成瀬地蔵(木戸内地蔵)

尾張徳川家の為に治政に実績を上げ藩の為に尽力した成瀬正成は、家康よりこの地方に四千石の領地を与えられた。後、尾張犬山藩主となりました。(四千石は正成生前に次男の之成が受け継ぐ)成瀬之成が三代将軍家光に仕えた際、宇都宮、釣天井事件が起こり、その事件に連座して之成は当地まで逃れ、切腹したと伝えられ、この之成の供養のために造立したと言う説と、
印内村は、木戸内と呼ばれた地元の名主、田中徳左ヱ門・忠左ヱ門両人が願主となり、、共に木戸内女性だけの念仏講連衆が5才で亡くなった、之成の子、之虎への供養と合せて夭折した地元の子供の為に寄進、造立し時折念仏を唱えて、その供養をしていたとの説もあります。