葛飾神社(葛飾明神)

 風光明媚景勝の地。勝間田の池のほとり、丘の上の熊野権現社のこの地に、大正5年に熊野神社と合祀されました。葛飾神社は、昔は葛飾明神とよばれ、この地域一帯の総社であった。平安時代のころは郡司の庁がおかれたと考えるむきもありまする中世には千葉氏の支配を受けたことからその縁故の者がここに屋敷をかまえたそうです。この地域一帯の支配の中心であったので本郷の地名となったものだとも言われています。

 

                       船橋市の名木(葛飾神社のクロマツ)

葛飾神社の獅子
 むかし、むかし、本郷村では、村の鎮守様として葛飾明神を奉祀しました。村の人たちは、明神様を深く深く尊崇していました。いつのころか、この村の中で信心の厚いある大尽が、明神様に獅子を奉納しました。そして、御祭りの時にはきっと獅子舞いをやるのが慣わしになっていました。
 ところがある年、獅子舞を始めょうとして頭を持った途端に、獅子は暴れ出しました。周囲の人に噛み付いたり、怪我をさせたりしました。これがその後何年か続きました。しかし、獅子は明神様のお道具であり、村役人達はこの取扱にほとほと困っていました。そこで、お祭りが近づく度に「お獅子様は、どうして暴れるのかのー」と言って、頭を抱えていました。思い余った村役人達は、これを長く放っておくことも出来ないので、明神様に入ってもらって相談しました。なかなかいい妙案は出ませんでした。最後になって、さっきから真剣な顔つきで考えていた神主様が「どうじのー、獅子は大きな口を開ける度に人々に事故を与えるではないか。そこでじゃ、獅子の口を縛ってみてはどんなものかのー」といいました。
 これを聞いた村役人達はね異論もなく承知しました。そして、早速獅子を恭しく神前に供え、神主様にご祈祷をしてもらいました。すると、不思議なことに、獅子は最初の頃のように大人しくなりました。それで、村役人達の間では、獅子の口の麻紐の封印は解かないことにしました。そのため、明神様の獅子は、その後ずーっと口を封じられた状態でご神前に鎮座し、また舞を演じて来たということです。(船橋の民話 村上氏著)

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