このページは「ジェンダーフリーってなんか変1」の続編となっています。
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参考HP
「フェミニズム病のWEBクリニック」
「夫婦別姓を慎重に考えるホームページ」
| 男女共同参画社会の問題点 高崎経済大学助教授 八木秀次氏に聞く 背後にジェンダー・フリー思想 『世界日報』より 政府は、六月二十三日から二十九日までを、男女共同参画社会基本法の目的および基本理念に対する理解を深めるための「男女共同参画週間」に定め、今年、その第一回を実施する。五月下旬の副大臣会議では、各省庁に副大臣を本部長とする「男女共同参画推進会議」を設置することを決めた。このように政府も地方自治体も、男女共同参画推進を展開しているが、果たしてその向こうにバラ色の世界があるのか。八木 秀次・高崎経済大学助教授に、その背後に潜む問題点を聞いた。 ――男女共同参画と言えば、男女が協力し合って理想の社会を実現しようというふうに耳に心地よく聞こえますが、八木先生は「一種のカルト(疑似宗教)である」と指摘されています。 男女共同参画という言葉は、抽象的でわかりにくい。だが、これを平たく言えばジェンダー・フリーということです。ジェンダーとは社会的文化的につくられた性差、わかりやすく言えば、男らしさ、女らしさ、父性、母性のことですが、“これらは人間が生まれ持ってのものではない、つくられたものであるからすべて白紙にしてしまおう、また、白紙にしてしまわない限りは女性の差別は解消されない”という、はなはだ極端な議論のことなのです。 ――父性・母性が後天的につくられたものであるという科学的学術的な根拠はあるのですか。 一時、後天的なものだと言われたことがありましたが、近年、脳科学の発展でジェンダー・フリーという発想は、極めて非科学的であることが判明してきました。男女は、脳の構造も分泌ホルモンも違う。フェミニストたちは、男女の役割に違いがあってはならないと主張しますが、これは非科学的であり、観念的空想的な議論でしかありません。 ――男女共同参画推進論者が描く家庭や、夫婦像とは。 男女の役割意識を持たない個人による緩やかな結合を想定していますが、彼らは、最終的には家庭の死滅を予想しております。ジェンダー・フリーを提唱したフランスのクリスティーヌ・デルフィーはマルクス主義者です。マルクス主義の文脈から言えば、家族は最終的には死滅すべきものであり、個々の家庭が担っている家事や育児、介護を共同化し、家内経済を共同化すなわち社会主義化して初めて女性は解放されるということになる。ジェンダー・フリーはこの女性解放論の文脈に沿ったものです。 ――育児の社会化などを進めていくと、揺りかごから墓場まで国家が面倒をみるスウェーデンを理想としているのですか。 確信犯的でない人は、スウェーデンを意識していると思います。しかしスウェーデン型福祉の実態については最近指摘されるようになりました。社会が子どもを育てる、すなわち親が責任をもって子どもを育てないということが、子どもを十分に社会化させず、少年犯罪、非行の原因となっていることも見えてきました。 ――性における役割分担を否定して、子育てを男女が平等に行えと言っても、赤ちゃんの側からすれば、気分が悪い時やさびしい時は父親より母親がいい、これは子どもを育てた人からすれば自明のことです。 先日、NHK衛星第一放送で、専業主婦論争の番組があり、私も出席しました。都立大学教授の江原由美子さん、男の“主夫”、厚生労働省の役人の三人と討論会をしました。男の“主夫”が、男こそ家庭へと叫んだのに対して、私は「男性がもっと家庭にかかわることはよいことだ。しかしその分、女性が外に出て働けばよいという話ではない。私は仕事柄、家にいる時間が多く、普通の父親よりも子どもに接していると思うが、残念ながら子どもはやはり母親の方がいいんだ、それが子どもというものだ」と発言したら、視聴者にも大いに受けました。 番組の後の楽屋裏では、フェミニストである江原さんも私の意見に賛成だ、自分も母親をやっているときは十年間ぐらい自分の手で育てたかった、と話して、男性の“主夫”に「そうでしょ。あなただって自分のやっていることに違和感があるでしょ」と話しかけたのです。つまり、彼女たちも本当のところは何が大事かということをわかっているのです。しかし、公の場では心にもないことを言う。男も女も役割は同じだというのは、子どもの心理や人間の脳や体の構造も無視した、人間不在の観念的空想的な議論なのです。 ――男女共同参画社会は、十九世紀のフランスの空想的社会主義者シャルル・フーリエが提唱し、マルクス、エンゲルスが継承し、レーニンが現実に政策化したが失敗し、スターリンが撤回した政策と指摘されています。なぜ、そんなものを二十一世紀を迎えた日本で推し進めようとしているのですか。 それはもう狂信的としか言いようがない。だからカルトだと言っているのです。ちなみにエンゲルスの著書『イギリスにおける労働者階級の状態』には女性が社会進出すると家庭がどうなるかが描かれています。そこには、「女性の労働は家庭を完全に崩壊させる」だとか、「働く母親たちはいきおい、子どもを投げやりにし、わが子を他人の子どものように愛もなく思いやりも持たず取り扱わざるを得ない。こうした環境に育った子どもたちは、年を経ると家族とは縁もゆかりもなくなって、自分で家庭をつくってもその中で温かな雰囲気を感じない。それは彼らがひとりぼっちの生活しか知らないからである…」とあります。 女性の社会進出が実は、家庭崩壊につながるとマルクスもエンゲルスもよく知っていた。ただ、彼らは、それを望ましいことと考え、今ある家庭を崩壊させ、次の新たな人的共同体ができると期待していたわけです。「男女共同参画」を推進しようとしている人たちも同じ発想にあるようです。 ――偏った思想の法案などが、審議会委員の中のフェミニストたちによってその原型が作られているとのことです。そういう人選をする官僚に問題があります。 省庁再編で内閣府となった旧総理府は、官僚の間でも「日共(日本共産党)の巣窟」といわれています。内閣府の中に、男女共同参画局が設置され、そこから男女共同参画の政策が次々に出されています。厚生労働省もかなり怪しい。平成十年度の少子化特集が組まれた厚生白書は、フェミニズム一色でした。法務省の民事局も怪しい。 ですから、政治家が、自分たちがやろうとしている政策の正体をキチンと見ないといけない。地方でも男女共同参画に関しての条例作りが進められていますが、中央省庁から出向している女性の副知事がこの問題に積極的です。山口県、宮城県などがそうです。静岡県でも、一部の県職員と組んで強引に押し通そうとして問題になっています。 ――小泉首相も、男女共同参画社会の推進に熱心です。 政府も地方行政も、「審議会政治」に毒されています。政治家は自分の頭で考えず、審議会にお任せし、答申を丸のみする。しかし、審議会の中にどういう人物が入っているのか。広島県の男女共同参画に関しての審議会には、堂々と新日本婦人の会の肩書で入っている共産党系の人までいます。 国民の全体から見ればごくわずかの特定の政治的な背景を持った人たちの意見が条例などに反映され、社会制度や慣行についてまでも、「これは遅れている発想であり、改めなければならない」と考えを押しつけてくる。保守政党を自任する自民党が政権を取っていながら、実は、特定の問題では審議会は左翼陣営に完全に乗っ取られていると言って過言ではありません。 ――広島で行政が意識調査をして、大安や仏滅などを気にする人を閉鎖的、気にしない人を進歩的と決めつけていて、国民の意識に対して優劣をつけるのは問題だと思い取材しましたら,解放同盟系の団体に分析を委託していることがわかりました。同様のことを国家次元で推進しようとしているように見えます。 そうです。男女共同参画に関しても、左翼系のシンクタンクがあり、そこがすべておぜん立てをして条例の素案やアンケートなどをやっているように見えます。そうでなければ、各地方自治体のものがみな同じであることの説明がつきません。一時、問題となった東京都の平和祈念館やピース大阪などの展示内容も、それを下請けをしている会社がありました。同様に、商売とし、政治運動の一環としてジェンダー・フリーを推進している組織があると私は見ています。 ――木村治美・共立女子大学教授に取材した際、男女共同参画をテーマに地方自治体から講演依頼がよく舞い込むが、そのテーマは苦手なので自分の家族の体験や思いを話すことなら可能で、それでもいいか、と聞くと、依頼者もそういう話がいい、と言うのです。どうも、常識的な感覚と男女共同参画の思想に、ギャップがあります。 違和感があっても、それを正面切って言えない雰囲気がつくられています。思想統制です。そして、その中で政策がどんどん進められている。だいたい、各家庭において夫の役割、妻の役割がどうあるべきかということについては放っておいてほしい問題です。行政が個人の思想信条にまで干渉するのは明らかに行き過ぎです。 ――少子化対策も、フェミニストに利用されている、ということですが。 フェミニストは、女性の仕事と家事・育児が両立できない社会だから、少子化になるのだと主張します。つまり女性の多くは働き続けたいと思っている。子どもを持つと働き続けられないと思うから子どもを産まないのだ。育児が仕事の負担にならないよう保育園などが完備されれば子どもを産もうとする女性は増えるだろう、という論法です。 しかし、これは女性を家庭から駆り出し、社会で労働させるための口実でしかない。少子化を利用しているのです。実際には現在でも、子どもが生まれたら自分の手で育てたい、と考えている女性の方が数としては多い。むしろ、高学歴の女性の方が、そういう希望が強いとも言える。 本来、政府がすべきことはフェミニストの口車に乗って保育園を建設したり、休日保育、夜間保育を充実させることではなく、そのような多くの女性たちの思いを酌みとって、社会全体が若い母親たちをサポートしつつ、彼女たちが育児に専念できるような社会システムをつくることでなければならないと思います。 フェミニストは、ジェンダー・フリー社会にならないと子どもが産めない、と脅迫してきますが、ジェンダー・フリーこそが少子化を促進しているのです。問題は女性が子どもを産もうという意識です。ジェンダー・フリーは、女性から女らしさや母性を奪うということですから、少子化が進むのは当然です。話があべこべなのです。 |
スズキさん
●管理人さん
>本日、東京都教育庁指導部から「教師のための男女平等セミナー」開
>催の通知がきました。
来ましたねえ。いい加減にしてくれって感じですね。
今年度に入って、ウチの役所ではますます「三角」関係は元気です。セミナーの外にもいろいろ恥ずかしいことをやってるのですが、あまりのトンデモぶりにいつも笑いをこらえるのに必死です。
そのトンデモさ加減はまた追ってご報告いたしたいと思います
小人閑居さん
●小浜逸郎氏ばかりでなく、林道義・八木秀次・長谷川三千子の各氏などからフェミニズムやジェンダーフリーに対する批判が寄せられているにもかかわらず、これに対してフェミの方々は「右翼」「反動」などと口汚くののしる程度で、まともな反論をしているのを見たことがありません。私もここでいろいろ書いても、「彼ら」の反応が帰ってこないのにやりきれなさを感じています。
いっそ朝ナマでこのテーマを取り上げてもらって、視聴者の反応を見れば面白いかもしれませんね。
管理人
●>『桃太郎』は「おじいさんが山へしばかりにおばあさんが川へ洗濯に」だから悪い、と文句をつけている
これ本当ですか。許せませんね。「どろんこ遊び」も「夕鶴」もダメ。今度は「桃太郎」ですか。やはり、真の狙いは文化や伝統の断絶にあるような気がしてなりませんね
スズキさん
●本当ですよ。紛れもなく。
彼等はこういうのを「おかしなかたより」と命名して、「おじいさんが川へ洗濯へ、おばあさんが山へしばかりに・・・」だと変だと感じる我々の感性がなによりおかしなかたよりを持っているんだとするのです。こういう昔話を子供に聞かせることが性別役割分業意識を小さい頃から刷り込む原因になっているんだというのです。
やれやれ、よくこんなことが思いつくなあとつくづく思いますが。これらが「文化破壊だ」と指摘すると「いやジェンダーに敏感になろうというだけだ」と逃げます。ですが管理人さんも前に明石書店の本に出ていたので紹介されたように、結局は自分達の価値観に基づく話を教えたい、そのためにまず、古いしきたりや伝統を否定したい、という企みがあることは明かです。
それに「桃太郎」のみが標的にされているわけではなく、「昔話にはこういった性別役割分業意識を助長する思想が含まれていることが多い」とし、昔話そのものを否定し、結局は子供に語って聞かせないようにしろと言っているのです。
あまりの傲慢さに寒々とした気になってきます。
「ジェン子がゆく」 byスズキさん
●以前に管理人さんが作られた「フェミおばさんがゆく」に影響されて私もお笑い草に作ってみました。お暇な方は読んでください。
「ジェン子がゆく」です。
大切なのは個性なのよ。全部個性を認めない社会のせいよ。ジェンダー・フリーじゃない社会だから私がこんな目に会うのよ!
今日も通勤の電車の中で知らない男がじろじろいやらしい目で私を見てたわ。まさにこれこそ、女を道具としか見れないジェンダーに囚われた考えが依然として根深いからよ!そういう風に女性を見るのは広義のレイプに他ならないのに!何?お前がそそらせる様な格好してるからだろですって?何を言ってるのよ!そういう考えが女性に泣き寝入りさせる根本的な原因になっているのよ。どんな格好しようがこれが私の個性なのよ!「個性」を認め合わない社会だからそういうセクハラの問題も起きるのよ!
え?私にお茶くみをしろですって?きーーー!私はそんなことをするために就職したんじゃないわよ!差別よ!女性差別だわ。女性をこんなお茶くみなんていう低級な仕事に従事させることによって男性優位の社会を作ろうとする、男社会の陰謀に違いないわ!もっと女性を雇用して、社会保険も労災も退職金も完備した条件にしないと個性を発揮できないでしょう。
それに何?この仕事は?なんでこんな雑用とクライアントの苦情対応ばかりしなきゃいけないの?私にはもっと個性を発揮できる創造的でクリエイティブで豊かな感性を発揮できる仕事をさせるべきなのに、こんな雑用の汚れ仕事に追いやるなんて、これこそ性差別よ!私が女であるというだけで受けている不利益に他ならないわ!もっと会社は女性に地位と名誉と生活の安定とやりがいのある仕事を保証しなきゃ女性の能力を認めたことにならないのよ!
何?私のこと30過ぎてもまだ独身だって陰口言ってる奴がいるわ。これこそ女性を家に縛り付けようとする個性を尊重しない古臭い考え方なのに。家庭に向く人もいれば向かない人もいるでしょうに。私はこんな思想に負けないで好き放題生きるのよ。
さて、仕事も終わったし帰りましょう。
私は自分の個性を尊重するから、他のアホな男性社員みたいに「男は仕事に生きる」みたいな古臭いジェンダー意識に囚われて残業しようなんて考えないのよ。そんな会社に尽くそうなんて考えてないで、自分の個性を大切にして自由に生きればいいのに。「男だからがんばる」なんて考えてモーレツに働くサラリーマンこそジェンダー意識の被害者なのにねえ。
今日も自分の個性を大切にする私は、いつものホストクラブに行ってお気に入りの彼にアタックするのよ。何?!「あの女は夜遊びばかりしている」ですって?きーーーー!これこそ、ジェンダーの悪しき風潮よ。女は夜遊びしてはいけないものだなんていう根深い意識が社会に浸透しているからこういうことを言われるのよ!
法律上は男女平等が実現されたといっても、まだまだ、社会の中には男尊女卑思想が深く入りこんでいるわ。深く浸透しているのは社会に当たり前のようにして存在する「常識」がそういう意識を植え付けているからに違いない。「常識」は覆す必要がある。「常識」を変えるにはまず、「教育」を正さなければならない。教育現場において当たり前のように行われている仕組み(男女別名簿、「くん」や「さん」などの呼び名の違い等)は当然改めなければならない。また、幼い頃から繰り返し聞かされる昔話やおとぎ話にもジェンダーを形成する悪しき思想が巧妙に織り込まれている。これらはあまりにも巧妙すぎてどこからどこまでが悪いということはできない。言うなればほとんど全ての部分に害毒となる思想が注入されている。それならば古典と呼ばれるものは全て悪と見なすべきであろう。「源氏物語」「竹取物語」は女性の劣位を語ったもので言うに及ばず、漢文のなかにも儒教的な封建思想が含まれているから今後教えるべきではない。芥川竜之介や夏目漱石であっても、ジェンダー意識が当たり前であった時代の作家だから知らず知らずの内に男尊女卑思想を織り込んでいるに違いない。歴史は平和憲法の大切さだけを教えるものにすれば良い。それ以前の歴史は女性や弱者を虐げていただけの野蛮な時代で学ぶべきところなど何もない。いかに平和憲法が大切で、個人の人権をこれからも最大限認めて行かなくてはいけないことをのみ教えれば良いのです。過去の歴史を評価することは男尊女卑の世の中に逆もどりすることを意味します。
そんな風ではイヤです。「人権」の名の元に私のワガママを最大限聞いてくれるこんな世の中じゃなくちゃ居られないんです。
管理人
●いや〜、「ジェン子がゆく」は面白いですね。傑作ですよ。この問題に詳しいスズキさんだけあって、彼らの本質を見事に捉えていると思います。今度、フェミおばさんとジェン子という強烈キャラを使ってパロデイ小説でも書いてみようかな。このネタとっておこうっと……。(^。^)
それにしても「おかしなかたより」などという捉え方があるとは正直言って驚きです。気にいらない文化や伝統はすべて抹殺して、自分達の都合のいい文化だけを与えようとするのは「焚書坑儒」そのものじゃないですか。聞けば聞くほどファッショな運動だということがわかりますね。ぜひ、このことを広く世間の人に知らせたいものです。
小人閑居さん
●昨日ぼんやりとテレビを見ていると、NHKで「中学生日記」という番組をやっていました。しかしこいつが「私の中の異性」というテーマで、学ランを着て登校する女の子の話なんですが、その子は教師にとがめられると、一言「個性です」と言い放ちました。その一言で胸くそが悪くなったのですぐ「サザエさん」に変えましたが、結局どういうオチだったんだろう、誰かビデオにとった人いないかな…とは思っています。(ここに来ておられる方にはおられないでしょうが。)
確かにいわゆる「性同一性障害」の人の中には制服を着るのが苦痛で不登校になる人もいる…などという話を聞くと気の毒だとは思いますが、だとしても「個性です」とはなんたる言い草か、だったら授業を聞かないのも先生に反抗するのも学校をサボるのも「個性」なのかよと思ってしまいました。
私は「個性」というものは、むしろ抑圧され、叩かれることを通して鍛えられるものだと考えています。「自分の思い通りに生きられない」などという悩みはどんな人でもかかえているものですが、人間、とくに思春期の若者というものはそのような現実と戦うことを通して「自分」とはどのような存在かということを知り、自分の生きる道を見つけ、人格を鍛えていくものなのです。確かに、性同一性障害の場合はその「自分の思い通りに生きられない」という苦悩が他人とはけた違いに大きいわけで(性別再指定手術を受けても、それで完全に自分の望む性別の通りになれるわけではなく、実際に手術後後悔して自殺するケースもあるらしい)、おいそれとそういうことを言っていいのかという気もしますが…。
そもそも、ジェンダーフリーだの個性尊重だのという人たちは、「個性」というものは無条件にすばらしいものであって、それを世の中の悪しき常識や慣行がだめにするとでも思っておられるようですが、つまらない個性やろくでもない個性だってあるのにねえ。
あとあえて言っておくと、私は学校というものは「およげ! たいやきくん」の歌のように、人間を鋳型にはめるためのシステムだと思っています。「学校は子どもの個性を殺し、画一的な人間をつくるなどとのたまう輩には、「ではああなたは焦げて真っ黒になったタイヤキやあんこの入ってない皮だけのタイヤキを食べる気になりますか」とでも言っておきますか。
管理人
●仰るように彼らは個性を絶対視して、個性を「伸ばすべき個性」と「矯正されるべき個性」とに分けるという考えを、人間を都合よく価値判断するるものだとして批判しています。制服問題に関しては「自己決定権を最大限認めるべきだ」という考えから、いかに校則に違法性がなくても、それに従う必要はないとの立場をとります。女生徒がガクランを着たければ、自己決定したものだからOKというわけです。法的にも校則を守らないことによって処分するのは問題があるとされており(そういうケースがないので判例はありませんが)処分の対象とならない以上、自己決定を認めろというのです。もちろん、ルールを守ろうという遵法意識や校則の社会通念上の拘束性などは無視するわけですから、その社会の秩序や規範は崩れていきますが、個がもっとも大切という立場を取る以上、そんなことはどうでもいいのでしょう。
じゅんさん
●ジェン子にも大笑いしてしまいました。ウルトラの母さんにも同感してしまいました。我が家の若い衆達を見ていると(ちびっこギャング)小学校でも、誰に対しても『〜さん』で呼び担任の先生が変わって、(怒られる時に)呼びつけにしただけで緊急保護者会が開かれたほどでした。えっ、それってなんかやりすぎ…て感じたのは、私だけでしょうか…?!
正論読者さん
●早速ですが、小生のジェンダーフリーなる最近の動きへの感想を述べさせていただきます。
そもそも、我国でのこの種の動きの発端は、70年代に流行ったウーマンリブ運動だったような気がするのですが如何でしょうか。
アメリカからやってきたウーマンリブ旋風が一時期かなり取り上げられ「両性の本質的平等」を「何でも男女同質」とはき違えた議論が喧しかった気がします。例えば、覚えておられる方もおいでになるでしょうが、食品のテレビCM、「私作る人、ボク食べる人」を女性がいつも料理を作ることを決め付ける差別だ、また、歌謡曲にあった(題名はもう忘れましたが)「エプロン姿がよく似合う。。」を女性蔑視だといって槍玉に挙げていたのを覚えています。その意味では、この頃から現在に続く言葉狩りが横行していたわけです。
しかしh、結局のところ、これらはごくごく普通に考えて女性が手がけることの多い事象について、それをそのまま男性もやるべきだ、エプロンを男性が家庭で掛ければご満悦、といった稚拙な又ある意味でご愛嬌的な要素が強かったと思います。当時はまだ社会主義幻想が華やかなりし時代でしたが、その意味ではサヨクたちも必ずしも彼女たち運動家に表だって接近する必要はなかったためか、あまり政治的なにおいは感じませんでした。
昨今のジェンダーに関する運動を見ていると、この点が異なります。つまり既に表舞台では敗北したサヨクが、いろいろ入り込みを強めているような気がしてなりません。相変わらずの言葉狩りもさることながら、夫婦別姓や戸籍制度の廃止など、我国の伝統・文化の根本的な否定にもつながる運動を煽ることで、彼らの思想の具体化をもくろむ意図が見えるのです。例えば、夫婦別姓ですが、これを推進しようとしている人々の理由に挙げられている、「旧姓で名前が通っているのに変えるのは仕事上で不利益」からはじまり「運転免許の名前が変わって面倒」に至るまで、どう考えても普通の一般大衆(女性)大多数が早急に変革を切望する内容とは思えません。また、彼らは明らかなごまかし(あるいは認識不足)をもその主張にすり込んでいます。
例えば、「お隣の中国等でも夫婦別姓です。これは世界の潮流です。」という論調です。ご存知の方も多いとは思いますが、男尊女卑、家族主義の強い旧中国では、清朝以前もずっと夫婦別姓です。あくまで夫の姓のみが子孫として承継され女性は実家の姓を通すわけで、いわば子を産む道具として女性を娶り子孫繁栄をはかる考え方です。
このような明らかなミスリードをおかしてまで別姓を推進させようという動きは、やはりこの裏にあるサヨクたちの「革命思想」が見え隠れしてなりません。その意味では、日本の家庭崩壊から社会混乱、体制打倒
をももくろむもので大変憂慮しなければならないものであると感じております。
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管理人
●フェミニズムの仮面をかぶったマルクス主義 (世界日報より)
背後にあるフェミニストの「嫉妬」
国やぶれて崩壊した家族が残るロシアの教訓
人智放擲する「らしさ」の否定
ジェンダーフリー思想が露わに
Q
しかし、専業主婦が家庭の中のいわば「奴隷」であるかのような言い回しは、それこそ「人権侵害」にあたるのではないでしょうか。
A
いわゆるプロレタリアート、つまり低所得の労働者層からするなら、家庭を持っても共働きをするのが当然だ、あるいはそうしないと生活が営めない、という事情があります。農家などの自営業は特にその傾向があります。それは確かに、農耕が基幹産業だった時代には当てはまったかもしれません。
専業主婦という「仕事」は、本来マルクスの「労働価値説」から言っても、家事や育児など、「重労働」であるはずです。でも、それを「賃金がもらえない」からといって、主婦が「抑圧されている」ことにはならないでしょう。それはひとえに「家庭を守る愛情」が根底にあるからです。契約とか労使階級といった次元の話ではありえません。全く別方向の価値基準なのです。
『父性の復権』『母性の復権』などで知られるユング学者の林道義東京女子大教授は、前掲の『国を売る人びと』(PHP研究所)の中で、「フェミニストが敵と考えているのが《母性》と《家族》です。なぜその両者を否定するかというと、フェミニズムは《外で働く女性》のイデオロギーだからです」と言っており、その根底にあるのは、たとえばフェミニストが税制での「配偶者控除」や年金制度での保険料徴収などで専業主婦に対して「不公平」「不平等」だと叫んでいるのは、まさに専業主婦に対する「嫉妬」にほかならない、と看破しています。
ですから、「ジェンダーフリー」の発想というのは、「性差」をなくすということですから、「男らしさ」「女らしさ」という「区別」すらなくそうというものです。でも「らしさ」という範疇は、それ自体あくまで「区別」であって、決して「差別」ではないのです。
前掲書の中で、渡部昇一上智大教授は、「ジェンダーというのは社会的文化的につくられた性差を指していますね。それをフリーにするということは、実は人間の知恵を放擲(ほうてき)するのと同じだと私は思います」と述べています。
ほうてき はう― 【放擲・抛擲】
(名)スル ほうってしまうこと。うちすてること。「地位も名誉も―して隠棲する」
マルクス主義家族観がもたらす失敗
このように、エンゲルスの『家族・私有財産・国歌の起源』に述べられた内容やフェミニストの言っている内容を実行に移したと言えるのが、まさに共産主義体制です。
ここに、旧ソ連体制下のロシア社会で、「家族」というものがどう扱われてきたかを示した、ユーリ・オシピアン博士(ロシア連邦軍縮局長)の興味深い報告があります。
「ソビエト連邦という社会主義社会の中で、プロパガンダにより《高いステータス》を与えられたはずの家庭が、実態としてはいかに不幸な状況におかれていたかを検証することは、将来の世界に貴重な教訓を与える」として、大きく三つの観点から論じています。
「第一に、正統的なマルクス・レーニン主義では、社会が革命的社会主義へ移行していく上で、家族は最も反動的な社会制度。特に、女性は《家庭の奴隷》状態から解放されて社会的生産活動に参加しなければならない。それが女性に《真の社会的平等》を保証するとされた。だがこの理論を実践した結果、女性は実質的に家庭と産業界という双方での役割を求められ、遙かに過酷な《奴隷状態》に置かれた。しかも、夫婦が働いて帰っても家庭には、経済的非効率から基本的な生活物資が不足。これら環境は、より本質的問題として家族間の調和に影響し、社会の基礎単位としての家庭を文字通り破壊した」
(世界平和会議99より)
Aこうした環境の下、子供たちは成長の最も重要な時期の人間性教育が阻害され、社会主義的な人間観のドグマがそれに拍車をかけた。20年代、共産党指導者ブハーリンは《両親には自分の子を育てる権利はない》とまで言った。国家が子供の《管理者》だという思想は、子を早い時期に《社会主義化》するため、家庭よりも学校を教育の基本的機関として重視。国家教育は次世代を《共産主義理想への献身的な帰依者》に養成した結果、スターリン時代に何百万人の親たちが自分の子供に《国家の敵》として告発され、KGBに引き渡された。このような《社会主義的発展》のための《社会的遺伝子工学》による教育の後遺症は、自由民主主義を目指している今日のロシア社会に重大な心理的障害となった。
Bポスト・ソ連時代のロシアは、国連『児童権利宣言』に示された民主主義社会における家庭の理想と、現実の家庭が直面している経済的環境との間の極端な矛盾に苦しむ。社会主義経済の崩壊の影響と近年の金融危機は、社会保障制度の不備と相まって、教育環境にも深刻な状況をもたらしている」(99年世界平和会議・世界平和連合分科会の基調講演から)
森さん
●神戸の森です。
本日、とあることで「性差にとらわれない素敵な人になる!−早期ジェンダー教育の可能性を探る−」という冊子を見ました。
「0才からのジェンダー教育実行委員会事務局」発行とあり、一瞥した時は「ああ、またどっかの左翼がやってるんだな」と思ったが、その住所を見てビックリ「兵庫県立嬉野台生涯教育センター内(〒673−1415加東郡社町下組め227−18
TEL:0795−44−0711 FAX:0794−44−1185)」となっているではないか。こんなことに税金が使われているのだ。
それで良く見てみると「平成12年度文部科学省委嘱事業実施報告書」とあり冊子の「はじめに」の部分には、
本年度兵庫県立嬉野台生涯教育センターでは、文部科学省の女性教育関係委嘱事業「0才からのジェンダー教育推進事業」を受けるに当たり、「0才からのジェンダー教育実行委員会事務局」を設置し、準備を進めてまいりました。
とあり文部科学省の事業として行われているのである。
そして平成13年3月5日に0才からのジェンダー教育セミナ−というものが開かれ、その報告書としてこの冊子が作られ、全県下の保育所・幼稚園に配られている模様である。
「0才からのジェンダー教育セミナ−」の趣旨にはこう謳われている
子育て支援関係者が集い、子どもの成長過程で「ジェンダー文化」の”すりこみ”が行われている現状を認識し、親達がジェンダーに敏感な視点を持つことの必要性を理解するとともに、早期ジェンダー教育の可能性を探る。
文部科学省や県の推進事業としてこの冊子が紹介され配られれば現場ではこのような方針に基づいて教育がなされるのでは無いか?このような「実験的」なもの実施させるような圧力をかけることが何故許されるのか?
恐らく、文部科学省の事業だとすると全国的にこのようなことが行われている可能性があります。
この冊子の内容をざっと目次だけ掲載すると
1.はじめに
2.0才からのジェンダー教育セミナ− (報告)
(1)レクチャー
講演「お−い父親」−東京大学大学院教育学研究科助教授
汐見稔幸)
緊急レポート
「親のジェンダー意識−地域社会の女性と男性をとりまく環境に関するアンケート結果(概要)より」
県立姫路工業大学 勝木洋子
(2)ワークショップ(一覧)
・ワーク1 男も女も作られる
・ワーク2 これからの保育はどうする
・ワーク3 男と女の家庭科新時代
・ワーク4 ジェンダーフリーの表現ガイドライン
・ワーク5 家庭のイメージに穴を空けよう
・ワーク6 ジェンダーってなに?
(3)実行委員会からのメッセージ(三輪昌子)
(4)セミナーの評価
3.地域社会の女性と男性をとりまく環境に関するアンケート結果
4.0才からのジェンダー教育学習シート
5.研究の成果と課題
6.資料編
(1)0才からのジェンダー教育実行委員会設置要領
(2)教育実行委員会組織の概要とその経緯等
(3)地域社会の女性と男性をとりまく環境に関するアンケート
(4)参考図書
7.実行委員会委員一覧
8.子育てジェンダー企画委員会委員一覧
結局、この実行委員会がいうのは「子どもの成長過程でジェンダーのすりこみが行われていてそれを解消するために早期教育をしなければならない」というのが最初から結論としてあり、その思想を押し付けようとする試みである。このような押し付けを公費でするのは、明らかに人権侵害であることを認識しなければならないと思う。
正論読者さん
●スズキさんの書き込み、いつも感心し、また笑って拝読しております。
おっしゃるとおり、本当にどうして(いつの間にやら)このような思想が自治体の行政レベルまで入ってきてしまったのか、私も自問自答した
ことがあります。
現在の民主主義社会では、基本的に民意こそが尊重され、国や自治体の行政も教育にしてもいわば多くの国民の意思としての要望や請願が立法や行政を動かし政策実現に向かうのが当然の姿のはずです。(ちょっと話が大きく偉そうですが。。)例えば、昨今の凶悪な少年犯罪によるいたましい犠牲者のニュースから少年法の問題がクローズアップされているのもそうですし、司法改革にしても、公選制や金融政策にしても、まずは現行制度や法体系の不備欠陥が指摘され、それが国政や地方自治のレベルで議論整備されていくのが普通ですね。ところが、このジェンダーフリーなる動きだけは、降ってわいたといいますか、いつの間にやら突然基本法ができたり、また国民・住民の税金で共同参画担当部課を作りお金をかけたパンフまで出しています。もうスズキ様はじめみなさんが論破されているように、ごく普通の一般人でこのジェンダーフリーが実現されなければ困ってしまう人などまず皆無といっていいでしょう。まさに、このジェンダーフリーの動きは異様であり、小生をも含め皆様ご指摘のように、特定の政治思想目的を持つ少数の人間がこれを利用し支援している結果だと思います。
では、なぜ本来ごく一部かつ特異であるはずの考え方がいつの間にやら行政にまで入り込んでしまったのか。
ご批判を受けるかもしれない私見ですが、私は以下の二点を挙げたいと存じます。
まず第一は、実際に政治に携わる人々にとってこんなに容易に成果をあげることのできるプロジェクトはない、ということです。国政・地方自治を問わず通常何らかの政策決定をするには、日本的な事前の根回しからはじまり多数派として支持をとりつけ最終決定へもっていくまでの苦労は並大抵ではないでしょう。しかるに、このジェンダーに関する内容であれば、ほとんど誰の反対もなく即決定し、進んだよいことをしたとして成果となるわけです。この運動の本質や影響をほとんど考えることなく、これを推進すれば女性層の支持が得られ人気が出るから、といった安易な観点から無批判に受け入れてしまっているのです。
その意味で、特に男性政治家の責任は重大といえます。
第二は、既に皆様の議論の的となっているサヨクの暗躍です。二十世紀において最も多くの人命を奪う惨禍となった共産主義思想は、既にその敗北という形で基本的な決着がつきました。しかし、特に我国ではいわゆる団塊の世代(ここにお集まりの同年代の方々、申し訳ございません。。)=全共闘世代を中心に未だにそのイデオロギーから抜け出ることのできない人々がまだかなり存在しており、また彼らはまさに現代日本のあらゆる分野で指導的立場についています。(このあたりは、小林よしのり氏なども指摘しておられますね。)彼らの「革命」実現への身近なステップとして、夫婦別姓の議論や言葉狩りをはじめとするジェンダーフリーの主張は絶好の隠れ蓑であり、また支持者をとりつけるの格好の題材であるわけです。彼らは本来女性一般の味方でもなんでもなく、高度に政治的な目的からこの動きを支援推進させているのです。話はいささかそれますが、例えば、先月下旬放送された例の朝ナマ教科書討論会においてもしかりです。反対派として登場の上杉氏などは、新しい歴史教科書にある徳川将軍に関する記述について、40人の「妾」を持つという表現は女性差別だからケシカランとまたまた幼稚な言葉狩りをしていました。もちろん、彼自身の目的は、「妾」はダメで「側室」ならかまわないと揚げ足を取って扶桑社教科書を何が何でも引きずりおろしたいのであり、この類の攻撃の仕方・陰湿さはサヨクに共通のものがあります。ジェンダーフリーなどというトンデモ思想の実現が我国社会や体制、生活文化にどのような影響や結果をもたらすかという本質をひた隠しにして、「男女平等」というオブラートで包み込み、国民を彼らの理想実現のモルモット扱いするやり方は断じて許してはならないと思います。
小人閑居さん
●ここでとっておきの言論を紹介しましょう。『「弱者」という呪縛』(小浜逸郎・櫻田淳著、PHP研究所)よりの引用です。
小浜(前略)フェミニズムというのは、自分達の恨みつらみを正当化するために、自らをマイノリティと規定するわけです。なぜマイノリティとして規定したがるかと言えば、他に差別されているマイノリティと連帯感情を作り、自分達の要求を通すための補強にしていこうという意図があるわけです。男女差別(もしあるなら)と他の差別と異なっているのは、数の上でも同数だからマイノリティじゃないトいうこともありますが、重要なことは、男女の関係というものが、男女の差異を基盤にして初めて成り立つところにある、という点です。男女の差異を自覚することによってこそ良い関係が成り立つ。そうした関係は、他の差別、被差別の関係にはあり得ないわけです。
−−差別されているいないという以前に、原体験のなかで、すでに女性性に対して怨念を持ってしまった。トラウマがあった。そういうことですか。
櫻田 そうです。だからフェミニストたちから蛇蝎のごとく嫌われているのが、ミス・コンテストですね。しかし、自分の容姿や要望に自信がある女性にとっては、ミス・コンテストは、女性が周りから評価され、社会的に成り上がっていく機会だという言い方も、できるわけです。それが、なぜ、いけないのですか。また、私には、いろいろと活躍している女性の友人がいますが、一流の仕事をしているじょせいたちほど、自らの女性性というものを伸びやかに打ち出しています。私はこういう女性たちがすきですけどね。(中略)
私には、フェミニズムの世界に身を置く人々というのは、二流、三流の仕事しかできない人々であって、そのことを隠蔽するために「女性差別」という隠れ蓑を使っているようにしか見えないわけです。(後略)
(太字は引用者)
まさにこれぞ世間の常識というものでしょう。
この本、もっと引用したい箇所(たとえば、「寺脇氏はいっぺん高校の底辺校の教師をやってほしい。そしたら全員百点をとるなんてことがいかに馬鹿げた空想かすぐわかるから」とか)があるのですが、詳しくは本を御覧になって下さい。
小人閑居さん
●しかしあの人たち、スウェーデンのことを「ほんとに暮らしやすい社会」などと賛美していますが、人間を縛っている規範とかモラルとかいうものを取っぱらって「個人の自由」に任せたらそりゃ暮らしやすくはなるでしょう。しかしその結果どんな社会になるかということまでは頭が回らないんでしょうかね。そもそも今の日本のような国を「暮らしにくい」なんて言ったらバチが当たるんじゃないかと思うんですが。
あと、これは正論読者さんやスズキさんの書き込みとも関連しますが、一部には「建設業や運輸業など、これまで男性の職場と見られていた領域にも女性が進出している」ということを男女平等として歓迎する向きがありますが、ほんとにこういう仕事に就きたいと思っている女性がどれだけいるんでしょうか。どうも「ウチの会社は機会均等法に基づいて男女平等を進めてますよ」というポーズとしか思えないのですが。太田房江氏の大阪府知事就任で再燃した「土俵に女性が上がれない」という問題にしたって、女性の生活には何の関係もないことだし。こういうことをあげつらっていること自体、これらの運動が大方の女性の要求ともかけ離れていることを示しているように思えてならないのですが。
しかしやはり最高傑作は「ミスコンに反対する女性はブスばっかり」という書き込みに対する以下の返答でしょう。
>見方が狭いんだよな〜。私の知り合いの女性でミスコンに反対する方々は美人ばかりですよ。
>彼女たちが主張しているのは、公共の団体が税金をつかってミスコンをするのに反対なだけで、民間の営利団体がミスコンをやるなとは言っていないはずです。
いわゆる「フェ理屈」のなかでも、ここまでけったいなのは初めてです。おそらくあの人たちは、国語教科書の読み物にいちゃもんをつけていることに対しても、批判されたら「国語の教材はいやおうなしに読まされる。世間一般のメディアまでそうしろとは言っていない」などと言って逃げる気なのでしょう。(でもCMや少女マンガにまでいちゃもんをつけてたんじゃないか?)
正論読者さん
●話題となっているジェンダーの件ですが、ご指摘の通り、運輸業や建設現場で働けるから喜んでいる女性などほとんどいないと思います。私の知人のまた知人にトラック運転手をやっていた女性がいます。彼女の場合、もともと車を運転する機会が多く不況で就職先がなく結局給料のいいこの職種を選んだそうですが、あるとき彼女は私の知人と会った折にわざわざ写真館で撮ったかわいいドレス姿の自分の写真を見せたそうです。人に会うときはいつもその写真を持っているとも言っていたとのこと。私はこの話を聞いてなぜ彼女がそれを持ち歩いているか理由を考えるとともにいま一部で叫ばれているこのジェンダーフリーのトンデモなさを実感しました。他の方々もご指摘の通り、つまりは女性も男性と全く同様に様々な職域や趣向に魅力を感じているはずだ、そういう要求が当然なければならない。。という恐ろしいほどの偏見から出発しているわけです。
人道上の見地から、過酷な労働条件や危険な仕事から女性や年少者を守るために整備された様々な法律や規制をぶち壊してしまい、どんな分野へでも女性を参加させよと強制することこそ、結果として女性の人権を踏みにじる行為だと考えます。
スズキさん
●第2弾作ってみました。ジェン子の活躍にご期待あれ。
「ジェン子対ミスコンの巻」
―ミスコンテスト開催のお知らせ
健康美あふれる女性大募集!!
応募資格:18才以上28才未満の未婚女性
主催:三角通り商店街―
きーーーー。ミスコンですってーーーー!!
差別よ!差別!若い女ばかりを優遇する差別制度よ!
この28才未満ってなによー、それ以上は女じゃないっていうのー!?
(ジェン子は30代半ば未婚、いわゆるオールド・ミス)
健康美だとかなんとか言って、要は女性を性の対象としかみていないってことじゃないのよー!女性を美人だとか若いとか、そういう一面的にしか見ないことは、それぞれの多様な個性を認めない社会を作ることに繋がるじゃないのよ!悔しかったら、エステに何百万も使いこむ私の努力と個性を認めなさいよ。ミスコンをやったら、こんな素晴らしい私の個性は認められずに、イイ男の目が全部若くて少々私より外見だけが取り柄の女どもの方に行っちゃうじゃないのよ!そうなったらどうしてくれるの!
それになによ、三角通り商店街っていったら役所から補助とかもらってる団体じゃない。そんな団体がミスコンやっていいなんて、誰が決めたのよ!公のお金がそんな一部の女を賞賛するために使われるなんて、税金の不正支出も甚だしいわよ!役所はこんな差別を容認して何やってんのよ!行政は一切の差別を無くするために死に物狂いで私達真面目な納税者のためにチェックしなきゃだめでしょう。
これだから日本の行政は遅れてると言われるのよ。スウェーデンを見なさい、アメリカやフランスを見習いなさい。日本と違って(多分)きっと素晴らしい社会なんだから!
とにかく、ミスコンみたいな女を男の性奴隷にすることを助長し、一部の女が多数の男にちやほやされることを勧めるようなイベントはとにかく差別だからダメなのよ!何が差別って、私がイヤな気分になれば差別なのよ!
とにかく男はもっと個性輝く私達にこそチヤホヤしなさいっつうの!
でもブ男と貧乏な男はノーサンキューよ。
小人閑居さん
●スズキさん、「ジェン子がゆく2」、面白く拝読しました。しかしこのジェン子はまだ笑える面もあるのですが、国立市の「学校のなかの性差別と思われる例と、わたしたちの実践」によると、「『男らしさ』『『女らしさ』を強調する言葉を思わず言ってしまうことのないよう気をつけよう」「女の子に『かわいい』等美しさが女の価値と思わせるような行動をとらない」とあります。何気なくそういうことを口にしてもいけないのでしょうか? もしそうだとしたら、こんな窮屈な空気がはりつめた中で仕事をさせられている教師が気の毒としか言いようがありませんが、ここまで来ると笑うどころか何か寒々としたものを感じますね。そもそも少し前の「入学式の服」の件といい、あの人たちは社会をいったいどういう方向に持っていこうとしているのでしょうか。
管理人
●ついに本物の「ジェン子」を発見しました。17日の東京新聞の読者投稿欄です。スズキさんのジェン子には愛嬌がありますが、こちらはちょっとトホホって感じです。
「犯罪生むのは女性差別社会」フリーライター、48歳、女性
本欄に載った「身なりに注意して被害防ごう」というご意見に対して一言申しあげたい。
女性がミニスカートをはこうと、大胆な服を着ようと女性の自由・勝手である。そのような女性に対してセクハラ的行動をしようと考える男性の方に責任があるのだ。
男性の犯罪を許すような「そういう気持を起こさせる女性の側にも責任がある」という考え方は間違っている。女性差別・女性蔑視の社会があるから男性による犯罪も起きてしまうのである。悪いのは男性側である。
しかし、そのような男性は一部しかいない。まるで男性が多くの女性に対してセクハラ的な行動を起こすというように考えるのは男性に対しても失礼というものである。
女性に「スキ」があるから犯罪が起きるのではなく、女性差別社会があるから女性を物扱いにする考えが生まれるのだ。
(引用終わり)
いや〜、突っ込みどころ満載で困ってしまいましたね〜。(笑)一つだけ言わせていただくと、男って女性の肉体を見るだけで欲情してしまうように出来てるんですよね〜。けっして物扱いしてるからじゃなくて、これって本能に属することなんですよね〜。ですから、大胆な格好をして男性の性的欲望をいたずらに刺激しておいて何かあったらセクハラだと騒ぐのはフェアじゃない気がしますよ。本当に男女が「共生」する社会を目指すなら、お互いに相手を大切にすべき(この場合は男性をいたずらに刺激させないし、男性も女性に対して嫌な行為をしないということを守るべき)じゃないですかね。
課長さんの書かれているように、彼らは自分自身が絶対的に正しい「神」だと思っているのでしょう。やれやれ・・・。
機械計算課長さん
●ジェンダーについて前に調べ始めていると書きましたが、そのきっかけを書くと、日本の仏教4巻目近世・近代と仏教と言う本、これはもともと仏教と神道の習合を調べようとして、読み始めたものですが、その本の日本新宗教の倫理思想 島薗進 の章に次のような記述が目に付いたからです。
日本の近代化の過程で,多くの国民に受容された禁欲主義的、自己規律的道徳意識に注目する考察を取り上げ、それをどう評価するかという点で、昭和50年頃を境として大きな変化が生じたことを見てきた。ただし禁欲主義的、自己規律的道徳が日本の近代化に深く関わっていたという点については、むしろその事実を強調する見方が一貫して続いてきたといえる。八十年代に入ると、日本の社会科学人文科学の世界ではフェミニズムやミシェル・フーコーによるラディカルな近代化批判の立場が有力になってくる。以下省略(262ページ)
単純にこの文章の後半の意味がわからないので、まずミシェル・フーコーの「言葉と物」から読み始めているわけで、まったく付け焼刃の状態です。
私が常駐している桃太郎というサイトで、御前♂±♀さんというHNを使っている妙齢の女性、この方は米国から欧州へ移って長い日本人女性ですが、ジェンダーへも前向きに捉えている方のようですか、この方と話をしていて、これからジェンダーを考えてゆくのに参考になりそうな点がありましたので、原作者の許可を貰って引用させてもらいます。
なおジェンダーというが社会的性で、セックスというのが生物学的性だそうですが、その区別さえわからない課長ですから、内容は興味を引きますが、判断を保留します。
課長殿が 投稿者:御前♂±♀ 投稿日:07/22
13:15 [PC]
まぁこのテのテーマはディープにつめようとすれば、コラムに移動するしかないことになるのですが、そういうカンジで御座いませう。
差別云々のこともこれには含まれるでしょうが、私のスタンスは差別の末端現象にいちいち反応するより、それがどういうしくみ(枠)で差別という具象にどうやってなっているのかを解明することで、差別の構造そのものを無力化するような作業の方が省エネ高機能だから好きです。フーコーのスゴさはここらへんにあるのだとも思います。
それはそうよね。インベーダーゲーム(古いな)じゃないけど、いくらやっつけたって差別なんて止めどなく出てくるでしょうし、末端でやるとなると結局手練手管に流れて揚げ足取られやすくなるんでしょう。それより大元の原理を解明した方が破壊力はありましょう。
>どうしてかというと日本のジェンダー思想の背景にフーコーの近代化批判の流れがあって、80年代からジェンダーの思想が日本で流れてきたようなのですが
日本のジェンダー思想の現状況はよく知らないので何とも言えないけど、私が読みかじった限りだとジェンダー学は構造主義の影響は多大ですよね。構造主義(フーコーも入れて)の魅力というのは、ある特定の現象、例えば同性愛偏見とか、がどういう社会枠のなかでどういう成り立ち方をしているかを、その枠組をズラすことで解明してゆく方法が一つあると私は思います。今まで自分が生きてきた中で自明も自明で疑問にも思わなかったことが、枠をズラしたことで実は成立しなくなるということが分かるのは、一種のエクスタシー感覚に近いものがあるように思いますね。勿論場合によっては、ショックで不愉快になることもあるけど、自分を今まで束縛していた枠組が外れて、解放感がドッカーンと広がった場合は気分最高でしょう。何しろ“浮き世のからくり”を見破れたわけですから。
で、例えば♂♀を分けるものが、性器なのか生殖機能なのか脳なのか染色体なのかで、社会的性役割(女はこういうもんだ、男はこういうもんだ、というようなアレね)とされてきたものにも次々ズレが生じてきて「何だ、何の真理も根拠もないじゃないか」ってなるということですよね、簡単に言うと。
そのへんの作業を構造主義系列ではとりわけフーコーが自分自身のゲイという性アイデンティティ意識もあってパワフルに取り組んでいるから、もしかしたら日本のジェンダー研究で「師(フーコー)のたまわく」ってなっているのではないかというのが、私の[推測その1]でした。
あ、それと私が参考で上げた「性現象論」加藤秀一著は、ジェンダー学にそれなりの興味がないとちょっとハイパーかも知れません。(すごく面白いですが)
誰でも面白く読めそうなのでは「男性学入門」伊藤公雄著なんかいいかも。勉強になるし笑えるよー!(特に♂にお勧め)
課長殿(長文になるけど) 投稿者:御前♂±♀ 投稿日:07/23
12:38 [PC]
>個人でモヤモヤ思っていただけでしたが、やはりそうなのかと得心が行きました。
でも、あくまで推測なのでそこのところは考慮して下さい。課長殿がジェンダー学のどのあたりにマルキシズムを見られているのか詳しくは分かりませんが、もう一つだけ私が思いついたことを書いておきます。
課長殿は結構調べていらっしゃるようなので、もうご存知かも知れないけれど、ジェンダー学はフェミニズムと重なる部分は当然ありますよね。19世紀に台頭した社会主義運動の中でフェミニズムは新しい展開を見せていて、これにはマルクスと共にマルキシズムを確立したエンゲルスの理論が多大に貢献しています。エンゲルスが何言ってるか大まかに言うと
「物を共同体所有していた原始社会は母系制・母権制であったが、私有財産の観念が現れてくると財産の所有者が男になり、父系制・父権制へと変化した。それで自分の財産の相続者になる子供を女に産ませるという仕組みになり、自分の血統をハッキリさせるために女性の婚姻外での自由恋愛なだは禁止され、一夫一婦制という名の男性支配が確立される。
私的所有制度、即ち資本制システムの崩壊によって、一夫一婦制に縛られていた男による女の支配は終り、男女平等な関係が誕生する」
というものです。つまり「マルキシズムの世になれば男女平等になるハズだからがんばろうぜ!」っていうことですね。私はこのエンゲルスの理論はそれなりに頷ける部分があると思います。
しかーし!マルキシズム・社会主義思想の中心になっていた♂の中には、プルードンとか「女性は隷属状態にしとくべき」とか言ってるとんでもないオヤジが多々いて、そういうのを含めた男のリーダーシップの下でマルキシズム・社会主義が展開されていくうちに、フェミニズムと摩擦も生じてゆくわけです。
むしろ自由・平等を一応の看板にしてきた資本主義諸国(特に社会民主主義政党の強い北欧・ヨーロッパ系)の方が、戦後はずっと男女同権への配慮をしてきたのは明らかでしょう。
社会主義国では、女性は労働の場に進出したけれど、意思決定の参加からは排除されてきたし、家事負担なども女性の社会的役割と見なされてきたのが現実です。
で、日本のフェミニズムにもマル・フェミ(マルキシズム系フェミニズム運動)というのがあるわけで、もしかして課長殿がジェンダー学の中でイヤーに感じるのってここらの影響ではないかしら、というのが私の[推測その2]なのですけれど、私も日本のマル・フェミってイヤーな印象多いんですよねー。自分達を束縛するものを取り払おうとしてマルキシズムを論立てしてるのですが、そのイデオロギーに固執するあまり自分達以外の考えは不純だの異端だのって排他的になって別枠を作るあのビンボーったらしさったら。手段と目的の優先順位が見事に転倒してますな。(言っとくけどフーコーはもっとファービュラスです!)
スズキさん
●課長さんの引用された部分を読んで、少々意見させてください・・・
その投稿者の言われていることは要は、
「ジェンダーなんて、いかにももっともらしく存在しているけど、元はといえばなにも根拠のないものでしょう。そういう構造が私達を縛っていることに気付くことが大切なのです。マルキシズムの流れを持つフェミニズムは確かに有りますが、それと私達の考えとは関係ありません。」
こんなところでしょうか。
いろいろごちゃごちゃと書いて有りますが、ありきたりで、別にこれと言って中身のない文だと思います。
で、私からの反論をさせていただきます。
まず、ジェンダーに根拠がないとのことですが、そんなこと当たり前でしょう。ジェンダーは社会的文化的に形成された性差ですから、社会や文化のありようが絶対なものでない以上ジェンダーも当然永遠不変のものであるはずが有りません。そんな当たり前のことをほじくりだして「ジェンダーには根拠がない」などと鬼の首とったようなことを言われても何をいまさらという気がします。
例えば私達が礼儀として他人に頭を下げることに何の合理的理由があるでしょうか?これは日本人に一般的な礼儀作法ですが、外国人はほとんどやりません。よく考えれば頭を下げても相手を必ずしも尊敬しているとは限らない、下げなくても敬意を持った人もいるかもしれないし、下げても実は敵意を持った人もいるかもしれない。そんなクダラナイことを議論しているように見えます。
そもそも、習慣や伝統には不合理なものが多いことは当たり前で、長い間かけて培ってきた文化を社会の大多数がそれでイイと思っているのだから、「根拠がない」などと、したり顔で言いたてる愚はおよしなさいといいたいです。
次に共産主義との関係ですが、
我々がマルキシズムをジェンダー・フリーの背後に見る場合、それは特定の学派や運動主体を指しているのではなく、当然の様に、あるいはそれと分からないように流布しているサヨク的発想に注意すべきだと言っているのです。マルキシズムの影響を受けていないと言う人でも、実は考え方は進歩史観や唯物論にどっぷり浸かっていたり、時には私達自身も気付かないうちにサヨク的な発想でものごとを考えてしまうことがあります。そういうものに気をつけようと言っているのです。
ですから私達の判断ではジェンダー・フリーはマルクス的発想が根っこにあると見ている訳で、人によってはそうじゃないということも大いにありうるでしょう。それは主観の相違というしかないですが。
ともかくそういった空虚でなんの役にも立たない論を机上でこねくり回しているのはちょっとみっともないですし、「ジェンダー学」なるものが有ることは知っていますが、個人的にやってもらうのは構いませんが、国の税金で養ってる大学教授とかがそんなしょうもないことを言わないようにしてほしいですね。
管理人
●某掲示板の田嶋ネタがあまりにも面白いので紹介します。
法政大学女子学生の嘆き
法政の女子学生が就職活動を開始した途端に、必ずショックを受ける有名なある事があります。それは一流企業の対応についてです。「あゝ、田嶋なんとか女史がいる学校ですね。当社は、男女が協力して働いて頂くことをモットーにしていますから・・・。せっかくですが他社を当ってみて下さい」と言われるのだそうです。あの学校の女子学生は、みんな田嶋センセイの影響を受けているだろうという先入観のなせるわざでしょうが、女性の為に活動しているつもりのセンセイのこれが唯一の功績(?)です。
田嶋陽子
田嶋陽子の発言は女性にとっても失礼なものです。 法律上は女性の権利は保証されています。あとは個人の問題です。(勤務している企業の問題も含めて) でも田嶋氏は、きっと国会でもまた女性の権利云々と始めるでしょう。そしてフェミニズム大好きの朝日がしばらくは持ち上げるかも知れません。それも、世論がついて来なければいずれ終わるでしょう。
少なくとも、私を含めて、私の周りの女性で田嶋陽子を支持する者はいません。むしろ、嫌悪感を示すと言ってもいいでしょう。いったい誰が指示するのかと思っていましたが、大橋巨泉も当選するのですから、そんなものかと思うしかないでしょう。
さっきも彼女はテレビで言っていました。「もうねー。女性は男性と一緒にいるといかに苦しめられるか。」
あえて運動のために過激な物言いをしているのでしょうが、愚の骨頂です。もう、ほっておいてかまわないでしょう。 彼女のために使うエネルギーが勿体無い、というところです。
むしろ泳がせておいて、社民党の男性支持者をさらに減らしてもらいましょう。
男性も色々ですから「一括りにするな。自分は田嶋先生のフェミニズム運動を支持する!」なーんて男性がいたら、その方には「どうぞご勝手に」と申し上げておきましょう。
(引用終わり)
こんな田嶋女史がなぜ当選したのか。「三角」関係の組織を総動員したのでしょう。「ジェン子」「フェミおばさん」は少数ながらも強し。
紅雨美宙さん
●ジェンダーフリーのページを検索していてたどりつきました。
近頃の行き過ぎたフェミニズム論には疑問を感じてましたし、痛快でした♪
フェミニスト同士でも随分と仲悪かったりするそうですがね。
スズキさん
●>フェミニスト同士でも随分と仲悪かったりするそうですがね。
これは私に言わせるとごく当然のことになるのです。というのは、
彼等フェミの人達は、何かというと、「人権」だの「個性」だの立派そうな言葉を持ち出して来ます。一体その言葉の意味は何なのか、余り自分達では明らかにしません。私がよくよく観察してみて気付いたのは、どうも彼等の言う「人権」「個性」とは「自分がこう思ったからこれが正しい」「自分の感性こそ全て」で、「相手の個性を思いやる」とは「ふ〜ん、そんな考えもあるの。でも私には関係ないや。あなたはあなたで勝手にしてちょうだい。でも私の領域には踏み込まないでよ」という考え方を言うようなのです。これを思想レベルでこねくり回す程度ならともかく、実際の人間関係において実行したらどうなるでしょう。人間の感性ほどあやふやなものは無く、親兄弟といえども他人同士の考え方がピッタリ同じになることなどあり得ないのに、それらの違いを「個性の尊重」などといって無制限に誉めそやしていったら、どこまでも対立を助長することにしかなりません。
つまり、フェミ系の人に特徴的に見られる「個人主義」の行きつく先は、仲間同士でもお互いに言い争いをして自分は悪くないと主張し合う大変酷い醜い世界ということになるのです。
ですから、「フェミニスト同士でも随分と仲悪かったりする」のは自分達の思想に忠実である限り、極めて当然のことなのです。
人間が生きて行く上で、基本的なレールみたいなものが必要なのは当たり前ですね。そのレールの形は時代や社会情勢により変化しても、レール(常識とか慣習とか)そのものは無くしようがないですよね。端的にいうとそれを無くそうとしているのが、フェミだったりジェンダー・フリーだったりするわけです
ディベートと言えば、例によってウチの役所の三角関係でも持ち出して来ています。その白々しい様をご紹介しますと
「男女共同参画賛成派」対「男女共同参画なんてくそ食らえ派」といかにも偏見たっぷりのネーミングで両者を分け、討論させるというものです。私は見てはいないのですが(見ると心臓に悪そうですので)、案の定出来レースだったそうです。
まあ、こういうのは、三角関係について賛否両論有るという避けがたい現実と妥協するため苦し紛れに考え出したことなのでしょう。一方的にジェンダー・フリーを教え込むとさすがに反発も大きいので(ウチの役所の三角担当者も「これでいろいろ言われるんや〜」と嘆いていました。当たり前じゃ!)、それら反論をかわすため「ディベートを通じて考えよう」という主旨だ、と逃げているんでしょうね。
役所でもそうですし、おそらく学校でも同じことが行われているのでしょう。姑息ですが、あちらさんもなかなか考えてます。
で、学校でどのようなことが行われているか想像してみますと。
多分、ディベートですからこれといった結論は出ません。ですが、まとめの段階で「結局はお互いのことを思いやる気持ちが大切だ」とか「まず、人として尊重する気持ちが必要だ」などと、相変わらずのイイ子ちゃんのごたくを並べられるのでしょう。結果としてジェンフリに好意的なまとめ方をして、チャンチャン。というところでしょうか。
本HPの主旨でもありますが、こうしたところから少しづつ気付かないうちに赤い触手を伸ばしてゆきつつあるのでしょう。
犬夜叉さん
●前から聞こうと思ったんですが、ジェンダーフリーの問題点があまりわかりません。(聞いたことはあるのですが)
あと、以前に、ジェンダーチェックがあるという「東京ウィメンズプラザ」のホームページにいきましたが、それらしき物はありませんでした。
行ったことがある人は、どこにあるのか教えてください。
管理人
●犬夜叉さんへ
ジェンダーフリーとは社会的文化的性差をなくそうとするものです。たしかに「女だから……してはいけない」という時代にそぐわない価値観をなくしていくことに異論はありませんが、問題なのは「すべての性差」をなくしてしまおうしていることですね。
社会的文化的性差とは根源的な性(sex)にもとづくものが多く、この社会をよりよく営むための「望ましい性差」も多く含まれています。例えば、女性の母性による感覚や価値観、男性のダンディズムなどですね。男性のダンテイィズムに関していえば、男は基本的に暴力的で支配的で攻撃的だからそれを規制するために作られたものだと思います。こうした「望ましい性差」をなくしていけば、理性を失った本能のみの行動に走るようになります。だらしない女の大量出現や援助交際、幼児虐待、セクハラの増加、モラルの荒廃などは、この「望ましい性差」の喪失ということでも説明できると思います。
社会秩序はそれぞれの個人にある一定の規制をかけることによって成立していますが、ジェンダーフリーはその規制(性差)を不合理だからという理由で取り払おうとしているわけです。
とくに、ジェンダーフリー論者の意見を読んでいると、男性の権利侵害には無頓着で、ひたすら女性解放を叫び、女性として生まれ持った宿命(規制)=母性を排除しようとしているように見えます。この動きを推し進めれば、家庭崩壊、教育崩壊、社会秩序の混乱と必ず突き進んでいくでしょうね。
あと、何でもんかでも男女差別で考えて、「奥さん」はけしからんので「妻さん」と言え、桃太郎は女性差別だから教えるな、といった文化破壊まで現実に行われていますので(笑)これも大問題ですね。
勝又さん
●犬夜叉さん、管理者さん>
この問題について、渡部昇一名誉教授が興味深い
指摘をされていますので、ここに紹介いたします。
「キリスト教で言いますと、男女の区別は神様がなさったわけで、人間が忖度すべき内容ではないんです。神様を信じないとしても、生物学的に見ますと(進化論に拠りますと)、男女の区別は1億年以上も前から始まっている訳で(恐竜にも雄雌があった)、それは必要性があったからと見るべきでしょう」と。そして「自然の摂理として、雌雄の区別が発生したのであるなら、ジェンダーフリーとは、極めて不自然な思想であり、恣意的な匂いがします」と結んでいます。
別な例を紹介します。「人間は男と女だけじゃない」と言う人がいました。染色体異常で、大数学者の方ですが、その方の染色体はXXYなんだそうです。だからジェンダーフリーと聞くと「馬鹿馬鹿しい」と言っていました。「中性もいるんだから」と。
私見ですが、問題の本質は3点でしょう。第一点は「男女同権」と「男女同質」とを勘違いしている点です。第二点はジェンダーフリーとは「社会主義思想である」と言うこと。第三点は自己喪失だと考えます。中心は第二点目の社会主義思想でしょう。それが全ての原因です。ですから、「ジェンダーフリー」とは「形を変えた社会主義」と言えるわけで、「正面突破は難しい」と見た連中の陽動作戦に、乗せられた人達の行為と言えるかもしれません。
では、何故ジェンダーフリーが社会主義かと言いますと、全ての男女を労働者とするからです。これはソビエト建国直後に、標榜されたスローガンです。また家庭を破壊する思想ですから、この点でも社会主義思想であると言えるでしょう。「差別の撤廃」と称して「新しい差別を創造する」〜かつてスターリンがソビエトで行った手法であり、毛沢東が「文化大革命」と称した手段に極めて似ています。ここを指摘されたくないから、ジェンダーフリー論者は何かというと「差別をするのか」と叫ぶんです。自分達がしている逆差別を棚に上げて・・・
以上、偏見だらけの評論ですが、ご参考になれば幸いです。
>「差別の撤廃」と称して「新しい差別を創造する」〜
私が理解する範囲で申し上げますと、簡単に言っていまえば「独裁者達が好んで使う手法」なんだと考えて頂ければと思います。スターリンが行った「恐怖政治」も、国民に対しては「**同士が宗旨替えをしたため粛正した」となる。トロツキーなんか好例でしょう。同じ社会主義者なのに、「政府など要らない(徹底した平等主義の主張)」とまで言われてしまうと拒絶するしかなくなる。毛沢東の文革は、もっと分かり易い。いわゆる学識経験者、日本で言う文化人様を「プチブル」と認定して、「プチブル=ブルジョワジー」との図式を描いて、「全員処刑」となる。これを日本の「文化人様」が賞賛したから、私には滑稽に映ったんですけどね(笑)
そもそも社会主義革命自体が「差別撤廃を標榜した差別」でしょう。スターリン存命時には、家族が教会に通っていただけで党員になれなかったんです。後に「本人が信仰を持たなければ良い」となりましたが、信仰という「心の問題」で差別が生まれたんです。そうした社会です。
ジェンダーフリーの人達との共通点を挙げますと、
1,不確かな、根拠の怪しい理論をもって「進歩的」と見なしている。
2,自分達の考えは「進歩的」であるから、これに反対する人間は「遅れた」人間であり、パージされるべき対象であると、勝手に決めている。
3,マイノリティー(反体制)であるにも関わらず、マジョリティー(体制)に対して反抗的、暴力的で、自分達の置かれた立場を認めない。
4,唯物的である!(ここが最大の共通点でしょう)
5,人類史や生物史と言った伝統的な文化・習慣を「因習」とし、その崩壊を目的としている。
6,反対者には暴力的制裁も辞さない(闘争的、破壊的)。
7,洗脳者と被洗脳者の間に、明らかなヒエラルキーが存在する。
等々、他にもあるでしょうが類似点が多いですね。
整理をします。スターリンの「粛正」とは、「差別撤廃」を標榜して実行されたはずのロシア革命における「差別行為」であり、相当数の人が対象となりました。1千万人以上でしょう。目的はスターリンが独裁するためにですが、理由は「思想に問題がある」です。毛沢東も同じです。文化大革命で処刑された人は1千万人以上で、2千万人と言う学者もいますが、これも毛沢東の独裁が目的であり、理由は「学者はブルジョワだ」と言うものです。ジェンダーフリーと比較すると、よく似ていることが理解できるでしょう。3者とも「思想・哲学・宗教・信条・伝統・習慣・秩序」などの内的問題(心の問題)に対して、牙を剥いているんです。自由主義国で保障している「**の自由」という分野に対して、彼等はこぞって反逆しているわけで、ミルトンの失楽園ではありませんが「(サタンが)いと高き山に登り、神を見下ろさん」と言った、その台詞に似ているんです。谷沢永一名誉教授が、「共産思想は悪魔の思想である」と喝破されましたが、私も同感です。詳細説明になっていないような気がしますが、私の稚拙さ故と、ご容赦下さい。
管理人
●勝又さん、有益なご意見をありがとうございます。
差別の撤廃と称して新しい差別を創造する……何となくわかった気がします。「差別」というのは「差別された者が不利益を被っている」という前提が必要ですよね。ところが、ジェンダーフリーは「誰も何も感じていないのに男女差別撤廃と称して恣意的に差別を作り出して批判していること」が多々あるようです。男女別名簿、専業主婦の存在、奥さん等の言葉、慣習や昔話等がそうですね。差別だと騒ぎたてることによって、差別していたんだと思わせている、つまり「差別意識を意図的に生み出している」のでしょう。
スターリンが「思想・哲学・宗教・信条・伝統・習慣・秩序」などの内的問題(心の問題)に対して、牙を剥いていた」というのも了解しました。下に課長さんが書かれていますが、
「挨拶など社会的取り決めであって、私はそれに従わないし、生徒にもそれを強制しないという言い方は、近代の毒に適当に汚染されている」
これこそスターリンの発想の焼き直しでしょう。
戦後教育の考え方の基本は「価値観は自ら体得するものであり、強制してはならない」というものですが、これは「スターリンの移住政策」すなわち「文化や伝統を立ち切って独自の思想を注入しようとする洗脳プログラム」と酷似していると思います。
日教組やジェンダーフリーなどの主張にはスターリンの影響が大ですね。
機会計算課長さん
●ジェンダー学をやっている大阪大学の先生が書いた、男性学入門という本を読んでいて、思わず笑ってしまったデータがありました。それは家計費管理の最終決定者(総理府婦人問題担当室82年)という各国別の比較です。その他は、両者、家族全員、その他のヒトの合計です。誰が家計の財布を握っているかという質問です。
家計の財布を握っているのはほとんどかあちゃんですな。アハ私とおんなじだ(笑)。男性学入門ではこれにも否定的な見かたをしていますが、書きません。
夫05% 妻79% その他15% 日本
夫03% 妻84% その他12% フィリッピン
夫14% 妻57% その他46% 米国
夫15% 妻22% その他60% スウェーデン
夫15% 妻12% その他70% 旧西ドイツ
夫33% 妻33% その他34% イギリス
意外なのは、夫が財布を握っていると言われている米国でも夫が財布を握っているのは15%前後なんですね。米国、英国は“その他=夫と妻が共同で家計の管理をする”の比率が高く、スウェーデンと西ドイツは非常にこの“その他=両者”が図抜けています。
これを日本はフィリッピン程度だと取るか、上のように取るかはその人の問題意識によります。この本ではしばしは後進国と先進国をならべて、それだけ日本が遅れているという意味に取らせるような表示がなされています。
日本は江戸時代から町人では妻が経済権を握っていたようですから、この結果は驚く程ではないですけどね。
“客観的で合理的な視点を持ち、泣き言をいわず一人で耐え、とくに女性に対して庇護(ほんとうは支配)出来る力を持っているのが一人前の男である”と見なしているが、その文化的壁を打ち破る必要があるとこの著者は言っていますが、日本は神代の昔から女性が強い国でした。本当に男がこのように思っているのでしょうか。私など、どうも女房の尻に引かれた可哀想な奴隷のような気がしますが(泣)。
勝又さん
●ジェンダーフリー論者の思考は、次のようなものだと考えます。ボーボワールではありませんが、彼等は「女性とは、外部圧力によって、女性として創られて行くもの」との定義を勝手に行い、故に「女性=弱者=被差別者」との図式を描いていると感じます。
ために、私は渡部昇一名誉教授の文言を引用したのですが、法的には男女平等である日本で、性差別が行われているとする彼等の意見は、しかし「女性は男性に傅くもの」という「旧い概念」が今も生き続けているという、これまた20年以上も前の「旧い概念」で相手を裁いている訳で、「旧態然とした考えだ」と言っている本人達こそ、旧態然の考えに支配されているという、茶番のような話になっています。
それと、これは左翼全般に言えることですが、予め結論(回答)があって、そこに向かって理屈を当てはめて行くという、そうした傾向が強いように感じられます。ために、こちらが正しい反証をいくらしても、彼等の想定した結論への妨害と判断される意見は、抹殺するか無視するか、あるいは感情論でもって排除されるという、実に稚拙な行動を彼等は取る訳で、理性ある姿とは言えないでしょう。ここが左翼者思想者の特長であると、そのように私は思っています。
管理人
●勝又さん、仰る通りです。「学校をジェンダーフリーに」(明石書店)というトンデモ本によれば、学校を「女性差別を生み出す装置」と規定した上でジェンダーフリー教育が必要だと主張しているわけですが、その論拠となったのは30年ほど前の(しかも)アメリカの学校における調査報告なのです。まったく日本の現実なんて無視しており、「ゆとり教育」と同様、誤った現状認識(誤診)による処方箋であるというしかありません。これからもジェンダーフリーの危険性は明かですね。
機会計算課長さん
●今回も面白いデータを二種類紹介します。
ジェンダーの本を読み始めているのですが、ジェンダーを拒否するにしろ、肯定的に見るにしろ相手が言っている事を読み取るのは必要だと私は思っています。主として「男性学入門」伊藤公雄(大阪大学教授)から面白そうなデータを引用してみましょう。データ引用は作者の選択や意味の解釈によって、まったく違う様相を示しますが、まあ見てみると面白いです。
うまくグラフになるかな(笑)。
総務庁の「第五回世界青年意識調査」の「男は外で働き、女は家を守る」についての世界10カ国の賛否。
フィリッピン ○○○○○○●●●● 賛成57%、反対42%
ロシヤ ○○○○○○●●●△ 賛成57%、反対34%
日本 ○○○●●●●●△△ 賛成33%、反対55%
タイ ○○○●●●●●●● 賛成30%、反対68%
韓国 ○○●●●●●●●● 賛成23%、反対78%
ブラジル ○○●●●●●●●● 賛成17%、反対83%
フランス ○●●●●●●●●● 賛成13%、反対84%
米国 ○●●●●●●●●● 賛成12%、反対84%
ドイツ ○●●●●●●●●△ 賛成11%、反対78%
英国 ○●●●●●●●●● 賛成07%、反対88%
スウエーデン ○●●●●●●●●● 賛成06%、反対91%
伊藤公雄氏は、これを「日本は国際的にみたとき、まだまだ“性差別意識”の根強い社会であると言っています。古いタイプの<男らしさ>へのこだわりを持っており、最近の男性は外見は軟弱のように見えて、心の中は結構、“男らしい”のであると論じています。
でも”男らしい“のは悪いことではないですね。何か筋になるものがないといけません。それが”男らしい“でもそうでなくてもまったくかまわないわけです。
私のイエなんかでは、私が掃除でもしようものなら、自分の仕事が取られて、職を失うが如き、大騒動を女房がしますが、さらに経済権をすっかり握られていますから、そんな心配はないんです(笑)。
課長はいまさら私の流儀を変えたいとも思いませんし、女房も既得権益を手放すとも思えません(笑)。ただ男性優位社会と言われている日本ですが、様子は変わっているみたいですね。
***結婚のスタイルに関するもの(独身男性対象)***
結婚後も女性が働くことに抵抗が無いと答えたヒトが92%
家事の分担にも抵抗が無いと答えたヒトが72%
夫婦別姓、養子縁組にも抵抗が無いと答えたヒトが64,63%
独身男性は、女性たちが声高にあげている性差別の告発や、性差別役割分業の固定化への批判の声にそれなりに反応している。しかしこれが結婚後も続いているかどうかは、別問題(伊藤公雄)。
課長自身は性差別の議論に関しては固陋で頑迷です。
朝会社に行く時に、一度だけゴミをもっていってくれと、かあちゃんから言われて、その時の私の拒否感を示す顔がすごかったのでしょう。二度とかあちゃんは言いませんでした。
西欧の社会形態が仮に理想的だとして、それを適否を考えずに模倣しようとすれば、社会のどこかに歪が生じ、場合によっては目的の逆転化現象も起きるでしょう。それを我々は昭和期に経験しています。あるいはこれは私の杞憂かもしれません。新しいやり方がうまくいくかもしれないし、あるいはおりあいをつけて折衷案で双方の長所をいいとこ取りできるかもしれません。どちらにしろ、私としては私として考える範囲で、最善の努力をするしかないわけです。
女の神様が神話に出てくるお国柄ですから、もともとは男性優位でもなく、女性もそれなりに権利を行使していた社会だと思っています。江戸時代中期から明治以降ではないでしょうか。女性の権利が低くなったのは。
相続法といっても習慣法ですが、武士階層も鎌倉時代までは勇壮な女性や、女性相続があったりしていますが、江戸時代頃から武士の長子相続でないと相続できないようになり、町人はそれに対して男子長男相続が原則でもなかったようです。町民の相続法で特徴的なのは
(1)遺言をすることが死ぬ人間の当然の義務であった事。
(2)遺言が世間常識と違った場合は、町役や大家など物知りが集まって、協議の上で決定された事。後添いとで出来た子供を可愛がって、其の児に遺産の全てを上げるケースなどがこの対象です。
(3)遺言がない場合は世間常識に従って年寄りどもが集まって協議して決めた事。
(4)血のつながりの無い番頭さんや丁稚に至るまで相続財産の分与が認められた事。
(5)女性への相続もきちんとあった事。
この意味からは江戸のほうが現代よりよほど進歩的です。一方で革新の論説のいい加減さは江戸時代を暗黒と規定しておいて、都合のいいところだけ、江戸時代の話を引用する点です。
勝又さん
●昔、「関白宣言」が騒ぎになった時のこと。作者であるさだまさし氏が、「自分が何故、男なのか。何故、女なのかと考えたならば、こんな馬鹿騒ぎを、しなくても済んだかもしれない」と言っていたけれど、課長さんの意見を読むにつけ、「本当にそうだなぁ」と感じてしまう。
堺屋太一さんが官僚を評して「彼等(官僚)は、回答が用意されている世界で優秀なんであって、世の中(実社会)のように、近似値でしか回答が出せない、あるいは全く回答のない世界で、優秀であると言う保証はない」と言っていましたが、案外、似たようなメンタリティー(嘘でも、「回答」として用意されたものを、信じてしまうと言う精神性)があるのかも知れません。自らの脳味噌で「考える」習慣を持たない(持てない)人が陥る、魅力的な「近道(実は「落とし穴」)」なんでしょう、ジェンダーフリー(左翼思想)は。
これは私の推測ですが、彼等が「結婚しない」のは、実は「結婚できない」のではないかと考えるのです。「恋愛」とはロジックではなく、つまり理屈ではないので、その結果である結婚というものについて、明確な理論構築を出来ないのではないかと睨んでいます。何故なら、論理的な結婚とは、彼等が忌み嫌う「見合い結婚」だからです。家柄とか歴史、両家が上手く行くかなど、そうした視点はロジカルなんですが、「恋愛至上養主義」の彼等からすると否定するしかない。でも、恋愛はアナログだから論理矛盾する。実に始末が悪い。
そうした結果、どうなるかと考えますと、屁理屈をつけてでも結婚を回避するしかない。自ら悩んで結論を出すことをせず、正解を常に外部に求めてきた結果、彼等は論理矛盾から逃げるしかなくなったと、そう感じます。
私達は「男性にも女性にも、変な奴もいれば、優秀な人間もいる」と考えているわけで、「ヒトラーを出したから、ゲルマン民族は悪魔だ」などとは決して思わないのです。彼等の意見は、何かと言うと「男は〜」との表現になりますが、それは「ドイツ人は全員ヒトラーだ」と言うに等しいことに、果たして気付いているのだろうか。
天国にも地獄にも、全く同じ丸い食卓が用意されていると言う。そこには豪勢な御馳走と、とっても長い箸があり、天国の住人は、その箸を使って相手の口に食物を入れる(食べさせる)が、地獄の住人は自分の口に入れようとするので、最期まで食べられないまま、食事の時間が終わってしまうと言う。「男であること」「女であること」を互いに提供し会ってこそ、初めて、本当の人間社会が生み出せるのではないかと、浅学ながら思ってしまうのです。
管理人
●テロ事件でジェンダーフリーを考えた話を一つ。
倒壊した貿易センタービルの45階には某日本企業が入っており、飛行機が激突した際、「女性から先に避難させた」とか。これって女性はか弱い存在だと規定しているわけですし、男性社員が性差を意識して女性を守ろうとしたわけですからジェンダーフリーに反していますよね。でも、この男性社員の「まずは女性を守らねばという男らしい判断」には拍手です。ここでジェンダーフリーを実践すれば、性差を問わず我先に逃げ出すことになります。
ジェンダーフリーの行きつく先はこういう修羅場でしょうね。
スズキさん
●管理人さんレスありがとうございます
>倒壊した貿易センタービルの45階には某日本企業が入っており、飛
>行機が激突した際、「女性から先に避難させた」とか。
ある人とジェンダー・フリーについて議論した時、まさにこういう場合どうするんだ?と訊いたら、「女でもアジャコングみたいなのがいるし、男でもミスターオクレみたいなのがいる」とやられてしまいました(笑)。じゃあこういう事故のとき、いちいち「あなたは女性だがアジャコングみたいだから後回し」とか判断するのか?その判断の基準は?腕立て伏せでもやらせるのか?そういう風に問い詰めたら言葉を無くしてました。
でも是非やって欲しいことの一つです。一時を争う災害現場で、「個性」に応じて救助する順番を決めるやり方を。女子供を後回しにして「自分を大切に」して先に助かろうとした屈強な大の男がいたら本当に非難しないでいられるのか、見てみたいですね。本当に。
勝又さん
●ジェンダーフリーについて、少し逆説的な話をしたい。意地悪な見方をするなら、ジェンダーフリーは男にとって有利な、女性にとって不利な思想だと感じるんです。例えば養育費。これは、女性に収入がないことを前提に、男性側から支払われるお金ですが、女性に収入があり、現状として育児に従事していない(託児所等に預けている)のであれば、減額されるか、場合によっては支払額ゼロになります。女性が経済的に自立しているのなら、離婚が簡単に出来るようになるのは、男性側から見ても同じですよね。それと夫婦別姓。これは、同棲も夫婦も同じになることを意味します。ですから、敢えて入籍などせずに暮らし、飽きたら別な女と暮らすことを、男性に保証する制度です。「結婚しても、しなくても「同じ(姓が変わらない)」なら、面倒くさいから」とか「入籍という形より、愛があるかどうかが大切だよね」とか言えば良い。加えるに、入籍の意味や価値が低くなることは、事実上、重婚を認める形になるでしょう。「女性の自立」とは、「男性の責任低減化」を意味しますから、変な女に縛られることなく、お互いに「飽きたなら、別な人」の実現を確約してくれるのです。ですから、男性から見て、これほど都合の良い制度はないのです。「男女同格」なら、「女性は弱者である」と言う思想は不要になります。全て自己責任。そうなった場合、今まで女性を弱者とし、男性に責任を負わせて来た問題が、殆ど全て解決します。これほど便利な法律はないんです、悪用しようと思えば・・・
私は良く「法律は善意によってのみ作られてはならない」と言っていますが、それは「常に、悪意にて利用する輩がいる」ことを念頭に置いているからで、「女性の解放」と言っても、解放された女性を利用(悪用)しようとする連中の存在を視野に入れたなら、夫婦別姓論者やジェンダーフリー論者が求める程の解放は、かえって女性を不利にするものと、認識するからに他ありません。フェミニズムとは、女性が男性より弱い立場であることを前提に、女性を護ろうという思想ですから、女性が弱者でなくなったなら、フェミニズムなど必要ないのは当然でしょう。つまり、ジェンダーフリーとフェミニズムとは相反するんです。それを、あたかも共存しているかのように装うのは、詭弁と言うしかないでしょう。某弁護士議員さんなど、娘が成人したら離婚式を開いて、夫婦を解散するんだと言っているようですが、家庭を「子供を成人させる場」としてしか見れないことは、ご自身を「繁殖用人間」としか見ていないのと同じであり、子供の結婚や孫の誕生、連れ合いと生きる余生といった、趣のある時間経過を無視した、寂しい生き方であると感じられてなりません、そうした人が、しかし「豊かな老後を」と言う。矛盾です。そして、私が彼女の夫君なら、内心では喜びますね。だって、若い女と再婚できるんだもの。自分の死に水を取ってくれそうな、若くて従順な娘を選んで、財産を与えて死にますね、きっと。・・・失礼な物言いはお詫びしますが、マルクス同様、人間が善意で行動することを「勝手に想定」し、悪意の介在を予想しないことは両者とも同じで、「愚かであることを罰する法律はない」ことが残念でなりません。「地獄への回廊は、善意でもって舗装されている」と言う神曲の言葉を、もう一度捧げたいと思います。
管理人
●>ジェンダーフリーは男にとって有利な、女性にとって不利な
>思想だと感じるんです。
実は私もなんとなくそう思い始めていたところなんです。勝又さんのように論理的に説明されると、ああやっぱりそうなんだと納得してしまいました。昨日のビル崩壊の例もそうですが、社会的文化的性差をなくしていけば弱肉強食の世になっていき、女性は相当不利な立場に立たされるように思います。すなわちこれまで、女性だからという理由で守られていた部分もかなりあったのではないでしょうか。ジェンダーフリー論者はそういう面をあえて見ようとはせずに、「女性の権利が侵害されている」という面のみにとらわれて、男女同等を目指しているわけですから、結果として「守られている部分」がなくなって不利益を被ってしまうことになるのだと思います。
社会は法律以外に「らしさ」という内的規範によって成立している部分がたくさんあります。しかし、ジェンダーフリーはこうした「らしさ」を剥奪する力となって働き、大人らしさ、親らしさ、教師らしさ、社会人らしさといった規範(モラル)を社会から喪失させていくと思います。こうした内的規範は個人の行動を制限するために窮屈なものですが、規範(箍)をはずしていけば、そこから出でくるのはむきだしの欲望やエゴではないでしょうか。男女関係でいえば「男らしさ」によって封じ込められていた性的欲望がむき出しになり、その被害を受けるのは女性だということです。例のテレクラで知り合った女性に手錠をかけた中学教師の事件などは、「教師らしさ」「男らしさ」の喪失で説明できるでしょうし、セクハラや性犯罪の増加もこうした規範の喪失によるものと考えられます。
また、「女らしさ」を喪失した女性と連れ添いたいと思う男性は少ないと思いますので、女性は男性という箍から外れて自由にはなれるものの、幸福からは遠ざかっていくように思います。
小人閑居さん
●>ジェンダーフリーは男にとって有利な、女性にとって不利な
>思想だと感じるんです。
同感です。『夫婦別姓大論破!』(八木秀次・宮崎哲也編、洋泉社)という本によると、アメリカではウーマンリブによって「家族の多様化」が叫ばれたけれども、これで家庭が崩壊して割を食ったのは黒人をはじめとする貧困層であるということが指摘されています。(しかも「家族の多様化」を唱えたWASP層はそれを実行していない!)
勝又さんのおっしゃるような事態になったら、得をするのはハンサムで金持ちの男性と若くて美人の女性だけで、ほかの人にとってはむしろ暮らしにくい世の中になるということがわかんないんでしょうかね。
ところで、図書館で『どうして、いつも男が先なの?−男女混合名簿の試み』(男女平等教育をすすめる会編、新評論、助成:東京女性財団)という本を借りてきました。この本は国立市を中心とする女性小学校教師たちが書いたものですが、この中の「教科書超えなきゃ始まらない−国語の物語教材に異議あり!」という一節では、例によって国語教科書の読み物に対して「男は主体的、女は待つ女」だの「性別役割分業」だの(「ごんぎつね」は「母と息子の絆」を書いているからいけないのだそうです)「戦争を描いた話は女性が被害を受ける姿を通して戦争の悲惨さを書いているが、これでは加害者性がわからず戦争をなくす力にならない」(しかもこの人、ここで「戦争は、男が起こしている」などと平然と書いています。これこそが偏見に満ちた差別思想ではないですか!)などと難癖をつけています。
そしてこの教師は、生徒の感想文を分析し、女の子が「差別的な表現」に文句をつけないことに対して「女の子は、その多くが母親である脇役のである脇役の同性に心を寄せることで、納得して物語を読み進めているようだ。そして何の疑問を持つこともなく、男の主人公に少し距離を感じての物語体験をいっているのだろう。スポーツをする人ではなく、マネージャーになることで満足するように。」と書いています。(いつぞやの女子マネ撤廃論を思わせますな。でも今のマンガやアニメ・ゲームでは女の子が主人公で元気に活躍する話なんていくらもあるのにねえ。)
そして極めつけはこれ。「どんな登場人物が出てくる物語を読みたいですか」と生徒にアンケートをとったところ、こういう結果が出ました。
「こんな女性の登場人物がいるといいな」
(女子)
1位 やさしい人 52
2位 元気な人 22
3位 明るい人 20
4位 かわいい人 17
5位 おもしろい人 17
6位 男のような人 15
7位 強い人 12
8位 魔法を使える人 8
9位 頭が良く物知りな人 7
10位 おてんばな人 6
しかしこの教師は、この結果に対してまず
「女の子たちは、元気な人・明るい人・おもしろい人・男のような人・おてんばな人と元気な女の子を求める声が65にもなる」
とコメントしています。ここまで調査結果を恣意的に解釈できるのか…とあきれながらも読みすすめると、次の項の「やさしい人」が圧倒的だったことに対するコメントはこうです。
「女の子はやさしいものという固定観念は、今なお強いようである。しかし、ここまで深く内面化されたやさしさの実態は何だろう。自分自身を偽ることでなければよいのだが。」
…絶句。
この本の後半には執筆者の教師たちの座談会が載っていますが、この中でこの人はこう発言しています。
「(子どものころ)銭湯に行っていたんですが、男の人はお湯をザバーとかけるけど、女の人は前を隠してそっとかけるんですね。でも銭湯に行ったら絶対ザバーの方が気持ちいいんですよ。(笑)それを私は肌で感じて、六年生まで男風呂に入っていたわけですけど、それもできなくなってしまった。」
…なるほど、この人の行動原理って、単に「自分が気持ちいいか」だけで、湯をザバーとかけたら他の客に迷惑がかかるとか、それをはたから見たらどう思うかということは気づかないのね。納得。
勝又さん
●女性の社会進出を、私は完全否定はしないけれど、生活水準の向上が収入の増大を意味しているのであれば、残念ながら、女性の独立は「叶わぬ夢」と談ぜざるを得ません。スズキさんの壮絶な半生を読んだので申し上げますが、私の知人は、8人兄弟の下から2番目で、彼女が3歳の時に父親が、13際の時に母親が死んで、以後は兄姉に育てて貰っているのですが、そうした家庭が成り立った背景には、当時の社会では、女性が仕事をすることが稀だったことがあるんです。だから母子家庭であっても、母親が正社員として雇用されれば何とか食えた。けれども、今日では不可能でしょう。そうした意味で、正しく「女性の敵は女性」になってしまうんです。何故なら、家長としての母親の存在を、ジェンダーフリーは、結果として認めない形にしてしまうからです。収入とは経済という名のパイを、何人で分けるかの問題です。参加者が多い程、一人当たりの「分け前」が少なくなるのは道理です。そうした中で「自立」を求めることは、余裕のない経済(個人所得)で生きることを意味してはいないかと、気になります。そうまでして達成したい目的とは何なのか、私にはとても理解できないのですが。
スズキさん
●今朝の新聞を読んでいたら以下のようなトンデモ記事がまたしても掲載されていました。あんまり面白いので笑ってやってください。
桃太郎(有賀 博幸)
最近、二つの「桃太郎」の寸劇が上演された。一つは加茂高校演劇部員が、美野加茂市内の男女共同参画の催しで演じた「桃太郎ージェンダー・フリー版」。もう一つは、八尾津高校の学校祭での職員劇「その後の桃太郎」だった。
ジェンダー・フリー版は「昔々あるところに、おばあさんとおじいさんが住んでいました」から始まる。桃から生まれたのは、桃太郎ならぬ「桃子」。武器を持たずに鬼ヶ島に出掛け、戦いではなく鬼の妻と仲良くなって、時間をかけて男鬼を説得するーといった内容だ。
一方、桃太郎その後は、宝物を得た村人は働くのを忘れ、お供のサルやキジたちは、飽食で木登りも飛ぶこともできなくなる。それに反して、働く喜びを見出した鬼たちは生き生きとし、宝物を返しに来た桃太郎に受け取りを拒否するというお話。
「男社会」の弊害や「豊かさとは何か」を考える上で、二つの寸劇は教訓的だ。この国が「桃太郎社会」から脱したと本当に思えるのは、一体いつのことになるのだろう。
中日新聞 岐阜県版 01/10/14
あまりよくご存知ない方の為に蛇足ながら解説いたします。
>ジェンダー・フリー版は「昔々あるところに、おばあさんとおじいさんが住んでいました」から始まる。
わざわざ「おじいさん」と「おばあさん」をひっくり返しているところがイヤらしいですね。
>桃から生まれたのは、桃太郎ならぬ「桃子」。
はいはい、分かった、分かった。(笑)
でも、男の子には「太郎」女の子だから「子」を付けると決め付けるのはジェンダーじゃないの?
>武器を持たずに鬼ヶ島に出掛け、
おいおい、それは危ないだろう。お前は丸腰でアフガンに行けるのか?
>戦いではなく鬼の妻と仲良くなって、時間をかけて男鬼を説得するーといった内容だ。
どうやって仲良くなって説得したんだよ。じゃあ、ビン・ラーディンも説得できるってこと?
> 一方、桃太郎その後は、宝物を得た村人は働くのを忘れ、お供のサルやキジたちは、飽食で木登りも飛ぶこともできなくなる。それに反して、働く喜びを見出した鬼たちは生き生きとし、宝物を返しに来た桃太郎に受け取りを拒否するというお話。
要は現在の資本主義のあり方を否定して見せたい訳ね。
> 「男社会」の弊害や「豊かさとは何か」を考える上で、二つの寸劇は教訓的だ。
日本のどこに「男社会の弊害」とやらがあるのか?戦争をしたがるのは男が悪いとでも言いたいのでしょう。いままでアメリカの政治への女性の参画率が日本より高いとか言って散々「アメリカに見習え論」を撒き散らしておいて。今戦争をしているのはそのアメリカだっちゅうに。
>この国が「桃太郎社会」から脱したと本当に思えるのは、一体いつのことになるのだろう。
そんなに「桃太郎」が悪いのか?
行きつく所は「桃太郎の昔話を子供に語って聞かせるな」ということになるのですが、そのことをこのアホ記者は分かっているのでしょうか?
分かってて言ってるのであれば、筋金入りのサヨクですが。
こんなアホをやる学校も学校ですが、手放しで褒め称える新聞もかなりヤバイところまで来ていますね。いい加減にしてくれよって感じです。
紅緒さん
●昨日「朝叩」で、田嶋陽子氏の国会答弁についての投稿を読んだのですが、やはりというか、何というか・・・・期待通り、いや、期待以上のボケをかましてくれたようですね。それでもって、上の掲示板でも、こういうのを見つけたんですが・・・
<<以前もTVタックルで「女性の医師や弁護士が少ないのは男女差別だ!」と称し、「その為には、試験に合格している男性受験者を落とし、不合格の女性受験者を繰り上げ合格させ、合格者を男女同率にすべし。むしろ、就業者の比率を男女同じにする為に、女性の合格者の割合を増やすべき、(女性は)少しくらい点数が足りなくても大目に見ろ!」と電波を飛ばし他の出演者から集中攻撃されてた。ビートたけし氏から「医師国家試験や司法試験を女だからといって受験させないのは差別だが、成績に関係なく合格者を男女一緒にするのは平等ではない」と言われても、田嶋は「こうしなければ男女差別はなくならない。反対するのは男女差別論者」と全く聞く耳を持たない。>>
これって、ほんの数年前までカリフォルニアでもまかり通っていた、悪名高きアファーマティブ・アクションですね。(多分他の州でもこれを実施している、またはしていた所はかなりあると思いますが。)UC系の大学入学や公的機関への就職の際に少数民族及び女性が優遇され、かなり多くの白人や男性が、また、UCバークレーやUCLAの入学に際しては、勤勉で学業優秀なのが多い東アジア系の学生が自分達よりも明らかに学力や能力の劣るライバルに敗れるという憂き目に遭いました。その結果、当然のことながら大学の質は凋落しました。(まあ、この時期、ちょうど基礎学力を軽視した教育理念が主流だった頃でもありますからこの少数民族優遇措置だけが原因とも思えないのですが、それにしても本来なら絶対に入学できないほど学力の低い学生がこの措置のおかげで受け入れられたというのは事実です。)
そして、皮肉なことにこのアファーマティブ・アクションは差別を是正し、優遇しようとしたはずの少数民族を新たなる偏見の目に晒すことになったのです。本当に自分の実力だけで大学に入学したり、職を得た女性や少数民族も多いでしょうが、アファーマティブ・アクションの恩恵を受けたと誤解され、実際に「女や少数民族の医者にはかかりたくない。彼らの中にはアファーマティブ・アクションのおかげで医者になれたのも多いから。」という意見を白人男性のみならず当の女性や少数民族からも聞いたことがあります。そりゃそうですよね、実際実力で医者になったのかアファーマティブ・アクションのおかげでなったのかがはっきりわからないなら、やっぱ避けるのが無難だ、と思うのは当然の成り行きですよね。本当に優秀な女医や少数民族の医者はたまったもんじゃないですが。これじゃあ、差別を是正するどころか助長していることになりますよね。
田嶋先生、いい加減に目を覚ましてくださいな。女性の立場を貶めているのは他ならぬあなただってことに。(覚ますわけないか。^^;)
勝又さん
●専業主婦なる言葉を消し、国民全員が賃金労働者になることを国策として推進するようですが、それこそ主婦業に対する蔑視であり、主婦の仕事を卑しめる考え方ではないだろうか。勿論、男性より優れた業績を残される女性の存在も認めますし、生き方として仕事に専念する方がいても良いと思いますが、「年金が破綻するから」とか「健康保険が大変だから」とか、果ては「国の借金が返せなくなるので」との理由から、「これからは専業主婦にも働いて貰わなければ」と言うに等しい行為に対して、「私達の主張が聞き入れられた」とするのは、単に専業主婦への嫉妬心が満たされたことを意味するのではないだろうか。
「家計が苦しいから、お前は進学せずに働いてくれ」と言うが如く、国家が国民に働けと言う。天皇が言うなら分かる。陛下が、奴隷である臣民に対して勅命するならば、この国の歴史から見て理解もするが、顔の見えない、責任を取らない官僚達の奴隷になる気はない。勿論、政治家の奴隷にも。しかしながら、夫婦別姓や男女参画を利用して、国家なる存在が画策していることは「国民皆奴隷政策」であることは論を待たない。そのお先棒を野田議員達が担ぐとしたら、彼等は社会主義者だと言うしかない。
重ねて問いたい。「主婦の仕事は楽で、簡単なんですか」と。そうであるならば、主婦業と賃金労働の兼業は可能でしょう。しかし、大変な労働だと言うなら、主婦業に専心する方を「働かない」とか「稼いでいない」などと言うのは差別であり、拝金主義者の発言だと言うしかありません。今、国家は自らの失政によって生じた赤字を補填するために、あなた方の思想を利用しようと画策しているのです。
管理人
●「看護婦」という言葉は男女を「区別」するものだからこれからは「看護師」というように国家が決めてしまったようですね。「看護婦」のどこがいけないのでしょうか。差別意識など微塵もないというのに、男女を区別するだけというだけで馴れ親しんだ言葉をなくしてしまおうというのは、国家による言葉狩りにほかなりません。「三角」勢力はすさまじい勢いで、その策謀を実現させつつあるようです。
ただ、私は信じているのですが、「看護婦」という言葉は「女性らしい」特有の優しさや暖かさを感じさせ、国民の中に深く根付いているため、いかに「三角」勢力が使用禁止を叫んだとて、民衆レベルではこれからも「看護婦さん」と言いつづけるのではないでしょうか。我々はカルト思想にそう簡単に染まるほど愚かではないと思います。
小人閑居さん
●聞くところによると、飛行機の「スチュワーデス」も最近では「フライトアテンダント」と言わなければいけないようですが、それにもかかわらず皆「スチュワーデス」と呼んでますよね。「彼ら」は「婦」という漢字を「おんなへんに帚」というだけの理由で葬り去りたいようですが(それって掃除をする人に対する差別じゃないのか?)、「運転士」「弁護士」「消防士」などの「士」もそのうちだめになるんでしょうかねえ。
>我々はカルト思想にそう簡単に染まるほど愚かではないと思います。
これに関して、稲垣武著「『悪魔祓い』の戦後史」(文春文庫)をもう一度引用します。
「彼等が革命の主体と恃んだ労働者・農民には、頭でっかちのインテリにはない独自のリアリズムがあり、進歩的文化人らの革命幻想が伝染することはなかった。彼等の影響力はせいぜい学生や、競争社会とは無縁な官公立学校の教師、官公労の組合員と、世間知らずの一部の主婦くらいにしか及ばず、それがますます彼等を苛立たせた。」(534ページ,太字は引用者)
「彼ら」は「労働者や農民」にかわって「女性や子ども」を新たな「革命の主体」に仕立て上げようとしているわけですが、一部の行政機関や学校教育までもが「彼ら」に占拠されているようでは、もはや「頭でっかちのインテリにはない独自のリアリズム」に賭けるしかないと思います。
勝又さん
●夫婦別姓、美味いのか?
「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」と言う。日本人でありながら、そんな簡単な諺さえ忘れた人達が「夫婦別姓」を唱えている〜としか思えない。福島女史は言う「私の所へ相談に来る方の多くは、皆さん夫婦別姓を希望されています」と。しかし、それは医者が「家に来るのは病人ばかりだ」と言うようなもので、何の説得にもならない話である。
夫婦別姓論者の発言の中で、私の脳味噌では理解できないことの一つに、権利義務関係の整合性がある。夫婦別姓は権利だろうが、それに伴う義務とは何なのか、まったく説明されていないのである。夫婦別姓によって結婚のハードルが下がるのだから、結婚生活を長く続けなければならないと言うならともかく、「楽に結婚、楽しく離婚」が理想の連中が出している法案だから、「飽きたなら別の人」になるだろうことは当然だろう。それでも尚、夫婦別姓にしなければならない理由は何か、政治は明確に答える責任がある。
ある女性教師の話ですが、二人の子供を持つ身でありながら、教え子を頂戴した方がいます。離婚し、再婚しても、その方の名字は変わらなかった。今の旦那(かつての教え子)は、前の旦那の名字を名乗っているわけで、それでも結婚する人がいるんです。また、そうでなければ、このような関係を乗り越えて一緒にはならないでしょう。けれども、このような状況でさえ、安易に結婚できるような法律が制定されるなら、日本の家庭は崩壊するしかありません。それを「国民の常識を信じて」などと言うとしたら、政治の責任放棄であると言うしかない。
もし、本当に「結婚は個人と個人の契約に過ぎない」と言うのであれば、相続の意味を失うことを知らなければならない。親も子も「個人」として存在するのであれば、親は子から育英報酬を受ける権利はあっても、資産を譲渡する義理はない。夫婦別姓論で考えるなら、子供と言うものは偶発的に出現した存在と言うしかなく、夫婦が個人対個人の関係であるように、親子もまた個人対個人の関係にならざるを得ない。そう考えると、子供に親の資産、財産を継承する権利は皆無であると言うしかない。別な言い方をするなら、家を継がない子供に、家宝を継承する権利などないと言うことです。「家」がなくなるのだから、「家宝」は全て「個人財産」になる。が、親子は別な存在となるから・・・。
では誰が継承するかと言えば、それは「国家」になる。彼等の多くが社会主義者であることから当然と言えば当然だが、夫婦別姓を願う国民の多くは社会主義者などではないため、やがては取り返しのつかない歪みが生じるだろうし、なかなか法律を変更しない日本の事だから、多くの国民が犠牲となることは確かだろう。そこまでして、政治が欲しがるものとは何なのか。国民の犠牲の上に成り立つ政治など、決して長続きしないと言うのに、どうして「我が儘」と「自主性」の区別をつけず、なし崩し的に法案通過を画策するのか不思議で仕方ない。
家庭を解体し、国民を混沌の中に追い込んでも尚、日本が国家として「確固たる国体」を維持できると思うのだろうか。いくら法案が論理的であるからと言っても、それが民族固有の習慣や文化的伝統を否定し、破壊するものであるならば、その影響は国家にも及ぶことを覚悟しなければならない。夫婦別姓とは、支持者達が言う「弱者救済」などではなく、むしろ「強者の論理」であることを知らなければならない。しかしながら、そのように感じ取る国民は少ないだろうから、弱者が強者の真似をして不幸になって行くことだろう。それを想像できない政治、政治家には、危機管理能力が備わってないと言うしかありません。国を潰しても党は残したい(自分だけは議員でいたい)などとは、どこかの行政組織と同じでしょう。もう末期症状ですね。
小人閑居さん
●夫婦別姓については、「同姓にしたい人は今まで通り同姓で構わない。我々は別姓という選択肢も認めてほしいと言っているだけだ」と主張しています(現実に推進派は「最新の世論調査の結果別姓支持が反対を上回った」と宣伝していますが、実は「自分は別姓にする気はないけど、したい人には認めてもいいんじゃないの」という意見が多数なのにそれまで「賛成」にカウントしているようですね)が、そうやって法案を通すと「ジェンダーチェック」で同姓支持者は「化石」とされるという仕掛けなんでしょうね。
かなり昔ここで「女子マネ撤廃論」というのがとりあげられたことがありますが、そこでは「好きで女子マネになる子もいるんじゃないの」という声に対してある女性教師が「それは性差別社会によって男の裏方にまわってモテたいという意識を刷り込まれているからだ」などと言ってたことですし。
管理人さんは
>苗字を変えたくないという誰しも持っている心理につけこむ卑劣さには怒りすら覚えます。
と述べられていますが、「自分の個性を認められて好きなように生きたい」という「誰しも持っている心理」につけこむのが彼らの常套手段であること、そしてそれがあの思想のカルトたる所以であることはここで何度も述べた通りです。何度も繰り返しますが、「個性」などというものは「自分の好きなように生きられない」という社会の現実を直視し、「その中で自分はどのように生きるべきだろうか」と考えることを通して磨かれ鍛えられるものなのです。
F弁護士あたりからすれば夫婦別姓などはまだ一里塚で、それが通ると今度は「同性婚や複数婚も認めろ」「事実婚(早い話が同棲カップル)にも法律婚と同等の措置を」などと言い出すんでしょうね。やれやれです。
それにしても行政の「三角」サイトをいくつか見ましたが、ほんとバカバカしいですよね。この手のサイトでよく槍玉に上げられているのは「女子社員にだけ制服がある」というのですが、制服に憧れて就職先を選ぶ女性だって大勢いるじゃないか、そもそも男性だってスーツにネクタイで出勤してるのに…と思うのですが、いかがでしょうか。(ちなみに私が以前つとめていた会社では男性はスーツにネクタイ着用が義務付けられていましたが、女子社員はジーパンで出社していました。)
しかし今までは「こんなこと言ってるようじゃ多くの支持は得られないだろう」と思っていましたが、最近ふと疑問に思いました。「近ごろのコギャルの下品な言葉遣いや振る舞いはフェミが『女らしさ』を攻撃したことの影響がないだろうか、またそれが少子化などにもつながってないだろうか」と。今までの認識はちょっと甘かったかもしれません。
トラ女さん
●おかっぱ頭で大学教授で品性のかけらもない某タレント女性議員がある女子高校の創立100周年記念に呼ばれ講演したそうです。
「女性は今まで家庭で“袋と穴”の役目だけをさせられてきた。これからは家庭の事などほっておいてもっと外へ出よう!」と話したそうです。これに参加した60代の良識ある日本の母は「愛を受けずに育った可愛そうな人。恥ずかしくて話しを聞いていられなかった」と感想を述べておられました。
オマケにT女史は100年の伝統ある校歌を歴代校長・何百人もの卒業生を前に散々にこき下ろしたそうです。
これが良識ある国会議員のする行動・言動でしょうか?
選んだ学校も学校ですが、卒業生には良識ある女性が多くいらっしゃるので現・同窓会役員に問題があると思われますが、誤解を招きます。
しかし校歌をコケにされ黙っていた卒業生も大人しすぎると思います。
スリッパくらい投げてあげて、帰れ!の一言でも発するのが本来愛校心のあるものの行動ではないか?と思います。
何処へ行っても拍手なんかするからあの手のオンナが増殖するのです。
同じ女性として自分の事を“袋だ穴だ”と思った事がないので彼女の言動や行動が全く理解できません。
まあここまで強烈にあの“芸風”でやってきたら別の売り方では稼げないことは確かかもしれませんね。
管理人
●今日、うちの学校で使っている家庭科の教科書(実教出版)を見てびっくり。最初の見開きから「男女参画社会」云々で、家庭についてのページでは「固定化した男女の役割がどうの……」とほとんどフェミ教本と見まがうような内容でした。しかも監修者には「かながわ人権センター」の人の名が……。この「かながわ人権センター」って、櫻井よし子氏の講演を中止に追い込んだ左翼系の団体ではなかったでしたって。(違っていたら、どなたかご指摘ください)
ところで、この「男女参画」という言葉ですけれど、「参画」というのがどうも気になります。どこに「参画」するかといえば、「社会」でしょうが、その「社会」に「家庭」は入っていない。つまり「主婦」は「社会に参画していない遅れた存在だ」と規定しているわけですよね。働くこと=善、主婦=否定されるべきもの、という単純な図式が見え透いていて、いかにも左翼的な言葉だということがわかります。
また、その教科書には「男女がともに参画し、助け合う社会が望ましい」と書いてありましたが、そうだとすれば、かつての日本「男=仕事、女=育児、家事」だって充分に「互いが助け合う男女参画社会」であったと思うのですが。
クラッチさん
●主婦としては黙っていられませんので、一言。(笑)
フェミニスト達は、家庭での家事労働を「労働」とは見ていないようです。これほど、日々家庭の仕事(家事・育児等)を忙しくこなしている女性にとって屈辱的な物の見方がありましょうか?
どの組織にもそれぞれ役割と言うものが必要なように、家庭と言う組織にも役割が必要です。男女には肉体的な相違があり、女性が子供を産み育てるような構造を持っている以上、女性が家庭の中の仕事をし、男性が家庭を維持する為に外で働く事は、とても自然な姿です。
同じ会社に何人も社長は必要ではなく、秘書も同じです。それぞれの役割分担が必要なのであり、その一つでも欠ければ会社は成り立たない。
それぞれがお互いの役割の中で本領を発揮し、努力し、お互いに認め合う、それが必要なのです。
家庭も社会の1つです。フェミニスト達の歌い文句である、「女性の(主婦の)社会進出」という言葉は、変な言葉なんですよ。すでに家庭という社会に参加しているのですから。しかも主婦は、人間の、社会の一番基本となる「家庭」を任されているのです。これほど重要な任務がありましょうか?
特に子育てと料理は最重要任務です。子供を産んだ以上、子育て以上に重要な仕事が他にあるでしょうか?もちろん、女性が安心して子育てや家事に専念できるのは、外で働く「お父さん」のおかげなのです。
誤解を承知で書きますが、私の直感的予言なのですが、このまま女性が自分の自己満足のために、外で働く為、子供をかなり幼いうちから保育園等へ預ける状況が続けば、ますます精神の定まらない、不安定な若者が増えていく事でしょう。
そして、料理は家族の健康を左右する事ですから、責任重大です。普通に一家団欒の食事をする。これって、家族にとってかなり重要な事ではないでしょうか?
あー、すっきりしました。(笑)
以上、子育て奮闘中のクラッチでした。
スズキさん
●日々暴走を続ける男女三角関係ですが、先日ウチの役所でまたもやトンでもないものが配られました。身内の恥をさらすようで偲びないですが、ご紹介いたします。
”2002 Calendar 男女共同参画社会をめざして〜職場編〜 Let's
Gender-free”
と銘うった卓上カレンダーです。
カレンダーは年中近くに置いて見るものだから、啓発(洗脳)に最適だろうと思ったのでしょう。カレンダーなんて腐る程もらってるわ!と誰もが思うでしょうが。
このカレンダーは月ごとにテーマがあって、そのテーマにあわせて自分のジェンダー・フリー度とやらをチェックするというのです。その中身は相変わらずと思わせるものや思わず破り捨てたくなるようなものもありました。その一つ
「嫁さん・主人・OLなどの言葉を使っていませんか?」
「女であることを強調する呼び名(女医・女子高生・女優など)や嫁さん、主人、OLなどなにげなく使っている言葉の中には今の社会にそぐわなくなったものもあります。
「主人」に対応する言葉は「家来」。ということになるとあなたは・・・。
パートナーをどのように呼んでいますか?」
どう思われますか?
相も変わらぬ言葉狩りですが、一番腹が立つのは後半の「主人」に対応する言葉は「家来」というやつです。びっくりですね。いまどきこんな一義的な言葉の捉え方をする人がいるとは。それにこの考え方、階級打破を唱えた古臭いマルクス主義そのもの。
こんなことを大マジメになって考える人がいることも情けないですが、これが、一部のサヨクではなく役所が税金を使ってやっていることなのです。
私も公務員ですが、こんなことに使われている私が払った税金の分を返してくれ!って言いたくなります。
この情けないカレンダーは役所の全職員約700人に配布されました。立派な透明ケースに入っており単価500円は下らないでしょう。とするとどう少なく見積もっても@500×700で・・・
ちなみにそのほかのテーマを紹介すると
1月が「ジェンダーってなーに?」
2月「お茶やコーヒーを自分で入れてますか?」
3月「出した書類や読んだ新聞なと、自分で片づけていますか?」
4月「ごみの分別ルールを知っていますか?」
5月「嫁さん・主人・OLなどの言葉を使っていませんか?」
6月「「くん」「ちゃん」づけで呼ぶ習慣はありませんか?」
7月「「男のくせに」「女のくせに」と言ったことはありませんか?」
8月「水着やヌード写真など、目につくところにありませんか?」
9月「性別で、仕事の向き・不向きを決め付けていませんか?」
10月「男性も育児休業や介護休暇がとれることを知っていますか?」
11月「「YOU&MEプラン21」を知っていますか?」
12月「ジェンダー・フリーをめざして!」
勝ってに無人島でも行ってめざしてくれ!
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