上げの刑決定です(笑)
しまいには「可愛そうに。旧態依然の価値観の被害者なのね・・・。もう強がらなくていいのよ。」
と、同情されてしまうかも・・・。(↑コレ、考えようでは最低の解釈ですね)
会社でバリバリ働く女性は、格好良いと思っています。別に悪いとは思いません。むしろ尊敬します。
「託児所の子供がかわいそう」とも言いません。ただし、そのジェンダー論が絶対であるかのようにして、
その価値観を他の人に押し付けてほしくないです。(宗教みたい・・・いや、宗教の域ですね)
そうなると、着物を着た女の人が、ちょっと手を伸ばす時にさりげなく袖を押さえる仕草を「あ、いいな」と
思う事も『「女らしい事が良い」という価値観のすりこみ』になるのでしょうか。やな世の中です・・・。
神風の子さん
●>美味しい料理が作れるように花嫁修行したいな〜、
>とか考えている私は吊るし上げの刑決定です(笑)
恐ろしい話ですが、その吊るし上げの刑は国家規模で実行されつつあります。
役場の男女共同参画に関するパンフレットなどで実際に攻撃が始まっております。
彼らの危険なところは「相手のために」という、愛と奉仕の価値観を捨てて「ひたすら自分のために」という価値観を植え付け、教育で子供に強制しようとしているところではないでしょうか。
ましてや、その利己主義で本当に「自分」だけでも幸せになれるわけもなく、自分や周囲の者、家族に争いや破滅をもたらすだけだと思います。
> しまいには「可愛そうに。旧態依然の価値観の被害者なのねゥァまbr>
まったく同じ趣旨の文章が含まれた、堺市共同参画セミナーの参加者が貰えるプリントを、私の同志の団地妻ユキさんの活躍で独占入手しました。あまりに卑劣すぎて、どのように告発するか困惑しています。
後日、私のホームページに内容を さらしあげる予定ですが、おおまかには以下の通りです。
●家庭、良い娘、母親像は捨てるべき
●「専業主婦は安泰ではない」(脅迫!)
●「妊娠中絶は必要悪である!」(悲劇を一纏めに権力が決めつけて高みから断言する気持ち悪さ)
●「婚外子割合が日本はまだ1.2%」(婚外子が少ない、と憂いる奇怪)
●「精子減少、子宮筋腫は公害が原因」
●「中性洗剤をやめよう」(せっけん運動ですか)
●「母性神話は否定された」
●性教育は親が子供に口出し手出しするな(これ、極めて悪質ですよね)
●世間体や常識で子供を抑圧しないこと(常識のない子供が良いそうです)
●援助交際よりも企業戦士を生み育てる家族制度が問題である。(マルクスですか)
●夫は年間二万の自殺、ほとんどが50代で生命保険の免責期間直後が多い。(家庭破壊の悪質扇動)
●慰安婦関連で左翼の間でもデマと認められている破綻した吉見義明氏の
資料を賛美した新聞コラムのコピー添付
●「噂の真相」誌からのテロ事件関連の記事コピー添付(唖然)
・・・と、おおまかな部分だけでもこのような凶悪なものです。
すべて税金投入。ああ、読んでいるだけで欝になりそうです・・・
> その価値観を他の人に押し付けてほしくないです。
まさにそう思います。(フェミニズム・ジェンダーフリーは元から既にカルトでしょうけれど)
私は自分のホームページで「価値観を強要されることの気持ち悪さ」を表現しようとしてもつい、怒りが先に立ってしまい、反省の日々です。女性が働くことも、個々の家庭の事情ですから勿論反対しません。極端にいえば、あくまで「個人」が男女逆転の生活をしても自由であるとすら思います。仕事が出来る女性はかっこいいし、何をやってもドジばかりの女性だって、可愛いと思います。
しかしながら、権力に取り付いたフェミニストが家庭のベッドルーム、個人の脳味噌にまでに踏み込んで、変な理想をがなりたてる「フェミナチ」といえるそのような選良思想が、極めて迷惑であると思います。
簡単な言葉でいえば「大きなお世話」だということですからね。
ユキさん
●私たちのHPにおいて、先日、予告させていただいた堺市共同参画セミナーのレジュメをアップしました!捏造資料と価値観のすりかえ、共同参画が目指しているものがあからさまなかたちで提示されています。
ひとりでも多くのかた、どうかご覧下さい。市役所で入手した、まぎれもない税金によって、市政として行われるセミナーの実態です。
ユキさん
●先日大阪某市の男女共同参画課で学校における男女共同参画の啓発教育から性教育にいたるまでが男女共同参画課と教育委員会とが密に連絡をとりあって行われていることを聞いた私は、現場ではどのような教育が行われているものか、少しでも知りたいと思い大阪市役所内にある教育委員会に行ってきました。
「私は個人的にではありますが市民活動として男女共同参画政策の進捗状況を調べているものですが、学校において、性教育などどのような方針で指導されているか、資料があったらいただきたいのですが」
さすがに市民活動推進課のある市役所のこと、教えてくださいと丁寧にお願いしてみますと、私のような飛び込みでもどうぞどうぞと通していただけます。これは何か良い資料がいただけるかもと思い、まずはどのようなかたちで学校に指導しているものかと尋ねてみますと、
「ホームページでも公開している大阪府教育委員会の教育改革プログラムに沿った要綱を各学校に配布しています」
とのことでした。そのなかに、人権教育、男女共同参画教育等含まれているとのこと、
「ではその要綱を見せていただけませんか?」
私は思わず手まで出して言いましたが、教育委員会のひとによると、残念ながら非公開ですとのこと。
「非公開」
これは、私にも思いがけない返答でした。情報公開法などが制定され、お役所での仕事は「よほどのもの」でない限り開示されるものに、教育委員会が学校に配布しているという、きわめて公的な資料さえ見ることができないというのです。
「それでは、市民としては子供たちが学校でどのような教育を受けているか、知る権利はないというわけですね」
私は念を押す気持ちで、3回くらいは似たようなことを言ってみたでしょうか。すると教育委員会のかたは、
「そういうわけではないのですが、プライバシーというものがありますし」
私は、今度こそ驚きました。
プライバシーだなんて、そんな、私が一体誰のプライバシーを探っているというのでしょう。個人を指定して、彼がどのような教育を受けてきたか調べるのであればプライバシーの保護を訴えられてもしかたがありませんが、学校の、ましてや公費で運営されている公立校の教育方針がプライバシーとは、一体どういう了見でしょう。
「守秘義務というわけですね」
「プライバシー」とは触れられたくないことに触れられたときに反射的に出た言葉なのか、まさか本当の意味での「プライバシー」なのか、どちらにしてもやはり「よほどのもの」なのだと察し、話を終わらせるべくそのように言いますと、
「そうです、そうなんです」
これが、子供たちの未来を握るひとかと思いました。学校とは、思った以上の密室であったようです。
大阪府教育委員会 教育改革プログラム
http://www.pref.osaka.jp/kyoisomu/program.htm
ユキさん
●こんにちは!HP「翼」のユキです。
私たちのHPにおいて、本日、堺市セミナーレジュメに続くトンデモ資料サラシアゲ第二弾として、高槻市教職員組合女性部発行の、男女共生教育実践資料集「Hand in
Hand」をアップさせていただきました。
長大な資料なので今回はとりあえずその中から、高槻市内の小中学校による教材実践の報告と、女性部委員会において行われた、小学校の国語、算数、生活科、社会科教科書をジェンダーフリーの視点によって検閲した内容とをあげさせていただきました。
どうかひとりでも多くの方、5年も前から着々と行われてきた教育の現実、その現場からの報告をご覧になってください。
よろしくお願いいたします。
小人閑居さん
●ユキさんのHPの教育委員会の資料、ざっとですが拝見しました。小生もこのような教科書の中の「男女差別」(とある人たちには見えるもの)を糾弾する動きについては「なんじゃこりゃ!?」とショックを受け、ここの掲示板でも何度か書いてきたのですが、まさに「百聞は一見に如かず」というやつで、小生のつたない筆でくどくど書くよりもこうやってずばりと実物を見せつける方が早いですね。
というわけで皆さんも一度実物をご覧あれ。このやり口は、ほとんど魔女狩りを行う異端審問官か全体主義国家の秘密警察を思わせます。
この中でも特に私が許せないのは「スーホの白い馬」(モンゴルの昔話にちなむ話で、私が小学生のときの国語教科書にも載っていてモンゴルの草原に思いを馳せたものです)および「やまなし」(谷川の底の情景を描いた美しい話で、私が尊敬する宮澤賢治の作品の中でも特に好きな作品です)をこう評していることです。
「けい馬大会で一等になった者はとのさまのむすめと結婚させるというところで、女性を商品として扱っている。男は勇ましいというイメージが、強く描かれている」
「父、兄、弟の立場や上下関係が固定されている。父は子に教え、弟は兄にかなわない。カニの家族なのに母不在。まさに家父長制そのもの」
こういう読み方しかできないというのは、何という心の貧しい人たちなのでしょうか。「やさしい母親像」にいちゃもんをつけるくだりなどは、この人たちはいったいどういう家庭で育ったのだろうと思わずにはいられません。
それにしてもここまでいっちゃったら、国語教科書に載せられる読み物などほとんどないと思うのですが。こうやって文化や伝統の断絶をはかるというのは、まさにカルトのやり口ですね。
しかしここで疑問に思うのは、この連中はなぜ教科書ではなく、それよりももっと子どもに対して影響力の大きいテレビやマンガ、ゲームなどにいちゃもんをつけないのかということです。ほんとに自分のやっていることが正しいと思うのであれば、もっと自分の主張をもっと世間に広くアピールすればいいのに、学校という自分たちの縄張りの中でしか動こうとしないあたりが姑息ですね。
たとえば最近のマンガでは、「犬夜叉」なんかでは元気な女の子が活躍するじゃないか…と思いますが、それもこの人たちからすれば「セーラー服にミニスカートトいう活動に不便な、性を強調した服装がいけない」と言うでしょう。しかし紅緒センセイも以前書いておられたように、ここまでやると世間の反撥を買うということくらいはわかっているからかもしれませんが、所詮彼らは役所や学校という狭い世界の中からしか世の中を見ることができない、そしてその狭い世界の中でしかいばることができない「井の中の蛙」だからなのでしょうね。
トクシンさん
●男女共同参画問題については、関係者が、男女共同参画社会基本法が成立した段階で、急進的な男女平等・ジェンダーレス思想が、憲法原則の一つであるかのような誤解をもって迎えられているという現実があります。もちろん、そうした状況は、急進派フェミニストとこれを利用して自らの影響力を保持しようとする部落解放同盟の戦略があるわけですが、こういう思想戦に対して、一般の良民は、本当に無防備だということです。
まず、正論として、男女の「区別」撤廃論を、叩く必要があります。すなわち、男女共同参画社会基本法は、決して男女の区別を廃止するべきだとは言っていません。男女の役割分担を否定するわけでもありません。ただ、不合理な役割固定を批判しているだけです。ですから、男女の役割分担の合理性を積極的に論じていくということは、男女共同参画基本法の理念の趣旨に合致するのです。おそらく急進派フェミニストに対して、もっとも有効な論理は、「母性保護」という観点です。急進派フェミニストは、女性が担ってきた「母親」という役割、そしてその延長上にある「主婦」という役割に対して大きなコンプレックスを抱いています。「母性保護」は、例えば、ドイツ憲法では、憲法原理として明確に規定されているものであり、フェミニストが常套句とする「世界の潮流」の一つといってもかまいません。
また、急進フェミニストは、性道徳や慣習が、女性に対してのみ抑圧的であることを主張してやみません。確かに、そうなのですが、それは、女性の方が男性よりも、性において直面するリスクの大きさに由来するものです。急進派は、こうした社会状況もまた、男性社会が形成した文化的産物であると強弁するのですが、性行為によって「妊娠」するのは女性だけだという厳然とした事実を直視しようとしないのです。性道徳の緩みは、親の立場と性愛の立場とが分裂します。要は、この親の立場、女の子を性の暴力的誘惑・悪魔的魅力(性愛の嵐は、大人でも抗しえないものがあります、男女の欲望の違いを知らない子供たちを、その嵐に翻弄されないように大人にすることは、苦い経験と失敗例を知っている親と大人の責任の一つでもあります)から守るという観点が緩んでいるというこどです。おそらく、そのこともまた「母性の尊重」という原理がおろそかにされていることと結びついています。
急進派フェミニストが内部分裂している問題の一つに援助交際・売買春問題があります。解説しだせば長くなるので省略しますが、売買春が、いいの悪いの以前の性道徳(性は危険が多く、精神と肉体が充分に成長するまでは、性に対して消極的に振る舞うべきだ・・・。)を論じるという視点を学校の教師も忘れていることが問題なのです。性は個人の自由だという原則に立てば、やはり何故、自由意思に基づいてこれを売ることがいけないことなのかを議論することはできないのです。愛・性を金銭取引の対象とすることが人倫に反するという論理は、形而上学にすぎず、到底子供たちの心に到達するとは思えません。子供が、酒、たばこを禁じられているのと同じように精神と発育に障害を与える危険のある性についても、未成年のうちは、社会的に禁止して、保護するという、むかしながらの論理を復活させることが必要なのです。ちょっと脱線したかもしれません。文化と家族、共同社会の基本である「母性の保護」を損なう急進派フェミニズムのイデオロギーの蔓延を阻止することは急務です。イデオロギーの欺瞞をつき、論争の場にひきづり出さねばなりません。
神風の子さん
●共参法施行以来、フェミはまさに「役場ジャック」により共同参画課を根城として、役所の常識ある人々を黙らせて好き放題しているようです。共参法、とやらも施行はほぼ満場一致で可決したと聞いていますが、おそらく性差解体、伝統解体、左翼イデオロギー注入、国家解体にまで至る左翼謀略だとは、そして根底にファランステールというカルト思想があるとは、政治家の方々も当時は思ってもいなかったのでしょう。理想的な男女平等のみがあると思っておられたのでょう。しかしながら成立した法を最大限に自己に都合の良いように解釈して闘争するのは左翼の常套だったのです(憲法だって、奴らは そのあいまいさ、牧歌的な部分を最大限に利用していると思います)。ただ今、親子別姓が取り沙汰されておりますが、「選択」から「例外」に変化させたとしても、成立してしまえば奴らは「例外」を中心とせよとキャンペーンを張ってくると思われます。「マイノリティ」を闘争の武器にさんざん利用してきた、奴らの良心を信用しろと言われても無理な話であると思います。共同参画を叫ぶ人々を調べると、ある人権団体、新しい歴史教科書の参入を妨害する勢力、左翼団体、反日謀略団体、そして某反日国の利益に突き当たります。詳しくは言えませんが・・・
どうか役所にお勤めの常識ある方々は、無理をなさらずまずは生活の安全を考えて頂き、来るべき日の為に牙を研いでいて下さい。
そして我々としても、何かに抗議するにも反対の為の反対では、「いちゃもんを付ける左翼」と同じです。常に役場には(警察においても、そうですが)本当は「同感だ、このままでは国が滅ぶ」と言いたいけれども立場上言えない人々、内部の人であるがゆえにしがらみにより成す術がなく、苦しんでいる方々がおられる事を、常に考えるべきであると思いました。
小人閑居さん
●深江誠子という人物について、林道義著『フェミニズムの害毒』186〜188ページに『実践 ジェンダー・フリー教育 フェミニズムを学校に』という本からの引用が載っています。(『実践〜』の方も図書館で探したのですが、見つかりませんでした。)一部をここに紹介します。
(引用開始)
フェミニズムの立場からの中学の家庭科や保育の授業は、どのように進められているか。まず教材の選定が偏向している。たとえば編者の一人、森陽子が「家族」について教える授業の教材として選んだのが、深江誠子『「家族」私の場合』という文章である。「筆者は、13歳年下の教え子と8年間暮らしている。38歳で初産、子どもは婚外子である」「彼女は5歳で生母と死別し、その後母が3度も変わったので、母が4人いる」。「3番目の」母の影響で、「被差別の立場にある人に関心を持」つようになったという(一七頁)。
(引用終り)
さらに深江氏は自分の子どもも差別と戦ってほしいと思って婚外子のままにしてあるそうです。やはりこの人はちょっと問題ありな人物のようですが、こういう人が行政主宰のセミナーで活動しているのはちょっと問題ではないでしょうか。
しかし一番とんでもないのは、この話が中学校で「いろいろな家族がある」ということを教えるための教材として使われているということでしょう。要するに
「家族」やめてみませんか?
>「標準的な日本の家族」は、働くお父さんと主婦のお母さんと子どもが2人か3人、と思っていない?
>「アタリマエ」だと思っている家族像を疑ってみる。
>自分の「家族」を問い直してみる。
>がまんして続けている「家族」を脱ぎ捨てる!!
>すると、自分らしい心地いい生き方が見えてくるかも。みんなが心地いい社会になるかも。
>「家族」だって、いろいろなカタチがあっていいんじゃない?
ということなのでしょうが、これを中学の授業でやるなんて、とても正気の沙汰とは思えません。 いったい今の学校はどうなっているのでしょうか。
ユキさん
●小人閑居さん
貴重な情報ありがとうございます!!
この深江誠子というひと、教材にもなっていましたか!!狂ってる!!これは一大キャンペーン張る必要を感じますよひしひしと!!!
深江の娘の深江たみも一緒に活動しています。対談形式の講演会の新聞記事をレジュメの一部として入手しましたので近いうちにさらしあげます。母からコンドーム渡されているそうです。
KABUさん
●「この深江誠子というひと、教材にもなっていましたか!!狂ってる!! 深江の娘の深江たみも一緒に活動しています。母からコンドーム渡されているそうです」、を見てビックリ。なんでかって? 本当に深江さんも進歩のないやっちゃ、と思ったわけです。リヴからもう何年たっているのよ! 「性からの解放とは性にマツワリツク社会的な感情と意識の体系から自己を解放しよう」というスローガンであり、特定の異性と特定の感情を持続することを相対化する(まあ、要するに、気が合えば誰ともニャンニャンしてもいいんじゃないかい、)のはその性からの解放のための手段の一つでしたよね。それは、それでいいのですが、性からの解放が人生の最大の問題でもないし、まして、性からの解放だけが人生の課題でもないしょ。親の介護はどないすんねん。やりがいのある仕事(もちろん専業主婦業はその最たるものです。)を通して社会に貢献する喜びを感じることは重要じゃないのかい。ならば、人生の諸々の課題をバランス良く解決しながら人生を歩ききるためのやり方として婚姻や特定の異性と特定の関係を維持する制度が結構うまく出来た制度なんじゃないかい。ならば、あんまり性を振り回して、周辺の皆さんに迷惑かけなさんな。そんなんは、自分のお部屋でやんなさい。
子供にコンドームを持たせるのはかってだけれど、そんなん世間に言いふらすことじゃないでしょうが・・・。深江もっ勉強しろ!
男女共同参画社会推進県条例案を吟味する勉強会の案内
●拝啓 平成11年に男女共同参画社会基本法が成立し、そこから夫婦別姓法案、男女混合名簿が出てきています。前者の法案は国会を通過しそうな情勢ですし、後者は千葉県内のほとんどの公立学校で今年度から実施をされますが、このような重大事項が千葉市など極く少数の自治体を除いて教育委員会を通さないで実施のはこびとなりました。まことに遺憾です。
これらのもたらす結果は何でしょう?離婚、青少年非行、性犯罪、十代の未婚の母の激増です。既に離婚が女性の自立の証明として称賛される傾向が出てきています。つい先日発覚した茨城県大洗町の男子高校生の女子高校生の殺人遺棄事件もいずれも離婚家庭の子供でした。激増する幼児虐待では、ほとんどの場合再婚のため連れ子した幼児が犠牲になっています。男女共同参画の基盤思想となっているフェミニズム(男女に性別があることを最大限に否定しようとする思想)は、家庭は女性を奴隷化するもので、家庭を解体して個人を解放するということを究極の目標にしているものと思われます。
政府がそんなバカな法律を作るわけはないと思われる方は同基本法4条をご覧になって下さい。「社会慣行の中で性別による役割分担を反映しているものを排除してゆく」趣旨が書いてあります。第6条は「家庭における男女の役割分担をなくしてゆく」趣旨のことが書いてあります。男女共同参画推進者たちはこれらの規定を拡大解釈して我が国の伝統的な生活形態を否定し、日本をスウェーデンのような国に作り変えようととしています。しかし、はたしてスウェーデンが女性の自由と人権が最大に保障された理想国家でしょうか?(下記の参考資料をご覧下さい)。このような状況に鑑み6月の県議会に上提予定の県条例が、どのような内容になるかよく吟味する必要があるでしょう。
つきましては、いち早く男女共同参画の背後にある危険な非候に警告を発し、自ら男女共同参画問題で対抗条例案を県議会に提出されました石橋良三・広島県議会議員(自民党、3期)を講師に迎え、以下の次第にて「男女共同参画社会基本法の陥し穴」というテーマで講演していただきます。併せてこの4月から始まる週休2日制についてもその問題点についてお話いただきます。講師のご都合で連休のど真中に開催せざるを得なくなったことをおわび申し上げます。連休中いろいろとご計画もあるかとは存じますが、千葉県の子供の将来がこの条例案にかかっています。その意味から是非ご参集下さいますよう切にお願い申し上げます。 敬具
平成14年4月3日
男女共同参画社会の再考を求める会
<参考資料>
男女共同参画社会推進者が理想視するスウェーデンは、男女共同参画を徹底した結
果次のような社会状況になりました。
同一人口当たりの犯罪 日本の10倍
同一人口当たりの強姦事件 日本の20倍
スウェーデンでは婚姻届をするカップルがほとんどいません。結婚届が出されないので共同生活をしている男女のカップルでも結婚しているのか、それとも単に同棲しているのか区別できない状況にあります。そのような状況ですから、税制・福祉制度にも家族という基準がありません(例えば税制には家族の扶養控除がありません)。行政があらゆる面で個人単位に行われています。結婚と同棲の違いは何でしょうか?結婚には自由に共同生活の相手を変えられないという法的な制約があります。一旦結婚すると共同生活の相手を変えるには離婚という手段を経なければなりません。結婚がほとんどなくなり男女のカップルのほとんど
が同棲となったスウェーデンでは、男女が同棲相手を任意に変えるため子供が犠牲となっています。そこに異常に高い犯罪の原因があります。
スウェーデンでは結婚もなければ、当然離婚もありませんから、長年共同生活をしていた男女が別れるとき、女性に対する慰謝料、扶養料もありません。これで女性の人権が前進したと言えるでしょうか?
ユキさん
●私は、市役所に抗議をすることが流行ればいいのになーと、そんなことを考えています。
市役所のひとは、男女共同参画に「伝統の保守」以外に反対理由があるものとは思ってもいないようです。離婚を「軽いもの」として扱うことによって離婚経験者が傷ついたり、避妊や中絶、セックスに関する自己決定を「自分の体を大切にすること」として提示することによって、本当に愛するひとが現れたとき、結婚したときに、何より自分が後悔し、傷つくとなど夢にも思ってはいないようです。そしてそうしたひとの痛みに対して、何の背負う責任もないのですから、楽なものです。男女共同参画政策とは「望むひとにだけ適用される」ものだと信じ込んでいるのです。
男女共同参画とはパンフレットを見ているだけでも気分のわるくなるものでしたが、実際に対話してみると、お仕事でしていることとはいえ、市職員の対応にはその、無意識、もしくは意図があるものとしてもそれはそれで、パンフレット以上の腹立たしさをおぼえました。
年間10億円もの税金をつぎこんでいながら、誰も何の責任も背負わない政策とは何であろうかと考えました。
私も勿論抗議を行うのは緊張しますし、怖いですが、言っても変わらないかもしれないけれど言わなければ変わらないので、勇気を奮い立たせています。こうして皆様に励ましていただいていることが、どれほどのささえになっていることかしれません。
青島リカさん
●ジェンダーフリー関連で3年くらい前に講演を聞いたことがあります。非嫡子をもつ母子家庭の母親が講師で、母子家庭の暮らし易い環境について・・・です。最後まで笑わないで読めると良いのですが。。。
@戸籍制度の廃止!
誰が何処の誰べぇだろうと関係無い。アメリカには住民票のような物だけしかない。親が誰だろうと、どんな血筋の者だろうとそんな事は不必要。
A結婚制度の廃止!
結婚制度は家制度の苗床(←な、苗床って・・・(ぷっ)いちいち誰と一緒になろうと別れようと法的に縛られることではない。
B非嫡出子
結婚制度や戸籍制度等があるから「非嫡出子」などと言う差別が生まれる。親がどこでどんな環境で生もうと、そんなのは親の自由!
C企業に母子枠の雇用枠を設置
母子を身障者と同じように「母子枠」と言うのを作って就労を助けるべき
D手当ては当然の権利
母子に関する手当て等は、社会の恩恵ではない。当然の権利である。
プロフィール「大学中退」「その後放浪生活に入り」「地方で知り合った人との間に2児をもうけ」
「内縁の夫は定職につかないまま失踪(母子共々遺棄された(捨てられた))」「生活保護で生計を立てていた」とあった。
・・・なんだ、ただ自分勝手な生き方をしてきただけじゃないか・・・
こんな主張をするレベルで大学まで行けたのか・・・。@〜Cの主張をDで全て否定している事になるのに、、、気づかないのか?
そう言った主張は母子と言う存在をなくし、一般にするわけだから、手当ても発生しないのに。
自分の身勝手な行動が反社会的な結果を生んだとしても、それによって不都合な部分を排除しようとするあたり、やっぱりただのわがままなんだろうか・・
彼女は東京から講師に呼ばれて来たのだが、まさか自腹で来たわけではあるまい。社会の恩恵を実感できない可哀想な人でした・・・
余りに馬鹿馬鹿しかったので、この講演を機会に、私はこの講師を呼んだ会を辞めました。
青島リカさん
●ジェンダーフリーと横文字で横行するけど、性差の無い環境社会とは、一体どういうことなのか。。。
何年か前に、名前は忘れたが超有名巨大企業の女性幹部が、男性幹部と同じレベルの仕事ととそれ以上の量をこなしていながら、女性と言うだけで給与も男性幹部より低く、昇進も遅いのは不当と言う訴えを起こしたことが有りました。
結果、勝訴しましたが、「これからは、性差の無い評価が出来る会社になってほしい」と言い残して退社したのですが、後にも先にもこれほど端的にかつ説得力の有るジェンダーフリーの訴えを見たことがありません(きっと他にもあるのでしょうが)
どんなものでも手に入れるには、手に入れる側にそれ相応の条件が必要ですよね。
性差の無い環境社会を手に入れるのも同様。
仕事や地位について言えば、女性幹部職員のように、そのレベル相応の知力、行動力、責任能力、判断力、そして実績による信憑性を持ち合わせた"社会性"が必要不可欠なのです。
しかし、私が身の回りで見聞きした「自称:ジェンダーフリー」勘違い共は、下で紹介した例をとってみても稚拙で自己中心的な「女子供の意見」でしかなく、人の持っている物を欲しがるばかりで自分では決してリスクを背負うことはしない…どいつもこいつも社会に訴える際の最も重要な条件の"社会性"が丸ごとこそげ落ちているんですよね。
HISASHIさん
●最近、世の中のジェンダーフリー関連の出来事を思うと、明らかに女性にとって不利な世の中になりつつあると思ってしまう。ジェンダーフリーが家庭を崩壊させる云々(私はそうなると思っているけど)はひとまず置いておいて。
日本は神代の昔から(ものすごい昔からと言う程度の意味)表面上は男尊女卑だけれども実質は男卑女尊では無いのだろうか。このあたりはいずれ調べてみたいと思っています。
企業と言う一部の社会において確かに女性の表面上の地位は低いかもしれない。しかし、企業においても家庭においても女性が最大の権力者であることをジェンダーフリー論者たちは知らないのではないだろうか。
家庭では殿方たちはそれぞれの奥さんに拝み倒して「おこずかい」をもらい、会社では女子社員にお上手をして仕事をしてもらい。。。。離婚をしたら(大抵殿方が原因)慰謝料・生活費をふんだくられ、殿方たちは途方にくれる。
しかし、ジェンダーフリー論者たちは、そう言った女性の既得権益をなし崩しに奪おうとしている。(と、思われてならない)
管理人さんが挙げられた「配偶者控除の削減・縮小」も一つだし、企業において女性の地位向上もそうだと思う。企業において、その地位が上昇すると言うことは責任も増えると言うこと。今まで、責任は殿方たちに割り当てていたのが無くなる。女性であると言うことで優遇されていたことが無くなってしまうことをジェンダーフリー論者は気づいていないと思う。いや、気づいていて国を支えている女性を潰そうとしているのか。
「国を本当に支えているのが女性だ」と、言い切るのは言いすぎだろうか。表面上、殿方が国を支えている様に見えるけど、殿方は後ろで女性がしっかり守っていてくれるから支えることが出来るのだと思う。こう言った構造を破壊してしまおうとしているのだろう。
管理人
●HISASHIさん、
>ジェンダーフリー論者たちは、そう言った女性の既得権益をなし崩しに奪おうとしている
同感です。実は私は以前に「男は女性を守るべきだ」みたいなことを書いたのですが、それを見たジェンフリ論者が2ちゃんの方で私のことを「女性差別主義者の管理人」だと批判していました。でも、男がそう思っていた方が女性にとってはるかに都合がいいんですけどね〜。(笑)
昔の映画に「幸福の黄色いハンカチ」というのがありましたが、その中で高倉健が、桃井かおりを無理にでも篭絡しようとする武田鉄矢にこう諭す場面がありました。
健さん「女っちゅうもんは、花のごと弱いもんなんじゃ。守ってやらにゃいかん、大事にしてやらなにゃいかん。それがお前は何じゃ。お前のような奴を草野球のキャッチャーというんじゃ」
武田鉄矢「なんですかそれは?」
健さん「ミットもないということだ」
武田鉄矢「……」
印象に残ったシーンなので今でも覚えています。ジェンフリ論者にいわせると脚本監督の山田洋次まで女性差別主義者となってしまいますね。(笑)
塾屋さん
●だって、ジェンフリ論者は男性以上に「家庭を守り」「育児に専念し」「夫に尽くす」“女性”を敵視している、というより憎悪していますから…。「お前達だけ甘い汁を吸いやがって」って言いたいのをぐっと堪えている姿が見え見えですもの…。
どうも、この論者(田嶋陽子を見るまでもなく)『女性の幸せ』とは縁遠いような方達ばかりです。そのような怨嗟が活動の原動力になっているのが見ていてしみじみ伝わってきます。
ジェンダーフリーだ、フェミニズムだ、という主張は根本的に男性社会を非難しているように見えて、その実際には「良妻賢母」という男性にとっては正に「甘い蜜」といおうか「水蜜桃」ともいおうか、そういった女性を“弾圧”することを目的としているのは間違いないでしょうね。(でもそんな女性はいないね、まず。付き合い初めは甘い蜜で水蜜桃でも、すぐに「苦い汁」というか「ゴーヤ」というか、これ以上言うと女性陣に怒られそうだからやめとこう)
HISASHIさんの
『日本は神代の昔から(ものすごい昔からと言う程度の意味)表面上は男尊女卑だけれども実質は男卑女尊では無いのだろうか。』ってこれは私もずっと考えていました。
少なくとも大和朝廷の時代は『「国を本当に支えているのが女性だ」』と思えますし、江戸時代は女性の地位が非常に高かったのは色々な文献から分かります。
そして「男尊女卑の社会から女性を解放しろ」とか叫んでいる女性はこのことには一生気が付かない、そのような「男尊女卑を“作り出してきた”と決め付けられている男性も『女性から生まれ、女性に育てられてきたこと』になぜ言及しない!(こら、特に田嶋!!! お前みたいな奴を『国賊』というんだぞ、書いていて本当に腹が立ってきた…)
ジェンフリ論者&フェミニストの女性! 『辛い辛い』『不公平不公平』ってオウムみたいに繰り返すな。
女性だから辛いんじゃない、『男もつらいよ』って日々思っているだよ。
女もつらけりゃ、男もつらい、そんなの生きていれば当たり前。自分達ばかりがつらいと思っているならそりゃ誠にお目出度い話だ。何よりも世の中の女性は根本的に味方であり、反対する者は「男性社会の洗脳をうけたからだ」って(特に田嶋!!!)、思い切りトンデモ本の世界でものを言うんじゃない。
小人閑居さん
●私もHISASHIさんや元塾屋さんに同感です。旧約聖書の創世記にはイブはアダムの肋骨からつくられ、蛇にだまされてアダムと一緒に禁断の実を食べ、その罰としてエデンから追放されるとともに「男を求め、支配される」ことを与えられるとありますが、そもそもウーマンリブやフェミニズムというのは、そのようなキリスト教文化に対するカウンターという意味もあるのですよね。ギリシア神話でも最初の女性であるパンドラは悪徳の入った箱をこの世に持ってきますし。これだったら天照大神の出てくる日本神話のほうがよほど女性の地位が高いではないですか。
そもそもフェミが「女性が家の外に出て働き、カネをかせぐ」ということにばかりこだわっているのも、欧米ではカネの使い道からカーテンの色に至るまで決定権は家長である夫が握っていて、妻はわずかな小遣いしか与えられなかったという背景があるようです。
考えてみりゃ日本にはMrs.とMiss.というように、既婚か未婚かで尊称を分ける習慣もなかったわけですし。
まあジェンフリ論者は「男女を問わず、個人の可能性が最大限に生かされる」というのを錦の御旗にしていますが、どのような情況ならば「個人の可能性が最大限に生かされている」かなんてものは全くの個人の自由な判断に基づくものであり、それをはかる基準はありません。そもそも、ミスコンに出たいという女性だって、エステやダイエットで自分の容姿に磨きをかけようとする女性だって「自分の可能性」を追求してるのに、なぜフェミは彼女たちを敵視するのでしょうね。
なお、上の「HOME」で民主党の水島広子議員は、「涙を流して女の武器と言われてみたい」
と発言した川口順子氏に対してこう言っています。
また、一月三〇日の予算委員会で民主党の斎藤つよし参議院議員から、
総理の「女の涙」発言についてどう思うかと問われた女性閣僚たちの答弁
には軒並み失望しました。特に、「涙を流して女の武器と言われてみたい」
と答弁して議場をわかせた川口順子環境相(当時)のようなタイプは、完
全に「名誉男性」(日本人が「名誉白人」と批判されたことになぞらえた
表現。生物学的には「メス」だが、女性を差別する男性の側に身を置いて
しまっている女性のこと)だと思います。まあ、このような女性だからこ
そ、田中さんの後任に安心して任命されたのでしょう。
この「名誉男性」という言い方には何ともいえないいやらしさを感じますね。水島氏は川口氏に対して「男社会に媚びる女の裏切者」と言わんばかりの言い方をしていますが、このような人が夫婦別姓に関しては「別姓を認めることで多様な生き方や価値観、自分と他人の違いが認められ、尊重される社会にしよう。『単一の価値観』を押しつけるからいじめが生じるのだ」と言ったところでいったい誰が信用するでしょうか。
あと、水島氏は昨年11月27日の日経夕刊「子どもと育つ」でこう書いています。
「・・・性差にとらわれず育てようと、相当な短髪にして服はズボンしかはかせていない。だから見かけは、私を小さくしたような感じだと言われる。泥んこ遊びには機能的だし、本人からの要望がなければこのままでいいと思う。」(記事には長女の写真も載っていましたが、ほとんど坊主刈りに近いような短髪でした。)
「・・・私は法律姓の水島、夫は通称で長谷川を名乗っている。(中略)実は、長女が水島姓なので長男は長谷川姓にする計画だった。だが、出産時の入院などで改姓すると手続きが面倒なこともあり、離婚しそこなった。人には長男を「姓は長谷川です」と紹介し、民法改正を待っている。
姉弟で姓が違うのは、本来「かわいそう」なことではない。多様性を拒む周囲が、その子を「かわいそう」にしてしまう。養子の例もあり現実には姓の異なる兄弟姉妹は少なくない。その人たちを差別する側に私は立ちたくない。」
…頭が痛くなってきました。その一方でこの人、こんなこと言ってるんだから始末におえません。
「子供の自尊心をはぐくむことが私の子育ての基本。自分が生まれてきて良かった、と子供自身が十分に感じられるようにしたい。
特定の型にはめこむようなことはしたくない。大人の常識から見てとっぴな色を使って描いた絵でも、直させたりしないようにしている。」
やれやれ。好き勝手にさせることが「子供の自尊心をはぐくむ」ことになるとはどう考えても違うと思うけど…。そもそも「教育」なんて、どんな主義や理念のもとで行ったって、子どもを「特定の型にはめこむ」ことではないでしょうか。
私が水島氏の選挙区の住人だったら落選運動をやりたいくらいですが、とりあえずは水島氏の御令嬢が早く自分の生き方に目覚めて、自分の力で幸せをつかみとることを祈るばかりです。
ジェンダーフリーの言語分析と精神分析 by KABUさん
000:「●●フリー」とは「●●から自由である、●●のしがらみから解放されている、●●を気に病む必要がない」ことの意味。
001:「ジェンダーフリー」とは「ジェンダーから自由である、ジェンダーのしがらみから解放されている、ジェンダーを気に病む必要がない」の意味となる。
002:さて、「ジェンダー」とは「性別、性差に基づく人間の類型差」のこと。即ち、「人間=人類」という全体集合の中の二つの真部分集合たる「男性の集合」と「女性の集合」を考える場合に、その真部分集合を成立させる「性差」=「全体集合を切り分けうるクリアカットな性質」のことであり、または、その性質=性差によって人類という全体集合が2個の部分に切り分けられるという事実のことである。
003:道具立てはそろった、では、「ジェンダーフリー」という言葉でこの言葉を使う人は何を意味させたいのであろうか? また、この言葉の使用者はどのような前提を「ジェンダー」という言葉とこの言葉が指し示す現実に対して持っているのだろうか?
003B:ジェンダーフリーとは、「性差および性差によって人類が二種類に識別されているという事実から自由である、性差および性差によって人類が二種類に識別されているという事実のしがらみから解放されている、性差および性差によって人類が二種類に識別されているという事実を気に病む必要がない」の意味だろうし、ジェンダーフリーという言葉を使う人は、「性差および性差によって人類が二種類に識別されているという事実は好ましい事態ではなく、その事態から解放されて自由になること、少なくとも、そのような事実を気に病むことのない社会を目指すべきだ」という前提がありはしないか。
004:ならば、染色体の種類、脳の構造、生殖器の構造、而して、身体の構造の差異は、人類において、否、人類が現代の社会生活をおくる上で「本質的な差異」ではなくなってきているという前提がジェンダーフリーという言葉を使う人にあり、現代の社会では性差なるものよりも別の性質や要因(個体差、個人の思想、個人の感性)がより「本質的な差異」と捉えられているのではないか?
005:私は、「ジェンダーフリー」という言葉の言語分析を通してこの言葉を使う人々の心理=精神分析により興味を覚えるようになった。蓋し、彼等は人生からの「引きこもり」ではないのか。即ち、男女差を明確に意識せざるを得ず、いわば、中性的の存在から自己のアイデンティティーを<男>や<女>として再構築せざるをえない人生のあの時期、思春期と呼ばれるあの時期で思考を停止した者が彼等ではないのか。
006:少なくとも私には「ジェンダーフリー」がとても「自由」や「解放」いう言葉と親近性を持つものとは感じられない。なぜならば、性差に基づく役割分担によって、人生に襲い掛かってくる多くの困難をやっと乗り越え、世代間分業を行い、自己の文化を次世代に継承していくことに自己実現の喜びを見出している開発途上国と呼ばれる国々の多くの人々の実生活との間に絶望的な乖離を感じるからでもある。
ジェンダーフリーのフリーとは、とりあえず、喰うに困らず、思春期の手前で自己の再構築の営為をとどめても社会生活をおくることができる恵まれた先進国の恵まれた都市生活者においてのみ一定程度妥当する発想なのではないだろうか。いずれにせよ、私は、そのような歪な発想をとても「フリー」という言葉では呼べないと思っている。
紅緒さん
●今アメリカのフェミニズムについてリサーチ中なのですが、一例を挙げておきますと、The
Transformation of Gender Relationsのセクションでは、
@男女とも7割近くが家庭内、職場、社会全体における男女の役割変化を認めながらも、
A個人的には半数近くがこの変化は自分自身の男女関係には何の変化ももたらしてないとしている反面、4割近くが一般的に男女関係はその役割変化のせいで悪化している
B8割の男女がこの役割変化のせいで育児がより困難なものになっている
C7割の男女がこの役割変化のせいで結婚を成功させることがより困難なものになっている
D5割近くの男女がこの役割変化のせいで女性が満足のいくライフスタイルを持つことがより困難になっている(ただし、反対意見も女性で3割強、男性で4割ある)
E男女とも5割近くが子どもが小学生の場合、働く母親よりも専業主婦の母親に敬意を感じる(子どもが高校生の場合は4割)
F6歳以下の子どもを持つ専業主婦の母親の5割強が世間から働く母親と同じ敬意を受けている、また3割近くが働く母親よりも敬意を受けていると感じている
G5割の女性、4割の男性が結婚も家庭も高キャリアもすべて持つのはあまりにもプレッシャーが大きすぎることに強く同意している
H5割強の女性と4割強の男性は性差は子どもをどう育てるかにより形成される(性差は生物学的なものとする意見は男性で男性で4割、女性で3割)
I男女とも7割近くが「母親は家庭にいて家事と育児に従事するほうがよい」という意見に強く、もしくは同意している
これらの結果を見ましたら、アメリカ人は性別役割に関して想像していたよりかなり保守傾向があることがわかりますね。(私もかなり驚いてます)
ユキさん
●深江誠子のセミナーへ行ってきましたので、そのご報告をさせていただきます。
私たちは、抗議に対する最終的な回答として、
・ 今回は、予定通り、セミナーを開催し、深江氏に講演してもらう。
・ ただし、講師には行き過ぎた性教育を奨励するような内容は控えてもらうことを要請した。
・ 講師の親子、家族観を押し付けることのないようにし、参加者に家族のあり方を考えるきっかけとして頂くよ
うに要請した。
・ 質疑応答の時間を設け、参加者に質問してもらう。
・ 上記3点については、講師の深江氏にも承諾してもらった。
・ 従来、セミナーの内容についてはクレオ各館の係員が企画したものを大阪市女性協会がまとめ、男女共同
参画課が承認をする形となっていたが、男女共同参画課としてはセミナーの内容については十分に調査して来なかった。今後は、市民局として十分な選考リサーチをし、招聘する講師についても調査をしていきたい。とくに秋からの20コース(既に春の10コースについては決定済み)については見直していきたい。
大阪市からはこのように返事をいただいており、その様子を見に行きました。
セミナーではまず、主催者が、
「男女共同参画に対する基礎的な知識を身に着けていただく講座」
と、ご挨拶をなさいました。すなわち、大阪市は本日の講演は共同参画の基礎だと認めたことになります。
それは「個人としての尊厳、人間としての自立」とのことです。
次に深江氏が、「自分の生き方をベストとは思っていないが、自分がどのようにして娘を育ててきたか、親子、夫婦がいい関係になってほしい」ものとして、この講座の趣旨をお話になりまた。
話の趣旨は、以下の通りです
・ 性の情報を与えるのは、大学生では遅すぎる。子供が性の知識を得るのは、学校、マスコミ、友人といったものからで、親からは得ていない
・自分を大切にすることを教えなければならない。自分を大事にしていないから、非行に走ったり、いじめを行ったりするようになる。(もちろん深江の言う「自分を大事にする」という言葉は欺瞞である)
・躾は親が押さえつけたりするものではない。子供には可能性がある。親が「あいさつ」をすれば子供も「あいさつ」をするようになる。子供とはそのようなものである。自分は「勉強しろ」と言ったことはない。それは子供が自分で決めることである。いい子を演じる必要はなく、自分でやったことは自分で責任をとれば良い。子供と大人は対等である。親は「世間体」や「常識」にとらわれている。子供のほうが発想が自由なこともある。認めなければならない。
・今は学歴の時代ではない。私はテレビの仕事を5年間ほどしていたが、視聴率の悪いのは学歴の高い人の番組極端な言い方ではあるが、知識のある人は自分でものを考えない。今の子供には、自己決定能力がない。
・私は子供が自分で「幸せだ」と思う人生を歩ませたい。
・ 今日本には一千万人にパラサイトシングルがいますが、欧米は夫婦を大事にしており、仕事が生きがいのひとがいない。残業もしない。ひきかえ日本は夫が過労死するほどに働き、妻は夫との関係を築けない。これが「母子密着」を招いている。
子供は「18になったら一人で生きる」それには性教育と環境問題に対する教育が必要。
(一人で生きる事に何故、性教育と環境問題が必要なのか、支離滅裂。)
・性教育
私は娘が子供の頃からコンドームを持たせている。エイズ予防で、これはアメリカでは普通に行われていることである。また私は「セックスは素敵よ」と教えている。性教育で性ははずかしいことのように教えられ、親を軽蔑した子供がいる。性をはずかしいことであるかのように教えてはいけない。アメリカ、スエーデンでは「張型」を使って教えている。NHKの性の実態アンケートでは、16歳から19歳までの36%が性体験をもっている。しかし、親と性について話しあうひとは4%しかいない。これは親に隠れているということであり、リスクが高い。
☆ここで、若者の性病蔓延の実態をリポートした日テレのニュースを視聴。
コンドームをしないということは、妊娠、性病を招く。
昨年、エイズの人は8000人ちょっといました。実質はその10倍はいるでしょう。
日本では避妊教育がされていない。そのせいで性感染症が広がっている。外国では会社で「お前はエイズ」だというと言ったほうがわるくなるが、日本では「エイズ検査」で陽性になるとクビになる。
・日本人男性は外国で買春をし、「セックスアニマル」と呼ばれている。結婚後、それが妻たちに感染したりする。
ひととおりの講演後15分間の休憩をはさんで、その間、受講者に質問用紙に質問を書いて提出するよう指示されました。
休憩後、司会者がそれらの質問を読み上げ、深江氏から回答を得るというかたちでセミナーが再開されました。
質問は、終始肯定的なものばかりが読み上げられ、趣旨に反論したものは、「躾では親の立場を明確にしたほうがよいのではないか」のひとつだけでした。
事実休憩時間に神風の子さんは、質問を選定する司会者が深江と談笑しながら「却下」という言葉を発しているのを聞かれました。深江の高笑いを聞いた方もおられるとのこと。
質疑応答とされたその場でも、疑問に思ったことを深江氏に質問すると、司会者が制止に入りました。
「この先生は朝日新聞にも出ていらっしゃるような先生です。みんな、先生の話を聞きに来ているんです」
サヨク権威主義な司会者です。
深江氏が娘に対し、小学生の頃から「レイプをしようとするひとがいたらこれを着けてもらうのよ」とコンドームを渡していた件に関して、神風の子さんが堪えかねて
「そんなものでレイプは防げません。女性のかたがたが自分の身を守るのであれば、催涙スプレーのほうが効果的です、強姦被害を馬鹿にしているのか」
と被害者と接した経験から提言されたことについても、司会者は制止に入られました。
性犯罪を本気で防ぐ気など、ない 利用しているだけ、とみなされて然るべきです。
性犯罪を研究しているなら、その程度は当然ですし本当に防ぎたいなら、あらゆる異論にも効果的ならば敏感に反応するはずなのに、無視とはどういうことでしょう。
その割には、深江氏を支持するひとが話すことは一向に止めることをなさらなかったし、その後も延々と肯定的な質問ばかりが続きましたので、完全な偏向です。
司会者は「時間が限られていますし他のかたからの質問もありますので」次に進めたいとの意思を示しながらも、ご自分で質問を作って深江氏に尋ね、勝手にインタビューを始められたりもしていました。
会場は荒れに荒れ、深江派は神風の子さんを「親の敵」のごとく睨み付ける始末です。
質問に答える中で、深江氏は、HIVは「性感染のみ」とおっしゃりました。
また、「できちゃった結婚は子供に対して失礼。きちんと望んだかたちで子供をうみたい」と、性に対してウルトラオープンな割にはできちゃった結婚をなさったかたがたの愛情を疑うようなことをおっしゃいました。つまり二枚舌です。
そして、女性が自由でなければ家族は幸福になれないとして「専業主婦の妻」が「いい妻」だったから夫は「窮屈」で幸福になれず、子供にもいやな思いをさせてしまっていたという家族を例に出され、夫には「仕事なんてやめてもいいじゃない」、妻には「もっと自由になればいい」と提言し、夫婦の肩の荷がおりて幸福になったとの話をなさり、女が収入を得て自立するようになったらみんなが楽になる、中高年の自殺もなくなると、言外に「中高年の自殺は専業主婦の存在のせい」であるようなことをおっしゃいました。
「三世代同居は親ばなれ、子ばなれできていないということ」ともおっしゃり、日本の結婚は「役割を演じること」であると断じ、そんなの私はダメ、とおっしゃいました。
いつまでたっても私の質問がとりあげていただけないので、私は終了5分前に立ち上がって、今日の講演に抗議をしている者であることを明かし、「素敵なセックスとはどのようなものですか」…と無理やり質問しました。すると深江氏は「好きなひととセックスをすることです」そのようにお答えになりました。
「それは、婚姻には関係ないのですか」と念を押すと
「婚姻に関係なく、好きなひととセックスをすることです」
公の講演が不倫を肯定した決定的瞬間です。
「それは、好きであれば誰でもいいということで、フリーセックスということではないですか」
「誰でもいいなんて言っていません」
「ではフリーセックスとの違いを説明してください」
「だから、好きなひととセックスをするということで誰でもいいということではありません」
「好きなひとであれば」という提示した前提を無視し、「誰でもいい」という言葉のみをあげつらい、そのように答えるやりかたは、とても教壇の人とはおもえませんでした。
さらに「今の時代、料理しない男はモテない」と、「自説」を普遍化しようとする悪質さに神風の子さんは「偏見だ、あんたのやっている事はナチスと一緒、フェミナチだ」と一喝。
セミナーは、最初から最後まで一方的なものでした。事前の約束で質疑応答をするとしながら質問を許さず、抗議したり質問をすれば「邪魔をする者」「妨害者」として扱われました。
深江も大学の先生にもかかわらず、反論できずに「講演会つぶし」だと泣き言を言いました。
私たちは深江に「喋らせなかった」わけではなくタップリと問題発言を引き出し、前半「一時間」を耐え忍んで文句を言わずに聞きました。気分が悪く吐き気を催しさえしました。なのに、質疑応答で卑劣な検閲をされたのです。
常識あるものは普通、あの現場の陰険なサヨクの挑発や謀略運営、深江の破廉恥極まりない猥褻談義、主婦や男性への悪口の羅列を経験すれば、黙ってはいられないと思います。
もしあのまま放置していては、深江の八百長インタビューで終わっていた事は確実です。
すでに真っ赤な活動家に、おとなしい顔、良い顔をしても無駄であると考えます。
今まで抗弁されることを知らぬ甘えた深江に怒りの声を知らしめておくべきだと思いますし、過去の講演では英霊を極めて破廉恥な言葉で汚辱し、自衛隊がエイズを広めていると、のたまったのです。しかも神風の子さんの「ソースを出せ」「偏見だろう」との、抗議に対して深江は何一つ答えられないのです。「うわさ」の流布です。国民としてこれほど屈辱的なことはありません。
さらに今回、あの性器の「張り型」だとかの猥褻な話や主婦を冒涜し、男性を「セックスアニマル」と罵倒する「男性差別、大和撫子差別、日本蔑視者」の深江に、罵倒弾圧される者の痛みを知らしめてやるべきだと思いました。祖国を悪く言うくせに「体制」の側について援助を受けて講演しているのです。
なお、強姦被害防止の件である参加者の方に催涙スプレーについて尋ねられ、支持を頂きました。
また、途中で私たちと険悪になり退席された深江支持派の女性とも、日本会議女性部会の皆様と共に礼儀を尽くして和解しました。何らかの「心の傷」に対して最初に語りかけたのが深江のイデオロギーだったのでしょう。家庭不和、強姦被害、離婚など心の闇に対して手を差し伸べる窓口は、フェミニストや反体制左翼が多いのです。「貴方がこんな目にあうのも、男性社会が悪い、国が悪い」という売り文句です。かつての「撫順戦犯管理所」でもそうですが、ひとの心が弱ったときは驚くほどそのような謀略に対して脆弱です。我々保守派にも、もっと なすべきことがあると反省しました。
夏さん
●私は20代のOLです。お勧めしたい本があり,メールを送りました。
この本を読むと現代女性の心理が分かり,フェミニストがどれほど現代女性の心理が分かっていない分かります(笑)。
タイトルは,「恋愛は少女漫画から教わった」 横森理香著 集英社文庫 です。少女漫画かどれほど,少女たちに恋愛観,結婚観に影響を与えているかを各少女漫画を取り上げて説明しています。それらの内容は読めば分かるのであえて説明はしません。
著者は,フェミニストは嫌う「女の幸せ」(愛する人のために家事,育児に専念する=専業主婦)という生き方を否定していません。
むしろ,そのように生きられる女性こそが本当は幸せだといっています。
しかし,現代の学校教育では「愛に生きるために生きる」教育はしておらず,「生きるために生きる」教育をしており,一人の男性を神様だと思える教育を受けていない。つまり,女として幸せになれないのだと。著者が言うには,女性は初めて好きになった男性を信じ,その男性とともに細く長く生きていければ本当は幸せなのだと言い,女もトウが立ち,社会性を帯びてくると一人の男性を信じる事ができなくなるし,それに,女性は自立し精神的に成長すると女の幸せは捨てざるをえなり,仕事に生きるしかなくなると。
つまり,著者は「女の幸せ」と「仕事に生きる」の両立は難しく,「女の幸せ」を手に入れなれなかった女が「仕事に生きる」ことになる言っています。
「女の幸せ」も相手があってこそ成立し,「女の幸せ」を手に入れなければ悲しい事に「仕事に生きる」のだと。
私は,これを読んで思わず納得してしましました。
フェミニストのほとんどが独身女性だったり,離婚者が多いのは,愛に生きられず「女の幸せ」を手に入れる事ができず,「仕事に生きる」しか自らのアイデンティティの見出せない女性であり,だからこそ,「女の幸せ」を手に入れた主婦が許せず,主婦バッシングをするのかなあと思いました。
それに,晩婚化や少子化が進むのも,「育児と仕事が両立しない社会に問題」があるのではなく「女の幸せ」が貫けない男性化してしまった女性が多くなってたことが原因のような気がします。
女性の高学歴化や社会進出が進めば進むほど,トウが立ち,社会性を帯びてしまい,一人の男性を信じきれなくなり,女として生きる事が難しくなる。そして,結婚できなくなる女が増えたのではないかと。それに男性化してしまうわけだから,子供なんて産もうなんて思わなくなるし,離婚率が上昇するのも,そのせいじゃないのかと。
つまり,現代女性はフェミニズム運動の成果により,男性化してしまい,「女の幸せ」が貫けなくなった可哀相な人なのです。私も含めて。(笑)
それで,ジェンターフリー教育なんてやったら女性はますます男性化してしまい,「女の幸せ」が遠くなってしまい,晩婚化,少子化,離婚率の上昇それに伴う犯罪の増加になるでしょう。これでは,日本は沈没です。
本当は,戦前のように「良妻賢母」教育が必要な気がします。
女性が働く事は悪いことだとは,思いません。才能がある女性はどんどん出るべきだと思います。
しかし,「男らしさ」「女らしさ」を否定し,労働者人間に集約すればいいだというのには,賛成できません。男性と女性は違うのは当たり前です。その違いを認識した上で,男女のあり方を考えていけばいいのです。
「女性は子供を産んで育てる」
これは,男性にはまねできない女性の特権です。
「子供を産んで育てる」これを条件に,女性の働き方を考えればいいのです。
このままフェミニストがはびこると,女性はもちろん,男性にとっても良くないです。
夏さん
●こんにちは。先日メールをお送りしたOLです。
私の言葉が足らず誤解を与えてしまったので,私なりに意見をまとめたいと思います。
私としては,専業主婦という生き方も働くという生き方も否定はしません。それは,自分自身が決めた人生であり,本人が幸せだと思える人生が送ればいいのです。私があのようなメールを送ったのは,果たしてフェミニストは女性に幸せをもたらしたのか?と思ったことからです。
フェミニストのおがけで,私たちは,女性という理由で就けない職種はほぼなくなったし,適齢期という言葉も死語になり,自由を謳歌できるようになりました。
しかし,新たな問題が発生したのです。
「人間として自由,平等なのはわかるが,女として恋愛,結婚,出産はどうなるの?」といった具合です。
つまり,「人間として」と「女として」の幸せの折り合いをどのようにつければよいかわからない中間の女性が増えてしまったということです。私も,その中間の女性なのです。「自分の可能性に掛けたみたい」と思う一方,「いづれかは結婚して育児に専念したいという」という迷いがあり,どちらに主力を置いていいか分からない状況なのです。
今の日本の雇用状況では,二つの両立は大変難しいのが現状です。
労働基準法の改正で女子の深夜労働が廃止され,女性でも深夜労働するのが当たり前になりました。これでは,育児に専念したいと思っても専念するのは大変きついです。また,育児に専念するために会社を退社し,子供がある程度大きくなったら働くといっても,ほとんど正社員としての採用が難しくパートになってしまいます。
そして,男女平等教育を受けてきたばかりに,夫の出世を素直に喜べなくなったり,身分が全く異なる男性なら女になれるといった女性も増えてきています。
これが現代女性の悩みなのです。
フェミニストに違和感を覚えるのは,女性の代表でありながら,仕事もしたいが,せめて子供が小さい時ぐらいは育児に専念したいとうい女性が多いのに,そのような女性の意見に耳を貸さず,なにがなんでも働かせようとするのです。
少子化対策として,0〜6歳時の子供がいる女性は育児に専念できるような環境づくりをしようという話もでているらしいですが,フェミニストが反対しているのです。理由は,「女性の多くは子供が産まれた後も働きつづけたいと思っているのに,なぜ家庭での育児支援をするのか。それよりは,保育園を増設したほうがよい。」といっているのです。
また,男女平等イデオロギーに犯されたフェミニストは,「女の幸せを捨ててでも働け,なにがなんでも男性の上に立て」と言うものだから,がんばらなくていいがんばりをしてしまい,自分より先に出世してしまった夫を誉める事ができなくなるといった具合になってしまっているのです。
本当は,「仕事に生きる」と「女の幸せ」が成立するような雇用をフェミニストが考えなければいけないのに,そのような雇用を考えていないのです。また,子育てするには,幅広い知識と教養が必要ですから,学問は必要だと思います。
あのようなことを書いてしまったのは以下の理由からです。
私の大学の講義に女性学の講義があったのですが,これが今振り替えればフェミニズム原理一色でした。女性学以外の講義でも働く女性を礼賛したイデオロギー色の強いものばかりでした。
大まかな内容は,夫婦別姓について,アメリカのフェミニズム,ヴォーボワールの第二の性,ジェンター論といったところです。
夫婦別姓についてなんて,スウェーデンの例を取り上げ,「スウェーデン女性は女の幸せは結婚だと思ってる人は少ない」のに,「日本女性の大半は女の幸せは結婚と思っている人が多い」といい,日本女性の意識が遅れているといわんばかりでした。
日本政府の意識も遅れているといい,フランスでは子供の影響がどうなろうと子供が考えればいいことだといって別姓を容認したといい,日本政府は子供はどうするのかということいっていると。
ヴォーボワールの第二の性の講義なんて,専業主婦を侮辱した発言をしていました。「あなたたちは大学まででて,専業主婦になんてなっていいの?パートタイムの仕事しかないのよ。」なんて言い,働くことを奨励していました。ジェンター論では,「男らしさ」「女らしさ」は文化や社会で作られるもので,後天的なものだと言いい,「女らしさ」が女性をしばり,自らの成功を押さえてしまい,男性社会で生きていくために女らしくなってしまうと言っていました。
女性学以外でも,第二外国語でフランス語を取っていたのですが,夫婦像は共働きで登場してました。
4年間でフェミニズムを批判した講義は,1回しかありませんでした。
その教授が言うのは,女性が子供を産み育てる事は,働くのと同じ位価値があるもの,いやそれ以上価値があるのになぜそれを否定するのですか。そういうことをいっているフェミニストのみなさんはほとんど独身じゃないですか。女性は子供を産み育てるのと働くことも両立は難しいとあなたたちが証明しているのに,なぜ子供のいる女性を働かせようと
するのですか。女性が成功するのはものずごく難しいのに,働くことを奨励してもし失敗したらどう責任を取るのですか。と,フェミニストにけんかを売ってました。
その教授の結論は,女性は育児に専念しろと,言っていました。
このように,大学ではフェミ講義が行われており,良妻賢母教育は行われていません。大学4年間というのは,一番勉学に励む時期に,良妻賢母を否定した働けイデオロギー一色の講義を受けてしまったら,女性の多くは洗脳されてしまい,潜在的フェミニストになってしまうのではないかと思ったからです。
実際に,私の大学の友人の何人かは「今やりたいことがあるから,結婚なんてしたくない。」といっています。
小,中,高よりも大学でフェミ教育が行われます。ほとんどの女性学者はフェミよりで,男性学者の同意しているケースがものすごく多いのです。つまり,大学で良妻賢母否定教育が行われ,男女平等教育(「男らしさ」「女らしさ」の否定=ジェンターフリー)と今の日本の雇用条件では育児と仕事が両立できるようにはなっていない理由から,女性は男性化してしまい,愛に生きれなくるのではないかと思ったのです。
上の内容に対して、以下の質問をしました。
●ちなみに「身分 が全く異なる男性なら女になれるといった女性も増えてきています」の部分は意味が今一つわかりませんので、教えていただければと思います。
OLさんのお答えです。
● 私たちは男女平等教育を受け,学校生活において男女だからとういう理由で差別を受けることはありません。結構,学校では女性の方が成績が優秀のことが多いらしいです。
しかし,就職の段階で初めて差別を受けることがあります。
具体的には,女性総合職は採用なしとか,2次試験で女性は全員落としたり,縁故以外は採用しないといったあからさまな差別があるのです。
一流大学出身の優秀な女性ほどショックが大きいらしく,就職雑誌に「私より優秀でない男子が先に就職が決まっている」なんて愚痴をこぼしている女性もいました。
また,会社に入ったとしても男女間の賃金格差があったり,重要な仕事をまわしてもらえず,そこでまったショックを受けてしまう女性も多いのです。男女平等教育を受け,優秀な女性ほど,会社の同僚や夫,恋人が先に出世したりすると,素直に喜びことができず,男性不信になってしまうこともあります。
会社や家庭などまったく関係のない男性なら愚痴をこぼせるといった感じに
●税制改悪「配偶者控除・扶養家族控除の全面廃止」論の陰で
蠢動するフェミニストたちの策謀
一、 はじめに
国会では、景気浮揚策と落ち込む一方の税収を補うため「抜本的税制改革」の論議がはじめられようとしている。しかし、税制改革論議の陰で、日本破壊主義者フェミニストたちは暗躍し、財務省の後ろ盾を得て「配偶者控除・扶養家族控除の全面廃止」を目論んでいるのだ。
フェミニストと税制、「いったいどうに関係あるのか」と不思議に思う人もいることであろう。ここでは、まずフェミニズムの思想的背景を明らかにし、次に税理士会の中で密かに暗躍するフェミニストたちの策謀を明らかにする。
二、 日本破壊思想としてのジェンダーフリー
一般に社会学の分野で「ジェンダーフリー理論」というと、フランスのマルクス主義構造主義派の社会学者・ブルデューの『文化再生論』をベースとしたフェミニズム理論の中核をなす理論である。彼らの理論によれば「ジェンダーとは、生物学的性の差異ではなく、人間が人為的につけた文化的性差であり、支配者が被支配者を統治するための道具」という概念を意味する。
曰く、「資本主義システムの中で、女は企業の生産活動の道具とされ、家庭では亭主に安らぎを与え、子どもを育てる道具として二重の意味で利用されているのだ」と。
従って、「真の意味でのジェンダーフリー」のためには「結婚(婚姻を意味しない、同棲)した男女が家事も育児もまったく均等に受け持ち、女性を二重の意味で抑圧する家(イエ)や資本主義のシステムを否定するばかりでなく、さらに差別構造を生み出し再構造化する元凶・ハビトゥス(社会通念を形作る精神文化)の否定まで行かねばならない」のだと。
そして、この精神文化の核が「男らしさ・女らしさ」や「家意識」なのであり、「学校は支配者に都合の良い精神文化や社会通念を子どもに植え付ける工場であり、家庭はその補完的役割を果たして、無意識の内に性差別を行う人間を再生産している」のだと。
この理論をさらに展開すると「女らしさを植え付ける桃の節句(雛祭り)や男らしさを植え付ける端午の節句、性差別を次世代に引き継ぐ装置としての婚姻・戸籍制度、家父長制度を再生産させる皇室制度(天皇制)の全面否定」という考えまで行き着くのである。
三、 「男らしさ・女らしさ」の意識解体から世帯主破壊へ
そこでまず彼女らは、教育の世界に「ジェンダーフリー」を持ち込む。「男らしさ・女らしさ」という概念を持っていることが「悪いことである」とマインドコントロールするためである。事実「男女共同参画社会」の実現というスローガンの下、教育現場では「男女混合名簿」の導入や「ジェンダーフリー・チェツクアンケート」なるものまで出回っている。(詳細は大阪の教育を正す会等の活動報告を参照されたし)
教育界を征すると次は、家庭である。家庭の一体感に楔を打ち込まねばならない。そこで考え出されたのが、「配偶者」「扶養者」という言葉だけでなく実体そのもののの解体である。
つまり、彼女たちから見れば、「配偶者、扶養者は、世帯主の奴隷」であり、税制上控除を容認することは、「永遠に男と対等になれない」ばかりか「男にすがって専業主婦を決め込んでいる女の裏切り者」を再生産することに繋がる。
フェミニストにとって最大の敵は男でなく「専業主婦」なのだ。これらが男と一緒になって「弱い女を演じつつ、男優位の文化、経済システムを再構築している」のだ。
「夫婦別性の導入」と「配偶者、扶養者控除の廃止」は、財務省や法務省、それにマスコミを味方に付ける最良の戦略である
四、配偶者控除、扶養者控除廃止の論理
しかし、彼女らは巧妙で正面から「配偶者、扶養者控除の廃止」を唱わない。論理はこうだ。「配偶者控除の名目で、経営者達は女性パート従業員の給料を年間103万円を越えないように不当に抑制している。受け取る方も、103万円を越えると控除枠をオーバーするので、泣き寝入りせざるを得ないのだ」と。つまり、「控除が女性パート従業員の賃金アップを阻んでいるのだ」と宣伝する。
これだけを、もし税理士から説明されれば、普通の女子パート勤労者はどう思うであろうか。「私の給料が安いのは亭主といっしょの戸籍に入っているからだ」「賃金がアップすれば亭主と別れて自分で自由に使えるお金を自分の為だけに使おう」「子どもは政府が面倒見ればよい」と考える者も出てくるかもしれない。
五、 配偶者控除、扶養者控除廃止の弊害
ではもし、彼女らの策謀が功を奏し「配偶者控除、扶養者控除廃止」が実現すれば、どんなことになるだろうか。共働きしていても、専業主婦をしていても、日本のかなりの世帯にとっては「実質大増税」が待ち受けている。家庭を維持するには専業主婦をやっておれなくなり、いやが上にも「社会進出」せねばならない。子どもの面倒は誰が見るのか。
「鍵っ子」が大量に増え、家庭のコミュニケーションや団欒は崩壊する。どうせ家庭が崩壊するなら、離婚しようということにもなる。さらに、「少子化スパイラル」に呻吟する日本経済が、さらなる少子化で瓦解することは容易に推測できよう。
「家族基本法」が、未だに制定されていない日本で、唯一「家族の一体感を守る政府の支援」が「控除」なのだ。私は自称保守主義者であり、「増税反対の安易なポピュリズム」に同調するつもりは全くない。しかし、政府はここの所をよく考えないと「内閣が倒れる」だけでは済まず、失業者が巷に溢れ、日本の家庭がずたずたになり、暴動に発展することを肝に銘じるべきである。その時、我々「伝統保守派」は黙っていない。
六、「自由、グローバリゼーション」を看板にした左翼運動
今日、左翼の殿堂、大学でも「マルクス」と名の付いた講義は姿を消した。その代わり「自由民主主義」「市場経済」「グローバリゼーション」「女性学」と名の付く講義が花盛りである。マルクス主義挫折派は、「社会主義、共産主義の夢」は実現できなくとも、国家を崩壊させることで「生き甲斐」に転嫁しようとしている。事実私の大学でも、「アメリカンスタンダードは世界の趨勢」と言いつつ、密かに「日本の衰亡を望んでいる」学者陣が少なくない。「ジェンダー理論」も社会学だけでなく、経営学で講義されている。
日本の保守政治家達は「ソ連が崩壊して、自由主義が共産主義に勝利した」と自己満足し、知的怠惰を貪っていてはいけないのである。「何が日本を病ませているのか」を見極め、反撃しなければならないのだ。
三沢さん
●皆さん始めまして。
高校で国語教師をしているものです。「新風北海道」の掲示板に登校したところ、藤本氏にこのサイトを紹介されました。
皆さんの文章を拝読しましたが、フェミニズムについてあり、Wカップあり、色々で、楽しめます。
私の勤務する高校では、まあ、大阪の大隈氏のご意見が説得力があると思います。ほんと、女教師ってのは現場では男に守られているところ大ですね。
・女だから大変なクラスの授業はしなくていい。
・女だから運動部の第一顧問はしなくていい。
・女だからやくざが職員室に乗り込んできても相手しなくていいい。(なんで、俺がしなくちゃいけないん?)
・女だからチンピラ男子生徒にすごまれたら泣いていい(笑)。
・女だから授業時数少なくていい。等々。
ほんと、真のフェミニストなら、こういう立場であることに、抗議の声をあげ、一人前の仕事をしてほしいものですが、楽できるときにはいわないんですね・・・
だから、私は教師の勤務評定厳密化に賛成です。私自身がどんな評価受けるにしろ、女教師に喝!をいれられるのならば。
大隅さん
●この6月3日から14日の2週間、勤務先の高校に教育実習生としてやってきたA君の指導教員に、私はなった。A君は、4年制大学の経済学部に在学中で、教員免許取得のあかつきには、ぜひ公立学校の教員採用試験を受けたいとのこと。むろん勤務先の高校の卒業生で、公民科政治経済で教育実習をしたいとの希望があったので、本年2年生で5クラス政治経済を担当している私のところで受け持たれた、というしだいである。
現在昼間は仕事をしているせいもあってか、対人関係もA君は首尾よくこなして、それなりに自信あふれる教生生活を送って、大学に戻っていったのが印象的だった。実際、2年生の女子生徒のふたりがA君のファンだったようで、いろいろ話をしたくて、放課後教育実習生の控え室にA君をよく訪ねていた。
A君は放課後必ず教育実習日誌を私に提出した。指導教員の所見と認印をもらわなくてはいけないからである。6月7日付けの、そのなかのA君による記述に、私は目を奪われた。
その日あるクラスで夫婦別姓の是非をどう思うか、と生徒に発問したところ、女子生徒は、結婚したら相手の男性の姓になりたいという意見が多くて、別姓のままでいいという意見を支持する者は皆無であったというのである。別姓のままでもかまわないという者は、男子生徒のなかに少数いたという。
付言すれば、この生徒向けの発問は、A君の勝手気ままな思いつきでなされたものではない。教科書に「日本国憲法と基本的人権」という章立てがあり、そこに「法の下の平等」という項目立てがある。そこのところを扱う授業活動の一環として行われたものである。だから、A君の発問への生徒のリアクションは、それなりに傾聴に値するものと見てよいはずである。
結婚したら相手の苗字をもらいたい、と女性自らが進んで求めるなんで、実にばかげている。そんなことを言うから、それを「屈辱」と感じないから、女性はいつまでたっても男性と対等になれないのだ、という雄叫びが「ジェンダーフリー論」に賛成する向きからはただちに出そうである。が、その雄叫びは、本当に真実を言い当てているだろうか、と私はこのA君のレポートを読んで思わずにはおれなかった。
藤本さんは、5月17日付けの投稿で次のような指摘をされている。その指摘は私にとっては、だれか言う人がいないかな、自分から切り出すのもちょっとなと思っていたら、藤本さんが端的に表現されたものなので、いまだに忘れえぬものである。
>こう考えると、ジェンダーフリーなどは、もてない女性の逆恨みのような気がするね。魅力ある女性には、引きつられるのが男性ではないかな。そして愛する女性のためには生命を投げ出せるのが男の幸せというもの。
私も「男の幸せ」ってそういうものだ、と信じているが、だとするとそれから類推して、「愛する男性のためには生命を投げ出せるのが女性の幸せ」となりそうな気がしてならない。その「女性の幸せ」を得ようとする女性の決意の現れが、「結婚したら相手の苗字をもらいたい」ことなのだと私はどうしても思わざるをえないのだが、このような私の解釈はとんでもなく的を外れているだろうか。「男らしさ」「女らしさ」についての、あまりにも浅薄で中途半端な理解が奇妙きてれつな「ジェンダーフリー論」を導き出しているような気がしてならないのだが。
それにしても、若い女性からてんで相手にされない「夫婦別姓論」なぞを、国権の最高機関たる国会がわあわあと採り上げて、いったい何をしてるのだ。そんな暇があるのだったら、若い世代の学力低下や学問離れをいかが考えるかという議論を国会ではしてほしい、と思う。
管理人
●ユングのいう「アニマ」について調べていて興味深いことに気づきました。以下、某所よりのコピペです。
アニマは男性の無意識の中に存在する女性像であり、ある男性が女性だった場合の可能性やその男性の持つ女性的な部分を表します。一方アニムスは女性の無意識の中に存在する男性像であり、ある女性が男性だった場合の可能性やその女性の持つ男性的な部分を示します。
アニマとアニムスを理想の異性像とする考え方もありますが、それは少々語弊があり、誤解の元になります。むしろシャドウとは別の次元の、自我の分身の一つであるといった方がより的確でしょう。人間はもともと両性具有的(シュズュギュイ)なのですが、大人になるにつれてどちらかの性を発達させなければならず、顧みられなかった方の性がアニマやアニムスとして無意識の深奥に封印されるのです。
アニマの属性はエロスであり、アニムスの属性はロゴスです。
アニマは男性に情緒性やムードをもたらします。アニマの力によって、男性は想像力を湧き上がらせることができます。一方でアニムスは女性に論理性や意見をもたらします。アニムスの力を借りれば、女性は行動力を発揮することができます。
さらにアニマとアニムスは、心の深い部分にある元型として、後で述べるセルフと自我のコンタクトを手助けする役割も果たします。
しかし、アニマやアニムスが自我に取りつくと、自我を守るペルソナが破壊される危険性があります。アニマに憑かれてエロスに魅入られた男性は、アニマの持つムードに冒され、自分の殻に閉じこもって社会に背を向けることがあります。逆に、アニムスに憑かれてロゴスに支配された女性は、アニムスの持つパワーに振り回され、本末転倒な論理をヒステリックに振りかざして社会に無謀な戦いを挑むことがあります。
いずれの場合も、その場にふさわしいペルソナ形成が度を越えたアニマとアニムスの介入によって阻まれるため、自我が周囲の環境に適応できなくなったり外界の刺激によって不必要に傷つけられたりします。
(引用終わり)
この下の方の「アニムスに憑かれてロゴスに支配された女性は、アニムスの持つパワーに振り回され、本末転倒な論理をヒステリックに振りかざして社会に無謀な戦いを挑むことがあります」って、まさにフェミのことではないでしょうか。
そうして、「らしさ」を否定するジェンフリはアニマとアニムスを「無意識の深奥に封印」させないために、「アニマやアニムスが自我に取りつき」「自我を守るペルソナが破壊される危険性」が生じるのではないでしょうか。
ユングの心理学からもジェンフリは非常に危険な発想だということになります。どなたか、この件に詳しい方、レクチャーをお願いします。
灯理さん
●管理人様はじめまして、灯理と申します。勝又智詩様に紹介されてやってまいりました。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますけれど、わたしはオカマ、と名乗っています、変な言い替えは好きじゃありませんから・・オカマはオカマですとも!f^^;)。別に美人、というわけでもありませんし、若くも無いので、お店に出たりはしませんが、メンズリブの人たちみたいなことは無い・・多分・・と思いますので、よろしくお願いしますm(_
_)m。
この人たちも本音は女装志向なんでしょうね、でも、理屈、というか言い訳を付けないと出来ないんでしょう・・それであんな奇天烈なことなっちゃって・・やめて、お願いだから(>_<)。
嘗てわたしもフェミニズム、かじったことがありますけど、その“女性性蔑視”は到底、生理的に耐えられませんでした。彼女たちが攻撃してやまないような、そんな“女性”にこそ、わたしはなりたくてたまらないんです・・それは所詮、わたしが“男”だからだって彼女らは言うでしょうけど・・そう言う、残酷な人たちなんですよ。
さて、管理人様の引用、もしや林道義先生のHPhttp://www09.u-page.so-net.ne.jp/ka2/rindou/からの引用でしょうか?
実はわたしも自分の性癖について色々悩んだ結果、ユングに行き着きました。ユングの本はものすごく分かり難いのが普通なんですが、林先生の訳書はホントにスラスラ読める・・ユング理解とドイツ語力、双方のレベルがすごく高いんでしょうね、それで本屋で「林道義」の名前見つけると買うようになったんです。
それまでは先生がフェミニズム批判、展開してるとは知りませんでした。けれども「母性の復権」を読んで、わたしの言いたかった事が全て、そこに書かれていたんです。
女装と言うと何か“反体制”みたいに思われるかもしれませんけど、そんなことはありません。普通の人と同様、あらゆる思想、心情の人が居るんです。
むしろそれをアリバイに使って“運動”する人には反感、感じますよ。
メンズリブみたいなおかしなものとカウンターバランス、をとるために、こちらのHPも見ていただけると幸いです。
http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/
BBS時代も入れるとおそらく女装系最古と言って良いHPでしょう、わたしも大変勉強、させていただきました。
それでは、今後ともよろしくお願いします。
紅緒さん
●今私が読んでいる本にクリスティーナ・ホフ・ソマーズという元大学教授の書いた"The
War Against BOYS"という本があるのですが、この中にもKentaro様がご紹介くださった副腎性器症候群の女子と似たような例が紹介されていました。この本の中で紹介されていたのは、congenital
adrenal hyperplasia(CAH)という、女子が胎児のときに副腎アンドロゲンという男性ホルモンを異常に浴びることによって起こる先天性の障害であり、CAHを患う女の子は嗜好や行動、思考パターンが男の子のそれに近くなるというものなのですが、このCAHという病気は副腎性器症候群と同じ、もしくは症候群のうちの一つなのでしょうか?また、正式には日本語で何と言うのかご存知でしたら、お教えいただけるとありがたいのですが。
この"The War Against BOYS"という本についてもう少し述べさせていただくと、この本には-How
misguided feminism is harming our young men-(方向を間違えたフェミニズムがいかに我が国の若い男性に害を及ぼしているか)という文が副題として添えられており、フェミニスト達の「アメリカは男性社会であり、女性を男性に従属する存在にするべく社会的構造や教育システムが存在しており、そのためにアメリカの少女は学業面や心理面で大変な危機に晒されている」という事実に反する主張が蔓延し、そのフェミニスト達が教育界を牛耳り、少年達を自分達の都合のよいように「改造」すべく教育が施されているために、アメリカの少年達こそが真の危機に晒されているとソマーズ女史は主張しております。
そして、具体例としてジェンダーを排除するために男の子にスカートをはかせたり人形遊びを推進したりしている保育所、寸劇で男子にセクハラ被害者の女性の役をさせた中学教師、少年の活発さを抑制するために休み時間に走ったり跳んだりするのを禁止している学校、もっと酷い例として州内の全小学校から休み時間を廃止したアトランタ州の例などを挙げております。
以前長尾先生にメールを出した時点では「アメリカではジェンダーフリー思想の行政レベルでの介入は日本ほど酷くないのでは?」と思っておりましたが、どうやら私の認識不足だったようです。この本によれば、フェミニスト達はU.S.
Department of Educationを乗っ取っているらしく、カリキュラムを自分達の思うがままに改定しているということです。日本のジェンダーフリーもアメリカのパクリの部分が大いにあるので、このような事態が起こる日も遠くないかもしれないと思うとぞっとします。(もう実施されていたりして・・・汗)
他にもこの本及びソマーズ女史のもう一冊の著書、"Who
Stole Feminism?"には紹介したい事柄がいっぱいあるので、できればこれらの本を要約して、(これは私がいたします)どこかのHPで公開していただきたいんですが(長尾先生かユキさんか岡本さんのどなたかにお願いできればと思ってます)、いかがでしょうか
イラストレーターさん
●官庁関係のパンフレットの表紙の仕事で、思わぬクレームが入った。
その表紙のイラストは保育園の園児や乳児、保母保父さんなんかを描いたものだが、
「乳児のおしゃぶりは現在できるだけさせないように教育しているので、取ってほしい」という意向はよくわかる。が、
「女の子がスカート姿なのはジェンダーハラスメントになるのでまずい。ズボンに変えてくれ」というクレームには、まったく開いた口が塞がらない状態だ。
じゃあ男の子が全員ズボンをはいているのはジェンダーハラスメントにならないのか? 何人かはスカートはかした方がいいんじゃないか?
と言えば、「スカートをはいている男はいない」と答えるかもしれない。
じゃあスコットランドの民俗衣装はどうなんだ? 男がタータンチェックのスカートはいてるぞ!
「スカートをはいている男なんか気持ち悪い」ってのもセクハラじゃないか? 男がスカートはいてなにが悪い。
だいたい「ジェンダーハラスメント」なんて考え自体が気に喰わない。
性差によって役割を押し付けるのはナンセンスだが、男女によって役割の向き不向きというのは厳然とあるものだ。
男性には出産はできないし、力仕事は平均的な女性には過酷な労働だ。(できないわけではない=そう考えると女性の方が職業の選択肢は実は多いのかも)
そういう男女の特徴にまで目をつぶって「平等に扱え」なんてのは、偽善以外のなにものでもない。
「あたしはデートする時は財布は持っていかない」と豪語する女性もいるが、男が奢って当然というのもセクハラ。
「女はか弱いので守ってやる」というのもセクハラだし、役割を強要するジェンダーハラスメント。
女相撲で胸を隠すのだってジェンダーハラスメントだし、成人式で女性だけ振袖を着るのもジェンダーハラスメント。
世の中ジェンダーハラスメントだらけだ。あほらしくて反論する気も萎える。
結局役所なんてところは減点主義。前例や面子にこだわって新しいことはできないということがよくわかった。
灯理さん
●SRS=性別再判定手術、所謂、性転換ですけど、これ、あくまでGID(性同一性障害)の人が社会に適応するための“治療”として行われるんです。WHOの診断基準ではGID自体、“精神障害の一種”と分類されていますので・・大いに異論のあるところですが・・社会に適応できれば“治療”は完結しちゃうわけです。何か上手に逃げられてるような気がしないでもありませんね(^_^;)。
わたしとしてはこう言う風になっちゃったのにも何か、意味がるんだろう・・ぐらいに考えて、そこから自分のなすべき事、とか、生き方を選び取るようにして行きたいと思っています。神様が何か“意地悪”をするのだったら、その意味を問い返すのが“被造物”と言うものじゃないでしょうか・・SRSが良い答え、とはあんまり思えないんですね。
ご紹介のHP見てきました。やっぱり樋口恵子氏ですか・・わたし、彼女はソフトな外見とは裏腹に大変過激なフェミニスト、と考えています。権力中枢(厚生相時代の小泉首相のブレーンの一人)に食い込んで、上からの“フェミニズム革命”を推進する人たちの少なくともその、中心人物の一人なんじゃないでしょうか?女だから、民主党だから、ジェンダーフリーに・・と言うより彼女たち、過激なラディカル・フェミニストに逆らってはいけない。と言うのではファッショ的な体質が丸出しです。円より子氏がその意を受けて・・というより震え上がっちゃってる様子がありあり、感じられますね。
彼女の関る「ニコニコ離婚講座」とか、「離婚110番」などのフェミニズム系離婚支援グループが一体、どれだけ害毒を撒き散らした事か・・下田治美「離婚バイブル」を読んで見ればよ〜く分かります。こんな人が居るから民主党、支持できないんですよ・・ナンテネ(^_^)。
ラディカル・フェミニズムは共時的な価値を優先させ、通時的価値を軽視するところがあります。近代的進歩主義史観に捕われているとしか言いようが無く、それこそフーコーが批判して止まないところなのに・・わざと曲解してるとしか思えませんね。
近代的パラダイムもまた一つの偏見とするなら、まず、彼女たち自身の価値の体系が問題なんです。働いて、金を儲けて、出世して・・そんな賃仕事(job)になんだって意義を見出せるでしょう・・大方の女性はもう、そんなこととっくに気がついちゃってます。
「Papa told me」と言うマンガで、主人公の女の娘の叔母さん・・若くてキレイなキャリアウーマン・・がいきなり部下に寿退社されちゃって、落ち込むシーンがありますけど・・。
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「あ、そーだチーフ私」
「なーに?」
「来月いっぱいで退社させていただきます。」
「ど、どーしたの、急に!!」
「結婚するんです。」
「なんだか急にバタバタと決まっちゃいまして。」
「・・・そう・・それはおめでとう。」
でも・・私としては少将残念だわ、せっかく仕事も軌道にのって・・。
「ええ、それは考えたんですけど
私は不器用な人間だから家庭との両立って無理だと思うし、
こう言う仕事って結局は誰がやってもそう、変らないものでしょう?
それに較べて彼のパートナーであったりよい母親になったりするのは私にしか出来ない
事だし、会社の中で歯車の一つとして損じしてるよりずっと宇宙的広がりをもてるよう
な気がするんですよね。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『女のコはいいね、たかが会社をやめるのにやたら交渉で形而上的な理由をつけられる。
なんて、
もし私が男の上司だったら皮肉ってるかもしれないわ。』
『現実は物分りの良さそうな顔して
「おしあわせにね」
だって。』
『ーーーだってしょうがないわ、
あのケチのつけようの無い理屈。
そうよ、あなたは正しいわ、どうせ
「誰がやってもそう変らない仕事」よ』
『それなりに楽しい事もあるけど、わたしだって切実に出世したいとは思わない。』
『肩代わりしてくれる彼を見つけるほうがけんめいよね。』
『ーーでも、この息苦しさは何なの?』
『解決法は分かっているのに消えない、息苦しさは何なの?』
『−ーーまるで・・そうだ』
『「巨大なジャングルジムに閉じ込められてる」みたいなーー−』
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このあと、彼女を“フェミニズム”に誘込んだ“親友”にさらに手ひどい裏切り、受けちゃうことになるんですけど・・それにしても日本の女ってバカじゃありません。あんまりナメないで欲しいですね。
春樹さん
●http://www.adm.u-tokyo.ac.jp/soumu/jinji/sankaku/sankakuwg.htm
こういうものを見つけました。東大のホームページですが(私は学内の者ではありません)
>−「ジェンダー・フリーの東京大学」を目指すための提案−
というタイトルがつけられ、教官及び学生にフェミニズムを強制しようという意図が明確にされています。
例えば、入学者を男女同数にするというようなことが検討されているようです。教官採用においてアメリカでも問題になったポジティブ・アクション(女性優遇)が検討されているようです。これが実現されれば「男だから」入試に落ちた、「男だから」大学の教官になれなかった、というようなことが当たり前になるでしょう。なぜならもともと公正な試験では女子学生は半数よりかなり少ないし、女性研究者も少ないので、同数にするということは実力がなくても「女性だから」入学を許可する、「女性だから」教官として採用する、ことが生じることになるからです。
(女性のほうが少ないのは女学生の中には東京での一人暮らしを望まなない人がかなりることや、女性は大学院にいくより早く結婚した方が良いと思っている女子学生が多いからでしょう。
少なくとも、現在、男女比が1:1ではないのは公正な入試や採用考査の結果としてごく自然なことであるし、多くの民間企業でも正社員の男女比率は1:1ではないはずです)
東大で行なわれればそれ自体がとんでもないことである上に他の大学にも波及する恐れが高いと思われます。そうなれば日本中で学問の場までが歪められてしまいます。
このような馬鹿なことが行なわれるのも
>男女共同参画推進の課題は、いうまでもなく世界が共有する課題であり、日本でも1999年6月に男女共同参画社会基本法が制定され、「男女共同参画社会の実現」は「21世紀の我が国社会を決定する最重要課題と位置づけ」られた(同法前文)。たからです。
(世界が共有するというのは嘘で、反対している国もあります)
このページを読んで、「男女共同参画社会」が公正な社会を破壊し、歪んだイデオロギーで国民生活を蝕むものであることがよくわかりました。どうにかしてこの悪法を廃止させなくてはなりません。
そうでないと、フェミ勢力は国法という錦の御旗を持っているので、議論しても最後には「法律で決まっている」で押し切られます。
もし、この法律をなくしたいのであれば、今後の選挙では候補者を選ぶ基準としてはこの悪法の廃止または改正に賛成かどうかで投票する候補者を決めると良いでしょう。この悪法は全会一致で可決されていますが、内心反対の議員もいる(党の方針だから従った議員でしょうし、無所属の候補者や小政党の候補者もいます。選挙の際には候補者に直接かメールや手紙で質問してみることをお薦めします。
確かに道路公団の問題なども重要ですが、財政赤字だけで国は滅びません。しかし、特殊なイデオロギーに基づく「男女共同参画社会」が実現されたとき、人々の暮らしは滅茶苦茶になります。大学入試でさえ公平でなくなります。研究者が大学に就職するにしても差別が生じます。あるいは中高で私立に行くことによってフェミ教育を回避しても国公立大学では特殊なフェミ教育を強要されるでしょう(ずっと私立では学費が大変です)。その被害に遭うのは皆様方のお子様かも知れません。そう考えると決して他人事ではないと思います。次の世代が歪んだ、不公平な社会で育たなくてはならない事態を避けるためには早急にこの法律を廃止させなくてはなりません。
小人閑居さん
●8月21日の『産経新聞』オピニオン欄の「国語に寄せる11の断想」に校閲部長の塩原経央氏が上記の題の一文を載せていました。この一文は一連の言葉の書き換えとその背後にあるジェンフリイデオロギーを批判しているのですが、このコラムはこう結ばれています。長くなりますが引用します。
(引用開始)
反体制的な空想概念に過ぎなかったはずのジェンダーフリーが、いつの間にか権力の側に入り込み、権力を伴う諸制度を蚕食しつつ日々に肥大し、既に現実を書き換える力を手中にしているのだ。
「看護師」はそのジェンダーフリーの具現化であり、男と女の垣根を取り壊して男のおとこ性と女のおんな性を限りなく平準化させようという言葉なのである。言葉を帰れば「看護師」という言葉自体が、男と女のボーダーレス化を進めようというイデオロギーなのだ。
この急進的なボーダーレスへの傾斜は、戦後的風景の中でどこか見慣れたものだ。歴史の連綿性に裏打ちされた日本文化を打ち壊し、家族も国家も解体して日本人をばらばらな個人単位にしてしまおうという戦後民主主義の風景である。ナショナルアイデンティティーへの攻撃を絶えず仕掛けてくるボーダーレス思想には、あらゆる枠、枠という枠を取り外して平準化し、男も女も区別のつかないのっぺらぼうにして、究極的に日本という国家を解散させてしまえという悪意があることを見逃してはならない。
人間は男という枠、女という枠、家族という枠、近隣社会という枠、国家という枠があるからこそ、その内にあって安んずるという考え方もある。看護婦さんという日常語のぬくみを大切にしたい。「看護師」という言葉の仕掛けが、現実を書き換えてしまうに違いない言葉の威力を思えばこそ、切実にそう思う。
(引用終り、太字は引用者)
フェミニズムを甘く見てはいけない by でじゃぶさん
●従来、我が国では「嬶天下」という言葉が各地にあるように、神話の時代から女権は十分世間に認識されていたと思う。但しそれは男女の役割分担を当然の事として、家を守り家産を築く「家刀自」として存在する女性の有り様である。
戦後、経済的理由や女性の進学率向上など社会的な変化に伴い、女性が外に出て働く機会が増えるとともに、産業構造の変化と相まって女性を重要な労働資源と考えるようになった。一方、女性の側からは女権の拡張を、フェミニズムという新たな視点で要求するようになった。我が国ではこの流れに沿って男女雇用機会均等法が施行され、官民ともに状況改善のために真摯な努力をしてきた。
法律も整備されて女性が快適に働く環境が整った以上、女性の人生に対する選択肢は男性以上に幅広くなったと言える。一生仕事を生き甲斐にしたい女性はそうすれば良いし、良い伴侶を獲得して良妻賢母を目指したい女性は結婚して「家刀自」=所謂専業主婦を目指せばよい。
と思われてきたのだが、昨今のフェミニストにとってはフェミニズムと言う思想そのものが唾棄すべき考えであるらしい。
「ジェンダーフリー」なる悪魔の標語を掲げ、「男女共同参画社会基本法」なる新たな法律の下に、着々と我が国の伝統と良俗を浸食しつつある。
ジェンダーフリーとは男女の性差そのものを徹底的に否定する思想である。従って、男らしさ女らしさを表現するあらゆる習慣、言葉、伝統行事、仕草、役割分担等あらゆる事象を否定し、更に、男女の合意によって成り立つ結婚そのものを否定し、責任と義務を負わない同棲の勧奨、結果としての私生児に対する法律的保護、離婚の勧め、ホモセクシャル同士の結婚の法律的認知、国家による子供の養育(子育ての放棄)などを目標にしている。
すでに文部省では以上の内容を解りやすく解説し、学校の授業に取り入れるよう推奨するパンフを発行している。これらの一環として、男女別姓の法律化に向けて法務省は準備を進めている。
以上のようなことが、我々国民の知らない間に「男女共同参画社会基本法」なる法律の下で堂々と行われている事に驚きとともに怒りを禁じ得ない。
国会議員は何をしていたのか? マスコミは内容について十分に報道したのか?
政府は国民に向けて法律の趣旨をちゃんと説明したのか?
ジェンダーフリーを推進している主体は共産党、社民党、日教組であり、文部省や法務省で実権を握り法律化しているのは全共闘崩れの連中である。
広報役は上野千鶴子東大教授や同じく東大教授で政府ブレーンを務める大沢真理である。
ジェンダーフリーを進めるフェミニストである彼らの真の目的は何なのか?
女性の労働条件や働く環境整備が目的とはとても思えない。
ジェンダーフリーを押し進めているのは、ほとんどが過去において何らかの挫折を味わいトラウマを背負って深く静かに潜行してきた連中であるという。
ジェンダーフリーという思想そのものが伝統と人類の英知を破壊し、道徳観と人間性の荒廃をもたらす悪魔の思想でありマルキシズムに限りなく近い考え方である。
要するに彼らは隠れマルキストなのだ。
彼らマルキストが目指す社会は言うまでもなく、人を人とも思わず、単なる労働資源として奴隷のようにこき使い、子供の養育は国家の専権事業として徹底して洗脳し共産主義に奉仕する分子として育て、それらの上に自分たちが共産党エリートとして君臨する社会である。現在、最もそれに近い国は北朝鮮であろう。
将来、もし何らかのきっかけで社民、共産党が第一党に成るようなことが有れば、社会的混乱に乗じて素早く中国に軍隊派遣を要請し、体制側クーデターを敢行して一挙に共産政権を樹立するだろう。その時、彼らは大手を振って我々の前に現れる。
そんな悪夢を払拭するためには今からでも遅くはない、「男女共同参画社会基本法」を葬り去り、社民党と共産党を日本を崩壊させるアナーキストとして治安維持法の対象に指定し、日教組を解散させ、官庁に巣くう隠れ共産党員を追放し、我らの税金から給料を受け取っていながら国民に災いを及ぼす国立大学の教授を罷免する事だ。