徳  丹  城

紫波郡矢巾町徳田 2002/8/18

    

   
                              政庁跡

 徳丹城は、812年の3月頃、時の征夷将軍・文室綿麻呂によって造られた律令制最後の城柵である。雫石川の水害で被害を受けた志波城を解体し、遷し建てられたもので、造営工事には2000人もの鎮兵が動員された。遺跡の形状は概ね正方形を示し、その大きさは一辺約350mある。北辺を除く東・西・南の三辺は丸太が並び立つ柵列であったが、北辺のみは築地を総じて外郭線と呼ぶが、その内外には溝が廻り、城の外周を区画している。外郭線四辺の中央部には三間一戸の八脚門が建つ。この東・西・南・北門を中心に推定17棟の櫓が70m程の間隔で外郭線を跨ぎ取り付く。一方、遺跡の中心部には、正殿や東・西の脇殿が配置された政庁があり、役所の中枢としての格式を保っている。内部の周辺には、いくつかの役所群が存在するが、その実態は明らかでない。9世紀の中頃に至って、徳丹城は衰退したと考えられている。

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